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「…」
その夜、シャルンはリュハヤに借りた針の手をふと止めた。
「姫様? お疲れでしょう、もう残りは私が」
同じように針を動かしていたルッカが気づいて労ってくれる。
「大丈夫。…懐かしいわね」
「…そうでございますね」
ルッカが同じように微笑みつつ、2人の膝の上に広げられたドレスを眺める。
龍神祭りにと仕立てたり準備したりしていた衣類も飾り物もなくなってしまった。マーベルやイルラ達が心を込めて選んでくれたものだったのにと辛い思いはある。1着を工夫して着続けるシャルン、その努力さえもリュハヤに嘲笑われる日々だが、よくよく考えてみれば、初めからそれほど多くのドレスは持っていなかった。ハイオルトでも限られた数着を、あれやこれやと工夫して着ていたのだ。
今2人はモレンがこっそり準備してくれた粗末な灰色のドレスに、レース工房の職人が送ってくれた編み上がったばかりの花を散らしたレース地とリボンを縫い付けている。リュハヤに叱られるのではと案じたシャルンに、オルガはびっくりした顔で言ったものだ、「はあ、うちの王妃様を飾るのに使うもんですよ、王宮に運ぼうが、ここで身に付けて頂こうが、同じことではねえですか?」
「ねえ、ルッカ」
「はい」
「この『祈りの館』に来て、私良かったわ」
「え」
シャルンはレースをそっと撫でる。
「こんな美しい物に触れて、あれほどの苦労を経て作り上げられると知った。エイリカ湖もとても美しかったし、その側にあれほど暗くて寒い部屋で、祈りを捧げている人々がいるのを知った」
シャルンは指を止める。
「ハイオルトもまた、そうだったのかしら」
「…」
「暗くて侘しくて辛いだけの城にも、ひょっとすると美しいものがあったのかしら」
「姫様……お戻りになられたいのですか」
ルッカが不安そうに問いかける。
「いいえ、違うの。私がこんな風にハイオルトのことを考えられるようになったのは、陛下がたくさんのものを見せて下さったからだわ」
今の状況を、辛い苦しいと考えず、懐かしいと繰り返し思うのは、辿って来た道を振り返れるほど満たされているからだろう。この状況が長く続くわけがないと確信するのは、その場所を通り抜けて来たからだろう。
「このレースの模様一つ一つにオルガやモレンの見て来た景色が織り込まれている。どんな気持ちで過ごして来たのか、どんな思いで暮らして来たのか、見えてくる」
シャルンはレースを掬い上げる。
脳裏に広がるのは汗みずくになって糸を紡ぎ上げるオルガの顔、細い糸1本1本で図案を織り上げていくモレン達の真剣な眼差し。生き生きと仕事を楽しむ温かで豊かな笑顔。笑顔。笑顔。
「あの暮らしの中で、オルガ達は私達を、王家を大事にしてくれている」
額に当ててそっと目を閉じる。
「陛下がどれほど丁寧に、カースウェルを守っておられたのかが、よくわかる」
「姫様…」
「応えねば」
シャルンは囁き、顔を上げて、ルッカを見た。
「王家は応えねばならない、この思いに……そう思うのよ」
にっこり笑う。
「龍神が世界の滅亡を天秤にかけて私に問うなら、これほどの装いがあるかしら。あの指先1本ずつが、このレースに触れている。それを身に付けて、私はしっかりと応えねばならない、この世界を守りたいと」
「……はい」
「あの時の私には、きっとその覚悟はなかったのよ。だから、生まれた力を野放しにして、お母様に傷を負わせた」
シャルンは一瞬唇を噛む。
それから静かに続けた。
「頑張るわ、ルッカ」




