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「…か……陛下!」
耳元で悲痛な声で呼ばれたから、ゆっくり瞬いて目を開けた。
「…シャルン…」
「……陛下……」
目元を真っ赤にし、今の今まで泣き崩れていたのではないかと思うような顔のシャルンが、必死に目を見開いてレダンを覗き込む。
「…ご気分は……如何ですか……?」
震える声が溢れて、何となく何があったか予想がついた。
「…大丈夫だよ、シャルン」
微笑む。
涙に濡れた唇が可愛くて愛しくて、とにかくキスしたいのだが。
「でも…」
「そちらこそ、何があった?」
視線を巡らせて、扉の前に立つバラディオスを見やる。
「珍しい男がいるな」
「…ご無礼を」
ハイオルトの辺境伯、バラディオス・クレラントが砕けた服装のまま一礼する。
「内密に来ておりましたので」
「構わぬ……で、我が妃が取り乱した理由を知っていそうだな?」
「奥方様は糸繰り場とレース工房を回っておいででした。そこへ、王が倒れられて目覚められないとの報が届きまして、急ぎ同行いたしました」
「……ガストはどうした?」
「行方不明です」
「……ルッカは」
「…恐らくは、ガストと共にいるかと。我が手のものが動いております、ご安心を」
「…では、あなたは侍女もおらず、執務官もいなくなった、目覚めぬ王を呼び続けてくれたのだね?」
「わ…私は…っ」
シャルンは泣き出すまいと必死に堪えながら、頷く。
「私は、陛下のお側を離れません…っ。例え、他の方を……お望みであろうと……っ、わ、私は……私も陛下を……陛下を……」
「……ああ、なるほど」
レダンはシャルンを抱き寄せた。堪え難く、離し難く、繰り返し髪にも頬にもキスを贈る。
「心配をかけたね」
「陛下、陛下」
「……よろしければ、ご説明を伺いたく存じます」
依然、扉の側に控えていたままのバラディオスが殺気立った声で唸る。山奥にいる獣のような視線だ。
そう言えば、ハイオルトの臣下はシャルン大好き人間の集合体で、ましてやこんな風に泣き叫ぶような『姫様』を作り出した男なんて首を落としてもいいほどに考えてるんだっけな、と思い出した。
「なぜ、あなたは怪しげな半裸の巫女を侍らせ、酒を過ごしてベッドでお眠りでしたか」
おいおい、そいつは言い過ぎだろう、バラディオス。ほら見ろ、シャルンがうす青くなっちまったが、わかってるのかね。
レダンは溜息混じりにシャルンを抱いたまま、もう片方の手でバラディオスを招いた。
「は?」
「今の俺の部屋に踏み込む暇な奴は居ねえよ、こっち来い」
あんまり大声で話せない。
「…どういうことですか」
「催淫剤と毒を盛られててな、さすがの俺も声が十分に出ない」
ひゅ、と今度はシャルンばかりではなく、バラディオスまで青くなった。慌てたようにベッドに近寄り、再度促された示した椅子に腰を下ろす。
「今は何時だ?」
「夕飯は済み、就寝の時間少し前です」
「そうか…半日ぐらい吹っ飛んでたか」
ぎりぎりだったな、と苦笑いしながら、そろそろとシャルンの体を離し、ベッドに沈む。シャルンは涙を拭いて、そっとレダンの手を握りしめてくれた。
「…最初の1口が多かったか」
「毒とは?」
「交渉中にやばいところに突っ込まれたのを焦ったのか、イルデハヤかリュハヤが、レグワを出して来たんだよ」
「…レグワ……」
「あれ…? お前も知らないか」
「いえ…知ってはいますが…」
「知ってるよな、『水晶亭』の主人だし」
バラディオスが引きつったような笑みを返してくる。
「……ただでさえ催淫作用がありますよね?」
「ここでは常用してるらしいぞ。イルデハヤもリュハヤも飲んで平然としてた」
「……」
バラディオスが不愉快そうにくっきりと眉を寄せる。それもそのはず、レグワと言うのは、その筋の遊びに使われる飲み物で、絞り汁も酒も濃い味になるので、様々な薬物を混ぜてもわかりにくい。
レダンはそれこそ『下々』の生活に混じったこともあるから知っていたが、万が一シャルンに提供されていたら事だった。もっとも、匂いも独特で強烈だから、飲む前に気づいてはいたのだが。
「まさか、麻痺薬を混ぜられてるとは、ちょっと予想外だったな」
「…知ってましたね?」
「ん」
シャルンがひくりと体を震わせる。
「効き方が知ってる奴だったから、まあ凌げると思ったんでな……催淫効果を飛ばす分、眠らせてもらうことにした。けれど…」
シャルンに微笑む。
「あなたには済まなかったね」




