〇〇駅
小さい頃、おままごとで駅員さんになった。
オレンジ色の段ボール箱と、青緑色の玩具の電車、赤い服を着たお人形。
私は夢中になって、思いついたままに色々な駅へとお人形を案内した。
何処で遊んでいたのか、独りで遊んでいたのか、どのくらい遊んでいたのか等は覚えていない。
ただ、気が付くと母の腕の中にいた。
その時の、母の震える声が今でも耳に残っている。
「……何処へ行ったの」
と。
◇◇◇◇
私の名前は三上恵梨香。
都内に住む高校二年生だ。都内と言ってもかなり西の方で、ドラマに出てくるような華やかな光景は欠片も見当たらない。要するに、田舎だ。
「恵梨香、大丈夫?」
心配そうに、そう声をかけてきたのは親友の朱莉だ。
小学一年生生の時に母の実家があるド田舎から引っ越してきた私に、初めてできた友達だった。兄弟のいない私にとって、朱莉と朱莉の幼馴染の尊と三人で過ごす時間は、何物にも代えがたい宝物だ。
「お婆さんの葬式、親戚が集まるんだろう? その……大丈夫か?」
尊もスポーツ飲料のキャップを閉めながら、朱莉と同じく「大丈夫か」と見つめてくる。二人が何に対して心配しているのか察して、私は笑顔を作った。
「大丈夫だよ。お婆ちゃんとは小さい頃会ったきりで一度も連絡を取ってないし、顔も覚えてないから。……親戚からは、色々言われるかも知れないけど。まあ、2日だけだし、何とかなるでしょ!」
「あんまり、無理すんなよ」
ぐしゃり、と尊が私の頭を掴んだ。男の子の大きな手の感触に、ドキリと胸が弾む。
「気を付けてね」
朱莉も泣きそうな顔で、私に抱き着いてきた。
朱莉も尊も、私の両親と母方の親戚が上手くいっていないことを知っている。
私は一度も母の血縁に会った記憶がない。
おそらく、私が昔、神隠しに会ったことが関係しているのだと思う。そのせいで、心配性の両親は私が家から出ることを極端に嫌がっていた。おかげで、修学旅行は元より遠足にすら参加したことがない。学校に通えているのも朱莉と尊が送り迎えをしてくれているからだ。
もう17歳なのだし、もう少し信頼して欲しい。
「恵梨香。そろそろ出るわよ」
車のエンジン音と共に、母の声が聞こえてきた。
私は、初めての遠出を見送りに来てくれた友人達をギュッと抱きしめた。真夏に暑苦しいとは思ったけれど、「ありがとう」と「行ってきます」の意味を込めたハグだ。
「何かあったら、LINEするんだよ?」
「ちゃんと、水分採れよ?」
「分かってるって。もう、朱莉も尊も過保護なんだから」
私はアハハと明るく笑って、泣きそうな顔の朱莉と赤い顔の尊に手を振った。
◇
母の実家までは、車で4時間かかるらしい。
電車だと2時間ほどで着くのだが、なぜか両親は電車を怖がっていた。私の神隠しと関係があるのだろうが、理由を尋ねても教えてくれなかった。
蝉の声が、閉め切った車内まで聞こえてくる。
車窓から見上げる空は青く透き通っているが、遠くにはモクモクとした入道雲が見える。雨が降らないといいな、と思いながら、私はエアコンの風を強めた。
「恵梨香。お父さんにお茶ついでくれないか?」
「了解です」
ビシッと敬礼して、私は水筒からコップへとお茶を注いで運転する父に手渡した。父は「む。大儀であった!」と返してくれた。
私は高校の制服だが、父と母は長袖の喪服だ。生地は向こうが見えるほど薄いが、暑そうだ。
「お母さんもいる?」
「……え? ああ、そうね。もらおうかしら」
「お母さん、大丈夫?」
実家が近づくにつれ、見るからに母の顔色が悪くなっていく。
よほど嫌な思い出があるのだろう。
父の口数もめっきり減り、私がウトウトしながらよだれを垂らしている頃、祖母の家に到着した。
「うわあ! でかっ!」
車から降りた私は、大きく背伸びをした。
祖母の家は、大自然に囲まれた小さな集落にある大豪邸だった。築百年以上経っていそうな立派な屋敷は白と黒の布で覆われ、あちこちで喪服姿の人々がせわしなく動いているのが見える。
ふと、近くでガタンゴトンと電車が通る音がした。
そう言えば、祖母の家が建っている場所には、かつて駅があったらしい。祖母の家に行くにあたり、インターネットで仕入れた情報だ。現在の駅は、家の裏手から5分程歩いたところにある。今は無人駅だが、昔は多くの人で賑わっていたらしい。
「恵梨香。大人しくするのよ?」
「大丈夫だって、お母さん! 私、もう17だよ?」
あはは、と笑いながら、私は大きく息を吸った。
真上から降り注ぐ日差しが、木々の葉に遮られてキラキラと降り注ぎ、風が緑と土の匂いを運んでくる。懐かしい、と感じると同時に、少しだけ混ざる線香の匂いが、祖母が亡くなったことを思い出させた。
「あら! 慶子じゃないの! 真一さんもお久しぶりね?」
突然、家の方角から華やいだ声が上がった。
目を向けると、開け放たれた玄関から母とよく似た女性が興奮気味に飛び出してくるのが見えた。
「お姉ちゃん!」
「お久しぶりです。お義姉さん」
両親が少しだけホッとしたような笑顔で、女性との再会を喜んでいる。てっきり親族とは不仲だと思い込んでいたので、意外な反応だ。
良かった、と胸を撫でおろし、私はお互いを懐かしむ三人の元へ向かった。
「はじめまして、伯母さん。恵梨香です」
私がとびきりの笑顔で声をかけると、なぜかビクッと伯母さんは肩を震わせた。心なしか、家の周りで忙しそうに通夜と葬式の準備を進めていた人々の動きも止まった気がする。
「……あら、嫌だわ! 私、子供達を迎えに行かないといけなかったの。慶子、真一さん、また後でね?」
私には目もくれず、伯母は慌ただしく家の中に戻っていった。
あれ? と、心に靄がかかる。
伯母を追って視線を家に向けると、サッと親戚たちが視線を逸らした。
見上げると、両親の顔は酷く青ざめていた。
(あ……)
私は、気が付いてしまった。
両親が母の実家に近付かなかった原因は、私なのだと。
これも神隠しのせいなのかと、私は肩を落とした。
◇
家に入ると、両親は私を人の目から隠す様に前後に立って客間へと移動した。軽く荷ほどきをした後、両親は親戚への挨拶と手伝いがあるからと言って、居間の方へ行ってしまった。
その際、「絶対に部屋から出ないように」と何度も念を押された。
そんなに私と親戚を会わせたくないのだろうか。
不満はあるが、先程の親族の反応から自分が歓迎されていない事を知った私は、大人しく部屋で待つことにした。
スマホを取り出して、さっそくLINEを立ち上げる。
「あれ、圏外だ……」
さすがド田舎。噂には聞いていたが、アンテナが一本も立たない。
仕方がないので文庫本を取り出して読み始めたものの、車内でお茶を飲み過ぎたせいかトイレに行きたくなった。
(トイレくらい良いよね……?)
私はスマホをスカートのポケットに入れて立ち上がると、そっと障子を開いた。
それにしても広い家だ。一体、いくつ部屋があるのだろう。
足音を立てないようにと気を遣っているのだが、歩くたびにミシミシと床が軋む。どうやら二階もあるようだが、この調子では床が抜けそうなので行くのは止めよう。
しかし、広い。
トイレの位置を確認しておけばよかった、と後悔しながら、廊下に沿って奥へと進む。
古い家のトイレなら窓があるはず、と思い、なるべく人と会わないように注意しながら明るい方を意識して歩いていくと、ようやくトイレが見付かった。
トイレを済ませてスッキリしたのは良いが、我が家に割り当てられた客間に戻る途中、私は迷子になった。「さて、どうしよう」と本気で焦っていると、突然後ろから手を引かれた。
「おねえちゃん、遊ぼう?」
「うわっ! びっくりした!」
驚いて振り向くと、肩に届くくらいの柔らかそうな髪と、黒いワンピースが可愛らしい女の子がニコニコしながら立っていた。
4、5歳だろうか。どことなく私に似ている。先程、伯母さんが「子供を迎えに行く」と言っていたから、伯母さんの娘か孫なのかもしれない。私と同じように「子供は邪魔だから部屋にいなさい」とでも言われたのだろう。
一人っ子の私は、親戚の女の子に懐かれるという状況に浮足立った。
「うん! いいよ。私の部屋に来る?」
「うーん。おねえちゃんの部屋、お人形さん、ある?」
「う。無いなあ……」
「じゃあ、私の部屋に行こう!」
一瞬、両親からの言いつけが頭をよぎったが、親戚の子供の面倒をみるのだから大目に見てもらえるだろう。それに客間で遊ぶのだし、約束を破る訳ではない。しかもちょうど迷子になっていたところだし、渡りに船だ。
第一、「わーい。おねえちゃんと一緒。おねえちゃんと一緒」とスキップをする無邪気な少女の頼みを、断ることなど私には出来ない。
女の子に案内されたのは、トイレよりもさらに奥、陽の光がほとんど入らない薄暗い部屋だった。古い畳の匂いに懐かしさを感じる。
「おにんぎょ、おにんぎょ」
と、嬉しそうに歌いながら、女の子はおままごとの準備を始めた。
(……あれ?)
ぞくっ、と背中に悪寒が走る。
(なに、これ)
私に背を向けて女の子が作っているのは、駅の様だった。
オレンジ色の箱。青緑色の玩具の電車。黒い服のお人形。
「あっ……」
と、思わず声が出た。
思い出した。
ここは昔、私がおままごとをした部屋だ。
「どうしたの? おねえちゃん。早く遊ぼう!」
女の子が楽しそうに振り返って手招きする。
その可愛らしい仕草に先程感じた寒気を忘れて、女の子と向かい合うように座った。
懐かしい。
何もかも、記憶にある当時のままだ。違うのは、お人形の服の色くらいだろう。
孫達のために大事に保管してくれていたのだろうか。またこれで遊ぶことになるとは思ってもみなかった。
「じゃあ、今度は私が駅員さんね! お客さまー。ドアが閉まりまーす」
「あ、待って待って! 乗ります、乗ります!」
「駆け込み乗車はお止めくださーい」
「あはは!」
いつの間にか、おままごとが始まっていた。
私は急いで近くにあったお人形を掴むと、電車の上に乗せた。
「出発しまーす!」
「おー!」
女の子は電車を掴むと、「ガタンゴトン」と言いながらゆっくり畳の縁をレール代わりに、電車を前後に走らせている。私もそれに合わせて人形を動かす。なんとも微笑ましい。
(あれ……?)
私はふと、ある違和感に気が付いた。
(さっきこの子、『今度は』って言わなかった……?)
再び、ゾワリ、と全身に鳥肌が立つ。
『ここに居てはいけない』
唐突に、そんな思いが脳裏を過った。
「ひまわり駅を発車しまーす。次はー、たんぽぽ駅でーす」
「えっと、ごめん! おねえちゃん、トイレに行ってくる! 降ります!」
私が立ち上がろうとすると、パシッと、電車を動かす手と反対側の手で手首を掴まれた。子供とは思えない力だ。
「途中下車はご遠慮くださーい」
「ひっ……!」
思わず喉が引きつる。女の子は私の手首を掴んだまま、「ガタンゴトン」と電車を動かしている。トイレはただの口実だったが、とにかく私はこの場から逃げ出したかった。
「ね、離して? おねえちゃん、本当にトイレに行きたいの。また後で遊ぼう?」
「後でって、今度はいつ?」
きょとん、と女の子が私の顔を見つめた。黒目がちの大きな瞳に吸い込まれそうになる。
「せっかく戻って来たのに、またエリカを置いていくの?」
「何言って……!」
突然、私は雷に打たれたような感覚に襲われた。
脳に凄まじい衝撃が走り、12年前の記憶が蘇る。
それは、神隠しにあったとされる日のこと。
私はこの部屋で、誰かが来るのを待っていた。
『エリカちゃん』が来たのが嬉しくて、一緒におままごとを始めた。
『じゃあ、今度はおねえちゃんが駅員さんをするから、エリカちゃんがお客さんね』
そう言って、私は赤い服の人形を『エリカちゃん』に手渡した。
『エリカちゃん』を乗せた電車は、ガタンゴトンと駅へと向かう。
興味深々で楽しそうに笑う『エリカちゃん』の顔は、目の前にいる女の子にそっくりだった。
「や、やだあああああああ!! 離して!」
半ばパニックになりながら、私は力任せに暴れた。だが、女の子に掴まれた腕はピクリとも動かない。
「やだ! 離して『エリカちゃん』!」
暴れた反動で、ガツン、と手の甲に固い物が当たった。
(……スマホ……!?)
はっ、と私は我に返り、ポケットからスマホを取り出した。
(繋がって! 繋がって!)
必死で祈りながら、尊に電話をかける。
しかし、電波が届かないのか全く繋がる気配がない。
「次は終点『〇〇駅』です」
「いやあああああああああ!!」
駅に電車が停まると同時に、私は天地がひっくり返る様な眩暈に襲われた。
「ばいばい。おねえちゃん」
「エリカ……ちゃ……」
薄れゆく意識の中で、「どうした!? 恵梨香、恵梨香!?」と叫ぶ尊の声が聞こえた気がした。
◇
どれくらい気を失っていたのだろう。
私は、急に身体が浮く様な感覚で目を覚ました。
近くに父の憔悴しきった顔が見える。
(ああ。助かったんだ)
ほっと安堵したもの束の間、身体が自由に動かないことに気付いて焦りを覚えた。
「恵梨香。お帰りなさい。ずっと探していたのよ? どこに行っていたの?」
何処かから、母の泣きそうな声が聞こえてきた。
心配かけてごめんなさい、と言いかけて、声が出ないことに気付く。
「心配かけてごめんなさい。ずっと、駅で待っていたの」
ぞわっ、と鳥肌が立つ様な感覚がした。
(今のは、誰? お母さんは、誰と話しているの?)
「何を待っていたの?」
母が優しく語り掛ける。すると、私じゃない誰かが楽しそうに答えた。
「おねえちゃん」
その瞬間。
私は全てを思い出した。
◇
私はこの家で生まれて、5歳までここで過ごした。
ある夏の日、お気に入りの赤いワンピースを着て、私は一人で近くの駅に行った。向かってくる電車をもっとよく見ようと身を乗り出して、駅のホームから転落した。
気が付くと、見知らぬ駅でベンチに座っていた。
古い、レトロな構造の木製の駅。
着物を着た人が、何人か彷徨っている。その内の一人が驚いたように目を見開き、私に向かって手招きした。ここはどこかと尋ねる私に、その人は『○○駅』だと教えてくれた。その時は聞き取れなかったが、今はそれがかつて祖母の家の真下にあった駅だと分かる。
私は、ずっと待っていた。
どれくらい時間が経ったのかも分からない。
時々電車がやってきて、人の出入りがあった。いつの間にか、私に駅名を教えてくれたおじさんも居なくなっていた。
私は待った。
不思議とお腹も減らず、眠たいとも思わなかった。
そして、ある時、青緑色の電車が目の前に停まった。いつもおままごとで使っていた、大好きな電車だった。
ああ、これだ。やっときた。
なぜかそんな風に感じて、私は迷わず電車に飛び乗った。すると急に目の前が眩しくなって、私は目を閉じた。
目を開けると、私はこの部屋にいた。
誰かこないかな、と待っていると『エリカちゃん』がやって来た。私の知っている妹の『エリカちゃん』はまだ赤ん坊だったけど、目の前の『エリカちゃん』は私と同じくらいに見えた。
『エリカちゃん、遊ぼう』
『だぁれ?』
『エリカちゃんの、おねえちゃんだよ』
そして気が付いた時には、私は母の腕の中にいた。
『お母さん。ただいま』
『何処に行っていたの?』
『駅に行っていたの。電車に乗ったらお家に帰ってきたよ。エリカちゃんとおままごとしたの』
『恵梨香は……何処へ行ったの?』
『○○駅』
それから後の記憶は曖昧だ。
4年前に死んでいたはずの私は、いつの間にか『恵梨香』として生きていた。神隠しにあった本物の恵梨香の代わりとして。
◇
両親が、声を震わせながら今後について話をしている。私は何処かに寝かされていて、天井しか見ることが出来ない。
時々、私じゃない『恵梨香』の声がする。あの女の子と同じ声だ。
本物の恵梨香が帰ってきたのだ。
私は一体、どうなるのだろう。
ぼんやりとそう思っていると、急に真上に『恵梨香』の顔が現れた。
「恵梨香。お人形は片付けて。家に帰るわよ」
「だけど、慶子。あの人形、『恵梨香』に……『マドカ』に似ていないか? 制服とか、髪型とか……」
「馬鹿言わないで! やっと『恵梨香』が帰ってきたのよ? 早く、ここから出ましょう?」
「お前こそ何を言っているんだ! 今度は『マドカ』が居なくなったんだぞ!?」
「もう嫌! あの子は電車に轢かれて死んだのよ!? なんでうちの子ばかり……!」
父と母が言い争っている。
何を言っているのだろう。大事なことを言っている気がするのに、思考がまとまらない。
だんだん、意識が遠のいていく。
「お人形、片付けないと」
私の真正面で『恵梨香』はニッコリ微笑むと、私を掴んで持ち上げた|。
(え……?)
何が起こっているのか訳が分からない。
言いようのない恐怖を感じ、私は必死で助けを求めた。だが、声を出すどころか指先一つ動かすことが出来ない。
(いやだ! いやだ! いやだいやだいやだ!)
鼻が触れ合うほどの距離で、『恵梨香』が囁く。とても、とても嬉しそうに。
「今度は私の番だよ、マドカおねえちゃん」
ご覧いただきありがとうございます!
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