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前庭を通って緩やかな勾配の階段を登り、館の入り口を潜って、シャルンは思わず感嘆の溜め息を漏らした。
外側から見ると地味で堅固なばかりの館だが、潜った入り口は外側をめぐる建物の真下の通路にすぎず、内側には幾つもの部屋が複雑に繋げられた建物がある。あちらこちらに開く大小の扉、色々な幅の階段が入り組み、格子の組まれた窓や幾枚もの板を重ねて作られた庇の下には、花を植えた小箱も並べられている。
外側を巡る建物には内側に細い通路が設えられており、どうやらそれを進むと館をぐるりと一周できるようになっているらしい。
「…必要に応じて建て増ししていって、このような複雑な構造となりました」
訝しげに見回すレダンの視線に気づいたのだろう、イルデハヤが苦笑いしながら解説した。
「随分とたくさんの部屋があるものだな」
「修行のようなものを行う部屋もあるものですから」
イルデハヤは振り向くレダンに、いやいやと手を振った。
「何、厳しいものではありませんよ、ただただ己を無にして務められるようにと祈る日々です」
「ビンドスの設置が、その日々を妨げるようには思えぬが?」
「ええ、けれども…」
曖昧な笑みを浮かべてレダンに応じるイルデハヤ、そして先ほどからなぜか、食い入るように司祭の顔を見つめているガストの様子も気になって、黙ったまま3人を眺めていたシャルンだが、
「シャルン様」
いつの間にか、すぐ間近にリュハヤが体を寄せてきていてぎょっとした。相手は気がついた風もなく、
「どうぞ、こちらへ。粗末な部屋ですが、お泊まり頂く場所をご用意いたしております」
明るい笑みを浮かべて誘う。
「まずはお疲れを癒して頂きたいと存じます」
リュハヤはレダンが視線を送ったのにも笑み返し、階段の上へとシャルンを導いた。ルッカが心得てすぐ付き従ってくれる。先に立つリュハヤは不安がる様子もなく、さらさらと白い衣を鳴らして階段を上がる。
シャルンはレダンに一つ頷き、心配そうな微笑みに勇気付けられて、リュハヤの後を追って階段を上がった。磨り減った石段、傾いたところを木を渡して補強し、手すりにも彫刻を施した木材を載せてある。
懐かしい。
「姫様」
背後に添ったルッカが囁く。
「ハイオルトの作りに少し似ておりますね」
「そうね」
胸の中に、長らく暮らしたハイオルトの冷えた風が蘇った。古びて閉まりの悪くなった大扉、錆つきかけた金具、寝床に毛皮を敷いてもらったのは王族のみ、警護のものも侍女たちも、薄い布に身を包んで休まなくてはならない夜も多かった。
「けれど、ここはきちんと管理されているわ」
「ええそうでございます。職人が入っているかのような見事さでございますね」
ルッカの言いたいことはすぐにわかった。
『祈りの館』は龍神教の信者が寄り集まって小さな建物で祈りを捧げている場所だと聞いていた。しかし、この館は明らかに技術を持った職人達が、腕によりをかけて作り上げた気配がある。龍神教の教えに、それほど多くの人々が、しかも無償でその技術や能力を提供するほど深く関わっているのだろうか。
確かに懐かしい。
それはハイオルトに似ているからだけではなく、この館が時と場合に応じては、一つの城として機能するような造りに見えるからだ。中央に多くの者が住まえる部屋があり、それを囲む城壁があり、そこには通路が巡らされ、いざとなれば兵士が巡回し、城の内外の不審者を監視し、攻撃できるのだろう。
2階建てに見えるが構造は複雑で、場所によっては3階、あるいは隠し部屋のように4階もあるのかもしれない。また、1階に何箇所も隣同士に扉が並んでいるのは、数カ所は地下へ通じる階段への扉なのかも知れない。
そういう目でみると、扉には鋼のようなものを打ち付け、ずっしりとした鍵のかかっているものもあり、『祈る』のにそれほど厳重に扉を閉める部屋が必要なのかとも思える。
なるほど、レダンがシャルンを伴ったわけがよくわかった。レダンやガスト、男性や公的な訪問では見えない場所を、シャルンにしっかり見ておいてほしいと言うことなのだろう。
リュハヤはシャルン達が用心深く周囲を眺めながら付いてきているのに平然としている。陽の光のさし加減でやや薄暗くなった渡り廊下を通り、やがて1つの部屋の前で立ち止まった。
「ここです、シャルン様。ちょうどお向かいがレダン様のお部屋」
くるうりと廊下を渡って、と、間の建物を挟んで遠く隔てた場所を指差した。
「この廊下でいつでも行き来できますから、離れ離れでもご安心下さいな」
にっこり笑ってリュハヤは部屋の扉を開けた。
「さあどうぞ」
扉を開いて、先に立って入って行く。
「……まあ…」
再びシャルンは感嘆を零した。
石造りの無愛想な部屋だとばかり思っていたが、花々を描いた敷物の上に、果実を図案に織られた布張りのソファと椅子が並べられている。片隅には同じような意匠の天蓋付きのベッド、周囲に垂らされた布は繊細な織りの薄物で、恐らくはシャルンが知っている中でも高価なものだ。磨き上げられた机や椅子の脚には凝った装飾彫りが施され、鏡立てや衣装入れも見事な細工の木製だ。何よりも驚いたのは、壁一面に数区画ずつ区切って、花の輪に囲まれた少女や鳥、山や湖などが描かれていることで、1つしかない窓から差し込む光に色鮮やかな絵巻物を広げていた。
シャルンは思わず窓へ歩み寄る。
「………」
溜め息しか出ない。
外に見下ろせたのは格子や丸、星型などに樹木を植え込み、花で飾った庭園だった。これに比べれば、表の前庭など、子どもの遊びのようなものだ。
と、次の瞬間、かちゃり、と背後で冷たい音が響いた。
「っ」
急いで振り返る。
入ってきた扉が閉められ、ついてきているはずのルッカがいない。部屋にはシャルン1人だ。
不吉な予感に急いで扉に戻り、取っ手を動かして押したり引いたりしたが開かない。
「もし、リュハヤ様?」
くすくす、と嬉しそうな笑い声が聞こえた。
「ルッカ?」
返事はない。
その代わりに、またもや堪えかねたようにくすくすと笑う声が響き、軽い足音とともに走り去って行く音が聞こえた。シャルンはもう一度扉を押し引きし、溜め息をついた。
「あら、まあ…」
閉じ込められてしまったようだ。




