顕現
目の前に立っている、現れてしまったソレを見ているだけで身の毛がよだつほどの恐怖を感じた。
悪魔。初めて聞く存在だったが、見ただけで、いや、同じ空間にいるだけでそれがどれ程強大で凶悪なものなのか分かってしまう。
アドルレイン王はそれに慣れているかのように近づき話しかけた。
「……ヴィーセよ、生贄は用意してやったぞ。だからさっさと去れ」
「おやおや、釣れないなぁエルファス王。俺たちの仲だろう、少しはゆっくり話そうじゃないか」
ヴィーセと呼ばれたそれは、相変わらず口元に笑みを浮かべたまま余裕そうに話し返してきた。
「まぁ俺は優しいからなぁ。手短に済ませてやらんこともないぞ」
そういうとヴィーセは値踏みするように私たちを順番に見まわしてくる。その目が私を捉えた時、ヴィーセは興味深そうに近寄ってきた。
「ほう、この女は?」
「なんだ、そんな子娘に興味があるのか? そこの兵士のおまけ程度に考えていたのだがな」
「ハハハ、どうやら俺は意外と若い女も行けるらしい。だが、こいつの魂からは濃いモノを感じるのは事実だぜ」
ヴィーセは私の顔をじろじろと見ながら愉悦そうに笑った。私の魂にそれほどの価値があるのだろうか。私にはそうは思えなかったのだが、相手がそう思ってくれているのだったら好都合だった。
「あ、あの、それだったら生贄は私一人で充分ですよね」
「子娘、貴様は無駄な口を……」
「私は生贄になっても構いません。だからアビルさんは助けてあげてください」
「っ!?」
少しの間、沈黙が降りた。それを破ったのはヴィーセの高笑いだった。
「ハハハハハ! これは本当にいい女じゃねぇか。どこぞの王様よりかよっぽど肝が据わってやがる。なぁ、そうは思わないかエルファス王よぉ!」
アドルレイン王は眉をひそめてヴィーセを睨んだ。ヴィーセはおお、おっかねぇと言い私に向き直った。
「俺はそれでいいぜぇ、お前のその勇気を買おうじゃないか。今回の生贄はお前一人で充分だ」
悪魔は愉快そうに笑ってそう言った。
ああ、良かった。これでアビルさんは助かるんだ。ほんの少しの間だけかもしれないけど、暫くは誰も犠牲にならずに済むんだ。私はそう自分に言い聞かせるように思った。
「じゃあ、お前の魂を貰うぜ。安心しろよ、痛くはしないでやるからなぁ」
ヴィーセは私に向けて手をかざし、紫色の光をまとい始めた。
……ああ、私は終わるのだろう。
ヴィーセが言うように、私は肝が据わっている訳じゃない。ただ単に失うものが少ないのだ。親も、家もなくなった私にはもう自分一人しか残っていないのだから。
紫色の光が大きくなり、私を包み込む。
……でも、思い残すことが一つだけある。
紫色の光はそのまま膨れ上がり、視界を覆っていく。
――私は結局、お母さんのようになれないままだったな。
それを最後に私の意識は段々と遠のいていき……
ガキィィィンッ!
大きな衝突音が突如として響いた。その音をきっかけに私の体は崩れ落ち、ぺたりと地面に座り込んだ。
先ほどまでの紫色の光がだんだんと晴れてくる。何が起きたのだろうかと顔を上げた。そこには。
「おい、テメェ。これはどういうつもりだぁ?」
「フラル、今すぐ逃げろ。お前はここで死ぬべき人間ではない」
「……あ、そんな。どうして、ディテイスさん!」
懐の刀を抜きヴィーセに切りかかっているディテイスさんの姿があった。ヴィーセはそれを手で受け止めており、そして思いっきり横に振った。ディテイスさんは吹き飛ばされるが、空中で一回転したのちにきれいに着地し、息もつかぬ間に再び切りかかっていく。
「我が魔刀よ、悪しき愚かな存在をこの刃で食らいつくせ! 魔刀ムラサメ!」
そう叫ぶと、ディテイスさんの持っている刀が黒色に光った。ディテイスさんはそに刀を振り回し、斬撃をヴィーセに向かって飛ばした。
しかしそれを、宙に舞うヴィーセはどれもひらりと躱していく。それを見て、すぐにディテイスさんは体制を変え、ヴィーセへと詰め寄り切りかかる。
「ディテイス! 何をしておるのだ!」
「アドルレイン王、いや父上! もうこんなことは終わりにしよう」
「愚かな! 貴様は最初に成す術なく負けたのを忘れてたのか!」
「この俺が一度だって忘れるはずがない! 母上から頂いた言葉を忘れずに、ここまで父上に尽くしてきたこの俺が!」
「っ……ディテイス」
「おいおい、この俺とやりあいながらお喋りとは、随分と呑気なものだよなぁ!」
ヴィーセはディテイスさんの刀を手で切り返し、そして生まれた一瞬の隙を突いて蹴りを思いっきりいれた。ディテイスさんはそのまま壁まで吹き飛ばされ激突した。
「ぐっ……」
「この女の健気な言葉を聞いて勇んじまったかぁ? お前もまだまだ若いねぇ。だがそれ以上に未熟なんだよ、この青二才が!」
ディテイスさんは立ち上がろうとしているが、その意志とは裏腹に体は動けないようだった。ヴィーセは手のひらの上にボールのような紫色の光の魂を生み出し、ディテイスさんに向けてそれを放った。
それは真っすぐにディテイスさん元へ飛んでいくが、直前で黄色い障壁に阻まれて弾け飛び消えていった。
「……ク、ククク。ハハハハハ! おいおい冗談だろぉ、エルファス。お前まで影響されちまったってのか!」
「ディテイスに、我が息子に手を出すのであれば容赦はせんぞ、ヴィーセ!」
「……父上」
それを防いでいたのはアドルレイン王だった。手の周りに魔法陣を浮かべてヴィーセを睨みつけていた。
「あーあ、折角俺が優しくしてくれてやってたというのにこの仕打ちはねぇよ。悲しくて泣いちまいそうだぁ。お前ら……ゲームオーバーだな」
ヴィーセは宙に浮かび上がり、両手に魔力を込み始めた。そしてさっきの魔弾を生み出して高笑いする。
しかしソレはさっきの魔弾よりも明らかに大きさが違っていた。
「テメェらみたいな馬鹿にはさっきのような情けをかけた一撃じゃあ物足りねぇ。コイツを喰らって二人まとめて無様に散りやがれ! ロストソウル・クラスター!」
「火の精よ! 俺の命に答えよ! 獄炎壁!」
その魔弾は突如として生まれた炎の壁に阻まれ消えた。驚いて後ろを振り返ると、そこには炎をまとった剣を構えたパルシオンさんが立っていた。
「どうやら、ようやく俺は仇敵に会えたようだな。貴様だな? この国に現れた悪魔というのは」
「これまた騎士サマの登場ってわけか! まさしく熱い展開じゃねぇかよオイ!」
「ふん、ディテイスも父上も下がっていろ。アイツは俺が仕留める。この俺の邪魔をするな」
パルシオンさんの目は明らかに憎しみに満ちていた。そのまま睨み殺してしまうそうな鋭い眼光をヴィーセに浴びせていた。
「ほうほう、さてはお前だな? 恋人が死んであまりにも悲しいからって乱心し、いまだに王の器に至れねぇ未熟者っていうのは!」
「黙れ外道。最初からこの俺が貴様を仕留めていればそれで済んだ話だ」
「おやおや、随分と自信がおありのようだが、お前如きが俺に勝てるとでも?」
「ハッ、当たり前だ。忠告してやるが俺がコイツらなんかとは比べ物にはならんぞ」
「ほう? ならば試してみるか!」
「望むところだ! 火の精よ、我が怒りと共鳴し、我が身に顕現せよ!」
パルシオンさんがそう叫ぶと、彼自身の体が燃え上がった。
その炎は消えることなく、パルシオンさんからあふれ出しているかのように噴き出していた。
「こりゃあ傑作だ! どいつもこいつも自己犠牲の精神に溢れてやがる!」
「貴様その余裕はいつまで保つか見てやろう。くらえ! 業火刃!」
パルシオンさんが炎の剣を思いっきり振り下ろした。それと共に、巨大な黒色の炎が生まれヴィーセに向かって放たれた。
この部屋もろとも焼き尽くすかの如く燃え盛る炎。近くにいるだけで体が焦げてしまいそうだった。
「くぅ、こいつはなかなか効くねぇ! だが俺を仕留めるににゃまだまだ足りねぇぞ! お返しだ! イレイス・アンリーシュ!」
そう黒煙の中から声が聞こえると、炎の中から紫色の太いレーザーが飛んできた。パルシオンさんはそれを飛びあがって躱し、レーザーは壁に大きな空洞を開け消滅した。
パルシオンさんはそのまま炎の中に走り込んでいく。飛び出してきたヴィーセが手を横になぎるのを躱し、その腕を掴んだ。
「あっちぃ! テメェの体温いくつだよ! このっ離しやがれ!」
「逃がすものか! 貴様をこのまま焼き殺してやる! 炎牢!」
パルシオンさんがそう唱えると、炎の渦が二人をを囲みそのまま燃え上がった。火はどんどん膨れ上がり、天井に到達するほどに大きくなった。そして、それは突然爆音を上げて飛び散った。辺りに黒煙が立ち込めて何も見えなくなる。
「けほっけほっ……一体何が」
ここが地下室であることもあって煙はなかなか引いてくれない。数分の間、何も見えないまま時間が過ぎた。やがて少しずつ煙が薄くなっていき視界が開ける。爆発の中心に誰かが立っている影が見える。その人物は。
「……フン。悪魔と言えどこの程度か。随分とあっけないものだったな」
パルシオン。彼は自らは焼けることなくそこに立っていた。よく見ると足元に真っ黒な物体が転がっている。
「パルシオンが……悪魔に、勝った?」
アドルレイン王は信じられない様子で目を見開いていた。
「父上、いやエルファスよ。貴様は恐怖に怯え、多くの命を犠牲にした罪人だ。貴様に王を名乗る資格はない。この俺が王だ」
「それは……いや、そうだな。既に余は王である資格などないだろう。パルシオン、今度はお前が王に……」
「感動のシーンには早ぇよ、愚か者どもが!」
「ぐっ!?」
突如としてパルシオンさんが宙に吹っ飛ばされた。いつの間にか、あの真っ黒な物体が起き上がり、そのまま浮遊しものすごい勢いでパルシオンさんに激突してきたのだ。
ソレは原型が分からないほどボロボロなのに、それが当たり前であるかの如く悠々と浮遊していた。
「ああ、こいつはかなり効いたぜ。お前の火力は見事なもんだ! だがな、言ったろ? 俺を殺すには火力が足りねぇよ!」
ヴィーセはまた愉悦そうに高笑いを上げた。その声に、この場にいる全員の顔に絶望が募っていく。
「しかしちょっとダメージを食らいすぎたなぁこりゃ。まぁ丁度良く虫の息な良質なエサが転がっているようだし、食事タイムと行くか!」
ヴィーセは自らの腕を、鋭利な刃物のような形に変形させた。そして壁にもたれかかっているディテイスさんの方へ視線を向けると、そしてものすごい勢いで距離を詰め始めた。
「待て! ヴィーセ!」
「ディテイスさん、危ない!」
「くっ……」
「貴様の魂をいただくぜ! ソウル・イーター!」
ディテイスさんはまだ動けないようだった。ヴィーセの手が紫色の光に包まれ、そのままディテイスさんへと迫った。
グシャリ。そんな音と共に血渋きが飛んだ。
「……そんな」
「ク、ククク。ハハハハハ! これは今日一番の傑作だ! ハハハハハ!」
ヴィーセの高笑いが響く。その手は背中を刺し貫き、腹から飛び出していた。それを引き抜いた手には、黄金に輝く塊が握られていた。
「どうしてだ、父上!」
「……ディテイ、ス。すま、ない。余は結局、何も守れぬまま……」
そこで言葉は途切れ、アドルレイン王はドサリと音を立てて倒れ込んだ。アドルレイン王が自らを盾にしてディテイスを庇ったのだ。
「……今の、光景は」
そう、この光景は。アドルレイン王が背後から刃物のようなもので刺し貫かれている光景。それは、アムレーラさんが私たちに教えてくれた光景そのものだった。
結局私たちは、予言の運命を変えることができなかったのだ。
「どうやらテメェらの自己犠牲の精神は父親譲りだったわけだなぁ! こりゃ美しいものをみせてくれたもんだ!」
そう嗤いながら、ヴィーセは手に持ったそれを口へと運び飲み込んだ。そして。
「ああ、アアア! これはすげぇ、すげぇぞ! ハハハハハ!」
ヴィーセの体から紫色の光が溢れだした。その衝撃で辺りに強風が巻き起こり、かつてないほどの禍々しい殺気を感じた。ヴィーセの体は段々と修復されていき、そして傷一つ無くなって元に戻った。しかし、明らかに先ほどまでとは違っていた。
「体中から力が溢れて止まらねぇ。同じ人間であるのに、魂の重さはこうも違う。王っていうのはこういうもんなのかねぇ」
そう言いながらヴィーセが軽く腕を横に振った。それだけでそこに物凄い衝撃波が発生し、轟音と共に床を抉りとった。
「俺は今最高に気分がいい。本来の目的も果たせた訳だしなぁ。今なら見逃してやっても構わないが……お前はどうする?」
ヴィーセの視線の先には立ち上がるパルシオンさんの姿があった。
「貴様……貴様! この腐れ外道が!」
「いいねぇ、俺も今の体の確認をしたいところだ。さぁ遊ぼうじゃないかぁ!」
パルシオンさんの顔は怒りにまみれ、我を失っているようだった。彼の体からは激しい炎が吹き上げ燃え盛っている。
「あーあー。でもその様子じゃ俺と戦う以前に長くはもたねぇぜ? その炎、お前にとっても無害っていうわけじゃないんだろうによぉ」
「黙れ!ここで 貴様を今すぐに仕留めればいいだけの話だ!」
パルシオンさんは剣を構え、炎を巻き上げる。だが、その体からは血が流れだしていた。ヴィーセの言うことは本当なのだろう。このままではパルシオンさんは自らの炎によって……。
「ぐ……ぐうぅ……殺す……殺す……ッ!」
パルシオンさんは何も見ていないようだった。自分の事すらも忘れて炎に飲まれようとしていた。
その時。
「我が槍よ、全てを刺し貫き真実を示せ! 聖槍ロンギヌス!」
そんな声と共に真っすぐに斬撃がパルシオンさんの横をかすめてヴィーセへと飛んで行った。ヴィーセはそれを手で受け止めようとして、止めきれずに脇腹を抉られた。
「チィ! 今日は本当に乱入が多いなぁクソが!」
そういいつつ、すぐにその穴は塞がれ元通りに戻っていく。
「……やはり一筋縄ではいかないようだな」
「あ……」
その聞きなれた声は。聞いてると不思議と安心するような、その声の持ち主は。
「すみません……また遅れてしまいました。でも、もう大丈夫です、フラルさん」
「フェリウスさん! それにアビルさん!?」
フェリウスさんは既に槍を構え、私にニコリと笑いかけてくれた。
その傍らにはどうしてかアビルさんの姿があった。
「……拙者では役に立たぬと理解した。だが、この未熟な体でも増援を呼ぶことぐらいは叶うとも」
全く気付かなかったが、パルシオンさんがヴィーセと戦っている間に抜け出し、外へ増援を呼びに行ってくれていたらしい。
「ありがとう、アビルさん」
「これしきの事に、礼は不要だ」
アビルさんはそういうと、アドルレイン王とディテイスさんのところへ駆け寄っていった。
私の横に立つフェリウスさんの顔も凛々しい顔つきへと変わりヴィーセを見据えた。
「フェリウス! 邪魔をするな、あいつは俺が殺す!」
「落ち着けパルシオン。あいつは一人で太刀打ちできる相手じゃない。共闘をするぞ」
「黙れ! それでも俺は、エフェラの仇を!」
「ふざけたことを言うな! 仇を取る為ならば貴様は自分が死んでもいいというのか! お前はこの国の王となる人間だろう! お前が死んだら誰が民を守るのだ! この国の民もまた、エフェラのように死なせるというのか!」
「ッ……」
フェリウスさんが口調を荒げパルシオンさんを叱責した。やがて、パルシオンさんの炎は勢いを和らげ小さくなった。
「私にも守りたい人がいる。その為には、私一人の力では無理だ。頼む、力を貸してくれ。パルシオン」
「……分かった。いいだろう」
「パルシオン! 良かった、あなたがいれば百人力だ」
「フン、この短の間に随分と立派になったものだな。フェリウス」
「ええ、誰かのお陰で、自分の非力さを思い知らされたもので。それに、今の私は一人じゃない」
「ハッ、言うじゃないか。……さぁ、構えろ」
二人はお互いの武器を構え、ヴィーセと対峙した。
悪魔の笑い声が反響する。そんな絶望的なこの場所に、赤い騎士と青の騎士の双璧が立ち並んだ。
その光景は、この絶望な状況をひっくり返してしまいそうなほど、頼りがいのあるものだった。




