非常口から草原へ
「落ち着いてくれ・・・。此処は俺の家だ。お前が酷い怪我をしていたから、此処に運んで応急措置をした。理解できるか??」
少年の瞳はまだ俺のそれに釘付けだったが、話を聞く余裕は出来たようで一つゆっくりと頷いた。
「・・・助けなくて、よかったのに」
ポツリと零した言葉に思わず眉をしかめた。あんな所で死なれちゃ困るのだ。
少年は暗い瞳を隠すような長い睫を伏せて、俺の赤い瞳から逃げた。まだ年端もいかない子供に奇怪な赤い目は恐怖の対象としかなりえないだろう。コンタクトをつけようかとも思ったが、もう乾いてしまって付けられない。
「そうはいかない。あそこは俺の担当していたシマだ。あそこで死なれちゃ、俺が困る。」
「じゃあ、死んでから運んでくれればよかったのに。俺は死にたいんだよ!!」
「それを処理するのも俺か??死体遺棄だっつの。どっちにしろ俺には面倒な物なんだ。」
少年は悔しそうに唇を噛み締めて俺を睨み付けた。少し驚いてしまった。
早いな。
恐怖から立ち直るには時間が掛かるはずなのに、彼は少し言葉を交わしただけの間に立ち直った。ただの怖いもの知らずか、それとも・・・。
「じゃあ今から死にに行く!!」
「はあ?」
少年は突然立ち上がり扉に向かって突進しようとした。反射的に俺は彼の細腰を掴んで止めるが、思ったよりも力が強く振り払われた。
あんな傷だらけの体でよくもそこまで動ける・・・。頭の片隅でそんな事を思ってしまうのは、それだけパニくってるということか。
そうしている間にも彼は扉を出て行ってしまう。その速さは最早スプリンターの域だ。
なんだこの身体能力!!力強いわ足早いわ、意味分からんっ
俺も暗殺者として恥じぬ程度、いや それ以上の身体能力は持っているはずなのだが、なぜか追いつけない。マジで意味わかんね。いやそんなこと考えてる場合じゃない。
「ま、待て!!早まるんじゃねーよ!!」
ご丁寧に閉じられた扉を勢いよく開けて追いかける。少年は既にマンションの階段を駆け下りており、自分もそれに続く。三階下には非常口があり、そこからすぐに外に出られる。出られるとまずい。
少年は一度振り向いて俺が追いかけているのがわかったのか、結構段数のある階段を少年は飛び跳ねて降りていった。所謂全段飛ばしというやつだ。
ちっ!!マジで・・・いい加減にしろ。
「待てって・・・言ってんだろがぁぁ!!」
冷静沈着な暗殺者は何処へやら。
そこには血相を変えた青年がいた。
自分と同じように全段飛ばして追いかけてくる青年を見た少年は、焦った様にそのまま非常口を開けて、それに飛び込んだ。
真昼間の外に続くはずの扉はなぜか真っ暗で、少年は一瞬抗うように身体を仰け反ったが、スピードに乗ってしまった身体はそのまま闇に吸い込まれた。
・・・闇に吸い込まれた??
少年と同じようにスピードに乗り非常口に突進していた昴は、そのまま実にスムーズに闇に入っていった。
「はあああ!!?」
暗闇の中から彼の驚愕した叫び声が上がった後に、暗闇は綺麗さっぱり消え去った。
残ったのは昼間の明るい日差しだけだった。
◇
「・・・ぐっ!?はっ」
段差から突然落ちた様な感覚がして、受身を取れずに地面に叩きつけられた。
呻いてから短く息を吐き出すと、ズキンと頭と体が痛んだ。動きたくない気分だが、クラクラする頭を抑えながら上半身を無理矢理起き上げる。見上げると黒い塊が見えたが一瞬で消えてしまった。
とりあえず体のどこかに異常がないか確かめる。・・・ん、大丈夫だ。そしてゆっくりと注意深く周りを見渡して、一言。
「・・・・・・・・・・・は??」
実に間抜けな声である。
彼が横たわっていたのはいるはずの無いだだっ広い草原。もしくは丘と言ってもいいだろう。遠くに赤レンガで造られた建物が一軒だけあって、それ以外は草とあの少年以外何も無かった。
隣で気を失っているままの少年を見下げる。呼吸はしている様なのでとりあえずは一安心・・・。
「じゃねーし。何処だよここ。」
意外と冷静な言葉と、ため息を一つ。今日は散々な一日だな。
「んぅ・・・ん・・・??うぇ!!?」
「起きたか・・・」
同じセリフだが、気分が違う。もうなんだか投げやりな気分だ。
少年が意識を取り戻し、呻くと突然跳ね起きた。俺の姿が目に入ったのだろう。それから周りをキョロキョロと見渡して戸惑いの色を移した瞳を向けた。
「ど、ゆ・・・」
「俺にも何が何だかわからん。」
はあぁ・・・と大きいため息を落とすと少年はますます困惑した。彼を一瞥してから立ち上がる。それから腰のベルトから拳銃を取り出して銃弾を確認。少年は拳銃を見て思いっきり目を逸らした。
「怖いか??これが。」
まあ当たり前だろう。危険な物に異常な憧れを抱く年齢でもあるまい。
「こ、わいよ・・・。そんなものこの世に必要ないだろ??」
「確かに。表では必要ないだろうな。」
裏社会ではこんなものでも、無ければキチンと循環しない。表社会では公表できない汚い仕事を裏が全て引き受けているのだから。
試しに一発撃ってみようかとも思ったが、少年が怖がるので止めておいた。
・・・ああ。そうだ。
「少年。お前、名前はなんて言うんだ??」
いつまでも少年では呼びにくいし、定着しない。そう思って何気なしに問いかけたが答えは返って来ない。暫く俺の顔を見詰めて呆然としている。
「・・・どうした??」
そんなに可笑しい質問だったろうか。
少年は恐怖とは一転して驚愕の表情を浮かべた。素っ頓狂な声を上げて信じられないものを見るような目で見上げてくる。
「こんな可笑しな状況になったんだ。お互い名乗りあったほうがいいんじゃないのか??」
「や・・・俺に名前聞くやつなんて初めてだから・・・」
「は??名前なんて誰でも聞くだろ。」
反射的に答えてしまったが、彼の曇った顔を見て一瞬後悔した。触れてはいけない一線だったか。
とりあえず話を少しずらして進める。
「悪かった。俺から聞いといて名乗らないのは可笑しいな。俺の名前は昴だ。」
「・・・ミナヤ??」
「なんで疑問系なんだよ。」
「合ってるか心配になった」
コイツは名前呼ばれない環境で育ったって事か??
俺はミナヤと名乗った少年を見詰めて、冷笑した。同情は起こらない。俺も似たような環境だったからだろうか。
暗い瞳が怪訝そうに細くなった。
「とりあえず現状確認しとくか。」
「死にに行く俺は追っかけて来たお前から逃げて、非常口から落ちた」
「・・・間違ってはいないか。」
ミナヤは当然のような顔をして言い放った言葉に、内心苦笑いを零した。
「そして何故か外に出るはずの非常口から落ちて、草原にいる。身体に特に異常は??」
「なし。怪我の痛みも もう殆ど無い」
“そうか”と呟いて思考に浸る。
今自分の身にはありえないことが起こっているが、今更喚いても現状は変わらないだろう。まず第一に此処がどこかを調べなければならない。それから足を用意しなければならない。こんな広い草原は都心には存在しないだろうし、きっと遠い所だろう。
ミナヤはやっと立ち上がって赤レンガの家を指差した。
「すばるー・・・とりあえずあそこ行こうぜ」
「・・・呼び捨てか。まあいいが・・・ミナヤあそこに行ったら俺の後ろに控えてろよ。」
いつもは不快感しか覚えないはずの礼儀の無いやり取り。だが、今は何故かそれが少し心地よい。不思議な感覚がするが、深く考えることをやめた。
今はこの状況から脱出することが先決だ。
二人は並んで歩き出した。