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エイリカ湖は周囲の山から流れ落ちてきた水と、恐らくは湖の底から染み出すように噴き出している地下水が合わさってできていると思われている。かつてレダンは一度ここへ潜ったことがあるが、底の方は水流が乱れ、地下水路に続く洞窟もあり、まだまだ未知な部分も多く、子ども達が泳ぐことは戒められている。
最近、天候に大きな乱れはなかった。雨量もそれほど変わらなかったはずだ。地下水路に流れ込む水も、それこそ水路の急激な拡張などがなければ増えることはないだろう。噴き出す地下水が減ったのなら、他のところにも影響が出るだろう。それとも。
「これ以上、湖から水を汲み出すのは心配、と言うことか?」
「…は?」
レダンのカマかけにイルデハヤは一呼吸置いて、不思議そうに首を傾げた。 水位が急に下がり、入るものに大きな変化がないのならば、『出て行く量』が増えているとは素人でもわかることだ。
しかし、『祈りの館』でどれほど多く人が暮らし、水を使ったとしても、高が知れている。実際、暮らしぶりには水を多用している様子はなかった。ならば、それだけ大量の水はどこへ行ったのか。
もう一つ、気になることがあった。
「水管についてはどうだ?」
「…よく考えられたものだと思います」
イルデハヤは考え込んだ目の色になった。
「あのような工夫を誰が考えたものかと思っておりました」
用心深く上目遣いになる。
「そうか。見本を送らせたが、使ってみてどうだった」
「水漏れもしませんし、丈夫ですし。ルシュカの谷にあのようなものがあるとは気づきませんでした」
「これも報告があったが、野生のビンドスが最近減っていると言うのは知っているか?」
「…存じませんなあ」
イルデハヤは微笑む。
「お待たせいたしました」
リュハヤが戻ってきて、美しい作りの壺に赤紫の液体を満たしたものを運んできた。
「果実を絞ったものです。それほど濃くないので、お楽しみ頂けるかと」
「おお、真剣な話し合いに喉が乾いたところだ。レダン王、館の者の手作りです、どうぞ」
何が真剣な話し合いだ。化かし合いと騙し合い、どちらが早く相手の本音を掴むかというところだろうに。
レダンは唇を曲げたまま、空のコップを受け取る。
「まずは私から毒味を」
イルデハヤが嬉しそうに壺から注がれた中身を含む。甘い香りが立ち上った。同様、リュハヤが一口飲んで見せ、同じ入れ物から新たにレダンのコップにも注いだ。
軽く匂いを嗅ぐ。
じっと見つめる2人は、飲まなくては先を進める気がなさそうだ。
「もらおう」
レダンは注がれた液体を口に流し込んだ。思ったよりも遥かに鮮烈な甘みと強い芳香が広がる。果実を絞ったものというより、果実酒に近い。
「このレグワと言う果実は、谷で取れるのですよ」
イルデハヤは失礼いたします、もう1杯、と壺から自分のコップに注ぐ。
「王族の方はあまりご存じではないでしょう、下々のものですからな」
「ふむ。悪くない味だな」
レダンは注ぎ足すリュハヤをぼんやりと見上げる。なぜか急激に眠くなってきた気がする。こんなところで疲れが出たか、と瞬きをすると、喉がひどく乾いて、注がれたレグワ酒を一気に飲み干した。
「甘さは強いですが、色々なものを混ぜ合わせて楽しむこともできますのでな、街でも良く飲みました」
イルデハヤが感慨深げに呟いた。
「レダン王、どうされましたか」
リュハヤが心配そうな声音を響かせ、隣に座ってくる。柔らかな感触と鼻をくすぐる花の匂い、見上げる薄い緑色の瞳がきらきらと光るのが美しい。
「いや、何でもない」
軽く首を振って、体を立て直したつもりだったが、腰のあたりが熱くてぐにゃりと蕩けていくような妙な感覚がある。
「ロクでもない街でしたよ、敬われるべきものが働き詰に働いて、下賤の床を這いずり回るはずの奴らが、大きな顔をしてテーブルについている。研究者などといっぱしの顔で偉そうに日々暮らしているのもおりましてな、顔を見るたびに不愉快でした」
イルデハヤも酔っているのか、昔話を始めたようだ。
「ミディルン鉱石が価値あるのは希少だからです。誰もかれもが手に入れてしまっては意味がない。あなたもそうです、レダン王。王族という類い稀な地位にありながら、あのような見栄えのしない愚かな女を国を侵してまで手に入れて、いい物笑いの種だ。奔流王などと呼ばれて、抑えの利かぬ、欲望に塗れたただの男ではありませんか」
「レダン王、苦しいのなら、どうぞこちらに。私の膝にお休み下さい、体が熱くて、息苦しいのではありませんか? レグワは慣れないものには苦しいと言いますから」
ぐらりと揺れた体がふんわりと抱き締められ、受け止められる。自分の体よりなお熱っぽい膝が頬に当たる。
愚かな女? わかっていないな、こいつらは。ビンドスの水管も設置もシャルンが導き出した答えだ。彼女がどれほど素晴らしいものを見つける才能に優れ、それを役立てる発想に満ちているのか、何も知らない。
レダンはくすくすと笑う。
諸国の王だってそうだ、シャルンのことをみすぼらしいだの貧相だの、一夜でも共に過ごせばわかるのに、彼女がどれほど男の傷みを癒してくれるのか、疲れを解してくれるのか、そうしてどれほど抗いがたい欲求を掻き立ててくれるのか。いやいや、違うぞ、わかってもらっては困る、あの暁の星を手にできるのはレダンだけ、シャルンを抱きしめられるのは自分だけ。
「シャルン…」
囁いて、レダンは触れた腰を抱き寄せる。下半身が熱くなっている。熱が這い上って視界を犯す。口を干上がらせ、口づけが欲しくなる。
「レダン…」
甘い声が耳元で囁いて、そっと頬が包まれた。




