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「地下通路は一本道なんだ」
松明を掲げて先頭を歩むミラルシアに続きながら、サリスは話す。
「『海辺の塔』まで長くはあるけれど、迷いようのない一本道」
「…なのに、迷宮があるのですか?」
「途中、いくつか封じられた道があってな」
シャルンの問いにミラルシアが振り向いた。
「どうしてできたものかはわからぬが、元々あった地下通路を利用して、『海辺の塔』へと繋げた。途中の分岐点のいくつかを木の扉で封じておる。王族が逃げ延びる時には、その扉を開け放って逃げるという訳だ」
「…もし誤って、そちらへ迷い込んだら」
「追跡の時間を食うだけならいいが、正直なところ、先々まで明瞭になっている道ばかりではない、生きて戻れれば良し、というところだ」
シャルンは微かに体を震わせた。
得体の知れぬ闇の中で、果てしなく分岐する道を思うばかりではなく、時々刺すような冷たい風が吹いてくるのを感じる。
「大丈夫か?」
背中を守るように付き従っているレダンが、心配そうに肩を抱いてくれてほっとする。
「この1人しか通れぬ幅も、きっと理由があってのことですね?」
「…一対一でアルシアの王族に抵抗できる賊は少なかろうぞ」
低く笑ったミラルシアが、ふと立ち止まり、左の凹みに手を伸ばした。散らつく灯りの中ではわかりにくいが、確かに粗末な木の扉がある。
「1つ目の扉だ」
「…そこは少し行った先で行き止まりです」
サリスが応じた。
「ふむ?」
「…暇だったもので」
何か言いたげにミラルシアが眉を上げて振り返る。サリスが軽く咳払いした。
「次の右側の扉と、その次の右側の扉も、いくつか分岐はありますが、くるりと回って戻ってきますよ」
レダンの後ろからルッカが声を響かせた。
「以前、近衛で見回りましたが、右側には固い岩盤があるようで奥に広がる様子はありませんでしたね」
「左側は当たっていない?」
不思議そうにガストが尋ねる。
「…左側2つ目の扉から、少し道行が長くなるのじゃ」
ミラルシアが頷く。
「物見遊山で入れる程度のものではなくてな」
「…行方不明者が出たのだ」
サリスが付け加えた。
「十分に注意して、腰縄をつけて入ったのだが、その縄が岩に擦れたのか、誰かが切ったのか、途中で切れていた。それ以降、あえて左側の扉の内側を探ることもなかったな」
「…一度だけ、2つ目の扉を進んだことがある」
ミラルシアが先へ進みながら続けた。
「途中に大きな空っぽの池に大岩が嵌っているような場所があってな、そこまで行って戻ってきた」
まずはその先へ進んでみようと思う。
ミラルシアの声に一同頷く。
しばらく無言で進むうちに、シャルンは再び風を感じた。
「…ここには空気が入るのですね」
「そうだな。『海辺の塔』に抜けているということもあるが、途中の分岐点の幾つかが地上に通じているのかも知れない」
サリスが解説した直後、
「2つ目の扉だ」
ミラルシアが立ち止まり、扉を探り木枠をはめ込むような形の閂を引き抜く。ゆっくり押し開けると、ぴりぴりと肌を刺すような空気が流れ込んできた。と、
「…?」
「どうした、姉上」
「…人の声がしないか?」
「…いや…どちらからだ?」
不審そうな顔をしながらミラルシアが元の通路の先を数歩進む。眉を寄せながらサリスが続く。扉の前で立ち止まったシャルンは、離れる2人を見やりながら、少し扉の中を覗き込んだ。
「…あら…?」
真っ暗な通路かと思いきや、気のせいか微かに光が満ちている。
「何の光…」
「お命頂戴っ!」「うおっ!」
ふいに背後から叫びが起こった。振り返ると背後の地下通路を駆け込んできた男が数人、ガストとルッカに襲いかかっている。
「シャルン!」「陛下っ!」
とっさにシャルンを背中に通路へ押し込み、レダンが剣を引き抜いた。
「下がれっ!」
「はいっ!」
しがみついて邪魔になってはいけない。シャルンは応戦に入るレダンから身を翻して通路に飛び込んだ。寸前、先へ行ったはずのミラルシアとサリストアの姿を探したがどこにも見えない。つい今しがたまで前を歩いていたはずなのに、何かの罠に引っかかったのか、それとも、地下通路探索自体が罠だったのか。
通路が狭い分、さすがのレダン達も応じあぐねているのか、剣戟の音が響く中、誰も戻ってこない、ばかりか。
「あ!」
突然真っ白い手が扉を引いた。ぎょっとする間もなく、閉められた扉にシャルンが慌てて駆け寄るのも虚しく、閂がかかる音がする。戦闘は続いているのだろう、激しい物音が響き、扉がなんども強く叩きつけられ、シャルンは唇を噛んで身を引いた。
もし万が一、ミラルシアの罠で、十分に手勢を潜ませられていたのなら、サリストアやレダン達も手傷を負ったかもしれない。混戦の中でシャルンは役に立たない。もしやのことを案じて、レダンかルッカが後から迎えに来ようと、一旦扉を封じてくれたのかも知れない。
「待つしかないのね」
地下の冷気だけではなく、最悪の結果を予想して、シャルンは震える手足を強く引き締めた。
待つ、待つ、待ち続ける。
扉は時に激しく鳴る、その度に声を上げてレダンの安否を問い、助けを請いたい気持ちを堪える。
やがて、物音は収まった。
だが、扉は開かない。
「……違うわ」
目を閉じて思い出す。
扉を引いた手は、レダンのものでもルッカのものでもなかった。白くて小さくて、そうまるで幼い子どものような手だった。
「……陛下…?」
扉に近寄り、静かに呼び掛ける。
「サリス?」
ことことと扉を打った。
「ルッカ、ガスト!」
もう少し強く、扉を打つ。
「陛下……レダン!」
両手で扉を打っても、扉はびくともしない。誰も答えない。轟く胸の音だけが、闇の中に喧しい。
「……何があったの」
シャルンが居なくなったことに気づかないわけがない。剣戟の中、開いていた扉が閉まっていたら、その中にいないか考えないはずがない。扉を開けて覗かないはずがない。
それが起こらないのは、誰もシャルンを助けに来られる状態ではないか、或いは、この中にはシャルンはいないと『誰か』が請け負ったかだ。
ミラルシアの鮮やかな緑青の瞳と紅の唇が浮かんだ。
ぶるぶると首を振る。
違う。地下迷宮を探索に行きたいと訴えた表情は嘘ではない。
けれどもし、襲ってきた者がミラルシアを擁護する者達で、シャルンの身柄と引き換えにレダン達に黙認を要求し、復位を約束したならば? 揺らがぬほど、ミラルシアは王位に興味をなくしているだろうか、仮にもいっときは冠を戴く満足を知りながら?
シャルンは開かぬ扉を睨みつけた。
「…いいえ」
ゆっくり息を吸い、吐く。
不安の種は幾つも芽吹く。そんなものを身のうちに飼っていては、動けなくなるばかりだ。
今はミラルシアの本心も、レダン達の状況もわからない。シャルンはここから外には出られない。出られるとしたら。
シャルンはくるりと向きを変えた。
なぜか薄明かり漂う地下通路を、右手を伸ばして壁に触れながら、ゆっくりと歩き始めた。




