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夏の風物詩

 縁側の方から吹く冷たいそよ風に風鈴の音が響く。

 ここは爺ちゃん家のある一室。俺のすぐ横には畳の上で寝そべる慶が居て、背中には菫が覆い被さり、完全に弛緩した状態にあった。


「あー……やっぱここ最高だわ、すげぇ落ち着く」

「……なぁ、そろそろ離れてくれないか? 無駄に暑いんだが」

「えーやだー、ここが一番落ち着くのー」


 そして俺の目の前の机には元来視界に入れるのも苦痛である課題、所謂『夏休みの宿題』がある。

 夏の終わりまでこれを残すと面倒な事になるうえ、七月中に終わらせなければ毎年計画している菫の家族や爺ちゃんとの旅行に参加出来なくなり、一人留守番というある意味絶望を味わされる。

さらに、出来る宿題は全て終わらせなければ道場にも工房にも入る事を許されないという鬼畜極まりない約束を爺ちゃんとしているので、今日は三人で集まって勉強会をするつもりだっただが……この有様だ。


「慶もそろそろ始めろ、小一時間はその状態だぞ」

「えーめんどい、つーか出来なくて困るのは茜だろ? 俺はお前らが旅行行ってる間、暇なんだよ」

「かと言ってお前もこうして課題する時間を作らないと夏休みが終わる一週間前までやらないだろ」

「あーはいはい、わかりましたよ。んじゃ、始めっかねぇ」


 僅かな口論を交わした後、気怠げに伸びをしつつ、慶もようやく机の前に座る。

 他人の家でよくそこまで寛げると思うかもしれないが、こいつは既に五年はここに入り浸っているなら当然と言えば当然であるが。

 また俺の背中は依然蒸し暑く、ナマケモノが張り付いたままだ。


「お前もだ、早く離れろ」

「あと三十分……」


 子泣き爺の如く張り付いた重しはどうやら何を言っても動く気配はないようだ。

 やろうと思えばこの座った姿勢から後ろに押し潰したり叩きつけたりする事も可能だが、流石にそれは行動に移し難い。

 今しばらくはこの蒸し暑さと課題に挟まれる苦痛の時間を過ごすしかないのだろうか。


「なぁ、俺が動いてお前が動かないってのは不公平じゃねぇのか? 離してやれっていうか、お前も宿題始めろや」

「私はね、甘えられる時に好きなだけ、目一杯甘えておきたいの。もしお兄ちゃんに何かあって甘えられなくなった時、後悔したくないから」


 慶もこの状況を見兼ねたのか、呆れた声で菫に注意を促す。どうやら思わぬ助け舟が横から飛んできたようだ。

 それに対して菫は急に意味深長な面構えで理由になっていない暴論を吐き出す。

 俺が何か遭った時……菫の言いたい事は何と無く想像がつくが、今それは関係ない。


「言い訳してないで早く離れろ、遊びの時間は終わりだ」

「むぅ、お兄ちゃんのケチ、慶のアホ」

「お前の従妹の口の悪いのはどうにか矯正できないのか?」


 菫はやや機嫌を悪くした様子で悪態を吐きながら俺に抱きつくのを止め、背中にようやく涼しさが舞い戻ってくる。クーラーも扇風機も無いが、季節外れの湯たんぽが無い限り、夏場のこの部屋は快適に過ごせる。

 また、慶の問いに対しては否と答えざるを得ない。良く言えば天真爛漫、悪くいえば自由奔放な今の菫を無理に大人しくさせるというのは却って悪影響を招きかねないからだ。

 ……昔は大人しくて気の弱い子だったのにな、こうなったのはいつ頃からだっただろうか。


 その後、また二人が口喧嘩を始めたもののすぐに収まり、まともに課題に取り組むことができた。

 ただ苦手な科目が多いうえに、勉強に関しては頭の回転が遅い俺は二人より先に始めたにも関わらず遅れを取ってばかりで度々教えて貰う体となっていたのだが。

 特に数学と英語。英語は国語と違って全く頭に入ってこないし、数学に至ってはアレを覚えて何になるんだ? 連立不等式とか何に使うんだ。


「茜さぁ、お前苦手教科と得意教科の差が激し過ぎ。国語はいつも九十点代なのに何で他がほぼ全滅状態なんだよ、教えるのも一苦労だな」

「勉強が苦手な事は認めるが、全滅は言い過ぎだろ。社会科はそれ程酷くない」

「そうは言っても七十点代だろ。全教科合計で底辺争いしてるなら、そう変わりはしないと思うけどな」


 不意にシャーペンを持つ手を止め、頬杖を立てながら慶が皮肉を口にする。それに食いつき反論するが、返された言葉をさらに拒絶する気にはなれなかった。

 三人が課題に取り掛かってから二時間程度の時間が過ぎた。そろそろ集中力も限界というところか。


「あー、もう休憩しよう。疲れた」

「そうだな、お茶淹れてくるから少し待ってろ」

「あ、私も一緒に行く!」


 どうやら慶も同じ事を思っていたようで、大の字になって後ろへ倒れる。

 また時刻は正午をやや過ぎ、外は炎天下となっており、そのせいか風が少々生ぬるい。

 喉が渇いていることは見るまでも無かったので席を外し、台所に向かう。菫もついて来ようとしたが、一人で問題無いとそれを断った。


 一応ここは爺ちゃんの家なのだが、台所は自由に使えるようになっている。ちなみに今爺ちゃんは外出中だ。

 やや大きめの急須に緑茶の茶葉と冷蔵庫から取り出した氷を入れ、水を注いで抽出する。

 抽出が終わるまでの間、少し待っていると、にゃあん。と足元から声がする。そこには真っ白な毛並みで金色の目をした、一匹の猫が脚に擦り寄っていた。


「おお、起きていたのか」


 こいつは爺ちゃんの家で飼っている猫で、名前を小雪という、十六歳のお婆ちゃん猫だ。

 俺と菫が産まれて少し後から飼い始めていて、もうかなり長く生きているが昔から甘えん坊で、その身体に見合わず仔猫のように振舞っている。

 その歳に関わらず未だ体力は衰えておらず、よく寝るしよく遊ぶ。小雪はこの家に来た時の癒しの一つである。


 その場に屈み、そっと頭を撫でると心地良さように目を閉じて喉を鳴らす。

 しばらく撫で続けていると、もっと撫でてと言わんばかりに腹を見せながら床に寝転がる。それを強く押さえないように、それでいて感触が残るようにわしゃわしゃしていると、体をくねらせながら先ほどよりやや大きめの音で喉を鳴らし始めた。

 その様子を眺めて癒されていたが、まだ水出しの最中であったことを思い出す。

 撫でる手を止め、手際よく硝子製の湯のみに注いだら盆に乗せ、やや急ぎ足で二人の待つ部屋に向かう。

 すると小雪も足元をうろちょろしながなら後ろを付いてくるのが何とも微笑ましい。


 部屋に戻ると壁際に置かれた小さな箪笥たんすを慶がごそごそと漁っていた。慶の探っているその棚にあるのは昔遊びの道具やカードゲームがあるだけだ。


「また勝手に人様の家を漁って……手癖の悪い」

「悪い悪い、暇だったからな。それはそうとトランプと花札、どっちがいい?」

「慶、あんたってホント遊びに走るのが早いよね」


 その行動を咎めるも、悪びれる様子もなく遊ぶに誘うことは止めない。

 菫も半目になって軽く睨むが、おそらく二人とも同じ部屋にいたのだろうから、これに否定的では無いようだ。

 多少の休憩にするつもりだったが……少々の遊びを入れても構わないだろう。


「はぁ、それなら花札で」

「分かった、花札な」

「お兄ちゃん珍しくノリがいいね。じゃあ私も」


 十二月で一回通りのみ行うことを決めると座布団を用意し、その周りを囲むように対面して座る。


「お兄ちゃんの隣〜えへへ〜」

「……早く離れろ」


 しかし菫との距離が近い。近いというか密着している。これでは始めるどころか札を配ることすら出来ない。

 それを鬱陶しいと感じていたところ、先程までじっとこちらを見ていた小雪が菫に襲いかかる。


「フシャアアアッ!」

「ちょっと、待ちなさい! こら引っ掻くな!」

「ハハッ、小雪って茜にはデレデレなのに菫には全然懐かないよな」

「何よ!? 邪魔しないでって痛い痛い! もう分かったから!」


 その様子を見て慶はケタケタと笑いながら小馬鹿にし、菫は怒りながら小雪を引き剥がそうと必死になっている。無論、俺は何もせず傍観に留める。

 これ以上引っ掻かれ続けることは流石に応えたのか、非常に嫌そうな顔をしながら距離を離した。

 仕事を終えた小雪は俺のかいた胡座の中へ収まり、喉を鳴らし始める。

 それを菫は嫉妬の混じった視線で強く睨み付けたことは言うまでも無い。


「よしよし、よくやったな」

「お兄ちゃん酷い、そんなに私の事が嫌いなの?」

「嫌いじゃ無いが、もう少し節制の取れた行動を取ってほしいものだな」


 小雪を撫でつつ、菫は適当にあしらいながら座布団に札を裏にして三枚並べる。親決めの為だ。

 そうして札を選ぼうとしたその時、慶が不意に口を開く。


「そうだ、せっかくだから何か賭けようぜ。例えば最下位はコンビニにアイス買いに行ってくるとか」

「あのなぁ、往復で三十分は掛かるんだぞ。そんなの――」

「よし決まり! 早速初めていこうか」


 勝手に賭け事を決め、慶が真っ先に札をめくる。しかし描かれた絵柄は桐。子から始まるのは確定である。


「あ、ちょっと今の無し」

「私は良いと思うよ? 負けても恨みっこ無しってことで」

「そうだな、少しの緊張感があった方が面白そうだ」

「えぇ……まぁいいさ、勝てばいいんだからな!」


 劣勢を悟ったのか訂正を切り出すが、そうはさせない。たまには痛い目に合って懲りて貰わないとな。

 菫はともかく俺が賛同すると思っていなかったのか困惑を露わにするが、ポジティヴに立ち直った。


 ルールはこいこいで、菫が親から始めて睦月、慶がカスで四文取って如月、菫が三光とたねで六文取って弥生、卯月は引き分け、皐月で俺が四光と鉄砲で十三文と続いていく。

 それ以降の月は割愛するが、師走になる頃には俺が三十六文、菫が三十文、慶は六文。俺も菫は拮抗しているが、慶に関しては負けが確定しているようなものだった。


「青短、花見、猪鹿蝶、雨四光。勝負」

「嘘だろ……五十文差もつけられるとかあり得ねぇ」


 慶は頰を引攣らせながら文数を計算した紙を眺める。これが何も賭けないただの遊びであれば、このような顔になる必要も無かっただろうに


「約束だったよね? いってらっしゃい」

「さて、遊びはこのぐらいにして、宿題始めるか!」

「誤魔化すなよ、言い出しっぺはお前だろ」


 折角勝ったのだから慶に少しは働いてもらわないとな、常日頃からの嫌がらせの仕返しだ。


「はぁ、分かったよ。何をご所望ですかぁ?」

「私抹茶のウルトラカップね」

「じゃあ、俺はあずきボー」

「オーケイ、ミントチョコのウルトラカップとゴリゴリ君レバニラ味……待って待ってごめん冗談だからそれの先端を向けるのを止めてくれ」


 無意識の内に部屋の隅にあった火鉢から取り出した火箸を手に取っていた。

 本来炭火を扱うための金属製のそれは、人一人を悶絶させるには十分な鈍器になり得る。

 

「なんだ、冗談か」

「やだなぁ、流石にそれを実際にしたら半殺しにされるのは目に見えてるって……怒りの沸点低い奴は怒らせると何をするか分からないから、怖い怖い」

「何か言ったか?」

「いってきまーす!」


 冗談を誤魔化したいのか、怒りのツボを押したいのか、お前はどっちがやりたいんだ。

 内心そう思いつつ、駆け足で家を出る慶を見送った。

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