失意の底で
「こちらの部屋でお休みください」
私を連れてきた兵士にそう言われ部屋へと通される。
部屋は豪華で、家具の一つ一つがとても高そうだった。普段だったら、落ち着かず暫くは座りもせずに歩き回っていたかもしれないが、今の私にはそんな気力もなく、すぐに大きなベッドに倒れ込んだ。
ぼふっという優しい音の後に柔らかな感触に包まれる。普通なら心地よさに思わず頬が緩むくらいの気持ちよさだったが、今の私の気分がそれを拒んだ。
色んな考えが頭の中をぐるぐると駆け巡った。これからどうしよう。どうなるんだろう。アムレーラさんは本当に死んじゃったのだろうか。そもそも何故私に家にいたのだろうか。フェリウスさんに会いたい。パルシオンさんは危険な人なのだろうか。
考えが全然まとまらなかった。段々と考えることすら億劫になってきた。でも、何せすることがないので、考えることくらいしかできなかった。
それに、私は知ろうと一歩を踏み出したのだ。ここまで来て逃げたくはなかったから、必死になって頭を落ち着かせた。
(一つずつ……考えていかなきゃ。せめて考えることくらいはしなきゃ)
まず一つ目。パルシオンさんのこと。彼は恐らく、アムレーラさんを殺したのだろう。……アムレーラさんのことだからもしかしたらすんでのところで逃げているかもしれない。そう思っていたかった。
彼はどうしてアムレーラさんをそこまで執拗に狙っていたのだろう。アムレーラさんは王様の死を予言しただけで、殺害予告をしたわけではないのだ。殺す必要性はないはずだ。
もしかしたら、パルシオンさんが予言の中で王様を殺害した人なのだろうか? そうだとすれば、それを予言したアムレーラさんを殺害する理由は納得できる。昨晩の夜の会話でも、アムレーラさんは最初に三騎士の誰かが犯人だと目星をつけていたようだし。
しかし、王様を殺害する動機はなんなのだろうか? そこがどうしても私にはわからなかった。私はあくまでも一般市民で、国の裏事情に詳しいわけじゃない。情報不足は否めなかった。
それに、ディテイスさんが三騎士の中に犯人はいないと断言していたこともある。彼は裏事情に詳しいし、彼の言葉を信用したいところもあった。
パルシオンさんから感じるものも、確かに非情さというか、そこまでしなくても……というイメージは抱いたけれど、それでも行動の理由に納得できないわけではなかった。それにそもそも、彼は騎士隊長という立場なのだ。彼を熱心に応援している人も少なくないし、人間として悪い人かといわれると違う気がする。
パルシオンさんについてはそれ以上の考えはできなかった。深読みしすぎてもよくないだろうし。それでも、最も警戒すべき人間であることには間違いないだろう。
二つ目。アムレーラさんはどうして私の家にいたのだろうか。これはとても不思議だった。そもそも、街に戻らなきゃいけない理由があったのだろうか。
アムレーラさんはパルシオンさんを警戒していただろうし、無意味に訪問はしないだろう。
もしかしたら、また何か予言を視たのだろうか。それでまた、それを伝えようとて、私のところに来たのかもしれない。それで私の家を訪ねたのはいいけれど不在で、そしてそこを見つかって……そこまで考えて、罪悪感に押しつぶされそうになった。もし、私が王城の外へ行きたいなんて言っていなければ、彼女は死なずに済んだのかもしれない……。
三つ目。一番考えたくないことだった。これからのこと。私の家は燃えてしまった。何もかもすべて置いてきてしまった。大切育ててきた花も、両親の唯一の形見だったお店も。
例え王様が殺害されなかったとして、このまま国が平和だったとして。それで、私の居場所はどこにあるのだろう。
仮に王城に泊めてもらったとしても。アレクシスさんの家に行ったとしても。私が本当に大切で愛しかった日常は帰ってこないのだ。あの場所は、焼けてしまったのだから。
――私はこれから、どうなるのだろう。
また前のように、質問攻めにあうのだろうか。私が答えられることなんて、全然ないのに。
結局私は非力なままだった。変わろうとした結果がこれなのだ。逃げたくはなかった。でも、それ以上に辛くて悲しくて、どうにかなりそうだった。
私は昔、体が人一倍弱かった。あまり覚えてはないのだが、よく高熱を出して寝込んでいたらしい。そんなこともあってか、幼いころはよく男の子にからかわれたりした。緑色の髪を引っ張られても、私は泣くことしかできなかった。
そんなある日、父が私に花をプレゼントしてくれた。私は大喜びで花を育てたが、結局水をあげすぎてすぐ枯らしてしまった。泣きじゃくる私に父は優しくこう言ってくれた。
「花っていうのは不思議なもんだ。こんなにも弱いのに、優しくしすぎたら枯れてしまう。お父さんもな、昔は水をあげすぎてよく枯らしちゃったよ。それで、よくお母さんに叱られたもんだ」
そう話をする父の、優しくて温かな目を私はよく覚えている。そういえば、父はよく母の肩身のガーデニング用のはさみをじっと眺める事があった。その時も、このような目をしていた気がする。
「それでな、お母さんに言われちゃったんだよ。花は確かに弱いけど、でも思ったよりは弱くないんだって。だから、鋭い雨に打たれても、激しい風に吹かれても、花は健気に咲くものだってな。むしろ、そうした困難を乗り越えた花の方が、綺麗な花になることの方が多いって」
父の視線は変わらず私に向いている。でも、その目は私を映し出していないような気がしていた。
「フラルも、きっと花と同じさ。これから、嫌なことや苦しいことが沢山あるだろう。その細い体じゃ、何かと苦労することも多いかもしれない。でも、それを乗り越えた分だけ、きっと綺麗に咲き誇れる。だから、嫌なことには負けずに、何回も挑戦してみるんだよ」
「うん! お父さんありがとう! 私、もういっかい育ててみるね。次はきっと、きれいに咲かせてみせるから!」
「ああ、楽しみにしているよ。……フラルは本当に、お母さんに似ているな。きっと、お母さんみたいに素敵な人になれるよ」
「ほんと!? 私、がんばってきれいなひとになるね!」
父は優しく私の頭をなでてくれた。大きくてガサガサな手の感触が、私はとても大好きだった。
自分の手を頭に添えてみる。父とは違い、小さくて弱々しい手だった。私はあの頃と比べ、少しは強くなれているのだろうか。いや、結局周りの人に優しくされて育ってきた私は、強い茎も根もないし、美しい花びらを咲かせることもできていないのだろう。もしかしたら、優しくされすぎて、すぐ枯れてしまうのかもしれない。
そんな私でも、いつかは強くなれるのだろうか。枯れる前に、一瞬でも綺麗な花を開くことができるのだろうか。私と同じで体が弱く、私を産んだ時に死んでしまったらしい母は、それでも気丈な人だったらしい。そんな母のように、私はなれるのだろうか。
気が付くと、私は自分の家にいた。働かない頭はその光景を当たり前のように受け入れた。辺りを見渡した。すると、男の人の声が聞こえた。なんとなく、声の方に向かう。
行ってみると、その声の人がちょうど外へ出ていく様子だった。奇麗な緑色の髪をした女性が手を振って見送っていた。
私はその場から動けなかった。その女性が振り返って、私と目が合った。その女性は少し驚いたのか、赤いルビーの目を少し見開いた。
「あなたはもしかして、フラル?」
優しい声でそう言われた。
私はこの女性を知らない。というより、見たことがない。あるはずがない。なのに、自然と、当たり前のようにそれが誰であるのか理解していた。
「……おかあさん?」
その女性は間違いなく、私の母だった。
私がずっと会いたかった人。話したかった人。そして、お礼をしたかった人。その人が、私の目の前に立っていた。
「……なにか、辛いことでもあったの?」
まだ、何も言ってないのに。私の母は分かっているかのようにそう聞いてきた。母と娘とは、こういうものなのだろうか……。
「あの、その……。ごめんなさい、私。このお店、守れなくて……燃えちゃったの」
弱々しく、そう言った。怒られるだろうか。悲しまれるだろうか。怖くて、俯いた。
そんな私を柔らかな感触が包んだ。目を上げると、母が私を優しく抱いてくれていた。
「そう、それは辛かったわね」
責めもせず、驚きもせず。私の母は優しくそういってくれた。
「……怒らないの?」
「怒るわけがないじゃない。フラルは、精一杯頑張ったんだよね。お母さんは知ってるから。だから責めたりなんかしないわ」
「あ……」
私の目から大粒の涙が零れた。止めようとしても、全然止めることができなくて、どうすればいいのか分からなかった。そんな私の涙を、母が優しく指ですくってくれた。
「我慢しなくてもいいんだよ。辛いときは泣いていいのよ」
「……私、急にいろんなことに巻き込まれて、怖くて……でも、それじゃいけないって、頑張って……でも、全部なくなっちゃって、私の家も、居場所も、それで、辛くて……」
「うん、うん。そうだね」
「私……わたし……ああ、あああ。おかあさん、おかあさん!」
私は母の体にしがみついて泣いた。止め処なく流れ出る涙がわたしの頬を伝って母の服を濡らした。
「わたし、これからどうしたらいいのかな……」
泣きじゃくりながら私は問いかけた。
「フラルのしたいようにしていいのよ。やりたいことをやりなさい」
母はそう優しく返してくれた。
「わたしの、やりたいこと……?」
私のやりたいことはなんだろう。今までは必死に生きてきて、それで、何か周りの人のためになりたくて。
気が付いたら、私の手を握ってくれていた。その手は大きくて、思ったよりもがさがさしていた。
私の母は気丈な人だから、手がそうなるくらい、努力しているのだろう。私の手は小さくて、だから何かを救おうとしても零れ落ちてしまうのかもしれない。
「……おかあさんみたいになりたい」
私の口から、そんな言葉がこぼれた。
「おかあさんみたいに、強くて、優しくて、気丈で、立派な人になりたい」
「……そう。なら、行きなさい。大丈夫、フラルは強い子だから、きっとなれるわ」
「……うん」
「でもね、忘れちゃだめよ。私はそんなに強くはないわ。私は一人では生きてはいけないもの。ううん、きっとすべての人はみんなそうなの。思っているほど強くない。だから、みんな寄り添いあって生きている。……支えあうことの大切さだけは、覚えていてね」
「うん……ありがとう、おかあさん……」
「あなたのお母さんだもの。娘を励ますのは当然よ。……じゃあ、行ってらっしゃい」
「うん。行ってきます!」
私がそう答えると、視界が白く染まった。
目を開けると、私はふかふかのベッドの上に戻されていた。いや、正しくはずっとそこにいたのだろう。さっきのは夢だったのだと気付いていた。
でも。たとえ夢だったとしても。母がかけてくれた言葉は、優しさは。確かに力となって私の心に残っていた。
体を起こそうとして、枕が濡れていることに気づいた。どうやら寝ながら泣いていたらしい。……こんな姿、誰にも見せたくはなかったから、一人でよかったと少し安心した。
「……よく眠れたか? まぁ、一応ちゃんとしたベッドだ。寝心地は悪くなかっただろう」
「ひゃっ!? えっ……ディ、ディテイスさん!?」
声のした方を向くと、ディテイスさんが椅子に座ってこちらを見ていた。
「……あの、いつからそこに? というより、見てました……?」
「ご想像に任せる。まぁ、あまりに大きい寝言だったから、下手すれば外からでも聞こえたかもな」
み、見られていた。がっつり。見られなくてよかったと思っていたのに。顔が真っ赤になった。思わず傍にあった枕をディテイスさんに向けて 思いっきり投げつけた。ばふっという音とともにディテイスさんの顔に直撃した。彼は全然動じていなかったけれど。
「……この調子なら疲れは癒えているようだな。わざわざ部屋を手配した甲斐があったというものだ」
「部屋を、わざわざ……?」
そういえば。部屋に入った瞬間に思うべきことだったのだが。この部屋はただの一般市民を招く部屋にしては豪華すぎる気がする。
「あの、もしかして……?」
「ああ、礼は要らん。国の事情に巻き込んだんだ。それくらいするのは騎士の道理だと思ったまでだ」
この人はやっぱり。見かけや言動に寄らず、本当にいい人だ。心からそう思った。
「ありがとうございます。ディテイスさん」
「礼は要らないといったはずだが?」
「気をかけてくれるのが騎士の道理なら、尽くされた礼をするのは人の通りだと思ったので」
「ふっ……お前は気丈な人間だな。あの魔術師やフェリウスが気に入る理由が分かった気がする。」
「……それで、私に何の御用ですか? まさか、わざわざ寝顔を見に来たわけじゃないでしょうし」
少しだけ嫌味をこめて聞く。その言葉に、彼の顔は真剣な面持ちに変わった
「そうだな。無駄話をする必要はないだろう。……一つ、お前の意思を聞きに来た」
「私の意志……?」
「ああ。フェリウスから聞いた。お前は今回の件を知りたがっているとな。普通なら一般市民には言えるはずもないことだが……パルシオンが盛大にやらかしたからな。お前には知る権利があるだろう」
「……フェリウスさんが」
「だが……正直、俺は無理に知る必要はないと思っている。今回の件はかなり裏事情が絡まっている。知らない方がマシなことだらけだ。それに、知りすぎれば更に巻き込まれる可能性だって高くなる……それでも、お前は聞きたいか? お前はどうする?」
彼は鋭い視線で私の方を見た。これを聞いたら、本当に後戻りはできないのだろう。
私はどうする? それはもう、決まっている。もう答えは出ている。
「私は……知りたいです。もう、何も後悔したくないから」
私のやりたいようにする。私は母のように強くなると誓ったから。そうなれると、言ってもらったから。
「そう、か。さっきまでさんざん泣き喚いていたから、逃げると思ったんだがな」
「っ……もう、泣きませんよ。でも……ふふ、見かけによらず優しんですね。わざわざ気遣ってくれるなんて」
「! ……はは、これはこれは。あの嫌味な魔術師よりも上手い嫌味を言うじゃないか。……いいだろう。ついてこい」
彼はそういうと扉の方に向かって歩き出した。私もそれを追いかけて立ち上がった。
これから先どんなことがあっても、もう二度と誰にも泣き顔は見せないと深く胸に誓いながら。