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キャットファイトと不穏な影

 小煩い友人が花札に負けてアイスを買いに出掛けた今、部屋にいるのは俺と菫、それに小雪だけとなった。


「ねえねえお兄ちゃん、慶も居なくなったし思いっきり甘えても罰は当たらないよね……」


 耳元で猫なで声で囁くのは止めてくれないか。そう言いかけた瞬間、再び背中に覆い被さり、今度は体を大きく揺さぶり始める。


「あ〜お兄ちゃんの匂い……幸せ〜」

「おい、揺れるな! 暑いからひっつくな!」

「やだ〜、お兄ちゃん大好きなんだも〜ん」


 菫は確かに可愛い。多分この世で一番可愛い。だが菫も年頃の女性として見てやるべきなのだ。

 だからこそ、異常に甘えたがるこの性質は早急に止めさせなければならない。

 そんな俺の思惑に反して最近になってさらにエスカレートしているのだが。


「フンニャアアアッ!」

「ああもうっ! 近づかないでよ、しっし!」


 しかしこの部屋には小雪がいる。菫の奇行を止めるべく物凄い声と形相で襲いかかる。

 小雪は綺麗で可愛いらしい猫で、人目に触れさせたなら過半数の人間が触りたくなるような魅力があるが、神経質で嫉妬深く、一定の人にしか懐かない。

 例えば俺や爺ちゃんにはよく懐いており、特に俺にはこれでもかというほど甘える。だが、慶には無関心で、菫には強い敵意を剥き出しにするなど、個人差も激しい。

 そのため、菫と小雪は犬猿の仲というやつで、かなりの頻度で喧嘩をするが、菫の可愛さを鬱陶しさが超えた時には便利な用心棒になってくれる。


「お兄ちゃんも黙ってないで小雪を止めてよ!」

「お前が大人しく座っていれば小雪も手を出さないだろう、な?」


 小雪に語りかけるように声を掛けると、小雪は菫を襲う手を一旦止めて振り返り、ふにゃあんと可愛らしい声で鳴く。

 その間菫は俺と菫を交互に睨み、不機嫌そうに呻き声を漏らすが、そんな菫を窘めるように口を開く。


「お前と小雪じゃ俺の側にいる時間も違うだろ? それに小雪もいつまで生きてるか分からない、たまには争うのは止めて譲ってやってくれないか」


 まるで俺が愛されているのを前提の口ぶりに、自分で言ってて不快感を覚えるが、この場を収めるにはこの言葉が最適だろう。

 実際に効果は覿面で、渋々といった感じではあるが、菫は声を荒げるのを止め、大人しく俺から少しの距離をとった。


「むぅ……分かった。でもその分、後で構ってよね」

「気が向いたらな」

「それじゃ、いつ構ってくれるか分かんない。……帰ったらお兄ちゃんの部屋で抱きついてやるんだから」


 小声で吐き捨てるように菫は言うが、それが簡単に実現できてしまうから怖い。

 俺の家と菫の家は隣同士で、もっと言えば、俺の部屋のベランダと菫の部屋のベランダも隣合っており、少し勢いを付けて跳べば届く距離にあるのだ。


 なぜそのような立地に家を構えているのかというと、俺の母さんが菫の父さん……俺からすると叔父さんと姉弟で、海外で仕事をしている母さんが、小さい時の俺のお守りを叔父さんの家に押し付けれるようにする為だったらしい。

 その影響で後から生まれた菫の兄として振舞っているうちに今のように慕われるようになったというわけだ。


 それはともかく、そのせいで度々ベランダ越しに飛び移り、閉じた窓も何故か解錠されて寝ている時に侵入され、抱き枕にされることが幾度となくあったため、寝ている時でも気配を感じると飛び起きる体になってしまっている。


「頼むから夜中は止めてくれよ、やるならせめて昼間にしてくれ」

「えー」

「えー、じゃない。お前のせいで寝不足になるのは御免だ」


 反省する気のない菫を見て、思わずため息が出る。

 これは多分言っても聞かないだろうな、今晩は厳重に鍵を掛けておこう。それでも何故か破られるのだが。

 そんなやりとりを交わしている間に、小雪が俺の組んだ脚の間に潜り込み、大きな欠伸をした後に丸くなる。

 幸せそうに目を閉じている小雪をそっと撫でようとすると、刹那、縁側の方から激しい突風が吹き荒れる。


 その風は障子をガタガタと震わせ、閉じていた課題と座布団に放置していた花札を壁に向かって吹き飛ばした。

 おまけにそれは夏場に吹くものとは思えないほどに冷たく、凍えるような寒さが肌を刺激する。

 それはまるで魂を震わせるような一種の恐怖さえも感じさせるようで、吹き終わる頃には半袖のシャツからはみ出た肌に鳥肌が立っていた。


「え、なになに? さ、寒い……」

「一気に真冬の気温になったみたいだな……風邪でもひきそうだ」


 突風によって部屋は荒れ、軽い紙やらは襖に叩きつけられ、床に散乱している。

 菫の方を見ると、突然の出来事に困惑しながらも、胸の前に腕を交差させて身を震わせており、俺も急激な気温差に肩が震えていた。

 その時、ふと組んだ脚の間の温もりが消えている事に気がつく。


「小雪?」


 周りを見渡すと、小雪は縁側とは逆方向に向かって毛を逆立たせ、恐怖と警戒が混じったような形相で威嚇するようにシャーッと鳴いていた。

 

「どうしたんだろう、なんで外じゃなくて家の中に威嚇してるの?」

「分からない、もしかしたら家の中に何か居たりしてな」

「ちょっとお兄ちゃん止めてよ、私幽霊とかそういうの嫌いなの知ってるでしょ?」


 半分冗談で何気無くそれらしい事を言うと、菫は本当に怖がっているようで、泣きそうな顔でいつのまにか俺の手を握っていた。

 何処とも分からない場所に威嚇し続けていた小雪はしばらくすると落ち着きを取り戻し、俺に近づくと、二本足で立って俺の脚に手を伸ばす。

 どうもそれは甘えるのではなく、何かを伝えようとしているようで、今度は縁側の方まで歩き、俺たちの方をじっと見つめる。


「付いて来いって事か?」

「動物的直感っていうやつなのかなぁ。お兄ちゃん、どうするの」


 不安そうに俺の目を見つめる菫を横に、俺は付いていくべきだと直感が告げていた。

 もし何も無ければ杞憂に終わり、無駄な労力を費やすだけになるだろう。しかし『何か』があった場合、危険をみすみす見逃す事になるかもしれない。

 

「行こう。何も無ければそれに越した事は無いが、何かを見逃す事が一番怖い」

「お兄ちゃんがそう言うなら、分かった。じゃあ慶に書き置きを残しておくね」


 散らかった紙の中からメモ代わりの紙を探した菫は簡易的な書き置きを重しを乗せて机に置き、それを見届けると、俺たち二人は小雪の歩く先へと付いて行った。




 縁側から出て家の外をしばらく歩くと、裏山の山道の入り口に辿り着いた。

 なるほど、小雪が威嚇していたのは家の中ではなく、その先の方角にあるこの山らしい。

 

「裏山かぁ、頂上まで登るなら少し時間がかかるよね」

「往復で1時間というところだな、一度戻って書き置きを書き直した方が良さそうだな」


 幸いにも今は焦るような時では無いため、家の方へ戻る時間はある。

 ひとまず小雪と菫を置いて、書き置きに裏山へ行くと書き記しに戻った。

 慶はまだ帰っていないようだが、帰ってきたらこれを見て追ってくれるだろう。

 

 そうして改めて山道の入り口に立ち、小雪の後へと付いて行く。

 この裏山は俺たちの修行にもよく使われていて、一部の場所には落とし穴や網、ワイヤートラップ、危険なものでは丸太などの罠が仕掛けられていて、何も知らない人間が入ると大怪我をする可能性もある。

 俺たちは罠のある地帯も避けて通る道のりも知っているため、引っかかる心配は殆ど無いが。


 それほどまでに見知った山ではあるが、心なしか空気が重く、不穏な風が吹いているような気がしてならない。

 

「お兄ちゃん、やっぱり今日は変だよ、もう帰ろうよぉ」

「何か異変があれば確認しない方が拙いだろ、それにもし危険な何かがあれば逃げればいい」

「逃げるようなものがあるの!? うぅ、嫌だなぁ」


 それほどまでに危険なものがある確証は無いが、無い確証も無いため、嫌がる菫に対してそれ以上何も言うことはなかった。


 やがて小雪は山道を逸れて獣道に進んでいく。

 そのような場所でもある程度は場所の目星がつくが、完全に安全な道筋を避けた場所に進むというのは勇気が要る。

 

 さらに奥へと進んでいくと、先程から感じていた違和感がより顕著に現れているようで、明らかに異質な空気が漂っているように思える。

 ふと後ろを振り返ると、そこに見知った風景は無いに等しく、歩いた距離と道筋を忘れたならば、遭難の可能性もあり得る気がしてきた。


「いよいよ引き返した方がいい気がしてきたぞ……小雪、まだ進むのか?」


 小雪に語りかけると、立ち止まって振り返るが、一鳴きすると、再び進み始める。

 辛うじて方角だけは見失っていないため、いざという時には帰れるだろうが、見知らぬ獣道を歩き続けるのにも限界がある。


「菫、帰りたければ帰っていいぞ、これ以上進むと道も見失う。今ならお前一人でも引き返せるはずだ」

「……お兄ちゃんが行くなら私も付いていくよ。お兄ちゃん一人を置いていけないもん」


 俺の問いかけに菫は少しの間声が出なかったようだが、恐怖を噛み殺すかのように決意を表明した。


「分かった。小雪、連れて行ってくれ」


 俺と菫が問答をしている間、立ち止まってくれていた小雪は、しばらく俺の目をじっと見つめたあと、ゆっくりと歩きだした。


 道無き道を歩き続けて二十分ほど経っただろうか、その辺りからは重い空気に加えて寒気を感じるようになった。

 しかし、本能が警鐘を鳴らすような直感は訪れない為、見た目はただの山だが、明らかに異質な空間を歩く。


 そして、ついに小雪が立ち止まった。そこはもはや初めて訪れた場所であり、見知った風景とは程遠い。

 小雪の先の木々を観察すると、紙……いや、神社で使われるような神札がいくつも貼られており、まるでこれ以上進むなという警戒標識のように思えた。


「何、ここ……私こんなところ知らない……」

「俺もだ、俺たちの知らない場所で一体何が隠されてたっていうんだ……」


 もしかすると俺たちは知ってはならないモノを知ってしまったのではないか? 

 札の貼られた木々を眺めているとその考えだけが脳裏を支配する。

 おまけに小雪の先の道……いや領域に踏み入れるな、と本能の警鐘が五月蝿いぐらいに鳴っている。


 さらに木々の先の遠くを覗くと、地面には石畳が見え、昼のはずだが、深い闇の広がる先に石の登り階段が見えた。

 こんな山奥にあるはずの無い人工物、無意識に避けていた領域……これは早々に退散したほうが良さそうだ。


 そう判断してから小雪に語りかけようとすると、小雪は震えていた。

 威嚇する余裕も無いようで、尻尾を脚の間に挟み小さくなっている。

 これは拙い、どうやら小雪は無理をしてまでここに案内していたようだ。

 

「菫、急いで帰るぞ。付いて来い」

「う、うん!」


 小雪を優しく抱き抱えると、そのまま異常な領域に背を向けて一目散に走り始める。

 正確な道を辿っている自身は無かったが、直感のみで突き進み、違和感が消える場所まで山を駆けた。

 やがて運良く見知った道へと戻って来たようで、そこからは背後に警戒をしながら歩いて下山する。


 走るのを止め、歩き始めてしばらくすると、前方から足音が聞こえた。

 先程の体験をしてきた俺たちは最大限の警戒をしながらそれが何かを確認すると、見知った顔の者が歩いている姿だった。


「慶か、良かった……」

「茜! お前ら俺をパシらせといて勝手に裏山に行くとかありえねぇだろ……ってなんで小雪抱き抱えてんの?」


 胸を撫で下ろして話しかけると、慶は苛立った様子で俺に悪態を吐こうとするが、俺たちを改めて見て何かを察したのか、冷静になる。


「えっとね、慶がアイス買いに行ったあと、冷たくて凄い風が吹いてね、そしたら小雪が裏山に向かってフーッてしてね、今度は裏山について来いって感じだったから、それでね、えっと、えっと……」

「落ち着け、事情は帰ってから聞くから。それに、菫はともかく茜も顔が青いってことはそれほどヤバイ何かを見たんだろ?」


 菫が興奮した様子でこれまでの経緯を話そうとするが、慶は途中でそれを遮り、俺に問いかける。

 しかし、俺でさえ一目で見てわかるほどに青ざめていたのか。俺も落ち着きを取り戻すまでは余計に話さない方が良いだろう。


「ああ……詳細は帰ってから話す。爺ちゃんが戻ってきたら伝えないと……」

「爺さんに頼るレベルかよ。まあいい、帰るぞ」


 それからは慶の先導の元に下山し、無事何事もなく帰る事ができた。

 再び縁側から靴を脱いで部屋に入ると、菫は畳に力なく座り込み、俺は震える小雪をそっと畳の上に置いて胡座をかく。

 すると畳の上は嫌だったのか、小雪は俺の脚の上に乗って丸くなった。


「さてと、まずは緊張をほぐしがてらアイスでも食うか?」


 慶が買ってきたアイスを食べるように勧めるが、さっきから夏の気温の中に居るはずなのに寒気が収まらず、冷たいものを口にするのは躊躇ってしまう。


「ごめん、今寒気がしてて冷たい物食べる気分じゃ無い」

「悪い、俺もだ。今は少し休みたい」

「ひでぇ奴らだなぁ、俺が汗水垂らして買いに行ったってのに口を揃えて要らないとか、俺の努力は何だっての、俺は食うけどな!」


 そんな俺と菫を余所に慶は台所へ向かい、冷凍庫にしまったであろう自分のアイスを取りに行った。

 ちなみに戻ってきた慶の手にあったのは氷雪だいふく(チョコレート味)だった。


「あ、それだったら今の状態でも食べれるかも」

「馬鹿を言うなよ、俺のだからな」


 物欲しそうな表情でだいふくを見ていた菫だったが、目の前で慶の口にそれが放り込まれるのを見て、落胆したようだった。


「さて、本題だ。お前ら俺が居ない間に何を見た?」

「そうだな……まず、慶がアイスを買いに行き――」


 会話の詳細は省くが、それから慶に起こった事をそのまま話した。

 慶は俺と菫が交互に話すのを質問交えて整理しながら、冷静に聞いていた。

 また、一つだけ判明した事があり、事の始まりの突風は街全体の規模で吹いたものらしく、慶もその風に煽られたようだった。


「――俺たちが見たものは以上だ」

「へぇ、つまりそんなオカルト染みていて、かつ茜がヤバイと感じるレベルの領域ってヤツがこの裏山の何処かに隠されていたって事だな。そりゃ緊急案件だわ」


 慶と危機に関する話をする時には、オカルトだろうが何だろうが、『危機を感じた』という事実さえあれば、非現実的な話でも即座に受け入れる。

 危機を否定することはその後の行動に多大な悪影響をもたらすことは俺たちの経験則であるからだ。

 話を粗方終えたところで、菫が不安そうに声を掛けてくる。


「それで、どうするの? 早くお爺ちゃんに知らせないと」

「だよな、ところで爺さんが何処に行ってるのか知らないのか」

「聞かされてない。それに爺ちゃんは電話を持ち歩かない人だから簡単には連絡がつかない」


 爺ちゃんはいわゆる機械オンチというやつで、精密機器を使う事に慣れていない。

 そのため、この屋敷にある電化製品はほとんどが旧式で、廊下にある電話は黒電話。

 そんな爺ちゃんが今時の携帯電話を使いこなすのは非常に困難な話だ。

 きっと俺が旧式の携帯電話すら苦戦したのも爺ちゃんの遺伝だろう。


「マジか。まぁそれは後にして、しばらく休んどけよ」


 特に何事もなく、ただ疲れているだけであれば課題をやれだのと揶揄うのだろうが、今の状況では流石の慶も空気を読んだらしい。

 平凡な夏が始まったと思った矢先に、知らぬ間に身近な場所に脅威が隠されていたと知り、正気を保つので精一杯の今は慶の対応はありがたかった。


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