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オルガが戻って渡したのは、確かに粗末な衣類だった。
「懐かしいわね」
「懐かしゅうございますね」
ルッカと2人、手にした服と頭を包む三角形の布を眺める。
「カースウェルへ初めて来た時の格好」
「はい、姫様」
「…こんなカッコでお嫁入りなすったんですか」
オルガが目を丸くする。
「ええ、ええ、『こんなカッコでお嫁入り』したのよ」
シャルンはオルガの口調を真似て、いそいそと着替えを始めた。ルッカが慌てて手伝い始める。がさがさした手触り、乱暴に引っ張ってはどこかしら破れてしまうか、肌を傷つけてしまうだろう。それでも着替え終わると、オルガがほう、と溜息をついた。
「はあ、そんでも、あたし達より綺麗だね」
当たり前か、モレンさんに怒られるな。
「モレンさん?」
「糸繰り場の繰り頭です」
「繰り頭」
「熱い湯も使うんで、皆繰り頭の言うことには従わねえと。あなた様方もよろしくお願いします」
「わかりました。いいわね、ルッカ」
「はい、心得ました」
「んでは、参りますよ」
部屋を出て廊下を通り、入ってきた時とは違う階段を降りる。
「こちらにも出入口があるのですね」
中庭の隅を通って壁伝いに包みながら、ルッカが用心深く周囲を見回す。
「どこからでも逃げられるという事でございますね」
「逃げる?」
オルガがひょいと振り返る。
「あたし達は逃げませんよ、だって王様に織物差し上げなくちゃ。あたし達の王様だもん、喜んで頂きたいんです」
「とても嬉しいわ」
シャルンが微笑むと、ルッカが低い声でオルガに聞こえないように囁く。
「王宮にレースなんか届いてません」
「知っているわ。でも、オルガ達はどこかへ贈っているのよね」
「おそらく、それもとんでもなく安い工賃で。どこへどのように贈っているのか、得たお金は誰の懐に入っているのか、知りたいもんですね」
「陛下もきっとそうお考えでしょう」
さっきのオルガの話を聞くだけでも、レースや野菜、果物などがこの館から献上されているはずだ。しかし、レダンは聞いたこともないだろうし、そもそもこの館の所有自体、国のものではない。
もう一つ、シャルンはぎょっとしたことがあった。
「…ルッカ」
「…あれまあ、なんてこと、あれはルサラじゃありませんか」
道の左側、湖の岸辺の陰に隠すように束ねられたルサラが積まれている。ただ積まれているだけでなく、水管にするためだろう、乾燥工程途中のものと思われるもの、生のものと仕分けられており、明らかにここ数日で集められたのではないとわかる。
「ああ、あれ、ビンドスですよ」
シャルン達が覗き込んだものに気づいたのだろう、オルガは目を輝かせた。
「たいしたもんですよねえ、あのお陰で水汲みがうんと楽になったし、何より糸繰り場へまっすぐ水を引けたんで、後は煮立たせるだけになって、糸繰りに十分手間がかけられるし」
「…あれは何に使われているの?」
知らぬ顔でシャルンは尋ねた。
来る道中で、ルシュカの谷にあれほどあったルサラの数が減っていると思ったのは間違いではなかったらしい。谷のルサラは集められてここで加工されている。けれど、司祭達はビンドスの設置に及び腰だ。性能をわかっているはずなのに、使いたくないとごねているのは、ひょっとすると。
「…あ、モレンさんだ、おおおい! モレンさあん!」
オルガが道を走り出した。小道の先にある粗末な小屋の前に立っていた、灰色服の年配の女性がはとしたように駆け出して来る。
「オルガ! あんた、一体何をしたんだ! いつまで経っても帰って来ねえから、あたしはもう、とんでもない粗相をしちまったのかと心配………この方達は?」
飛びついたオルガを受け止めながら、モレンは訝しそうにシャルンを眺めた。顔を眺め、衣服を眺め、髪をまとめた布を眺め、手を見た途端、青ざめる。
「うわ、オルガ、あんた何てことを!」
狼狽えたようにオルガを背後に庇い、急いで深く頭を下げる。
「申し訳ありません、お嬢様方! こいつが何を申し上げたか知らねえですが、とんでもないものをお渡しして、どうぞお許し下さい! もうその服はどうぞお捨てになって下さって、今すぐ館へお送りいたしますんで!」
「お嬢様じゃないよ、モレンさん、この人達はねえ、王妃様達だよ」
「王…」
「糸繰り場とレース工房をご覧になりたいんだってさあ! 良かったよねえ、モレンさん! あたし達がこの前織り上げた森と鳥の図案のやつ、もう見て頂けるよう! それにさっきのお菓子さあ、王妃様がたが下さったんだよ、美味しかったろ?」
「も、申し訳……」
モレンは文字通り真っ青になった。
「こ、この通り、子どもでございますよお、どうかお叱りにならねえで、おふざけにならねえで、いえいえ、お叱りならあたしが受けますんで、どうぞこの子だけはお許し下さい、ほんの子どもでございますんで、どうか…」
涙を浮かべながら言い募り、やがてへたへたと座り込みそうになるのを、驚いたオルガがすがりつく。
「なになに、何なの、モレンさん、あたし、何かやっちゃいけないことやったの? モレンさんがお叱り受けんの? あたしのせいなの? 皆が困んの?」
「ルッカ」
「はい」
シャルンは駆け寄って支えたいのを堪えた。これほど王族に対して恐怖を抱えている相手に、自分が直接動けばどういうことになるか、よく知っている。心得たルッカがモレンの側に近づき話しかける。
「私は王妃様付きの侍女です。さあさあ、しゃんと立っておくれ。王妃様はね、お部屋にあった美しいレースをご覧になって、是非にその工房を見たいと仰せだよ」
「…工房を…」
「そうともさ、そこの子どもが言ったように、王妃様は本当にレースの素晴らしさをお褒めになっている。私がこれほど砕けた物言いをしても、お叱りにならないだろう? お気さくな方なんだよ、糸繰り場やレース工房に出向くのに、ドレスではよくないだろうと、わざわざお着替えまでされたんだよ」
「…美しい……レース…」
「…よろしいですか」
ようやくモレンの顔に血の気が戻ってきて、視線が合うようになったので、シャルンはそっと微笑みかけた。
「お仕事の邪魔にならないと良いのですが」
「……そんな………そんな……っ」
今度はモレンの顔がみるみる真っ赤になった。
「邪魔だなんてそんな、王妃様、本当ですか、本当にご覧頂けるんですか」
「よろしいですか」
「よろしいも何も………王妃様のお話はよく存じあげていますとも! ウチの王様が無体なことを仕掛けてカースウェルに攫われて来なすったのにお優しくて、いつも暮らしぶりを気にかけてくだすってるって……ああ、どうしよう、オルガ、大変なことだよ、名誉なことだよ、とりあえずひとっ走り行って、お席をご用意しなきゃ、頼むよ、オルガ!」
「はい、モレンさん!」
言うや否や、オルガが駆け出し、モレンが恐縮しながらシャルン達を導き出す。
「ルッカ」
「はい」
吹き出しそうなルッカを横目に、シャルンは憮然と呟いた。
「何だか、陛下がとてもお可哀想な気がするのだけど」
「いえいえ、近からず遠からずってあたりでございますよ」
ルッカがくつくつと笑った。




