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「シャルン、何してる、こっちへ!」

「駄目です、陛下」

 震える声を絞り出す。

「ここに……龍神が………居ます」

「は?」

「どこに居るってんですか姫様、そんなものどこにも」

 ぞああああっ。

 再び耳を裂くような響きが空洞中を圧して、ルッカも口を噤む。

「シャルン、待ってろ、俺が」

「いえ……陛下」

 シャルンは震える体を必死に留めた。

「来ないで……来てはなりません」

 脳裏に母親の手に残ったと言うあざが思い浮かぶ。幼い時の、龍の形にさえならない光で、一生残るような傷を刻む。ましてや、今リュハヤを一瞬にして絶命させたような『力』は、一体何を引き起こすだろう。

 シャルンはそろそろと天井を見る。

 もし、この龍がこの空洞を破壊したら、真上にある『祈りの館』は跡形もなくここに落ち込むのではないか、それこそひょっとすると、離れた場所のレース工房や糸繰り場までも呑み込んで。エイリカ湖は変形し、或いはまた干上がってしまうのかも知れない。そんなことが起きれば、ビンドスの設置どころか、これほど緑豊かなルシュカの谷は荒れ果てた岩場となってしまう。

「……呼び出されて……お怒りなのですね」

 シャルンはそっと池の上に視線を戻した。

 ミディルン鉱石のあった場所には、薄青い水のような靄がゆらゆらと揺れている。

「何を、お望みなのでしょうか」

 ぞ、ぐああああああっっ。

「っっ」

 音のない咆哮が響き渡る。

 望みはそちらが述べるものだろう。

 我に何用があったのか。

 問われた気がして、シャルンは話しかける。

「……願いを叶えて下さるのですか」

 ぶわっと空気が揺れた。強い圧力で空洞中を駆け巡り、天井からばらばらと岩くれが落ちる。

「…お帰り願うわけには…行かないのでしょうか」

 ゆうらりと靄が上下に伸びた。そのままずずうっとシャルンに迫り、顔の間近で動きを止める。透明で向こうの岩まで見えるのに、すぐ目の前に巨大な顔があって、覗き込まれているようだった。

 望みを述べよ。

 叶えるわけにはいかぬが。

「なぜ?」

 シャルンの思わずの問いに、にいやりと靄が嗤う。

 答えがない。

 冷や汗が流れる。

 確かにやりとりできているが、弄ばれているような気配が強い。

 まさにこの『力』はシャルン達にとって異質で、人の願いも望みも関係がなく、世界の意味も気にはしていない存在だ。

 どうしたらいいの。

 ミディルン鉱石に『かげ』を見出す。名付ければ『龍』が出現し、願いを叶える。しかしその願いが意に沿わなければ、『龍』は世界を滅ぼしに放たれる。

 しかし今、見出したのも名付けたのもリュハヤであり、手掛かりは永久に失われた。リュハヤを喰ったのも、自分を操る術を与えないためとも取れる。

 どうすれば。

「…っ」

 ふいにふわりと背後から抱きかかえられた。

 靄が訝しげにシャルンの背後に視線を移した様子があって、全身凍る。離れて欲しいと抵抗しても、レダンの優しい温もりがシャルンを包んで離さない。

「共にいる」

 低い囁きが耳に届いた。

「ずっと一緒にいるから、シャルン」

 ああ。

 視界が一気に霞んだ。

 こんなに近くに居れば、リュハヤのようにシャルンが屠られる時に一緒に貪られてしまうだろう。なのに、レダンは退く様子がない、このカースウェルさえ振り捨てて。

「……お名前を……差し上げます…」

 シャルンは溢れる涙の中で、『龍』に笑いかけた。

「シシュラグーン………あなたに願うのはこの地の平和」

 靄が教えた名前ではない。だから、これは正しい名前ではない。

「私の命を代償に、エイリカ湖の水を浄化して下さい、シシュラグーン」

 次の瞬間、ぐうっと靄が伸び、見る見る白く凍りつくような色を纏い始めた。尖った巨大な顎、鋭い無数の角、池に没しても中ほどまでも消えぬ銀色と青に光る鱗の体、そのままずるずるとシャルンに向かって顔を降ろしてきながら、牙の並ぶ赤い口を開く。

「っ」

 ごめんなさい、陛下。

 ごめんなさい、ガスト、ルッカ。

 ごめんなさい、カースウェル、ハイオルト。

 私にできるのはこれが精一杯。

 喰われる痛みに備えて目を閉じ身体を竦め、胸の中で謝ったシャルンの耳元に、甘やかな優しい声が響いた。

『受け取ろう、シャルン』

「…え?」

 ざあああああああああ……っ。

 大量の水が空洞一杯を満たしていくのに、息が出来て溺れもしないで、しかも倒れた男達の手足が治り、驚きに目を見開く人々の前で、水はゆっくりと音もなく引いていき……。

「シャルン…」

「陛下……」

 シャルンはレダンを見た。レダンもシャルンを見る。抱き合った体がお互い小刻みに震えている。

 池の側にリュハヤの白い半身の遺体を残し、水龍はその姿を消していた。


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