4
陛下はやはりリュハヤ様の方を美しいとご覧になっているのかしら。
さすがにちょっと不安になってレダンを見上げると、相手は厳しい顔でリュハヤを見つめている。いや、正確に言うと、リュハヤの向こうの池の水を、と言うべきか。
「…シャルン」
そればかりか、シャルンの手首を掴み、引き寄せてきた。
「陛下?」
「何か、やばいぞ」
公的な場所で崩すはずのないことば遣いに驚いて、視線の方を振り向くと、確かにさっきまで静かに凪いでいた水が揺れている。
イルデハヤは気づいているのか気づいていないのか、跪いて水を汲み上げ、側のリュハヤの頭から掛けながら、呪文のように繰り返した。
「私の欲望を流して下さい。私の祈りを運んで下さい。私の願いを燃やして下さい……私の欲望を流して下さい。私の祈りを運んで下さい。私の願いを燃やして下さい…」
同じくリュハヤも目を閉じ、池の側に跪き、よく通る声で呟く。
「私の欲望を流して下さい。私の祈りを運んで下さい。私の願いを燃やして下さい…」
ゆら、と水が揺れる。
ゆら、ゆら、と水が動く、まるで祈りに応じるように。
「…ああ」
シャルンは思わず声を漏らした。
『祈りの館』の与えられた小部屋で見た幻のように、池の水が渦巻きながら立ち上がっていく。周囲の岩盤を浸し、灯りを掲げてぐるりと取り囲んで立っている男達の足元まで、シャルンやレダンの靴を濡らしながら溢れ出していく。もちろん、イルデハヤもリュハヤも全身濡れている。そればかりか、池の水が押しのけられた真ん中に、巨大な岩が見え始めた。岩盤の底かと思ったが、そうではなく、池の中央深くに沈んでいた岩が、祈りに呼ばれて立ち上がってくるような気配だ。
「…いけない…」
シャルンは首を振った。
「そのように呼び出しては…」
「シャルン…?」
「それは、そのように呼ばれることを……望まない…」
「どうした? おい?」
手首を強く握られた。背後から案じるように抱きしめられた、けれどシャルンの目に映ったのは、青く水を跳ねて浮き上がる、人の体より遥かに大きな、空洞の半ばまで覆うほどのミディルン鉱石だ。
今やリュハヤとイルデハヤは感極まったように鉱石の前に跪き、泣き出しかけながら呼びかけている。
「私の欲望を流して下さい。私の祈りを運んで下さい。私の願いを燃やして下さいいいい!」
「猛き光の雄々しき龍、湖に満ちし炎をもって、我が祝福となし給ええええ!」
「…っっっ」
ぐわり、と石が割れた。縦横無尽にヒビが入り、空中で一気に砕け散る。
「きゃあああ!」「ううわあ!!」
破片が飛び散り、灯りを砕く。掲げていた男達が腕を裂かれ足を折られて転がり倒れる。イルデハヤがまるで小動物のような素早さで岩陰に飛びすさっていき、不思議なことに傷一つないリュハヤが池の側に座り込んでいる。
「大丈夫か、シャルン!」
「奥方様!」「早くこちらへ!」
とっさに抱え込んでくれたのだろう、レダンの熱い体に抱かれ、シャルンはそれでもまだ池から目を離せなかった。
「ガスト前へ! ルッカ、シャルンを抱えて下がれ、怪我人を確認、対処に当たる……っ?」
「待って下さい」
すぐに体勢を立て直し、飛び出そうとするレダンとガストをシャルンは押し留めた。
「駄目です、今は駄目」
「鉱石は砕けた、リュハヤは無事なようだが、水龍なんてどこにも」
「いえ」
シャルンはごくりと唾を呑んだ。
「駄目です、居ます、すぐそこに」
「何……何……何なの…」
座り込んだリュハヤが怯えた顔で周囲を見る。
「どう言うこと? 水龍は? お父様? どうしたの、何が起きたの?」
「あ…っ、駄目っ!」
「シャルン!」
レダンを押し退け、飛び出したが既に遅かった。
怯えたリュハヤが真っ青になったまま、よろめき立ち上がり、岩陰に居るイルデハヤを見つけて駆け寄ろうとした矢先、があっ、とどこからか激しい咆哮が響いた。次の瞬間、中腰になったリュハヤの上半身がふっつりと消える。
「ヒッ」「ひいいっ」
全身の傷の痛みでのたうち回る男達の間から悲鳴が上がった。残ったリュハヤの下半身が不安定に揺れ、そのままどさりと荷物のように床に転がる。
そうしてシャルンは飛び出したドレスの裾にリュハヤの鮮血を受けたまま、凍りついたように中空を見上げていた。




