絶望の再会
ゴーン、ゴーン、ゴーン。その重低音の振動によって、私は目覚めた。体を起こそうとするが、全身に残る気怠さが、まだ寝ていたいとそれを拒んだ。ふぁぁ、と大きな欠伸が出てしまう。寝ぼけた頭は、それを手で隠すことすら忘れてしまっていた。
朝の六時を告げる鐘の音。いつもはそれでしっかりと起きることができたのだが、今はそれがとても辛いことのように思えた。昨日の疲れがまだ残っているのだろう、体がだるかった。
それに、昨日はあまり上手く眠れなかった。夜遅くまで起きていたから、単純に睡眠時間が少ない、というのもあるのだが、何よりもあまり寝付けなかったのだ。
昨日、夕方ごろに眠ってしまっていたこともあるが……何よりも、私が今乗っているベッドは私の物ではなく、フェリウスさんのものだったからだ。こんなことを思うのは、はしたないとも思うのだが……いつも彼が使っているのだと思うと、変に意識してしまい、寝れないでいるうちに時間がとても過ぎていた、というわけだった。
そして、彼と同じ部屋で寝ている、ということも私を変に緊張させていた理由の一つだった。彼は、私を自分のベッドに寝かせ、彼自身はソファーで眠っていた。そういえば、彼は起きているのだろうか。彼が寝ていた方を見ると、そこに彼は居なかった。どこに行ったのだろうか、と思ったとき。
「おはようございます、フラルさん」
反対側の方向から声かけられた。彼はまだ目覚めきれていなだらしがない私とは違って、既に鎧を着て身支度を済ませているようだった。慌てて布団で顔を隠す。
「どうかされたのですか?」
「いえ、その……寝起きの顔、見られるのが恥ずかしくて……」
私がそう言うと、フェリウスさんはハッとしたように失礼しましたと言って後ろを向いてくれた。……その気遣いが逆に少し恥ずかしかったけれど。後ろ向きのまま、フェリウスさんは話しかけてきた。
「昨日はあまり眠れていないのですか?」
「はい、まだちょっと眠いです……」
「であれば、もう少しここで休んでいてください。といっても、パルシオンの目があるうちは、あまり外出はできないと思いますが……」
「フェリウスさんは、これからどこか行くんですか?」
「はい、少し。気になることがありますので」
「気になること、ですか?」
「はい、その……」
彼はそこで少し口籠った。何かあったのだろうか。
「……昨晩フラルさんの家で見つけた文字を、兵士と共に読みにいかなければなりませんので」
それはそうだ。早くしなければ一番隊の兵士たちが気付かぬ間に片付けてしまうかもしれないだろうから。
じゃあ何故、フェリウスさんは口籠ったのだろう。それが理由なら言いよどむことはないはず。きっとそうなる理由があったのだろう。
寝起きであまり回っていなかった私の頭は、スイッチが入ったようにフル回転を始めた。
「……あの、もしかしてディテイスさんに何かあったんですか?」
「っ……あなたには隠し事はできないのでしょうか。ええ、その通りです」
予想は大当たりだったらしい。
昨日、王城に帰ってくるときに、僅かではあったが何かが燃えたような臭いを感じていた。今、私の中で一番かぎたくない匂いだったので印象に残ったのだ。
燃えている、から連想するのはパルシオンさんだろう。しかし、こんな夜遅くに彼が火を使う理由なんてあるのだろうか。そう考えて、一番最悪なことを想像したのだ。例えば、ディテイスさんと何かがあった、とか。
昨日の夜、寝れずにそんな考え事をしていたのが思わぬ形で役に立った。
「ついさっき、私の部屋を訪ねてきた兵士から報告を受けました。どうやら昨日の夜から、ディテイスの姿が見当たらないようなのです。すみません、隠し事をするのは不本意だったのですが、今のフラルさんに不確定な情報を与えていたずらに不安にさせるのは避けたかったのです」
予想通りとはいえ、これは思いついた中でも最悪のケースだった。フェリウスさんの懸念通り、私の中に不安な気持ちがこみ上げてくるのは避けられなかった。
でも、それなら尚更ここで何もせず過ごす訳にはいかない。
「そう、なんですね。これから探しに行くんですか?」
「はい。まずは文字の解読をしてからになりますが、その後で動ける兵士に手伝って貰って探そうと思います」
「それなら、私も今から探してみようと思います」
「しかし……」
「大丈夫です。考えがあります……といっても、単純なことですけど。今パルシオンさんは見回りの時間です。それなら、逆に王城の中は安全だと思うんです」
「……なるほど、しかし王城の中を一人で移動するのは少し厳しいでしょう。誰か兵士が付ければいいのですか……」
その時、ノックもなく扉が開いた。あまりに突然の事だったので私は隠れることもできなかった。心臓がドキりと痛む。
「話は聞いた。拙者を使え」
その扉に立っていた人物は黒い鎧を身に守った兵士だった。兜はかぶっていなく、その焦げ茶色の髪の毛に、黒色の瞳がよく見えた。目元に切り傷のような怪我の跡がある特徴的な人物だった。
「この部屋を盗み聞きをしていたのか? 先ほどの報告は有り難いものだったが、私はこれでも騎士隊長である身。場合によってはそれなりの処分を覚悟をしてもらう必要がある」
フェリウスさんは急に口調を強め威圧した。そして、どうやらさっきの報告をしたのはどうやら彼からだったらしい。
「無礼講を詫びる。しかし拙者は隊長殿からそなた等を見守るように命じられた身。命令に背くことはできぬ。いかなる罰が下ろうともこの身、命に尽くすまで」
「……ディテイスからそんな命令を受けたのか?」
「然り。隊長殿から三番隊の指揮権も頂いた。暫くは戻れなくなると仰られていた」
「それはどういう意味だ? 任務で離れなければならないのか、それとも自らの身に何かが起こるという意味なのか」
「拙者如きが、隊長殿の身を案ずるなど無用。しかしあえて愚考するならば後者であろう。隊長殿は他の任務があろうと指揮権を渡すことなどしない」
「……そうか。では彼女の事を頼めるか?」
「御意。この命に代えても守ると誓う」
彼らの中で話はまとまったようだった。相変わらず私抜きで話が進まられていたが、もう慣れてしまったというか、結果的には私が望んだとおりになりそうなので文句は言わないでおいた。
「では、お願いします。私はそろそろ行かねばなりませんので、お先に失礼します」
フェリウスさんはそう言って、私に一礼してから部屋を出ていった。私はこの部屋に黒い兵士と取り残された。彼は何も言わずこちらをじっと見つめて動かないでいた。なんとなく気まずさを感じた。
「……あの、えーと、着替えとか準備したいのでちょっと出ててもらってもいいですか?」
彼は言葉を発することなく頷き、そのまま部屋を出ていった。
フェリウスさんから借りた客人用の服を脱ぎ、少し急いで支度をする。彼は三番隊の指揮権も貰っていたというし、信用できる人物なのだろう。でも、少し、というか、かなり変わった口調で話す人物なので会話ができるか少し不安だった。
思えば最近はあんまり普通の人と話せていない気がする。彼もそうだし、三人の騎士隊長もそうで、アムレーラさんも変わった人だった。
……そういえば。色々あってすっかり忘れていたが、アムレーラさんと言えば、私は何か渡されていなかったっけ? そうだ、アムレーラさんに連れ去られたあの日、意識が途切れる最後にお守りといって何かを渡されていた気がする。
服のポケットに手を入れて確認する。中に紙切れのようなものが入っていた。いや、正しくいうなればお札のようなものだ。行きたい場所をイメージするとか、そんなことを言われたような気がする。
試しにアムレーラさんの洞窟をイメージしてみる。しかし、数秒立っても何も起こらずシーンとしていた。使い方が間違っているのだろうか。
ともかく、今はそれどころじゃないだろう。そのまま準備を済ませて部屋を出た。
しかし部屋を出たところにあの黒い兵士さんはいなかった。あれ? と思い、辺りを見渡す。すると背後に気配を感じたので咄嗟に振り向くと、そこに彼が立っていた。
「きゃっ……い、いつの間に」
「……」
「……あの?」
「……」
「……」
き、気まずい。彼は何も喋らずただただこっちを見ていた。フェリウスさんとはちゃんと会話していたのに……どうして私には無言なのだろう。
というか彼がいた場所、さっきまでは誰もいなかったと思うのだけど……色々なことに混乱する。
「……えっと、行ってみたい場所があるんですけど」
「……」
相変わらず彼は無言で頷いた。半分諦めつつ話を続ける。
「ディテイスさんに昨日連れてって貰った場所で、この王城の地下牢獄みたいな場所だったんですけど……」
「っ、あの場所に、隊長殿が?」
私がそう伝えると彼は驚いたように言葉を発した。彼が言葉を発したことに私も驚きつつ説明する。
「はい。私は目をつむっていたので詳しい行き方までは分からないんですけど……」
「……そうか。あそこは拙者もまだ探してはおらぬ。直ぐに参ろう」
「あっ、ちょっと!?」
彼はそういうと走り出した。私も置いて行かれないように急いでついていく。
王城の中の廊下を走る。右に、左に、また左に、そして右に。不思議なことに、途中誰にも会うことはなかった。お昼前の王城だから兵士はいると思ったのだが。そうこうしていくうちに彼が不意に止まった。
「えっと、ここ、ですか?」
そこは明らかに怪しい場所……ではなく、ただの廊下だった。強いて言えば風景画のような絵画が飾られていたが、似たような絵画はいくつも道中あった。もしかしたら、この絵画は何か特別なものなのだろうか? 私が絵画というものに疎いので分からないだけなのかもしれない。
その絵画に彼はおもむろに手を伸ばしその絵画の額縁を掴み、縦に捻った。キキッという聞き覚えのある鈍い金属音と共に、その壁に小さな隙間ができた。彼はその隙間に手を入れてこじ開けた。どうやら絵画の種類は関係なかったようだ。
彼はチラリとこっちに目配せをした後、無言で中に入っていった。私も恐る恐る彼の後に続く。
私たち二人が入ってすぐに、扉は元通りに閉まっていた。中は相変わらず薄暗く、地下へと続く階段になっていた。その階段を下っていくと見覚えのある空間に出た。
「ここだ、昨日私が連れてきてもらった場所」
王城の地下牢獄。フェリウスさんでも知らない場所。光の差し込まない部屋だった。
彼はこの薄暗い部屋の中を見渡していた。私にはよく見えないのだが、流石三番隊というだけあって暗いところには慣れているのだろうか。
「ッ! 隊長殿!」
すると突然彼が声を上げて走り出した。慌ててそれについて行く。その先には、牢獄に繋がれたディテイスさんの姿があった。
「! ディテイスさん!」
「くっ……アビルに、フラルもいるのか? よくここが分かったな」
彼は苦しそう話す。よく見るとその体はボロボロで、今にも死んでしまいそうなほどだった。
「隊長殿! 動いてはなりませぬ。ただちに手当を……」
「どうした、寡黙で冷淡なのが貴様の取り柄だろう。取り乱すな」
「! 拙者の未熟さをお許しを……」
「でもディテイスさん、その傷じゃあ本当に……」
「気にするな。俺の実力が足りなかった。なるべくしてなった結果だ。これはその報いだろう……くっ」
「そんなことを言ってる場合じゃないですよ! だって……」
「いや、ディテイスの言う通りだ。それはなるべくしてなった結果だ」
突然、後ろから声が聞こえた。そう。私たちは重大なミスを犯していた。
隠し扉を通るのであれば、誰かに見られてないかを気にするのは当然の事だった。しかし、焦る気持ちにそこまで頭が回っていなかった。そのせいで、私達の後から来ていた彼に全く気が付かなかったのだ。
「何奴ッ!」
私を連れてきてくれた黒色の兵士……アビルさんが咄嗟にその人物に向かって刀を抜き切りかかろうとした。しかし、その刀は届くことなく、あまりにあっけなく弾かれた。そのまま彼は吹っ飛ばされ、壁に頭をぶつけうずくまってしまった。
ドクン、ドクン。私の心臓が激しく鼓動する。
「グッ……」
「躾がなっていないな。流石野蛮な三番隊というわけか。しかし、それ以上にこの程度の実力だということの方が問題だろう」
(そんな……どうして?)
絶対にこんな場所に居るはずのない彼がどうしてここにいるのだと、そう考えることすらままならず、ただその場に括りつけられたかのように固まった。
「して、そこの少女よ。随分と嗅ぎまわってくれたようだな。ここにいるということは、それなりの覚悟をしておるのだろうな?」
「……あ、あなたは」
そう、そこに立っていた人物。それは。
「……申し訳ありません、我がアドルレイン王よ。これらは全て俺の責任です」
「ディテイス。貴様も相変わらず未熟なままだな」
エルファス=アドルレイン。この国の王様その人だった。
ドクン、ドクン、ドクン。私の心は苦しいほどに加速を続ける。
(く、苦しい。息が……)
私はその場にうずくまることもできずにその場でもがく。しかし、体が固まってしまったかのように動かない。あまりの苦しさに、だんだんと視界がかすんで見えなくなってくる。
「……ああ。解くのを忘れていたな」
アドルレイン王はそう言うと、握っていた拳をパッと話した。すると突然、今まで動かなかった体が急に動き出し、私はその場に倒れ込んだ。
「けほっ……どうして、国王様が、ここに」
「ここは王城だ。そこに余がいることのどこがおかしい。何やら騒がしいとやってみて来ただけのこと」
「王よ、彼女は……」
「なんだ、まだ無駄口を聞く程度の余力は残っているのか。ディテイス、最深部へ行くぞ」
そういうと、アドルレイン王はディテイスさんに手を向けて小さく何かを唱えた。すると、ディテイスさんに繋がれていた手錠がガシャリと音を立てて落ちた。
「ッ、何故今なのですか」
「忘れたとは言わせぬぞ。今日があの日だということをな。さぁ、あそこにうずくっている役立たずと子娘を連れてついてくるがよい」
「……承知、致しました」
ディテイスさんは倒れているアビルさんに肩を貸し、私の方に近寄ってくる。
「すまない……暫くは言う通りにしていてくれ」
「……分かりました」
私は反抗せず素直に従った。アドルレイン王のあの術がある以上逃げるのは不可能だと思ったからだ。それに、手負いのディテイスさんとアビルさんを置いていくことなんてできなかった。
アドルレイン王は床に小さく手をかざし、再び何か小さく唱えた。すると、重い音と共に床に穴がだんだんと開いていった。その穴は音が止むころには、人が通って抜けるくらいの大きさになった、
アドルレイン王はそこに何も言わずに入っていく。ディテイスさんとアビルさんがそれに続き、私が一番最後に入った。
中は再び階段になっており更に地下へと潜れるようだった。傷だかけの体で階段を下るディテイスさんと、未だに意識がもうろうとしているアビルさんが足を踏み外さないかとても不安だった。二人とも、今すぐにでも休むべきなのに。アドルレイン王が言っていた今日があの日だというのはどういうことだろう。
やがて、少し明るい開けた場所に出た。そこは半径五メートルくらいの円状の部屋で、真ん中には赤い光で描かれた魔法陣のようなものがあった。
(……なんだろう、ここ。なんだかとても嫌な空気だ)
入ってすぐにその部屋の薄気味悪さに気づいた。そして、この部屋にいてはいけないということも本能で理解していた。気持ちの悪い冷や汗が額から流れ落ちる。
「さぁ、始めるとするか」
「……いったい、何をですか」
「ふむ? そこまでは話していなかったのか。ディテイス、説明してやれ」
「……」
「ディテイスさん?」
ディテイスさんは下を向いて黙ったままだった。しかし、やがて顔を上げ私を真っすぐに見つめながら答えてくれた。
「ここは……悪魔に生贄を捧げる場所だ」
「……え?」
私はその言葉の意味を理解できなかった。いや、理解したくなかった。頭がそれを全力で拒んでいた。
「……まだ、話さずにいたことは謝る。だがどうか、分かってくれ」
それから私は、ディテイスさんから全てを聞かされた。
二年前、悪魔と呼ばれる存在が突然この国に現れたこと。パルシオンの彼女さんと一部の兵士がそれを目撃し、そして魂を奪われて殺されたこと。ディテイスさんが戦っても勝てなかったこと。悪魔はアドルレイン王の魂が目的なこと。パルシオンさんが王になるまでの間、悪魔に生贄を捧げ続けていること。
その話全てが作り話のようだった。でも、ディテイスさんの表情がそうではないことを残酷に告げていた。
「……じゃあ、その今日っていうのは」
「そう、悪魔に生贄を捧げる日だ」
ああ、そういうことだったのか。私は分かろうとしたつもりで、分かってきていたつもりで、でも一番重要なことは何一つ知らなかったんだ。
ディテイスさんが悪魔の事だけを私に話さなかったのは、私を守る為だったのだろう。だって、悪魔の存在を知ったものは全員生贄にされてしまうから。
それに、やっぱり今回の件は私が知ったところでどうしようもないことだった。やはり、知らないでおくべきだったのかもしれない。
だって、これから私は何もできずに生贄にされるのだろうから。
でも、考えてみればそれでいいのかもしれない。何もできない私だけど、命の重さは皆平等だ。私が生贄にされることで本来されるべきだった他の人が助かるかもしれないと思うと、少し気が楽になった。
「そろそろいいか、ディテイスよ。そこの子娘と役立たずも覚悟はいいか。もうすぐに……」
アドルレイン王がそう言いかけた時だった。突如、魔法陣の模様が円を描いたように動き始めた。身の毛がよだつような物凄い力の奔流を感じ思わず身をかがめる。
数秒後、ようやく収まった魔法陣の中央にソレは立っていた。不自然なほどに白い肌。真っ黒い髪の毛に、そして金色に光る瞳。姿形は人間と同じなのに、そこにいることに強烈な違和感を覚える存在感。間違いなく、ソレは悪魔だった。
悪魔はこちらを一瞥し、ニヤリとその口角を上げた。
「よう、愚か者ども。またお前らに会いに来てやったぜ?」




