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不愉快な朝食の席が終わって部屋を移動し、ようやく交渉の場を持てたと思えば。
「美しい音色でしょう」
「……」
「これは特別な楽器でね、わざわざリュハヤのために作らせたのです」
「………」
レダンは重苦しくうんざりした気配の溜息を吐き出す。
案内された部屋は司祭の私室だと言う。想像していたほどの豪奢さはないが、磨き抜かれた板張りの床、同じく艶の出るまで拭き清められた調度に囲まれたソファと椅子に座り、レダンは香り高い茶を供されて、リュハヤが奏でる龍神のための楽曲を聞かされている。
イルデハヤは側の机に置かれた書類を手に取ろうともしない。
リュハヤは斜め前のソファで数十本の弦が張られた優美な形の『木枠』を抱え、時折ちらりとレダンを見やりながら、頬を染めつつ弾き続けている。
ああ、これはあれだ、年頃になり始めたあたりで繰り返し仕組まれた、見合いと言うか顔合わせと言うか、これぞと思う男女を合わせる場の演出だな。
現実逃避したくなるほどレダンは退屈しているし、シャルンの優しくて甘い香りがなくて寂しい。
しかもあれだ、ここでなまじ席を蹴れば権力を笠に虐げたと言われ、交渉に入れと要求すれば考えていたのに話の腰を折られたと詰られ、よしよしはいはいと機嫌良く聴いていればいつの間にかリュハヤを望んだことになるはずだ。
いっそ暴れちまうか。
そうすれば、王の乱心を沈められるのはシャルンだけと言うことで、さっさと彼女を呼び戻せるし、乱心した王はまともに考えられないだろうとガストに交渉を投げられるし、ついでに乱心しているのだから龍神教もイルデハヤの意向も知るかと、ルシュカの谷の武力制圧にかかってもいいよな、きっと。
うん、意外にアリか。
「んっ」
ごほん、と軽く咳き込んでみると、幸い殺気が漏れたのだろう、イルデハヤがリュハヤに目配せして書類を取り上げ、リュハヤも渋々と言った様子で『木枠』を置いた。
「お飲み物をお持ちします」
「構わぬ」
「お話が続きますもの、是非」
リュハヤがにっこりと笑みを向け、レダンは冷ややかに相手を眺めた。交渉の場になぜ彼女がいるのか。不要だろう、巫女殿は。龍神祭りとやらでひらひら踊っていれば良いのではないか。
はいはい、奥方様の努力を無駄にする気ですか、あんたは。
耳の奥のガストの声に溜息を付く。
情けない。
シャルンがあんな酷いことを言われたのに、その場に居合わせて庇ってもやれず、ましてやシャルンを害した相手と国の未来を養うことについて話し合わねばならぬとは。一国の王でなければ、シャルンのために剣を抜けたし、彼女を引っさらって帰途につけたのに。
『陛下』
部屋を出る時に囁かれた、シャルンの静かな声が願う。
『伴って頂いたのに、十分な働きも出来ずに退室致しますことをお許し下さい』
交渉の成立と国の安寧と。
シャルンの瞳は、オルガと呼ばれた少女に切なく向けられていた。
そうとも、あのような少女が飢えているのだから、仕事はまだなお山ほどある。
構えたレダンに、ようやくイルデハヤが切り出した。
「さて、ビンドスの水管の設置についてですが」
「うむ」
「了承する前に、一つ伺わせて頂いてもよろしゅうございますか」
「許可する」
「この水管をエイリカ湖の湖畔に設置し、湖の水をルシュカの谷に流し、耕地として開発、農作物の収穫を上げ、この地を豊かにすると言うお心遣いに感謝いたします」
「うむ」
意外にイルデハヤは設置に正面から反対するつもりはないらしい。
「しかし、また、龍神教を守る私共において、いささかの不安もございます」
「申してみよ」
「エイリカ湖の水は如何なりましょうか」
「如何、とは?」
「湖の水は地下水路を通り、ルシュカの谷の遥か下方にようやく流れとして涌き出でます。その水は遮られることはございませんね?」
「その通りだ」
「湖から直接水を水管で引けば、地下水路と水管、両方から水が流れ出し、エイリカ湖の水量が減ることが懸念されます。それでなくとも、最近エイリカ湖の水位が下がっていることが報告されております」
イルデハヤはこれ見よがしな溜息をついた。
「我らの信心が足らぬせいで、湖の底におられる龍神様のご機嫌を損ねているのかと案じていたところです」
確かにそれは知っている。当初、ビンドスの設置に大きな反対はなく、すぐに取り掛かれると思っていたのだが、エイリカ湖の水位がじりじりと下がっていると言う報告があり、下流の水量も少し減っているかも知れないとのことで、水管設置によるエイリカ湖の変化が問題にはなっていた。
「それほど減っているのか?」
「ご覧になったぐらいではお分かりになりにくいでしょうが、水汲みに階段数段を降りねばならぬくらいには減っております」




