第6話 イタダキマス
梶尾の同点ホームランで試合が再び動いたものの、動き続けることにはならなかった。4回の裏、秋田フェザンツの攻撃は、5番・ケルビンがフォアボールで出塁も、6番の北見がセカンドフライ。続く東海林が5―4―3の併殺に倒れ3人で攻撃終了。
追撃をかけたい神奈川ナイトスターズ、5回の表の攻撃は、6番・バラートが空振り三振、7番・金田がライトフライ、8番・白羽が見逃しの三振。
さらに5回の裏のフェザンツ。8番・寺西がピッチャーゴロに倒れる。9番の大馬は打者としては戦力外で空振り三振。1番の吉崎はセンター前で出塁も、2番・手嶋の打席中に盗塁を失敗しスリーアウト。
実質的に3人で終わる攻撃が3回も続き、結果として試合がこう着し始める。その現状を打破しようと、先手を打ったのは神奈川ナイトスターズ。非常にリスクの大きい作戦ではあるが、これを生かせば勝利への大きな一歩となるのは間違いなく作戦だ。
『6回の表、神奈川ナイトスターズ、選手の交代です。9番、古浦に代わりまして……中原。背番号99』
「エースをここで降ろすか? まだ5回しか投げてないぞ?」
マウンドに上がった大馬はまさかと言った表情。
本来ならこうした投手戦であればあるほど投手は代えられないもの。しかし、神奈川ナイトスターズ・畑監督は大勝負。ここでメジャー在籍経験もあるスラッガー・中原を代打に送ってきたのである。
『(フェザンツは大馬だけのチーム。投手力では負けているが、他の要素では十分に勝てる。ならとにかく、今は大馬を打ち崩すことに専念するべきだ)』
投手戦の展開を読み、早い段階で大馬を打ち崩す策に出る。一度こちらがリードしてしまえば、フェザンツは大馬の打順で代打を出さざるを得なくなる。だからこそここでのリードは、今後の得点を考える上でも大きい。そうなるとエースを5イニングで降ろすことにはなるが、フェザンツの弱小打線ならエースである必要はないという算段だ。
そうした神奈川サイドの作戦はともかく、1点もやることはできない。そんなエースの意地を持った大馬は寺西の判断を仰ぐ。
『(どうしますか? タイプからして引っ張られないように外攻めが安全でしょうけど)』
『(ホームから離れてはいるし、アウトコースで問題はないだろう。ただ、初球は変化球でストライクをもらおう)』
あの梶尾の同点弾以降、基本的にフォークは封印。ここでの指示はアウトローへと沈むスライダー。異論もなく放った初球は、アウトコースへのスライダーを見送られてワンストライクと、楽に一つ目を奪いストライク先行。
次のサインはと、寺西を覗き込むと、
『(マジですか?)』
『(ずっと外だといずれ打たれる。内もあるぞ、と警戒させる意味では早い方がいい。別に入れる必要はない。当たらない程度に外しても構わない)』
ストレートのサイン。寺西の構えはインコースいっぱい。
『(やるだけ、やってみますよ)』
ワインドアップモーションへ。
相手が6回にしてエースを降ろして出した代打。この回を無失点に抑えれば、試合はフェザンツにとっていい意味で崩壊する。
そう確信して放った2球目。
インコースややボールのストレート。相手に内を警戒させるには丁度いいコースだったが、それを中原はあろうことかフルスイング。打球はレフトポール際を襲う大きなフライとなり、ついでに中原の放り投げたバットも放物線を描く。
「「嘘だろっ」」
あわてて打球を見る大馬・寺西バッテリー。
レフト・ケルビンは完全に追いかけるのをやめて見送るが、審判の判定は、
「ファール、ファール」
スタンドに飛び込んだ打球は、レフトポールのやや左。わずかにファールで勝ち越し弾にはなりえない。
『(っぶねぇ。中原さんは野球ファンとしては結構好きな選手だけど、ピッチャーとしてはあまり好きじゃないんだよなぁ。あのバット投げ、入ったかと思ってすげぇ心臓に悪い)』
バット投げをやられると、フライであれば外野定位置のフライでもホームラン確定のように感じてしまうのだ。もっとも、外野定位置のフライでバットを投げることはないが、それだけピッチャーにしては心臓に悪いという意味だ。
『(もう、やられないようにしないと。あれ、1回やられると寿命が縮みます)』
先輩を頼りにおそるおそるサインを覗き込む大馬。一方でこちらも寿命の縮んだ寺西は、少し俯き考えながらサインを出す。
『(次は外のカーブで三振取るか?)』
『(3球勝負、好きですねぇ。1球外しましょうや)』
3球勝負主張の寺西に首を振る大馬。すると続いて出たサインは?
『(フォーク落とす気か? またやられるぞ?)』
『(外しましょう)』
また首を振る。漫画のような以心伝心があれば楽なのだが、そうもいかないわけで。大馬としてはボール球を挟みましょうと首を振るのだが、寺西は球種の違いかと思って別のサインを出していく。
『(分かった。これか?)』
『(それです)』
その後もサインを出し続け、なんだかんだで4回目のサイン。ようやく意見が一致。大馬が投球モーションに入り足を上げたところで、寺西は中腰に。放ったボールは中原の顔の高さほどのボール球。一瞬、つり球にバットが出そうになるが、ここは堪えてなんとか止める。
「ボール」
カウント1―2。まだまだストライクカウントには余裕がある。寺西のストライク先行のリードと、テンポのいいリードの好きな大馬。2人の考えの一致が、打席後半のここぞと言う場面で選択肢を広げる。
『(もう1球、ボール球に外してみるか? 次は低めに落ちる変化球で)』
『(足元に沈むスクリュー。了解です)』
狙うは空振り三振。これまでキレの悪いフォークを封印し、代わりにキレのいいスクリューで勝負。寺西は大馬のワインドアップと同時にインコースへ寄り、中原のひざ下までミットを下ろして構える。
『(際どい所を突く必要も、ストライクゾーンに入れる必要もない。ワンバンでいい。寺西さんの構えている所めがけて)』
手首を内側にひねりながら、指の隙間からボールを抜く。絶妙な回転のボールがインコース低めへ。少し高めに入ったようにも見えるが、今日の彼のスクリューのキレを考えると、むしろそのくらいの浮き方の方がワイルドピッチにならなくていいようにも思える1球。
中原はせめてカットしようとヒッティングにでるが、そこから沈んでくるスクリューに完全にバランスを崩され、ほぼ片手一本での無理やりなスイングに。すくい上げた打球はレフトへと舞い上がる大きなフライ。
ショート・新谷、レフト・チャリスの双方が追いかける。
野球の守備において内野手と外野手、どちらが捕るべきか際どい時は、基本的に前を向いたまま捕球できる外野手に任せる。後方の打球になる内野手よりも、前方の打球になる外野手の方が捕球しやすいからだ。
その常識にのっとり、残り10メートル程度まで2人が近づいたところで、新谷がチャリスを指さしてその場から大きく外れる。そして指さしされたチャリスは手を上げ落下地点へ。危なげなく捕球し、近くに来ている内野の新谷へとグラブトス。それを明後日の方向を向いたまま捕球した新谷は、ショートのポジションに戻りながら、マウンドへめがけて山なり送球。
「ナイスレフト~」
そこにいた大馬。左腕を大きく内から外に払うようにし、かっこつけて捕球。妙に盛り上がるフェザンツファンに対し、ナイトスターズファンからは「なめるな」と批判の声も。それも大馬は自分への声援は聞き入れ、批判は聞き流す、非常に都合のいい耳を駆使して上機嫌。
「さぁて、先頭は抑えた。試合は動いたぜっ」
6回の表の守備は、1アウトから石田に粘られフォアボール。山下送りバントで、2アウト2塁。そのチャンスで、1打席目は粘りながらも惜しくもライトフライ、2打席目は同点アーチと絶好調の梶尾を迎えた。しかし、やられ続けるのは面白くない大馬。梶尾を空振りの三振と力でねじ伏せ、なんとか無失点に切り抜ける。
『6回の裏、神奈川ナイトスターズ、選手の交代です』
「あ、そうか。古浦さんに代打が出たんだっけ」
喧騒の中聞こえるウグイス嬢によるコールに耳を傾ける大馬。
『ピッチャー、古浦に代わりまして……須々田。背番号20』
2番から3人続く右打者陣に対し、右の須々田を投入。
平均140前後のストレートを軸に変化球を駆使する投手だ。
『6回の裏、秋田フェザンツの攻撃は、2番、ライト、手嶋』
投手の代わりっぱなを叩きたいフェザンツ。先頭の手嶋は軽く素振りしながら打席へと向かう。こちらの投手はエースの大馬が続投中。一方で向こうはエースを降ろして勝負を賭けてきた。しかしその魂胆はねじ伏せた。ならば、返す刃で点を奪うのが今できること。
「プレイ」
手嶋が右バッターボックスに入るなりプレイ再開。
須々田はサインをかわしたのち、左足を後ろに一歩引いてモーション始動。そこからその足を上げるノーワインドアップモーション。
『(代わったばかりのピッチャーを捉えるコツ)』
手嶋も須々田に合わせて足を引き、前へと強く踏み込んだ。
『(様子見の意志が強い先頭バッターへの初球を狙う事っ)』
アウトコース高めへのストレート。逃すまいとしっかりタイミングを計ってスイング。真芯で捉えた打球は右中間へ高々と舞い上がる。
「よし、抜けたっ」
手嶋は長打コースを確信。バットを放り投げ、2塁を狙うつもり膨らんだ走路を取りつつ1塁へ。ところがそんな舞い上がりすぎた打球にライトの梶尾が反応。
「嘘、嘘、嘘、嘘だよね」
走りながらも打球を注視する手嶋。普通であれば抜ける打球は、無理せず回り込んで捕球するのが常套。外野が後ろにいる内野ならともかく、後ろに誰も守っていない外野ならなおさらだ。しかし梶尾はそんな事などお構いなしに打球へと突っ切る。
『(ぬ、抜けろぉぉぉぉぉ)』
心の中で絶叫の手嶋。梶尾は目を切っていた状態から打球を確認。そこからはずっと打球を見たままで、落下地点へと滑り込んだ。
「うっそ、捕られたぁぁぁ」
まさかのスライディングキャッチで、長打性がライトフライへと変わった。
「出塁できないか。新谷、打てよっ」
「任せてくださいよ。たしかに須々田さんはいいピッチャーですけど、少なくとも俺、大馬浩介って言う化け物以上にいいピッチャーに出会ったことないんで」
「だったら大丈夫だ。お前は大学時代の俺からホームラン打ってんだ」
「そいじゃ、1点、取ってきますよ。先輩」
1アウトながら打順は3、4、5番のフェザンツクリーンアップ。
その主軸、切り込み隊長の新谷が左バッターボックスへ。第1打席目はツーベース、2打席目は見逃しの三振。ここまで2打数1安打と、上々の成績を見せている。
「ボール」
初球、アウトコースへと外れる変化球を見逃しワンボール。先ほどの手嶋が、登板直後の甘い球を狙い打ちしたゆえに、少し慎重になっているように見える。たしかに慎重になるのは必要な事だが、慎重になりすぎても少々問題だ。ボールカウントが増えることは、相手に的を絞らせることにもなるのだ。
「ボール、ツー」
際どいところを狙ったインコース低めストレート。これはイン側に外れて、カウント2―0とボールカウントがどんどん先行していく。新谷の足の速さと次のバッターを考えると、無条件に歩かせるわけにはいかない。しかし甘く入れば、スタンドに叩き込まれる可能性もありうる。カウントが悪いからこそストライクが取りに行けないのだ。
「ボール、スリー」
低めの変化球がワンバウンドして大暴投。ランナーがいなかったのが幸いだ。
『(逃げている、ということではなさそう。攻めている結果、外れているってところかな?)』
ならばいっそのこと歩かせるなんて選択肢は考えがたい。百歩譲って、際どいコースを攻めてのフォアボールだ。
『(狙い球を絞るっ)』
狙うは好きなコースのみ。それ以外は有利なカウントを生かし、見逃してしまって構わない。
制球に苦しむ須々田の4球目。彼の右腕から投げ出されたボールは、
『(真ん中ややベルト寄り。絶好球っ)』
ホームランコースをフルスイング。しかしボールに変な回転がかかっていたか、わずかに芯を外した。打球は後方へ高々と舞い上がるファールフライ。ネットを越えてバックネット裏の年間指定席へ飛び込む。
「今のを打てなかったかぁ、きついなぁ」
一旦タイムを掛けてベンチへ戻ると、先ほどのバッティングでヒビの入ったバットを置いて、新たなバットを手に打席へと戻る。
「スリーボールワンストライク」
指で3と1を示しボールカウントを確認する主審。右手の人差し指を立ててピッチャーへと向ける。
「プレイ」
プレイ再開。
結果はどうであれワンストライクを得た須々田。無理しない程度にツーストライクを奪って追い込みたい。逆に新谷は、甘く入ってきた球は確実に捉え、追い込まれたくない。
2人の思惑がぶつかる5球目。須々田の投球は高めへ。
「ボール、フォア」
「っし、出塁」
際どいコースをいとも簡単に見送りフォアボール。足の速い新谷が出塁を果たし、ワンアウトでランナー1塁。
『4番、セカンド、チャリス』
ここでチーム最高OPSを記録する主砲のチャリス。1塁ランナーの新谷は、一応、ベンチからのサインを確認。特に指示はない。つまり、打ちたけば打て、走りたければ走れの完全フリーだ。
『(監督、走っていいんですね)』
サイン交換が終わり、セットポジションに入る須々田。新谷は一歩一歩とリードを広げる。そんな新谷へ、須々田はプレートを外さずに振り返って牽制。足からのスライディングで帰塁し、まだ余裕のあるセーフ。
『(これは、もう1歩いけるかな?)』
ファーストが返球するなり、新谷は早くもリードをとる。セットポジション前、まだピッチャーがランナーを見ている間にリードすることで、相手にプレッシャーをかける算段だ。
そのプレッシャーが功を奏したか。新谷の盗塁を警戒したか。初球は大きく外に外れるストレートでワンボール。
『(須々田サン。ナカナカ入リマセンネ)』
不安定な制球。
その光景を打席で、そして1塁からも見ていた新谷。またも大きなリードを取り、ピッチャーを挑発。そこへ牽制を放られるも、余裕を持っての帰塁でセーフ。
「頼むぜ、新谷、チャリス。援護点をくれ」
祈るような思いで試合を見つめる大馬は、ただただ1点を願う。
『(あと1点。それだけあれば勝ちが決まる)』
もうあんな被弾はしないと誓う。
大馬の願いを聞き届けるか。2球目。
須々田のモーションが始動。
『(来たっ)』
新谷、2塁へとスタートを切る。執拗な牽制球こそ放っていたものの、それゆえに盗塁への警戒心が失せてしまったのか、須々田はやや大きなモーション。完全に盗まれたと言ってもいいタイミング。
『(フ~ム、絶好球ダゼっ)』
ランナーが走っていようが走っていまいがお構いなしの自由人チャリスは、甘く入ったストレートを強打。痛烈な打球が一二塁間を襲う。ボールは飛びついたファーストのミット下を通り抜け……新谷の盗塁で大きく口を開けた一二塁間を抜けた。盗塁のタイミングでスタートを切っていた新谷は、打球が抜けたのを横目に確認。2塁を蹴って、ノンストップで3塁へと向かう。
深く守っていたライトの梶尾が打球に追いつくも、3塁は間に合わないと判断。諦めてゆっくりと中継のセカンドへと投げ返す。そうしている合間に新谷は3塁へと滑り込む。
「っしゃああ。監督。エンドランなんて名采配じゃないですか。名将・大原、ここにあり。よっ、大統領」
「いやぁ、ランエンドヒット、ランエンドヒット」
とりあえず言っておけ感満載に褒めちぎる大馬に、偶然だとアピールする監督・大原。しかしそうは言いながらも、大チャンス到来とあって、彼も気合いを入れずにはいられない。
『5番、レフト、ケルビン』
ベンチとスタンドが盛り上がる中、続く5番のケルビンがバッターボックスへ。神奈川はここで2塁を埋めるのも最悪の手ではあるが、次は先制点を叩きだした6番・北見である事、そしてピッチャーが大馬であることを考えると、あまりにリスクの大きな手である。むしろフォアボールを出せる程度の余裕を持って攻めるのが、いい手段であろう。
内野はランナー無視のゲッツーシフト。ファースト、サード共にベースを離れており、1塁のチャリスも、3塁の新谷も大きなリードが取れる。
マウンド上の須々田。直接にボールを放る牽制をする気はないが、とりあえずランナーを目で牽制。バッター・ケルビンを焦らすような長めの時間を取って左足を上げる。それも大きく足を上げる、ランナー無警戒投球。
「ボール」
外にはっきりと外れる球でボールから入る。
「これは、チャリスを走らせる気ですかね……」
「走ってくるとは考えていないからこそのあの投球かもしれんぞ。大馬」
腕組みした大原監督が答える。
チャリスは決して鈍足ではない。だが、それを刺せるほどの強肩を有するのが、キャッチャーの白羽。いくら須々田がランナーを警戒していない、そしてファーストが1塁に付いていないとはいえ、ここでスタートを切るのはわざわざ敵の罠にかかるような愚行だ。
「それで走らなければ、内野ゴロでゲッツー。ランナーを無視したゲッツーシフトですし、その確率は高し。前門の虎、後門の狼。もう逃げ場はなしですね」
2球目はインコース低め、ケルビンのひざもとに決まる変化球がボール球。カウント2―0とボールカウントが大きく先行。
「前門の虎、後門の狼、ねぇ」
大原は帽子やら胸やらを触ってサインを送る。もちろん何か作戦を送る場合もあるのだが、そうした時だけサインを送るのも、相手に何かあると知らせるようなもの。特に意味のないダミーの事もある。そしてそれを受け取ったランナーコーチがバッターへと指示を出すように見えるのも、時には本当、時にはダミー。
「ただなぁ、大馬。前も後ろも逃げられない時でも、横でも下でも上でも空いてるところはいくらでもあるってもんよ」
須々田の足がいままでどうように大きく上がった。それと同時に1塁ランナーチャリスがスタートを切る。
「盗塁? いや、これはっ」
大馬が目を丸くする。1塁ランナーのチャリスだけではない。3塁ランナーの新谷が、少し遅れてスタートを切ったのだ。そして打席のケルビンはバントの構え。
『(5番にスクイズっ?)』
強行策も危険で、危険を排除するための盗塁も危険。ならば打てる手は、クリーンアップにバントはないと判断した神奈川の裏をかく作戦。
キャッチャーの白羽も予想はできず。また、モーションに入っていた須々田もここから外すことはできない。辛うじて無理矢理にボール球になるようにするが、それでもアウトコース高めにやや外れる程度でバントできるコース。
「決まったっ」
新谷は同点のホームに突っ込むが、
「え?」「マシンカヨ、ケルビン」
新谷、急停止。そして「マジかよ」と言いたくて日本語を言い間違えたチャリスも止まる。
ケルビンはバットにボールを当てたものの、ボールは浮き上がりキャッチャー後方への大きなフライ。急いで新谷、ケルビンは元の塁へと帰還する。
『(おいおい。大きく上がったからゲッツーはないだろうけど)』
大原会心の策もバント失敗で生きず。肩を落とす大馬だが、
「いや、落ちる」
際どい打球に大原は落ちると判断する。落ちればファールでいずれにせよランナーは生還できないが、1アウト1・3塁のチャンスは継続する。それにカウントは2―1と、なおも打者優勢だ。
「落ちろっ」
「捕れっ」
秋田・大原と、神奈川・畑、両監督の思いが交錯する中、好判断を見せた白羽は、バックネット付近まで猛ダッシュ。打球が落ちるかと思われたその寸前で頭から飛び込んだ。
「アウトっ」
グローブの先に引っかかったボール。それを確認した主審が右腕を高々と上げてアウトコール。正捕手のファインプレーに味方が、そして1塁側・3塁側のスタンドが湧きあがった。
そう、湧き上がったのは味方スタンドだけじゃない。
「白羽っ、セカン」
「えっ?」
須々田の指示にあわてて振り返る。その目に写ったのは、1塁まで戻ったチャリスが、隙ありとばかりに2塁へ奇襲を仕掛けている光景だった。だが、一度1塁まで戻ってからの盗塁であり、ボールを今持っているのは強肩の白羽。
「なめるなっ」
思いっきり左足を踏み込み、2塁送球モーションに入る。起き上がった直後の不安定な体勢ながらも、チャリスを刺そうと右腕を振り下ろす。その直前。
『(よし、来た)』
新谷、スタート。その秋田フェザンツの即席作戦に気付いた神奈川ナイトスターズだが、タイミングが悪い。既に白羽は送球モーションに入っており、コンマ1秒程度でリリースする状況。人間の反応速度を上回ることはできない。
その右手からボールが離れた。
『(っしゃあ。ウチのピッチャーは大馬さん。この足がホームを踏めば、100%勝てる)』
ホームへ激走の新谷。
「させるかっ」
チャリスの盗塁成功は諦める。マウンド―2塁間で送球をカットしたセカンド・石田が、ホームカバーに入った須々田へと送球。1・3塁からのディレードスチールに似たタイミングだけに、余裕の生還とは言えない絶妙なタイミング。
しかし、絶妙なタイミングならば成功する自信が新谷にはあった。
ホームへと直線距離で滑り込み、ボールを受けた須々田との競争。
主審の判定は、
「セーフ、ホームイン」
スライディング時の勢いを生かして立ち上がった新谷は、さらにその立ち上がった勢いそのままに右腕を大きく突き上げた。
「っしゃあああぁぁぁぁ」
大声を上げながらベンチに走って帰る新谷。キャッチャーフライを打ち上げたケルビン、ネクストの北見ともハイタッチをかわした後、いの一番に向かった先は、監督の元ではなく大馬の元。
「大馬さん。あとは任せました。さすがに次の同点弾は許しません」
「任せろ。今日は調子の悪そうなフォークは封印する。スクリューで抑え込む。ということを寺西さんと決めたからな。しかしナイス走塁。危ういタイミングだったけどよくやったな」
「ホームにいたのが須々田さんでしたから。白羽さんなら危うかったですね」
1・3塁でのディレードスチールと、先ほどのプレーの違い。それは、ホームでボールを受けるのがピッチャーかキャッチャーかである。キャッチャーであれば防具を生かしたブロックや、体を張って走路を塞ぐこともある。しかしピッチャーは防具もなく、また怪我をしないために無茶な守備はしない。その差にセーフとなる要因があった。
「いやぁ、ケルビンもよくやったな。よくまぁあの位置によくフライを打ち上げた」
スクイズ失敗をしたため、どこか落ち込んだ表情でベンチに帰ってきたケルビン。日本語のあまり詳しくない彼にとって大馬の発言が怒っているように聞こえたのか、
「オゥ、ソーリー」
いかにもな謝り方。そこで焦ったのは大馬。
「いやいや、怒ってるんじゃないんだ。なんて言えばいいんだ……ナイス。グッジョブ。グッジョブ、ケルビン。ベリーグッド」
怒っているんじゃない。よくやったと、大学時代に身につけた、中学生レベルの英語でなんとか意思を伝える。するとそれを受け取ったケルビンは表情を明るくして、
「オゥ、大馬サン。イタダキマス」
「いただきます」
両手を合わせてお辞儀。ついでに大馬もそうし返す。
ケルビン的に「いただきます」は、食事前の「いただきます」の他に、なぜか「ありがとうございます」の意味も持っているらしい。本人も以前、通訳に指摘されて知っているのだが、依然これを使い続けており、チームメイトの中ではケルビン相手のありがとうは「いただきます」と言う事になっている。因みにケルビンがヒーローになると、彼は決まってファンに「イタダキマス」とカタコトで言う事が定番であり、1万人以上のファンによるカタコトの「イタダキマス」が返ってくるのはフェザンツの儀式その2である。
「でも、これで1点リード。勝てる」
「それにまだチャンスだしそれを生かして……?」
大馬の自信に同調する新谷だが、おかしな周りの雰囲気にグラウンドを振り返って試合を観てみると、
「……何があったんですか?」
「ん~、知らん。山野コーチ、何かあったんですか?」
試合を観ていなかった大馬、新谷両名。大馬が山野に事の次第を聞き出す。
「チャリスが調子に乗って牽制で殺された」
「おい、チャリスっ」
「オゥ、ミスター大馬。カタジケナイ。某、一生ノ不覚」
「その不自然な日本語と、あの1点に免じて許してやるけどさぁ」
「イタダキマス」
そしてケルビンのマネをするチャリス。その横で山野が不可思議な顔。
「チャリスって大馬の先輩だよな。なんで大馬が上から目線なんだ?」
大馬とのそういう関係をチャリスは嫌がってはおらず、日本の名所やら名物やらを教えてくれた親友だけに、むしろ面白がっているようす。そのため山野は介入するつもりはないが、かなり不可解である。
「追加点のチャンスは逃したが、勝ち越したぜ。この試合、このまま逃げ切らせてもらうぜ」
ベンチを出て行き、貫録十分に歩いてマウンドへ向かう。