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「あんの、くそ親父が!」
私室に案内されてソファに腰を下ろした途端、レダンは吠えた。
「人の馬車をなんだと思ってやがる!」
そんなに豪勢ではないにしても、王の乗り物だぞ、国家の財産だぞ。
「シャルンの匂いが消えちまうじゃねえか!」
「はいはい、はーい。その辺りでぶっ飛んだ口は慎んで下さいね」
ガストが溜め息混じりに制止を掛ける。
「今回は奥方様と別室で、それでなくとも箍が外れやすくなってるって、自覚しといてくれるとありがたいんですが」
「自覚してるさ、自覚してるからこそ、今日の交渉は早々に切り上げただろうが、長期滞在を名目に!」
レダンはじろりとガストを見やる。
「馬車まで燃やして引き止めたんだ、とことん交渉に付き合ってもらうさ、何が何でも頷かせてやるぞ」
「まあ、1週間や10日はかかりそうですしね、馬車の調達」
「かかるか?」
「いえ?」
レダンの訝しげな声に、ガストはしゃらっと首を振る。
「今回の仕立ては別に特別仕様でもありませんし、王宮まで戻るならば馬でも十分ですしね」
「まあお前は乗れるな、ルッカは」
「愚問でしょう」
「だよな、アリシア出身なら、それぐらいやるよな。シャルンは俺か。あ、帰れるな、今すぐ全然!」
「はいはい、はーいはーい」
ガストがうんざりした声を出す。
「奥方様を馬に乗せての楽しい妄想に飛び込むのは後にして下さい。目的を放り出したら、嫌われますよ?」
「じゃあ止める」
「…はあああああああ」
「なんだよ、その沈みそうな溜め息は」
「執務官としての未来がねえ……早く老けそうな気がして」
にやにや笑いながらレダンはしばらくガストを眺めていたが、ひょいと真面目な顔になって、
「ところで、馬車を潰したのはイルデハヤだよな?」
「恐らくは」
「何でだろうな?」
レダンはガストをじっと見る。
「本当はさっさと帰って欲しかったはずだよな、龍神祭だけ済ませたら」
「そうですね」
「なぜ引き止める気になった?」
「リュハヤ様の為とか」
くっくっく、とレダンは人の悪い笑い声を零す。
「そんなことをするかよ。俺が考えるに、お前が気づいたから、じゃないか?」
「…」
ぎくりとした顔になったガストが、お茶を淹れて来ますと隣室へ逃げ出して、やがていい香りのカップをテーブルに置くまで、レダンは無言で待っていた。
「…わかってたんですか」
「お前の様子がおかしいことはすぐに、な」
もう一つの方は、ついさっきわかった、と打ち明けると、さすがのガストがちょっと引く。
「まさか……あなた、8歳だったでしょう?」
私だって、考えてようやく思い出したのに。
「かなり痩せて、面変わりしていたので、すぐには気づかなかったんですよ」
「記憶力はいいんだよ」
レダンは薄笑いして、ガストをからかうのを止めた。
「お前の様子がおかしいんでな、あれこれ考えて、部屋に案内してくれた見習いにカマかけたのさ、司祭はあの頃より随分痩せた、恐らく酷い事件に心を傷めたのであろうな、と」
「…話したんですか?」
「驚いてたな、俺が知っているのに。お前が当事者だったと言ったら、情深い君主だと感じ入ったぞ」
くすくす笑ったレダンが謎解きをする。
「…まさかこんな所で、あいつに会うとは、ね」
ガストが暗く苦い笑みを零す。
「夜道で会ったら殺してやりたいと思っていましたけれど」
「殺す価値もなかったろ?」
レダンはひんやりと応じる。
「あんな男にお前の命をくれてやる気はないからな」
「私が負けるとでも?」
「…今のあいつは一般人だ。王の執務官が手にかけたとなれば、お前を処罰することになる。命は長らえても、お前は俺の役に立たない場所で、一生下らない人生を生きる。命を失うも同然だ」
「……」
ガストが目を伏せて答えないのを、レダンは静かに見つめる。
司祭イルデハヤは、かつてある町の司法に関わるものだった。ガストの両親が殺された事件を、物取りと断定し、それ以上の追及と解明を許さなかったのも、またその男だ。時の名前を、ゲニア・ラオ・クリステルと言う。
「見習いは、ゲニアが事件を解明できなかったことに傷ついて隠棲し、龍神教に入信し、司祭となったと思ってたぞ」
「…馬鹿馬鹿しい。あいつは私の姿を見ても、思い出せもしなかったようですよ」
「好都合じゃねえか」
レダンは鼻を鳴らした。
「敵に覚えられてても迷惑なばっかりだ。となると、リュハヤは実の娘じゃねえのかな」
「子どもはいなかったはずですね」
「姿をくらました後にもうけたか、それとも何か別の事情があるのか」
「……『かげ』を見たことがあるという話、無視しないほうがいいように思います」
ガストが首を傾げる。
「嘘にしても、あまりにも突飛でしょう」
「王族だと言いたいのか、それとも……本当に『どこかで』龍を見たか」
「それならそれで、1つ疑問があります」
レダンが飲み干した茶を新たに注ぎながら、ガストは眉を寄せた。
「花咲にしても龍にしても、解き放たれた『力』は何を引き起こしたんでしょう。そして今どこで何をしてるんでしょう」
「もう1つ確かめたいことがあるぞ」
レダンは物言いたげにぐるりと部屋を見回した。
魚と鳥を細かく刺繍した敷物、鮮やかな色の布張りの椅子にソファ、天蓋つきベッドに使われている織物は艶があって肌触りがいい。書き物机に揃えられたペンやペン立て、インク壺を装飾する金属の細工物は磨き上げられ、茶器のセットは一流品だ。
「こいつらは、どこから買われてここに来たんだろうなあ? 館の造りといい、ちょっとした地方貴族より豪勢な暮らしぶりだぞ? それだけの金を、寄付で賄っているなんてふざけたことを言ってやがったが」
ひょいと立ち上がって書き物机の文鎮を手にする。精巧な文様を彫り込まれた球体は、鈍く輝きながらずっしりと指に重い。
「少なくとも、俺がこれを見たのは、昔の博覧会だぞ?」
「え」
ガストがぎょっとする。
「博覧会……ダフラムですか」
「その通り……きな臭えだろ?」
レダンはにっと笑った。




