強さと弱さ
お久しぶりです。また暫くは日刊で投稿していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
少し驚きつつも、あっさりと承認してくれたフェリウスさんの後ろにつき城門をくぐる。
見張りの兵士さんは私を見ると少し困惑していたが、フェリウスさんが一言話すと皆納得してくれた。騎士隊長というのはそれくらいの立場なのだろう。
扉が明けられ、その先に広がる広大な大地。この光景を見るのは二回目だけど、それでも自分の足で踏みだすという行為にとても高揚感を覚えていた。
「驚きました、まさか外の大地が見たいだなんて」
歩きながらフェリウスさんが話しかけてきた。
「今回の一件で思ったんです。私って、本当に何も知らないんだなって。だから、もっといろんなこと知りたくて」
「なるほど、そうだったのですね。……私にとって王城の外とはただの仕事場。魔物が蔓延る危険な場所、という認識でしかなかったものですから、そのようなことは考えたことはありませんでした」
前方を遠く見つめながら彼は語る。
「でも確かに、考えてみれば不思議なものですね。この大地の続く向こうには、私たちの知らない地があり、知らない都市があり、人々がそこで生活を営んでいる。そう考えると、憧れのような気持ちを抱くことは分かる気がします」
「それに……私の父は冒険家だったんです」
「お父様が……ですか?」
「はい。幼いころに、どこかへ行ったっきり帰ってこなくなっちゃいましたけど」
「それは……その、災難、でしたね」
彼は少し動揺しているようだった。
「でも、私はもう気にしてません」
「気にして……いない?」
彼は目を見開いてこちらを振り向いた。私は彼の瞳を真っすぐに見つめて答える。
「もう過ぎたことですし……気にして、それで帰ってくるわけではありませんから。何よりも、今なら父の気持ちが分かる気がするんです。この、大きな大地を見ると、どこかへ行きたくなるような衝動が私の中にも確かにあるんです」
遠くの景色を見る。遥か、草むらや木々だけが続く台地。この先には、何があるのだろうか。どれくらいこの大地は広がっているのだろうか。
「それに、幼いころなのであんまり覚えてないですけど、父は悪い人じゃなかったんですよ。私のことを気にかけてくれて、頭を良く撫でてくれたのを覚えてます。近所の人だって、父のことを悪く言う人は一人だっていませんでした。だからきっと帰ってこなくなったのは、何か事情があったんだろうなって思うんです。だから……」
もしも。もしも父が生きているのであれば。
「会ってお礼を言いたいなって思うんです。育ててくれてありがとうって。私は元気だよって、自分の口で、父の顔を見て、笑顔で」
私は笑顔でそう言った。
彼は少し目を細め顔を伏せた。
「そうですか……やはりあなたは、気丈な方ですね」
彼の顔は明らかに曇っていた。もしかして。少し嫌なことを言ってしまったのかもしれない。
「いえ、私なんて……あの、もしかしてフェリウスさんのご両親は……?」
「はい。私は、まだ記憶もないような幼いころに亡くなっています。それで私には身寄りも、頼りにできる人もいませんでした」
そう話す彼の声は、とても弱々しく聞こえた。
「それで王城に引き取られて、幼いころから兵士として育てられてきたのです。他にやることもないので、夢中になって稽古に励んでいたら、いつの間にか騎士隊長という立場に収まっていました」
思いもしなかった身の上に言葉を失った。まさか、騎士隊長ほどの人が、私と似たような境遇だなんて想像したこともなかった。
「でも私は……未だに過去を乗り越えられていません。時々、どうしようもなく寂しくなるのです。私に稽古をつけてくださった師匠は、面倒は見てくれましたが、決して優しくはありませんでした。時々、町で元気に駆け巡る同い年くらいの少年を見て、心の中で羨んでいたりしたものです」
ようやく、彼から感じていた違和感の正体を掴んだ気がした。そう、私は彼を勝手に優しくて強い人だと思い込んでいたのだ。騎士隊長という立場だけで、そうだと決め込んでしまっていた。でも。
「私は……市民の皆様を守ることで、その寂しさを埋めているだけなんです。人々の感謝する声を聴いて、それで自分を肯定しているだけなんです。この脆い心が壊れないように、必死に」
彼もまた、ただの人間なのだ。一人で生きてはいず、周りに助けられて生きている、私と同じ人間なのだ。彼は強く優しいのではなく、弱いからこそ優しいのだ。
「だからきっと、私に騎士隊長なんて立場は身に合わないんです。……上辺だけの優しさを持った私なんかでは」
……本当に彼の優しさは上辺だけの優しさなのだろうか。
少しの間沈黙が降りた。耐えかねたのか、すぐに彼がまた口を開いた。
「……すみません、変な話をしてしまいましたね。今の事は忘れてください」
彼はそう笑顔で答えた。
彼は私に対してよく笑いかけてくれた。今だって笑ってくれている。でもなぜか、私は今の彼が本心で笑っているようには思えなかった。
……心のどこでは泣いているのかもしれない。彼は私に心配させまいと取り繕っているだけなのかもしれない。
私が彼と同じ立場だったなら、同じように笑うことなんてできない。きっと微笑むことだってできやしない。今の私が元気で居られて、笑っていられる理由なんて、考えるまでもなく分かっている。
そして同じように、今の彼が心の底から笑えない理由だって――
私の足は無意識のうちに止まっていた。そんな私に気付いて、彼は少し不安そうにこちらを覗いてきた。
「あの、どうかなさったのですか?」
「フェリウスさん。あなたは……弱くなんてないですよ」
気づけばそんな言葉が口から出ていた。
「……先ほどの話ですか。しかし実際、私は自分の為だけにこの槍を振るっている。そんな人が、本当の意味で強いわけが――」
「例え自分の為でも、あなたは誰かを助けることができるってことじゃないですか」
「それは……」
私がしていることは余計な余計なお節介かもしれない。それでも、無理して笑う彼を放っておきたくない、という気持ちが私の中で止められなかった。勢いのまま言葉を紡ぐ。
「私は、色んな人に助けられて生きてきました。だから恩返しがしたいって、よく思ってました。でも、実際に私ができたことなんて全然なかったんです。元気でいてくれるだけでいいって、みんなは言ってくれたけど、でも、やっぱり力になれないのは寂しくて……」
「……」
「でも、あなたは多くの人の力になれる。多くの人を助けることができる。あなたがそう望んで、あなた自身の手で。私や他の人にはできない、あなただけができることなんです」
今ならはっきりと言える、彼は優しい人なのだろう。己の弱さを知ってるゆえに、彼は人の優しさを理解できるのだ。きっと、自分の弱さを知っていることこそが、彼の強さなのだ。
「それは素敵で素晴らしいことだって、私は思います。だから……もっと、自信を持ってください!」
私は彼に精一杯の笑顔を向けた。彼と目が合った。透き通った綺麗な瞳だった。
彼は少し俯いた。
「……それでも、私が助けられず、救えずにいた人もいます」
「確かに、万人を救うことはできないかもしれませんけど……でも、一人でも、数十人でも。助けられた人がいるのならいいじゃないですか」
「……しかし、私では助けられなかった人も、パルシオンやディテイスなら救えたかもしれません」
「それを言うなら、パルシオンさんやディテイスさんに救えない人を、あなたは救ってきたんだと思いますよ」
「彼らと比べたら私は力不足です。私に救えて彼らに救えない人なんて……」
「私は強さとかは分からないんですけど……でも、そうじゃないんです。実際に誰に助けられたかってことが大切なんです。もしかしたら、あなたが救った人はパルシオンさんやディテイスさんでも助けられたかもしれません。でも、その人は他の誰でもないあなたに助けられたんです。それはつまり、あなただけが助けることができた人って、ことじゃないですか?」
「っ……私に助けられた人だって、助けてくれるのなら誰でも良かった筈。 そういう意味では、私の事を思ってくれる人なんてきっと一人も……」
「そうだとしても、実際にその人を助けたのはあなたなんです。それに、あなたが助けた人は、あなたに感謝してるんです。ちゃんとあなたのことを思ってくれる人は絶対にいます」
「……その人たちも、こんな弱々しい姿の私を見たら失望するかもしれません。」
「……それなら」
私は彼に近寄り、彼の頭の後ろに腕を通して抱き寄せた。
とくん、とくんと、私の心臓が鼓動する。彼にもこの音は聞こえているだろうか。彼は驚いているようで、少しも動かなかった。
「私が言います。私はあなたに助けられました。今日、とても一人で不安だったんです。心細かったんです。そんな私を気遣って、わざわざ家に訪ねてきてくれてありがとうございます。私の話を信じてくれてありがとうございます。そして、私の突然のお願いも聞いてくれてありがとうございます。私はあなたの優しさに癒されて、元気づけられました」
彼の体は小刻みに震えていた。誰か、彼の震えを止めてくれる人はいなかったのだろうか。
きっと、いなかった。だからこそ彼は寂しかったのだろう。心の底から笑えないのだろう。
「フェリウスさんはとても優しくて素敵な人です。私はあなたのことを尊敬しています。あなたの幸せを祈ります。だから、無理してまで笑わないでください。自分を責めないでください。追い込まないでください。……自分は一人だなんて、悲しいことを言わないでください」
それなら、私が傍にいてあげたい。私が傍にいて、彼の孤独が癒えるのならそうしたい。彼が笑えるのならそれでいい。努力家で優しすぎるくらいの彼には、笑っていて欲しいから。
「私は……私は……今までずっと独りで……」
「独りじゃないですよ。私が居ます。あなたが助けた大勢の人たちがいます。もしも、自分の弱さを出すのが怖いのだとしても、私の前では隠さなくても大丈夫です。私はあなたを失望したりはしませんから」
彼の体から力が抜け、私に委ねるようにしてくれた。
「……すみません、しばらくはこのままでも、いいですか」
「いいですよ。大丈夫ですから」
彼の体の震えが止まるようにと、私は優しく彼の体を抱きしめ続けた――
暫くたった後。お互いが何となく気持ちが落ち着いたころ。私は自分のしたことにすごく恥ずかしくなってきていた。
「あの……ごめんなさい、出過ぎた真似、でしたよね……」
いくら彼の事を思っていた故の行動とは言え、流石にやりすぎた気がする。
「……すみません。私も、あなたの優しさに甘えてお見苦しいところを……」
気まずい沈黙が二人の間に降りた。
「でも、あなたの優しさは本当に嬉しかったです。心が軽くなりました。本当にありがとうございます」
「……! 少しでも元気づけられたのなら、嬉しいです!」
私たちはまた、横に並んで歩きだした。口数は多くなかったけど、温かな空気が流れているのを感じた。
「そういえば、目的地などはあるのですか? どうやら、目指してる場所があるように感じたのですが……」
「はい! 確かこっちの方角だと思います」
そう、私は何も考えずに外に出たいと言ったわけではなかった。一度見た記憶を頼りに、あの場所を目指していた。
(あの時見た景色は確か……あっ!)
その時、私が目指していたものが視界の隅に入った。
「あそこです」
「…あそこ、ですか? みたところただの洞窟のようですが……」
そう。私が来たかった場所は……
「はい。あそこが、私が昨日連れ去られた場所です」
「……もしや、一度見た景色だけを頼りにここまできたのですか!?」
「えへへ、だいぶ来れるかどうか不安だったんですけど……でも、なんとかたどり着けました!」
思わずピースサインをした。フェリウスさんはそんな私を見て優しく微笑んでくれた。
「それで、あの洞窟まで行くのですか?」
「いえ、場所が分かったけで十分です。もしもアムレーラさんが今もあそこにいるのなら、迷惑をかけてしまいますから」
なんとなくでも、場所を知っておきたいと思っていたのだ。もしも何か困ったことがあれば、アムレーラさんはきっと頼りにできると思うから。
「なるほど、それではそろそろ帰りますか?」
「はい! ここまで付き添ってくれて――」
私がそこまで言って、私の言葉は途切れた。彼の手が私の口を優しく塞いでいた。思わず彼を見上げると、彼の目つきは見たことがないほど鋭くなっていた。
「フラルさん、しばらく私から離れないで下さい」
「えっと……どうしたんですか?」
私が言った直後、黒い影が私たちに向かって飛びついてきた。瞬間、フェリウスさんが目にもとまらぬ速さで槍を手に取りその影を刺し貫いた。
「きゃっ!? こ、これは……」
「獣の魔物です。それもかなり量がいます。フラルさん、私の傍から離れないでください」
辺りを見渡すと、どこからともなく獣たちが集まってくるのを感じた。がさがさと音を立てながら、周囲の草が揺れる。これが全て魔物だと思うとぞっとした。
そんな私の不安を感じ取ってか、彼は私の肩に優しく手を置いてくれた。
「大丈夫です。あなたは私が守り抜いて見せますから」