真実
真実はいつも一つ
ここにある文書を読まずに閉じた者は幸福である。真実へは決して辿り着けないから。
もしも、ここにある文章……例え一文でも……もしくは単語の連なりの数々ですら、それらを読んでしまったのなら、もう引き返すことは出来ないだろう。
嗚呼! 聞こえる! 聞こえてくる!
私の耳孔を、少女の鮮やかな紅が、一片余すところ無く舐るかの様な嘲りが、私の背筋を悦と共に昇ってくる。しかし、私は逆らえない。私の中心が血を求めて鎌首を擡げ、命令されるままに猛り狂う。
嗚呼! 嗚呼!! なんて芳しい!!
微風のように柔らかな、しかして暴風のように荒々しい、それが私を抱擁する。少女から立ち昇る香りは穢れ無き白薔薇。だが私は、恐れ多くも、主に祝福されしこの純白を朱に染めてしまえるのだ。
私は嘆く。この身が自由であったなら、否、これ程に奔放でありながら、私の手によって手折られる運命にある少女に、彼女は満足出来たのだろうか。
嗚呼! 感じる! 感じさせられる!
私の口腔を蛇が這い回る。言の葉を紡ぐ責を全てかなぐり捨てて、野性を曝け出し、その身を燃え盛る蛇に絡ませる。しかし、その味はあたかも知恵の実の如く。息をするのも忘れて、穏やかな水平にその身を浮かせながら、蜜を啜るべく深く沈んでいく。
不自由な私に代わって、少女の手が私の肌をなぞる。生きてきたその証に触れる度に、彼女の熱と共に慈しみが肉体に染み出してくる。でも、それはまだお互いの末端を、古い時計塔に巻きつく蔦共のように、ただただ触れ合わせているだけに過ぎない。中心に向けて落ちていく引力、それは自然界に育まれた生命という存在に科せられた枷。
日食や月食のように、触れているようで触れていない、私を蝕んで弄ぶ少女の証。私の口は卑しくも吐息交じりの調を奏でるばかりであるが、私は声を大にして叫びたい。この身には数多の、この空に瞬く星々ですら敵わない数の、口にするのも憚られる程の、彼女の証が刻み付けられているということを!
嗚呼! 嗚呼!! 嗚呼嗚呼!!
頬に触れる少女の慈悲が徐々に昇っていき、私の視界を塞ぐものをゆっくりと外していく。彼女の瑞々しさが痛い程に伝わり、互いの熱が折り重なって、そして世界は歓喜の光に包まれて――――
「えっと……。このようなポエム? を読まされても、僕困ります……」
森の彼方に現れる、荒廃した古城。そこには誰も近寄らない。特に日の昇っていない夜更けになどもっての外。そこには誰もが恐れる怪物がいるとされる。
『……先に断っておくが、このような悪趣味なものを私は書いてはいない』
だがフランケンシュタインの怪物がハロウィンに訪れることはあるかもしれない。とは言え、真っ白なダブルスーツを纏ったガタイの良い男性が、鉄仮面を被ってお菓子をせびるのもおかしな話である。
『それにこれはポエムではない。今から三十年前、ある日本人女性が残した日記だ』
鉄仮面が少年に渡していたタブレットを取上げる。少年はシャツに短パン、と活発さを感じられる身軽な服装。彼の濡羽色を思わせる黒髪からほんのりと湯気が昇っていることから、恐らくは風呂上りであろうと推察出来る。機械を通して発せられる無機質な声が、なおも鉄仮面から発せられる。
『まずはここの主を呼んでもらえるかな? 私は彼女と話がしたいのだ』
「……分かりました。すぐに呼んできます」
少年は怪訝そうな目……それは嫉妬ではあるまい。ともかく、彼の女性に鉄仮面の男を会わせたくなかったのだ。しかし、この城に迂闊にも客人を招き入れてしまったのは、他ならぬ少年自身だ。鉄仮面を客間で待たせ、少年は恐らくはまだシャワーを浴びている最中であろう彼女を呼ぶべく、蝋燭が点々と照らす薄暗い廊下を進む。慣れた道筋。少年は迷う事無く目的地に辿り着く。
「アリシア! アリシアー! お客様が来てる!!」
城にそびえる塔の一つ、その最上階にある風呂場に向けて少年は呼びかける。塔の真下から見上げる風呂場は闇に包まれている。彼女はあまり光が好きでないので、彼女一人の時はこうして蝋燭を全て消しているのだ。という訳であるのだが、この塔を登るにはまず内壁に沿って螺旋状に伸びる階段……のような石の出っ張りを足掛かりにしなければならない。しかも、足元すら覚束無い暗がりの中である。
「うぅ……。どうしよう……」
返事が無い。つまり、彼女を呼ぶには登るしか術が無くなった訳だ。少年は自身の頬を軽く叩き、なけなしの勇気を奮い立たせる。
ヒタッ。
「ん?」
と、少年の頬に何かが当たった。少年が手を触れると、それは水滴であった。それが間隔を狭めてどんどん落ちてくる。
同時に建物が振動する音。少年は咄嗟に見上げる。闇の中から彼女が歩いてくる。塔の内壁に足をめり込ませて、まるで床の上を歩くように平然と向かってくる。
「なぁに、シン? どぉしたの?」
暢気にストロベリー・ブロンドの髪をバスタオルで押さえつけながら、同じく暢気で間延びした声で問いかける女性、アリシア。闇の中に穿かれた窓から月明かりが差し込み、彼女の身体が徐々に暴かれていく。
「ちょ、アリシア! 服! 服を着て! 無防備過ぎるよ!」
思わず目を伏せるシン。
「あら、今更? 初心な反応も可愛いけども、あまり続くと私も飽きてくるわよ?」
「それとこれとは別! 早く!!」
「はぁ、全く……」
彼女が目配せすると、壁に備え付けられた全ての蜀台に灯りが点り、風に漂うような挙動でバスローブがアリシアの手に渡る。シンが再びアリシアに目を向ける頃には、彼女は大体の身支度は済ませていた。
「それで? 私に客と言うのは?」
「知らない男。新聞勧誘とかそういうのではないみたい」
「ふーん」
床から二メートル程の高さまで歩いたところで、床へと着地するアリシア。壁面には今回ついた足跡の他にもいくつかの古い足跡がついている。
「すぐに呼んで来るって言っちゃったから急いで……ひゃっ!?」
思わず声を上げてしまうシン。彼の首筋がアリシアの唇を吸い寄せていたのだ。
「そろそろ夕食時でしょ? お腹空いたわ」
「痛い痛いやめて! 何言ってんだよ! さっき済ませたじゃないか!」
「もう消費しちゃったもんね~。それと、シン?」
吸血鬼特有の鋭利な歯が、シンの首筋を通う太い血管をコリコリと弄ぶ。目前のご馳走に目を爛々(らんらん)と輝かせるアリシアが、非力な少年の身体を粗い壁面に押さえつける。壁の冷たさと背後から覆い被さる熱の板挟みにされた彼の耳元に、吸い込まれてしまいそうな程ドス黒い、蠱惑的な囁きが注ぎ込まれる。
「正直なことを言って? 私は……あなたのことなら……何でも分かるのよ?」
何でもという単語を強調される。もし、この薄暗い通路にもう一つ目があったのなら、アリシアの瞳が金色の光を湛えているのが見れるだろう。再び刺すような接吻がシンを襲い、彼の肉体に芯から這い上がってくる何かが纏わりつく。彼の頭は不必要に早鐘を打つ鼓動が彼女にも伝わってしまうのではないかと思い、しかし身体の方は言うことを聞かずただ酸素を求めて喘ぐのみ。
「早く素直になってよ。やめちゃうわよ?」
首筋から離された唇から、唾液が糸のように伸びてシンの背に張り付く。同時に彼の口から切なげな囀りが生じて、彼の思考が徐々に蕩けて引き千切れる。
「やめないでアリシアっ!! 気持ち良いこと……」
ハッとして口を噤むがもう遅い。思わず漏らした彼の願望を彼女が聞き逃すわけがない。
「はーい」
その返事は、まるで家主に招かれた時のような、してやったりという意をふんだんに含んだもの。小さく舌なめずりをしたその口は、更なる口淫を施すべく彼の肌に吸い寄せられていき――――――――
『なるほど。私も異文化交流というものを改めて教えられたよ。……この国での「すぐ」というのは二十分も待たされることであったか』
「……申し訳ないです」
先の客人、鉄仮面の男は二十分間変わらずの姿勢で微動だにせず座っていた。シンが言葉を発すると同時に、鉄仮面は自身の腕につけた時計を確認する。彼の体内時計は、そのロレックスの腕時計程には正確であった。
「私も零時過ぎに家を訪ねる文化を持つ人間と話すのは初めてだわ」
「ア、アリシア! そんな言い方……」
胸元が大きく開いたイブニングドレスを纏う女性、アリシアは客間に着くなり鉄仮面に容赦なく毒を吐いた。相手も相手だとは言え、こちらも非礼な態度をとることもない。シンは闇色のドレスを着た彼女を咎める。
『ハッハッハッ。いやいや、何分こちらも時差ボケに体が参ってしまっているのでね』
そんな彼女に相対するのは「全身がサイボーグです」と言われても不自然でない風貌を持つ男。そんな彼がかますには色々と無理があるジョーク。シンは反応に困っている。
「それに……私はまだあなたの名前も聞いていないわ」
アリシアの指摘。これについてはシンも賛成であった。彼女らの共通の見解として、名前も素性も知れない鉄仮面の男は胡散臭過ぎるのだ。
『申し遅れた。私はアレックス・エンジュリア。ただのPresidentだ』
「私はアリシア。アリシア・ブラッドリー。吸血鬼よ」
「シン・ユリウスです」
と、唐突な自己紹介が始まったところで、シンは相手に職業を明かされても何のことかが分からないという事実に気づく。
『さて、時間が無いのだ。早速本題に入ろう』
しかし、シンの疑問もそっちのけでアレックスは自己紹介を締めくくる。
『ここ数年、世界各地で頻繁に発生する怪異……【ネフィアの門】をご存知かね?』
アリシアがアレックスの向かいに座ると、シンが両者にティーカップを差し出す。アリシアは別にお茶などは全く飲まないのであるが、彼女は一応口をつけておく。しかし、その鉄仮面は一向に口をつけようとしない。
「その前に、その無粋な仮装をやめてくださる? あなたの名前は聞いたけれども、私は素顔を見せない者と話す口など持たないわよ?」
それにはシンも同意見であった。彼の身なりこそ、高級ブランドで身を固めた隙の無い紳士ではあるが、その顔面を覆い隠す鉄仮面がその分かなり浮いていた。手袋を装着していることもあり、彼が肌を露出させている箇所はせいぜい首元くらいしかない。
『……私を知る友人は、私の顔を見て口々に「とても醜い」と評する。私は自身の立場上、醜い素顔を晒すよりかは、この冷たい殻に閉じ篭った方が有利になる。そう悟って以来、私は衆目の前でこの仮面を取らないと心に誓ったのだ』
言いつつアレックスは、先程シンに見せていたタブレットを懐から取り出し、何事か操作をした後、それをアリシアに手渡す。
『私の部下がニュースと呼ばれるものを編集したものだ』
アリシアとシンはそれが機械文明の利器であるということは薄々理解していたが、やはり詩集と同程度の厚さのプラスチック塊が、映像のような物を映し出すということが不思議でしょうがなかった。
『世捨て人めいた君達には丁度良いだろう』
全てに興味津々という感じで、二人はそのタブレットに食い入る。
《
『世界各地で異次元に繋がる穴が発生しています!』
『ロンドンの観測隊からの情報によりますと、ビッグ・ベンの大半を飲み込み消失させたネフィアの門ですが、たった今それが消滅したとの報告が入りました』
『香港に発生したネフィアの門は、現在南シナ海を南下しています。このままベトナムの領海に侵入する模様』
『これは天罰だ! 異教徒に屈する軟弱な国家を蹂躙する破壊の神!!』
『いや、これはロシアの新兵器だ! マンハッタン島をも壊滅せしめたそれは、我らが合衆国の国益を甚だしく侵害している!』
『何を言う! こちらとて聖ワシリイ大聖堂が壊されている! 首都のど真ん中でだぞ!?』
『遺憾の意を表明する』
》
液晶画面に映ったのは世界各地のニュースだ。これらはテレビで毎日のように放送されているわけであるが、アレックスはこの城には電線すら通っていないことに気づいていた。当然、テレビが無いこの古城でそういった情報を仕入れる手段はない。
「ネフィアの門って?」
しかし、だからといって彼女らにニュースを正確に読み取る能力が無いという訳でもない。建築物や地名以外の固有名詞、ネフィアの門という聞き慣れない単語に注意が向くのは当然である。
『それを知る手掛かりは、ある日本人考古学者の残したこの日記にある』
アレックスは画面を見る事無く、淀みの無い所作で端末を操作。シンが先程見せられたポエムのような文章だ。
「Asino……Asuka……?」
アリシアが読んだのは日記の著者の名前だ。ローマ字の横に日本語で「芦野明日香」と書かれている。
『彼女は二千十二年末頃までこの日記に調査等の記録をつけている。その中には公に発信されていない事柄や、身辺のプライベートまでもが事細かに記されている』
更に画面をスライド、そしてある項目がアリシアの目に留まる。
《
西暦2012年3月15日
この遺跡の発掘に携わってからどれだけ立つか。少々胡散臭い人物とはいえ、あの協力者のお陰で解析は大分進んできている。それでも、私の研究はトントン拍子というわけにもいかないようだけれど。
ネフィアの門。彼の解読した文の中でこれだけは現代語に訳せなかったのだ。
ネフィアというのは人名か地名か。いずれにせよ、その意味は前後の文脈から推察する他ない。よって、ここにその訳文を記載しておくことにするわ。
『おお! 偉大なる海の神よ! 私の脳髄に食い込み軋みを上げるかのような、それでいて仄かに慈愛に満ちたかのような、この不思議な声よ。貴方様は小生らに何を望むか? 我々エルフィアンの繁栄を望むとあれば、これより喜ばしいことはありますまい。逆に我々の衰退を望むとすらば、従うほかあるまい。しからば、と小生めに問いを許すと申さば、是非問い質したく思いまする。何故、我々にネフィアの門へと帰還せよと申しますか? 全知全能、この星の万物を手中に収める貴方様に、何を恐るることがありましょうか?』
【エルフィアン】は彼らの部族名ないし種族名。それらが大昔、跳梁跋扈する恐竜と同じくしてこの地球に席巻していた知的生命体であることはもはや疑いようもないでしょう。が、それらはあくまで地球の生態系から枝分かれした一生命体でしかないはずで、本当に神の眷属であるわけがない。それとも、彼らはそもそも地球外生命体であって、その上位種が地球から引き上げると宣言したのであろうか? それに彼らは反発した? どの道この遺跡に残る資料からは、外宇宙から迫り来る強大な力によって滅亡を迎えたとあるのだから、その海の神とやらの言うことを無視したということになるのだが……。
いけないわ。私の頭がファンタジーよ。完全に。だってそうでしょう? 私のような高名な(自分で言っちゃう)考古学者がよ? 大真面目にやれエルフィアンだの、やれ海の神だのと、中学生の黒歴史ノートの中身のような内容を垂れ流して、こんなの恥ずかしいわよ。こんな設定、狂気よ。
しかし、その設定の一部はこの遺跡【アル・テマ】にて証明されている。大よそ人類の技術では再現の出来ないような、奇天烈で摩訶不思議なマシーンのようなものが蠢いている。今この執筆しているテントの中でも、蝸牛のようなマシーンが床を転がりまわっている。私がサンプルとして持ってきたもので、これと同じようなものがあと数十体いる。さらに類似品を含めれば千は下らない。協力者の解読では【サイキック・クリーチャー】と呼ばれる、ファンタジーとかで言うゴーレムなどに該当する存在であるらしい。
当然、これらはどれを一つ取ったって世紀の大発見に類するもの。発表はおろか、情報すら完璧に秘匿されている。この発見が人類に与える影響は計り知れない。どこかのアニメみたいに、ロストテクノロジーの産物である古代の超兵器によって、人がゴミのようにされるということが現実に起こるかもしれないの。慎重にならざるをえないわ。
片や慎重に、しかしあまり調査に時間もかけていられないのが現実。アメリカの後ろ盾だって、成果があってこそ。でもアメリカにこれらを渡したら面白くないわ。どうせロクでもないことに利用するのがオチよ。ネフィアの門という謎の存在にも興味が湧いてきたことだし、この遺跡の成り立ちからエルフィアンの興亡について、もう少し調べてみようと思うわ。
》
「この明日香とか言う女性は、随分と珍妙な民間伝承を見つけ出したものね」
アリシアはタブレットを机の上に置き、掛けていた椅子の背もたれに体重を預けて、顎を上に傾けて正面の鉄仮面を高圧的に睨みつける。アレックスや彼が持ってきた情報の大半が胡散臭いものであること、普段誰も近寄らない彼女の城に、それも深夜に彼がやって来たこと。それら全てが彼女に対して悪い印象を与えている。
「それに……人の間に脈々と受け継がれる古物語とて、それを最初に紡いだのも人。人の介するものであるなら、それの間違いだって疑えるのではなくて?」
『世間一般的に、吸血鬼も存在しないことになっていたはずだが?』
夢物語と一蹴するアリシアに、アレックスは彼女の存在を引き合いに出す。
『それに君、吸血鬼の始まり……根源がどうなっているのか、分かっているのかな?』
「ハッ! あなたは私がそんじょそこらの吸血鬼と同じだとでも思っているの?」
それは嘲りだ。アリシアの口端が歪むと同時に、彼女を中心にして辺りに闇が立ち込め始める。それは純粋な黒では無い。彼女の艶かしい唇から鋭い白が覗くのは、その闇が数多の命を吸い取って来た証である。薄赤く澱んだ暗黒というものをアレックスは知覚している。だが、彼は微動だにしない。
「私は始祖の末裔なのよ?」
彼女の目が闇一面に見開かれる。それは一つの巨大な眼球であるが、無数の目が蠢く視覚の集合体であるようにも見える。客間にある調度品は輪郭を失い、血塗られた邪悪な壁面に吸い込まれていく。あるいは床に血に飢えた沼地が口を広げているのだろう。天井など存在しない。始祖の吸血鬼・アリシアが生み出した世界がアレックスを見下ろしている。
しかし、この期に及んで椅子に腰を下ろして座ったままのアレックス。肝が据わっているのか、あるいは腰を抜かしてしまっているのか。
「有史以前から私は存在しているわ。始祖の直系である私は、初代から歴代全ての知識や記憶と言ったあらゆる情報を正確に引き継いでいる。それは人間の脆弱なシステムとは違う、吸血鬼特有の【鬼魔法】によって超自然的に行われる確実なものよ」
闇に閉ざされた部屋を人肉色の芋虫が蠢く。それが硬化すると蛹。蛹は鮮血を迸らせながら羽化をする。それは血によって紡がれた蝶だ。命の羽ばたき。その羽音が客間を埋め尽くす。その頃になるとシンは、アリシアとアレックスから距離を置いていた。これから始まるであろう殺戮に巻き込まれない為の避難だ。
『……ではその超自然の何とやらで、吸血鬼の根源を私に教えてくれたまえ』
アレックスは深く椅子に腰掛け、周囲の闇に対して問いかける。
「……何?」
力を誇示し、見下した態度をとるアリシアは、彼の問いかけに急速に冷めていく。
『祖先から完璧に受け継いだ情報の中に、吸血鬼はどのように生じたかを記憶した項目があるはずだろう。それを私に口頭なりで伝えれば良い』
彼は彼女に、どのようにして教えれば良いかまでも示した。これで彼女がそれを知っているのなら、何らかの方法で彼自身にアプローチをかけて来るはずである。
「それは……あなたには教えられない」
蝶の羽音で掻き消されるのではと思われる程に小さな声をアリシアは発する。だがその返答で満足するアレックスではない。彼はゆっくりと腰を上げる。機械仕掛けの巨人を思わせる重い足音を響かせて、蝶の群れの中をやはりゆっくりと歩いて行く。彼は闇の中に手を伸ばした。そこにはアリシアの肩。
『ブラッドリー卿……それは「私は知らない」の間違いじゃあないかな?』
彼が彼女に語りかけると同時、周囲を包んでいた闇が霧散する。景色は元の客間に戻る。
『実を言うと、私はブラッドリー卿と前に会っているのだ』
アレックスの言葉に目を見開いて見返すアリシア。一応は取り繕っているようだが、その内心は誰の目にも明らか。彼女は動揺しているのだ。
『どれくらい前のことだったか……。当時のブラッドリー卿は、それはそれは見目麗しい美青年であった。ルーマニアにある黒い森の奥、純白に限り無く近いプラチナブロンドが眩しく映えていた』
「父上を知っているの!?」
荒げられるアリシアの声。彼女はもう自身の動揺を隠そうともしない。彼女はその衝動のままにアレックスの両肩を掴む。彼の肩はミシミシと金属が軋むような音を発する。それだけ彼女はその件に強い関心があると言うことだ。
『そう……あれは確か、第三次世界大戦が始まる直前のことだ……。人類は三度もの凄惨な闘争の歴史を歩んでいることを知っているかね?』
アレックスの鉄仮面の双眸はアリシアを真っ向から捉えている。そもそも魔力が備わっている吸血鬼の瞳を直視する人間自体、アリシアという吸血鬼は見たことが無かった。彼女の傍に控え、耐性が少々はあろうシンでさえ、彼女に見つめられるだけで心身を支配されてしまうものだ。アリシアはますますアレックスへの警戒心を強める。
『日系テロリスト集団が全世界に喧嘩を売ったあの日から既に二十年。日本はあくまで「一部の暴徒が、自国の最新兵器を奪って、勝手に宣戦布告をした」という立場を主張したが、国連は日本国主導の侵略行為と判断。同盟関係にあった我が国も、国際的に苦しい立場に立たされたものだ。よく覚えているよ』
「国? 人間の群れにおける最大単位のこと?」
『その通り』
いつまでも両手を離さないアリシアの腕をアレックスが払い除ける。
『近代にかけて多くの大戦が起こったがね、それの根源は大したことじゃあないんだ。資源の奪い合い。我々人類がそれこそ有史以前から続けてきた闘争そのものだ』
「それと父上との間に……何か関係が?」
『いや……』
アリシアに問われてアレックスは視線を逸らす。客間にある小さな窓に目を向ける。月だ。欠損一つ無い美しい円が彼を見下ろしている。
彼はそれを見つめている。……いや、目を瞑って黙考しているのか。その表情も感情も、鉄の仮面に阻まれて窺うことが出来ない。
『本来ならば、関係など無いはずなんだ。君達吸血鬼は……人間同士の闘争には何の興味も持たない』
そのままの体勢で抑揚も無く話すアレックス。抑揚が無いのはそもそも機械を通したような音声を発しているからであるが、何故かアリシアは彼が何かの感傷に浸っているようにも感じられた。
『先代のブラッドリー卿は日系テロリストの潜んでいた巨大海上要塞へと向かって行ったよ。そして消息を絶った。……忽然とね』
アレックスは机の上に置いてあったタブレットを操作する。画面に映ったのは海上ピラミッドと形容出来る巨大な要塞だ。材質は石なのか、それとも鉄なのか。その写真からは窺うことは出来ない。ピラミッド頭頂部にはヒガンバナを思わせる何かが宇宙に向けて口を開いている。
「父上がここに?」
『テロリストの残党共はここをルルイエと呼んでいたがね』
アレックスは横から覗き込んでいたアリシアにタブレットを手渡す。彼女はスライドさせていくつか写真に収めてあるルルイエを眺めている。
『よもやクトゥルフ神話に出てくる架空の施設が実際にあるはずも無いだろう。だが残党にどれだけ尋問をしても、その要塞の詳細は全く見えてこない。全員、「全て邪神がやった」の一点張りだ』
「そのテロリストや邪神と呼ばれる存在に、父上は一体何の用があって――」
『……それは分からない。だが一つ分かっていることがある』
アリシアに問われるアレックスの視線の先は依然窓の外。彼は空に浮かぶ深紅の球を見上げる。血のような赤が光を発している。それはあたかも目前まで迫っているかのよう。
『ブラッドリー卿は関わってしまった。この世界を襲う怪異の元凶に。……そして、それを追う我々にもまた――』
瞬間、激しい爆発音。アリシアの古城が凄まじい振動に襲われ、離れていたシンは城主に思わずしがみ付く。パラパラと天井から降り注ぐ塵が紅茶の海に降りかかる。ティーカップ、ティーポッドから零れた芳醇なるせせらぎ。
「アルマゲドンだとでも!?」
『我々はそれを……【恐怖の蜥蜴】と呼ぶ』
アリシアの狼狽。そしてなおも迫り来る火の玉。窓の外には巨大な渦。この世界にぽっかりと穿たれた大穴、そこから次々と血の雨の如く火球が降り注ぐ。アレックスはその事象を淡々と説明していく。
『再びネフィアの門が開かれたのだ。間も無くここも奴らに占領されてしまうだろう』
アリシアとシンは、この客間が異常な熱気に襲われていることに気づいた。それは城内からにじり寄る奇怪な熱風。その元凶である何者かが近づく足音が響く。
「我が一族の城をよくも……姿を現せ!!」
アリシアの澄んだ声が城に響き渡る。彼女の魔力が宿る城内である。普通の賊であるなら城が勝手にそれを撃退するはずなのだ。だがそうはならなかった。
普通でないそれが姿を現す。石を積んで出来た頑丈な壁が熱で溶かされていく。真っ赤な液状になった石壁を突き破り、四肢を客間に突き立てる。
元凶の正体は人間程のサイズをした蜥蜴だ。全身を溶岩のようなもので覆い、Tレックスを思わせる頭骨を燃え盛らせて三人を威嚇する。
『それがレザードムゥ』
アレックスが説明をするまでもなく、アリシアは蜥蜴に向けて黒いエネルギー球を放つ。圧縮された鬼魔法の破壊エネルギーが蜥蜴の正面で弾ける。その正体は赤い蝶の群れだ。
「【血風蝶】」
アリシアの虹彩が禍々しい紅に染まる。彼女の殺意の光だ。その煌きに合わせて、レザードムゥの周囲に瘴気に似た闇色の鱗粉が撒き散らされる。鱗粉は触れたものに死を運ぶ。それには生物も無生物も関係無い。あらゆる有象無象に死という結果を与える能力である。
蝶が飛び去ると同時に、周囲に熱を撒き散らしていた蜥蜴が消滅する。それが賊の辿るべき本来の最後であったのだろう。
『……素晴らしい! 不完全であるとは言え、これが真の不死者の力か!』
アレックスの機械的な音声が鉄仮面から発せられる。それが彼の拍手の音と共にアリシアの耳に届くのであるが、彼女は別段何ともないとでも言いたそうな顔だ。
「生命を司る種族の生業よ、こんなものは」
アリシアはゆっくりと目を閉じる。それが再び見開かれた時には、宿っていた邪悪な光は消滅している。シンが毎日のように目にしている、普段通りの彼女だ。
「吸血鬼はその性質上、最も生に近く、また死に近い生き物である……。幼い私が父親から良く聞かされた言葉よ」
しがみ付くシンをアリシアが遠くに突き放すと、ブラッド・バタフライはひらひらと彼女の元に集まってくる。それらはゆっくりと彼女の中に取り込まれていく。
「他の命をその身に取り込んで、吸血鬼は永遠に不老不死であり続ける。その身に降りかかる死という運命すらも他者に押し付けて……永久に生き、死に続ける。……故に私は今生の祝福を受けることが出来ないのよ」
『日の光、清らかなる流水、信仰心……と言ったところかな?』
「そんなもんじゃあないわ。私が死ぬ方法なんていくらでもあるもの……」
アレックスの問いかけに寂しそうに答えるアリシア。
吸血鬼にとって、死とは身近過ぎるが故に遠い存在なのだ。全ての生命の中で唯一、自身の死を決定する権利を持っている。吸血鬼にとって、死とは自らの存在を抹消する行為でしかない。故に、歴代のブラッドリー卿の死因は自殺である。
そんな吸血鬼であるアリシアの父親が、万が一にでも亡くなっていたとする。それがアリシアに全てを引き継いだ上での自殺であるなら仕方の無いことだ。彼女も受け入れられる。だが彼はそうしなかった。黙って彼女の前から消えてしまったのだ。
『君が金や権力で動くような者ではないことは分かっている。そして、我々と同じく、真実を追い求める探求者であることも確認済みだ』
アレックスはなおも降り注ぐ数多の火の玉を眺めている。それらは全て、球状に丸まったレザードムゥだ。ネフィアの門より出でし恐竜は、火山弾の如く苛烈さで大地を攻め立て、瞬く間に地上を侵略していく。まるで海底のルルイエを暴いた報復であるかのように。
『我々もネフィアの門の正体を突き止めたい。父親を捜す君が護衛につけば、お互いの利益に繋がると思われるが?』
アレックスと始祖の吸血鬼が手を組むのを阻止せんとしてか、四方からレザードムゥが進攻を始める。燃え盛る恐竜にとって、石の壁など無いにも等しいのだろう。いつの間にか、客間をレザードムゥが包囲していた。
「……なら今すぐに突破口を開いて頂戴。私がやっても良いけど、シンやあなたも巻き添えになってしまうわよ?」
『任せたまえ!』
アレックスはアリシアからタブレットを取り上げる。それは最初からずっと、とある人物との通話状態を維持していたのだ。
『ドバチよ。聴いての通りだ。恐竜共を始末しろ』
『やっとかい? ……それじゃあ、出口まで走ってくれますかね、大統領?』
瞬間、アレックスが招き入れられた扉で凄まじい爆発が起こる。しかし、それはレザードムゥが隕石の如く降って来た時とは違う、爆発物による人為的なもの。火薬か硝煙か、立ち込める煙の中に独特の臭いが含まれるのをアリシアは感じていた。
『走れ!』
アレックスの指示と同時、アリシアはシンをハネムーンよろしくの横抱きにして城の外へと飛び出す。外は一層煙が立ち込め、月明かりすら覆い隠してしまっている。しかし、夜目の効くアリシアはその惨状を目の当たりにしていた。
バラバラになったレザードムゥがそこここに飛び散っている。こうして見ると、その蜥蜴の外殻は爬虫類のそれではなく、むしろ岩石などに近いことが見て取れる。まさに溶岩が恐竜の形に固まったような姿である。
「……アリシア。……僕達の家が……」
シンは呆然とした顔に相応しい、抑揚のない声でアリシアに話しかける。彼の目に映るのは大火。燃え盛る古城である。黒き森を割って現れる由緒ある城は、轟々と音を立てて崩れていく。
「大丈夫よ……シン。住む場所なんて、この世界にはいくらでもあるわよ」
彼女らの正面に待機する黒塗りの高級車。しなやかな女性を思わせる流体じみた造形。どっしりと構えた車体を支えるタイヤは大きく、開かれたドアは鳥の羽ばたきを思わせるもの。外面だけでも高級感の溢れるものであるが、アリシアはそもそも車を良く知らないのでそれが何なのかも分からない。
「アレックス大統領、ご無事で何より」
運転席に座る男がアレックスに話しかける。
『世辞は良い。客人を乗せて出発するぞ』
アレックスが後部座席に素早く乗り込み、それに倣ってアリシアも車に乗り込む。シンはある程度の知識を持ち合わせていたので、普通に助手席のドアを開けて乗り込む。
『旧ウクライナ領を経由してシベリア鉄道に乗り込む。北上しろ』
「了解です。少し荒れますので、辛抱願いますよ!」
シンは左隣の運転手を見る。彼の右側からその顔を窺うことが出来たが、彼がアレックスの方を向く時、顔面の左側面に蜂を模した仮面が張り付いていることに気づいた。
「こんにちは、少年。それにレディ。俺は土蜂。何処にでもいる爆弾魔さ」
彼の自己紹介と共に車は急加速。ジュラ紀か白亜紀かといった様相の古城からあっと言う間に離れていく。
同時に爆発。背後から雨霰と土砂が降りかかるが、彼の運転は乱れることが無い。多少の揺れはあるが、それは元々車道でも何でもない獣道を爆走しているからだ。スタントマン顔負けの運転技術にシンは驚嘆する。
『早朝までには駅に着いておきたいところだ。ブラッドリー卿らにも、現代社会の勝手というものにまず慣れて貰いたいからね』
四人を乗せた車は疾走する。背後には夜空を切り裂いて見開く異形の目。世界の理に対して挑戦し続ける、人類の軌跡を辿る監視者の目だ。
第三次世界大戦とは呼ばれているが、その実は日系テロリストによる無差別テロと呼べるものだ。ただ、その実情に反して各国の被害は甚大であり、国連は便宜上では日本がその主犯としてその件を処理せざるを得なかった。一テロリスト集団が行ったとは思えない程の、掛け値なしの大戦争であったのだ。
アメリカなどは制空権を確保していた状態で本土空爆を受け、ワシントンを含めた大多数の主要都市が制圧される事態に陥っている。当然、国連軍にそれらはすぐに奪還されたのだが、それ以降アメリカの権威が失墜したのは言うまでも無い。ベトナム戦争に続いて二度目になる敗戦は、アメリカ国民の心にも深く傷を負わせた。
そんな天変地異にも似た事態が何故引き起こされたかと言うと、それは単にテロリスト集団が用いた人型決戦兵器・【ゼロファイター】が規格外の性能を示した為である。
『【サクラ・テンペスト】から各員へ。大統領を乗せた車を確認。護衛対象を警護』
三メートル程はあろうかと言う巨大な武士が、黒塗りの高級車の天井に背を向けて飛行している。落ち武者を思わせる趣は、黒で統一された鎧が所々欠けているのが原因であるか。鎧の隙間から漏れ出る薄桃色の粒子によって推進力を得るそれは、従来の航空戦力を担う航空機とはかけ離れた存在であることも示唆する。
『超低空飛行に移行。目視による確認を行う』
巨大な武士……サクラ・テンペストと呼ばれるゼロファイターが背泳ぎ状態から機体を反転。暗闇に浮かぶ満月を背に、疾走する車のすぐ真上にまで接近。そのまま上半身を反らし、代わりに足を前に突き出すことで姿勢を直立状態に近づける。
サクラ・テンペストが機体を安定させた段階で、窓からアレックスが手を出した。
『アレックス大統領と確認。引き続き警護を行う』
胸部に配置された車の運転席を思わせるコックピットで兵士が機器を操作。山吹色をした三つの菱形を模したロゴマークが正面のモニターに表示され、自動操縦で機体の節々が稼働し始める。
サクラ・テンペストは車の後方に下がると、そのまま足を胡坐の状態に折り畳む。これはゼロファイターが低速飛行を安定させる為に行う姿勢で、米軍からは【ザゼンホバリング】と呼ばれている。腰部や脚部の粒子噴出口が地表付近に数多く配置される為に、姿勢を安定させたホバリングが可能となるのだ。
ザゼンホバリング形態に移行したサクラ・テンペストが、背部にマウントされた【ビームタネガシマ】と呼ばれる銃を取り出す。二メートル程もある銃身の長い銃で、その名の通り銃弾の代わりに強力なビームを照射するという兵器だ。
このビームタネガシマというのが曲者で、精密な狙撃にこそ向かないものの、有効射程距離と攻撃範囲がずば抜けており、正面から迫り来る迎撃ミサイルをまとめて撃ち落しつつ拠点への砲撃が可能。歴史上に存在する種子島と同じく、戦争の有り様を一新してしまった兵器だ。ゼロファイターを鹵獲した段階で、米軍はこの強力なビーム兵器の解析や研究を行った。
しかし、結局のところ量産はおろか複製すら上手くいっていないのが現状だ。それに、万が一原寸大での量産が出来たところで、それを装備出来る機動兵器自体がゼロファイターしかいない。そのゼロファイターに至っては整備すら覚束無い現状である。
ある人は「二千年代以降に散見し始めたロストテクノロジーは人類滅亡の兆しである」と口にした。日系テロリストが使用したゼロファイターは当然として、各地で発見され始めたアル・テマに類似する遺跡群、海上に浮上したルルイエの存在。人類にとっては夢物語に近い超常的な存在が次々と頭角を現している。
流石にそれが個人それぞれの意識を変えるには至らないが、少なくとも国政に関わる者はそれら未知から来る何かの存在を危惧するようになった。人類を滅ぼすのは核戦争だけとは限らない。そう感じた彼らは地下資源に目を向けるようになる。
宇宙的存在に怯え衰退した宇宙開発に代わって、ほぼ確実な利益を生じさせる地下資源に目を向けられるのは当然のこと。奇しくも最初に行動を起こしていたのはロシアだ。ロシア軍は各地に侵攻し、既にある程度の開発拠点を手にしていた。それは植民地から地下開発に移ったパイの争奪戦の幕開けである。欧州諸国が対抗してそれに続き、中国や韓国、インドといったアジア勢力もそれに倣う形。
第三次世界大戦以降、二十年にも及ぶ地下資源採掘競争が始まったのだ。
『戦後の復興が遅れた我が国は、先進国らが始めた競走に大きく出遅れた。気づけばGDPも殆どの先進国に追いつかれていたよ』
流れ行く明るみ始めた欧州の空を背景にアレックスは語り始める。森を抜けて、その先の郊外を突き進むと、かつての欧州からは考えられない程の大都会が広がっている。それは全盛期のニューヨークにも勝るとも劣らない。それでもまだロンドンやパリには劣ると言うのだから、アレックスの落胆も分かるようなものだ。
尤も、都会を知らないアリシアには初めて目にするものばかりで、彼の言葉が耳に届いているのかどうかも怪しいのであるが。
『私とて愛国心はある。地下開発で遅れをとる今、ネフィアの門などの怪異を究明し、再び世界最大最強の国にしてみせる』
開拓精神とでも言うのだろうか。アリシアは考える。アレックスの言葉を鵜呑みにするのなら、その考えは浅はか極まりないものであると斬り捨てられるだろう。
しかし、アリシアはそれだけとは思わない。不気味な仮面に覆われたその素顔は、現実に対する不誠実さといい、どこか劇場的な気配を感じさせる。
「現実的に考えて、ネフィアの門の向こう側に人の利になるものが本当にあると考えていて? あるいはそれがパンドラの箱であるかもしれないのに」
より白みを増していく空を眺めやり、視線で人類の辿った軌跡をなぞっていく。なるほど、その無機質なビル群は地球という狭い土地を有効活用する為の施設なのだろう。森を切り拓いて、砂漠に石を積む時代は遥な昔のことである様子。吸血鬼に比べてなんと煌びやかな暮らしぶりであろうか。
だが、そのコンクリートで建てられた直方体群は、彼女の脳裏に地平まで広がる墓地を連想させている。生を感じられないのだ。
ビシッ。
それは防弾ガラスを何かが突き抜けた音。アリシアは何事かと音のした先……アレックスの方に視線を向ける。鉄仮面の額部にスナイパーライフルの弾頭が張り付いていた。
『まったく……彼の冗談は笑えないな』
熱で融けて張り付いた鉄屑を手で引き剥がすと、彼は備え付けの灰皿にそれを捨てる。
「威嚇のつもりでしょう。次は俺か車が狙われるでしょうから、出来ればこれ以上のドライブは辞退したい気分です」
軽口を発するドバチ。後部座席の窓に奔る亀裂は、ほぼ車の進行方向から狙撃されたことを示している。これ以上の運転は危険だという判断は正しいだろう。
だがそれ以上に、アリシアは隣に座る男こそ不気味と感じていた。敵の狙撃に対してなんらダメージを負っていないその人間離れした耐久力もさることながら、彼の仮面と顔の隙間から吹き出る薄桃色の粒子のようなものが、どこか鬼魔法の関連性を臭わせたからだ。
『サクラ・テンペストに空輸させよう。どうせキエフまでの長い道程だ。危険ならば早めに目的地へと向かうに限る』
彼の意を汲んでか、追従するサクラ・テンペストがアレックスらを乗せた車を抱え込む。空回りをするタイヤをドバチがブレーキで止めると同時、車体が宙に浮かび上がる。
ザゼンホバリングの状態を解いたサクラ・テンペストが上昇する。目線が高空に移り、それだけでシンは目を輝かせる。
だがアリシアだけは、なお一層のこと命を感じさせないその光景に気分を害していた。大パノラマめいて小さくなる人の営み全てを、墓石の下に押し込める人間の歪さとも言うのか。未知を忌避して地へと潜る蟻のように。
ビルに覆われた地平線から太陽が昇り始める中、車は一際巨大な施設の前に降り立つ。明らかに不快な表情を見せるアリシアを見て、追従していたサクラ・テンペストの手が車に覆い被さって影を作る。
「……礼を言います」
「お客様ですから」
胸を撫で下ろしたアリシアに対し、ドバチが茶化すように言ってみせる。流石に鉄仮面を被ったアレックス程では無いが、顔の左半分を隠したドバチも中々に不気味だ。
アリシアが見ている前でドバチは運転席から降り、アレックスに近い方のドアを開ける。同時にアリシアの方のドアも開けられる。外には十数名のスタッフが黒いシートを簡易テントのように設置している。アリシアの日光対策だ。
「ブラッドリー卿。こちらへ」
彼女を向かえたのは、……緑色のマントとスーツに巨大な電球のようなものを被った変態だ。男にしては変に高い声を発しているが、ぴっちりとボディーラインを浮かび上がらせるその緑からは隠しきれない肉体美が披露されている。ボディービルダー顔負けのその姿におかしな仮装。まるでアメコミのヒーローのようである。
「あたしはミステリア。どこにでもいるハッカーよん」
彼と言うべきか、彼女と言うべきか。……彼女は電球のような箇所を発光させている。
「……私の知らない間に、人間社会はおかしなことになっているようね?」
アリシアは車から降りるなり開口一番にそう言い放つ。立ち上がったアリシアもモデル顔負けの身長であるが、直立するミステリアは二メートルを優に超える。
『人間自体、そもそも歪な生き物だよ』
そんな彼女らを見上げる形になるアレックスも口を開く。
『なまじ高度な知能と一定水準の繁殖能力を持ってしまったが為に、移ろい行く社会と言うものに人間そのものが適応出来ていない』
駅の入り口まで伸びたテントの下を五人は歩いていく。
『地下資源の奪い合いも、結局は旧時代の歪みの延長線上にある』
「よくあることよ。その生物自体が、自らの種が辿った進化に追いつかないことは」
『それを率先して人類が示す。恥ずかしいことだ』
アレックスとアリシアが中心。両脇にはドバチとミステリア。アリシアの傍にはシンがいる。それらが日を避けるようにテントの下を歩いている。一般の人間が見れば明らかにおかしいと思うだろう。だがここキエフ旅客駅にはそんな仮装パーティに目を向ける者はいない。いや、人が誰もいないのだ。早朝とは言え、街で最も大きな駅に人が誰もいないのだ。何らかの形で人払いをしたというのが妥当だろう。
置時計をそのまま巨大化したような見た目の建物に入ると、巨大な液晶パネルが動き回っていた。ここキエフではシベリア鉄道以外にも数多くの路線の中継地点となっている。ロシアや欧州、西アジアなどとを結ぶことで有名で、二千年代に入る前からも観光客が多く足を運んでいる場所だ。当時は大量の看板などで外国人にも対応していたが、発展途上国の多くが先進国に追従したことで、更に多国籍の観光客が押し寄せるようになった。そうした状況下にアナログな看板では対応しきれなくなり、こうしてガイドをするパネルが導入されたのだ。ちなみに、普段は外観に溶け込むように背後の壁と同じ色を表示している。そんな可愛らしい待機の仕方から、ガイドパネルのことは「キエフ駅のカメレオン」と呼ばれ親しまれている。
ガイドパネルだけではない。タイル風の材質を使用した動く歩道、景観に溶け込む自販機やコインロッカー。由緒ある景観を壊さないような工夫が随所に見られる。それも全て、潤沢にあるロシアの発電施設からの電気を供給しているからこそ可能なのだ。
そもそも、この付近の国は原子力発電に対する印象は最悪である。今なおも放射能を撒き散らす負の遺産を管理する必要に迫られているからだ。そんな国柄故、原子力発電ではなく火力発電に重きを置く当時のロシアの政策に賛同するものは多かった。そうでなくとも旧ウクライナの東にはロシア系の民族が半数以上を占めていたのだ。国連からの反発があったとは言え、その大半がロシアに編入されることは自然であった。
『しかし、全てのウクライナの人々が納得した訳ではない。反ロシア派の人間も大勢いる。ここキエフ付近ではまだ親ロシアが多いが、反ロシアの人間からのテロ行為に日夜脅かされている。……特にテロの予告があった日には基本的に誰も寄り付かないのだ』
動く歩道に乗る五人の内、アレックスが口を開く。
「ま、それだけじゃないけど……ね? 大統領?」
抱きつこうとするミステリアを彼は身を反らし回避。思いの他に素早い回避行動だ。
「それに……列車に乗るような人って、そもそもアレだからな……」
ドバチが右頬を掻きながら苦笑いを浮かべる。唯一まだまともに表情が窺える彼の顔からは、アリシア達に「覚悟しておけ」と暗に忠告しているようにも感じられた。
シベリア鉄道とは、最長で東ヨーロッパからウラジオストクまでを結ぶ世界最長の鉄道だ。古くは人々の足として機能していたが、近代に入って飛行機や自動車が発達した煽りを受け、雄大な景色を眺める寝台列車と化していた。移動手段ではなく、列車での長旅を楽しむことを本懐としていた。
「……何なの? これ……」
アリシアは列車の中にいた。傍にはシン。アレックス、ドバチ、ミステリアも一緒である。彼女は目前には確かに大自然がある。窓から差し込む光は紛れも無くユーラシア最大級の景色である。
しかし、それに目を向けるものはアリシア達以外には存在しない。得体の知れないマスクのような機材を顔面に装着し、カプセル状のベッドに押し込められた人間達が呻いている。いや、喘いでいると言うべきか。アリシアは直感で、彼らは性的な快感を得ていると解釈する。だが理解が出来なかった。彼らが何故このようなことをしているのかを。
『ブラッドリー卿。ここ数年で最も発達した技術はね、ズバリ現実逃避の術だよ』
ゴム質の器具を股間に押し当ててトランスする少女の入ったカプセルにアレックスは腰掛ける。だが、カプセルの主は全く意に介した様子は無い。彼女の眼中に無いのだろう。
『ここにいるものは皆、社会や世界に置いて行かれた可哀想な人達だ』
薄暗い車両の中を男女の嬌声が響き渡る。が、直接肉体を交わらせている者は一人もいない。アリシアにはそれが理解出来ないのだ。
『流石に知っているとは思うが、人間社会で欲求を満たすには富や権力が必要だ。しかし、それらを手に入れるには世界に適応する力が必要になる。そうでない者は――』
アレックスは自身が腰掛けているカプセルを叩く。少女は突如小刻みに痙攣。それが段々と間隔が空いていき、遂にはピクリとも動かなくなる。
『――幻想の中で死を迎えることになる』
「生に絶望したような発想よね。こういうのをディストピアと言うのだったかしら?」
吸血鬼のアリシアは不快を通り越して呆れたと言った表情。そんな彼女にアレックスはゆっくりと頭を振る。否定である。
『元々、現実逃避には麻薬を使うのが一般的だったよ。事実、我が国でも麻薬の消費量は世界でもトップクラスに高い。……だがそれによって引き起こされる犯罪は看過出来なくてね。こうやってどこかに押し込めておく必要があるのさ』
「そういう施設を列車に作る意味は? 建物内部に配置した方が合理的ではなくて?」
『そもそもここは自殺をする為の施設じゃあない。車内のリラクゼーション設備の一環として、こういう装置を使う権利を乗客が持っているに過ぎない』
「死人が出ているのよ?」
アリシアの指摘に対して、アレックスはカプセルの表面に大きく書かれた注意事項を指差す。「四十分以上の連続使用は肉体に多大な負荷がかかる為に推奨されません。長時間使用による被害につきましてはいかなる保証も致しません」そういった内容が記されている。
『彼らは大枚を叩いて快楽を買い求めるただの客だよ。彼らからすれば一生得られないかもしれないものだ。それを取り上げるなんて本当に可哀想だろうに』
「死んで得られるものがそんなもので……この人間達はそれで良いのか?」
アレックスは人間、アリシアは吸血鬼。不死者に比べると刹那的な一生を送る人間にとって、生への価値観が大分ずれてしまっている。
『……ブラッドリー卿。長い時を生きる君達には分からないことかもしれないが、人間は少々の絶望が続くだけで死んでしまう生き物なのだよ。会社で失敗して出世街道から逸れてしまった。自身が投資した事業が振るわなかった。恋人に振られた、大切な人に死なれた、学校で虐めに遭った……何でも良い。普通なら社会の中で止まった自身の時間を取り戻すべく、立ち直った後にまた駆け始めるものだ。だが今の世の中はそれすら許されない。社会での時間の流れは速過ぎて、それこそ立ち止まったら取り返しのつかないところまで突き放されているのだ』
無機質なアレックスの言葉に熱が篭る。彼もまた、この光景に憤慨する者の一人なのだ。
『人類は間違った進化を遂げた。これを正す誰かが必要だ。この世界に正義をもたらす存在。……私はそれが星条旗を持つ者であると信じている』
彼の言葉を遮るように、車両を揺らす程の爆発音が響き渡る。
『――シベリア鉄道をご利用頂き、まことにありがとうございます。当列車は、線路上のトラブルにより、現在運転を見合わせております――』
流石に世間一般の常識に疎いアリシアでも、現在おかれている状況が異常であることに気づいていた。
「……バレちゃいましたかね?」
「サクラ・テンペストを持ち出したのよ? 彼の逆鱗に触れても当然よ」
ドバチとミステリアは暢気な声を上げているが、事態は実際深刻である。
アリシア達の乗る車両の前後から煙が噴出す。アリシアとアレックスを囲むように、ドバチとミステリアが構える。間も無くしてそこからガスマスクとアサルトライフルで武装した男達が現れる。肩の「KGB」と描かれた紋章が印象的だ。
「やあ。アレックス君」
車両前方に特殊部隊の面々を侍らせて、小太りの白人が姿を現す。
「水臭いじゃないか? 顔馴染みの私に黙って、家の庭を素通りするなんて」
喪服を思わせる目の覚めるような漆黒のスーツを着た彼は、アレックスに対し気さくに声をかける。顔の大きさの割に小さな丸眼鏡を人指し指で押さえ、その目は悪戯っぽい光を湛えて彼に向けられている。
『……ピョートル。社会主義国家は辞めたのでは無かったか?』
アサルトライフルの銃口を向けられながらも、アレックスは気丈な態度で相対する。
「あの男は何だ?」
アリシアは車両後方に構えていたドバチに話しかける。ドバチは一瞬面を食らったような表情を浮かべるが、目の前の女性は政情に疎い以前の問題であることを思い出す。
「……ピョートル・ヤーコブレヴィチ・エイゼンシュテイン。ロシアって言う超大国の最高指導者だよ」
「ふーん」
分かったような、分からないような、曖昧な返事をするアリシア。少なくとも彼女にとって、ロシア軍は興味の対象ではないのだろう。
しかし、アレックス達にとってはかなりの危機的状況である。ドバチの思考。それは先程の爆発を鑑みて、護衛に付いていたサクラ・テンペストは戦闘不能になっていると考えて良い。それにわざわざ向こうの最高指導者が出向いて来たのだ。彼の身の安全は完璧に保証されている自信があるのだろう。そこまで考えて、彼はアレックスを挟んで反対側に相手を置いてしまったことを後悔する。ミステリアには荷が重い。
「鎌と槌があれば何処でだって最高のおもてなしが出来る……は尊敬する父さんの口癖だったかな? まあ僕にはそんな素敵な心掛けは無いのだけれど」
ピョートルの視線がアリシアに向けられる。彼女の何かを感じ取ったのか、彼は破裂する直前の蛙のような気持ち悪い笑みを浮かべる。
「これはこれは、始めましてだよ……ハラショー……」
微笑まれた当のアリシアは、彼をまるでゴミを見るような目で見下ろしている。彼はかなりの小柄だ。しかし、見上げる彼の目はあからさまな程の狂気を孕んでいる。それこそ、彼女が魔力で発狂させる必要性を感じさせない程に。
「あの方の言った通りだ。アレックス君。君はブラッドリー卿を口説き落としたのだね?」
狂気の双眸はアリシアの肉体に釘付けだ。流石のアリシアも不快な感情を露にし始める。それを悟ってシンが彼の視線を遮るべく立ちはだかる。
『吸血鬼の逸話を知る……。ピョートル、あなたも芦野明日香の日記を読まれたのか?』
「アシノ? 誰だねそいつは? 日本人か? バルチックを壊滅させた恨みは忘れないが」
アレックスの問いに対し盛大に疑問符を浮かべるピョートル。彼が嘘をついている可能性は否めないが、そうなるとどうやって吸血鬼の存在を知ったのか。アレックスは相手の切れるカードを慎重に見極める。
『……どうやら、お互いに情報源が違うようだ』
「いやいや、情報の源泉は同じだろうさ。ただ提供する者が違うだけ……。アレックス君、あるいは僕達の目的すらも同じかもしれないよ?」
向かい合う二人の最高指導者。と、車両が大きく揺れる。列車の駆動音が聞こえ始めた辺り、どうやら運行が再開したようだ。窓枠が移ろう景色を切り取って、殺伐とした車両内の空気に彩りと言う名の安らぎを提供する。
「ズバリ、ネフィアの門関連! ……だろ?」
低い声で同意を求めるピョートル。アレックスは無言のままだが、彼はアレックスの態度で図星であることを見抜いていた。
「ぶっちゃけるとだね、ネフィアの門もかの海上要塞ルルイエも、全てとある超常的存在が背景にいると僕は考えている」
ピョートルは話を区切り、近くにあるカプセルの上に座る。カプセルの主である中年男性は泡を吹いて痙攣している。
「……恐らくはウラジオストクから日本に入国しようと言うのだろう? だがその前に情報交換をしようではないか。我が国の旅客機も貸し与えよう」
にこやかに交換条件を提示するピョートル。対してアレックスには応じる他に選択肢が無いのも事実である。
『あなたの厚意、甘んじて受けよう』
アレックスの発現を合図にドバチとミステリアは構えを解く。ピョートルはいかにもご機嫌と言った表情で「ハラショー」と口にする。この場合は「結構」と言う意味だ。だが彼から滲み出る気狂いの臭気は消せやしない。鉄仮面を被ったアレックスとは違う意味で、アリシアは彼を警戒している。
「ここで話すのは少し芸が無いなあ。……もう少しで我が軍の航空基地の正面を通るからそこで降りて話をしよう」
ピョートルの下に水筒を持った将校が現れる。ピョートルはどこからともなくティーカップを取り出すと、水筒の中身を注がせる。中身は紅茶のようだ。
「それまでの間……我が国の誇るシベリア鉄道の見せる自然風景を満喫してくれたまえよ」
小波が社殿を叩く音が聞こえる。朱に染まった廻廊に潮風が混ざる。それは調和だ。自然信仰は得てしてこのような調律の美を生み出すことがあるが、水平線に広がる空を眺める女性の金髪がその景色の中で踊る光景は些か珍妙ではある。それは人種差別とは少し違う。如何せん、日本という国は閉鎖的であり過ぎた。地理的な条件を背景に外からの侵略などを防いでいたのだ。が、だからと言ってこれら全てが日本独自に発案したものではない。遠い外国に繰り出した来訪者達が日本人、ひいては日本列島に少々持ち込んだのだ。
「題名を付けるなら……『厳島の旋風』、であろうかな?」
女性の立ち姿に指で作ったフレームを合わせて穏やかな声を発する老人。龍の刺繍の入った単を羽織った束帯と呼ばれる装束から香油を塗った禿頭が突き出ている。
「私はここの内侍ではありません。清盛公」
異国情緒溢れる女性も和やかな声音で老人に返す。彼女のシャツは豊満な実り二房に押し出され、臍出しのジーパンというラフな格好を十二分に演出している。女性は高めのサンダルを履いているのであるが、そんな彼女が高く見上げる程にその老人の体躯は大きい。
「ははは。余があと二周り程も若ければ、其方を正妻に迎えとうもなったであろう」
老人は快活な声で冗談交じりに言い、威圧的な視線を外界に向ける龍の眼差しをひけらかす。傍から見れば、観光に来た金髪白人を平安貴族がナンパしている風に見えるだろう。しかしその内実は違う。女性の碧眼と老人の蒼眼はどちらも良く斬れる刃物だ。武士の何たるかを心得た勇ましき兵である。
「……してカリギュラよ。其方の予言の通りならば、現世の世界から二人の男女が選定されるのであったよな?」
老人に問われた女性、カリギュラが柔和に微笑む。肯定である。彼女は耳にかかる長くしなやかな髪を掻き上げる。そこから覗く耳は細長い。雰囲気、物腰、彼女の発する神々しさすら感じられる気が、彼女がエルフィアンであることを示唆している。
「清盛公。私も一つ古い詞を存じていますわ」
切妻造の屋根が煌々と照らす日輪を受け止め、神が居つく島に相応しい色を廻廊に注ぎ込む。それは処女の朱である。大昔に穢れの血を浴びた聖地も、最後の勝利者が拭って輝きを取り戻している。そうさせるだけの力がこの聖域には存在している。
「一つの矢では手折られる。しかして三つ束ねた矢は手折ること能わずなり」
「三矢教訓状のことかな? 確か後世の者に向けて、毛利元就が団結を呼びかけた」
曲がり角でカリギュラは欄干に手を置いている。その表情はどこか物憂げである。そんな彼女の背後を老人が通り過ぎる。彼は先を進むのだ。
「だが男女四人の集いは合コンに等しい。合コンは風雅である。故に三人で徒党を組めば仲間外れになる者が現れるだろう」
「……日本史はやっぱり苦手よ。でも強大な敵を攻略するのにパーティを組むのはゲームでは常套手段なのよ?」
過ぎ行く老人に目を向けて指摘するカリギュラ。老人の禿頭が日の光を反射してまるで後光の様。彼女は思わず目を細めるが老人は歩みを止めない。
「そうであったか? いやはや、この平清盛……余も現代社会においては些か以上に勉強不足であったようだ……」
己の無知を恥じた老人は光の中へと消える。消失した彼の延長線上には海上の鳥居。押し寄せる波をものともせず、信仰心の集合体は物言わずに砂浜を踏みつけている。
「嗚呼、諸行無常也……」
かつては宇宙すらも手中に収めんとした平家の総大将を思い浮かべ、カリギュラは梁を剥き出しにする古代からの叡智を見上げる。そこに広がるのは銀河である。人類創生の日、エルフィアンの興亡。外から迫り来る脅威を目の前にして、それでも諦めなかった益荒男達の輝きに見蕩れる。
「イケメンなのね」
彼女の呟きは天に吸い込まれていき――
《
西暦2012年1月20日
神の玉座より 引き摺り降ろされし 哀しき者よ
巨人らの言葉は解せぬ 巨人らの習わしは珍妙である 故に我らは巨人なり
ギョーォン・ショジャッ ギョーォン・ショジャッ ギョーォン・ショジャッ
男は殴る 女は孕む 故に我らは阿吽なり
ショーギョ・ムッジョッ ショーギョ・ムッジョッ ショーギョ・ムッジョッ
うら若き乙女よ 漆黒の帳の奥で微睡む者よ 我らは天より先へ行く者なり
シャゥラ・ショッジョッ シャゥラ・ショッジョッ シャゥラ・ショッジョッ
乳飲み子よ 羊水の如き温い抱擁 渇望するも能わずなり
剣を取れ 水面に映りし天河を斬れ 魔が玉に宿すは外の生なり
巨人の襲来 巨人の陰謀 故に我らは巨人なり
ジョンシャ・ヒャッスゥ ジョンシャ・ヒャッスゥ ジョンシャ・ヒャッスゥ
神の玉座に 這い上がり座す 哀しき人よ
ギョーォン・ショジャッ ギョーォン・ショジャッ ギョーォン・ショジャッ
今年もアル・テマ遺跡に彼らがやって来た。雨季の時期に合わせた雨乞いの儀式を、地元の原住民達が行うのだ。部族長の候補者によって一斉に行われる儀式。その中で最初に恵みの雨を降らせた者が優勝……じゃなくて部族長になれるというもの。
最初に書いたのは、その時に歌う「英霊に捧げる鐘」と呼ばれるものを日本語訳したものだ。流石に三年間もその都度聞いているから、フレーズや歌詞も大体覚えてしまった。と言うのも、この儀式は最低でも一月の後半辺りから二週間程は続き、その度に調査しているアル・テマ遺跡から閉め出されてしまうのだ。
真剣に仕事をしている私達にとっては憎たらしい催しではあるのだけれど、調べてみるとこの儀式は雨が降り始めた段階でお開きになるのだと言う。これを利用しない手は無い。航空機で雲の種まき(クラウドシーディング)をして、無理やりにでも雨を降らしてやれば、私の研究チームは速やかに調査を再開出来る。
私は部族長の候補としてこの儀式に参加することにした。勿論、私が速攻で雨を降らせて優勝する為よ。決して部族の美女達を囲ってSMプレイをする為じゃあないわよ。
嗚呼~貯金していて良かった~。前部族長が俗物的な人で良かった~。
……さてさて、私のめくるめく雌豚調教計画の結果は私のツイ垢でもフォローして見てもらうとして、今回はその部族に伝わる歌についてここに記そうと思う。
一見すると脈絡もへったくれも無い荒唐無稽なお伽噺よ。でもこれを、私の協力者が持ち出してきたとある資料を照らし合わせると、ある視点でこの歌詞を捉えることが出来る。
《龍の一族(現代語訳) 著者:渡厳隆》
我らがそう名乗り始めたのは、古くは鎌倉の世。この姓を名乗るようになったきっかけは、時の将軍・源様より、「汝の用いるまやかし、これ奇なり。雲の間に見え隠れする龍の如く得体が知れず、怒涛の如きその威力もまたまさしく龍そのものなり」とのお言葉を頂いたことからだ。だが、我が一族が用いるのはまやかしでも奇術の類でもない。我らが用いるは、二億と数万年もの歴史を持つ【龍魔法】だ。
龍魔法とは、我ら【龍の一族】の起源であるエルフィアンが用いていた、史上最強の魔法である。伝説によると、ある時は大陸を持ち上げ、またある時は海を両断し、天をも消炭にしたとも言われている。地球上のどの生物から進化したのかは今となっては知るすべもないが、少なくとも今の人類よりも遥かに進んだ文明を誇り、数世紀程にも及ぶ寿命を持っていたことは我が一族に伝わる文献に記されている。その所以は、彼らの作り出した道具や建築物にある。彼らの作り出した道具は、恐ろしいまでに使う目的に特化した形状や性能を示す。また、彼らの基準とはいえ、使い手に非常に判り易いデザインと環境に非常に優しい素材を用いているのだ。建築物にも同じような性質が見られている。恐らく、今の人類があと千年経ったとて、例え武士の世が終焉を迎えようとも、エルフィアン程文明が発達することは無いだろう。
しかし、そのような高高度な文明にも終焉を迎える時が来た。外宇宙から【イケメン】が襲来して来たのだ。この銀河において、やつら程邪悪な存在はいない。やつらは気まぐれに星々の文明を蹂躙し、星々の住人を苗床に増殖していき、最後にはその星を爆発させる。恐るべきはやつらの戦闘能力。強靭な肉体には如何なる攻撃も通じず、その頭脳には如何なる策略も通じず、その美貌は全ての知的生物の脳を破裂させる程の威力を持つ。
それでも、エルフィアン達は果敢に立ち向かった。最強の龍魔法をもってしても、イケメン達を倒すことができず、エルフィアン達は百年程でその数が数億分の一程にまで減少してしまった。元々繁殖能力が低いエルフィアンにとって、それは種としての絶滅の危機を意味していた。そして、今から約六千五百万年前、イケメンの放った超兵器を龍魔法で防いだことで諦めたイケメンが撤退し、戦いが終わった。その余波で、大多数いた巨大な蜥蜴などが絶滅し、数の減り過ぎたエルフィアンも種としての存続が不可能となった。そこで、彼らはこの星で最も自分達に近い生物に自分達の遺伝子を移植した。その生物が進化の過程で、その影響により突然変異したのが我々人類で、その中で記憶が覚醒し龍魔法を扱えるようになった一族が、我々龍の一族なのだ。――(略)
意味が分からないと思うかもだけど、我慢して。私も読み返すのが辛い(笑)。
ちなみに私は、龍魔法とやらを使う超能力者が龍の一族で、その血脈を辿ると出てくる名前がエルフィアンと言う生物と解釈している。イケメンって……て思うけども、名前に目を瞑ればそれはどうもエイリアンの類のことらしい。エイリアンと戦っていた、知的生命体としては人類の先輩に当たる生物。私の研究チームのアドバイザーとして招いた渡氏曰く、龍魔法は地球深くに張り巡らされた気の流れのようなものからエネルギーを汲み取ることで行使されるものであるらしい。少し前に勉強した風水を思い出すような内容だけれど、それの体系は平安時代にはもう完成していたと言うし、実際も似たようなものなのかも知れない。
さて、話を戻すわ。
先程の歌詞の中にある単語を改めてピックアップしてみる。
巨人、うら若き乙女、乳飲み子……。この辺には何らかの意味が含まれていると思うのよ。特に巨人なんてのは何度も出てくる言葉。アル・テマの部族らは自らをも巨人と称しているみたいだけれど、侵略だの陰謀だのとネガティブな単語が並ぶ辺り、これはイケメンを現していると考えられるわね。でも……だとすると、その部族らはその大層な侵略者であるイケメンと自らを重ねていたことになる。太古の昔に畏怖を抱いた相手に対し、自己を投影するのはどういった心理が働いたのだろうか。いや、あるいはそうした巨大な存在に自らが至ることで、その恐怖に打ち勝とうと試みたのか。
尤も、巨人よりも分からないのが後続の二つだ。うら若き乙女などはさっぱり分からない。こればっかりはアル・テマ遺跡の調査が全て終わった辺りで推論を挙げてみるしかない。一方の乳飲み子。こちらは何となく想像が出来るものだ。
私の予想では、乳飲み子とはズバリ……人類のことではないだろうか。何より、歌詞がこの項目だけメッセージ性が高いもの。曲調も特に三つの文を強調している様だし。
剣を取れ。水面に映りし天を斬れ。魔が玉に宿すは外の生なり。……不思議なことに、私はこれに当てはまる項目をどこかで見たような気がしてならない。
今日は随分と長文になってしまったわ。続きは明日にでも書くことにするわね。……隣でリョンちゃんがじゃれ付いてくるし、そろそろ閉じようかしら。うふふ。
では、また明日。……Ciao!!
》
「アレックス君。君はミトラス教を知っているかね?」
肉厚なステーキをナイフとフォークで切り分け、巨大な肉塊を口にしているピョートル。見た目通りの豪快な食いっぷりである。
ここはとある航空基地の一室。シベリア鉄道でウラジオストクを目指していたアレックス一行は、駅も何も無い山岳地帯の一角に降ろされ、ロシア軍の護送車で連れて来られた訳だ。ただ、彼らを国賓として扱うつもりのようで、特に身分の高いアレックスとアリシアはピョートルの催す昼餉に招待され、豪奢な長テーブルに並ぶ豪勢な料理の数々を目の前にしている。ロシアはその国柄故に、欧州やアジア各国の文化を数多く取り入れている。ソビエト時代に栄華を極めたそれは、食文化においても独自に昇華している。今並んでいる献立も、ピョートルの前には好物であるステーキやボルシチなど、アレックスの前にはサンドイッチのような大衆料理からキャビアを盛ったクラッカーといったフレンチ風のものなど数種類。人間の食事を受け付けないアリシアにも、目にも鮮やかな中華料理がところせましと並び、見かけによらないピョートルの気遣いを感じさせる。
『……確か太陽神信仰の密儀宗教だったかな。ローマ帝政時代において、キリストと並ぶ二大宗教の一つと言う意見も散見するが……』
「その通りだよ。強いて言うなら、私はその宗教の本質を『男性的かつ好戦的』だったと解釈するがね」
彼は鉄板の上の肉塊を平らげると、それを見計らってシェフ自らが奥の厨房から現れて、ピョートルの正面に肉汁が弾ける鉄板を置く。彼はこれで三皿目だ。シェフが空の鉄板を片付けるのも待たず、彼は目の前に置かれたステーキにナイフを入れる。
「そもそもが精強な軍を保持して栄華を極めた、軍事国家の色合いが強いローマ帝国だ。そこで熟成されたミトラスの宗教的性質がそれに引っ張られるのは仕方ない側面がある」
肉塊を美味しそうに頬張るピョートルを目前にして、アレックスやアリシアは口をつけようとしない。アリシアはともかくアレックスもである。ピョートルが彼に向ける視線が一層鋭さを増していく。
「さて、そのミトラス教だがね。その内容は中々に興味深いよ。神様は妊娠した岩から産まれるんだ。オマケに主神であるミトラスは牛を屠ることで豊穣を司るものであるらしい」
『知っているよ。牡牛の腸から迸る精液が洪水のように溢れかえり、それが種子となって大地に実りを与えるとか』
「その通りだ」
ピョートルはにこやかに同意を示した後、今まで一度も口をつけていない、恐らくもう冷めているであろうボルシチに口をつける。
「ところでな、アレックス君。私はあのシェフが好きだ。……彼の作る料理は芸術的で、それでいて常に最適化した味を提供してくれる」
彼は一口それを含むと、何も言わずテーブルの端に皿を置く。
「だがボルシチだけは駄目だ。Вкус мамой(母さんの味)じゃないからね」
先程と同じようにシェフがその皿を下げる。彼が深く頭を下げると、ピョートルはそれを手で払って厨房に追い払う。
「宗教も同じさ。それを信仰するのは人だ。そこには母性が必要になる」
『男性的象徴の多いミトラス神。その中にある花嫁の位を持つ信者も男性が演じたとも言われている。その内実は信者の徹底した女人禁制を物語っている』
「例外もいたそうだが……」
ピョートルのフィンガースナップ。それに合わせて三人の目の前にグラスが置かれ、順番に赤ワインが注がれる。
「食前酒は口に合わなかったようだからね。食後のワインだけでもどうだね? ソビエト解体当時からのヴィンテージものだよ? 五十年以上も熟成されれば、このようにイエス様の血のような赤になる。ブラッドリー卿も是非、色だけでも堪能してくれたまえ」
「はあ……」
歴史などさっぱり予習して来なかったアリシアである。やれミトラスだの、やれソビエトだの言われてもさっぱりだ。話の脈絡で何とか追えているというのが彼女の現状だ。
「……でも、私――」
ここまでほとんど沈黙してきたアリシアが口を開く。
「――私も自分の肉親は父親しか知らないし、もし私にも母親がいたら、きっと凄く甘えていたと思うわ……」
彼女の表情に影が差す。ピョートルは彼女の告白に静かに同意を示す。
「それを知っているのは、君が強い人間……じゃなくて吸血鬼である証だよ。母親は偉大だともさ。だからこそ、どのような場面、どのような時代、あらゆる宗教にも偉大な母は描かれている。……女性的要素の大半を重要視しないミトラスにも、微かに母性を感じられる要素と言うものが存在している」
『花嫁の位、神殿から出土される女神の彫像、精液で孕む大地……辺りだろう』
「そうだとも」
グラスを傾けて一口含むピョートル。彼は鼻に抜ける甘美な香気に満足し、より一層口端を吊り上げた笑みを浮かべる。
「そもそも岩が孕む神話世界であるのだ。雄々しき神の武勇伝やそれを慕う信者の男性比率の高さ、ローマ帝政が求めた夫権的宗教価値の要望こそあれ、結局のところ根源を正せば母性……即ち地母神崇拝的要素が下地にあったのだ。万物が雌たり得るが故に、あらゆるものに強権的な男性的価値を見出すことの出来たミトラス教は、しかしてその根本にある母性的概念から親離れが出来なかった。……だから滅びたのだ。母親を犯しての種の繁栄など、決して望めないのと同じである」
『ようやく……私が話したい話題に入ってくれたな、ピョートル』
真っ赤に染まった肉団子めいた彼が薄ら笑いを浮かべている。対する鉄仮面は鉄面皮。いや、鉄製の仮面であるから当然ではあるが、今まで背もたれに身を預けていた彼が前傾姿勢になったことが、彼の食指が刺激されたことを表している。
『そう。人類は母性を愛するが、同時に母性からの脱却を望む生物なのだ。育まれる者から、創りだす者へと生まれ変わる。それは丁度、思春期における性への目覚めに似た衝動であるだろう』
そこまで言って、アレックスは懐からタブレットを取り出す。彼はそれを軽く振って見せると、ピョートルは了解の意を込めた頷きをしてみせる。
「アレックス君の隣に椅子を! ブラッドリー卿はそちらに移るのが宜しいでしょう」
「ご厚意に感謝しますわ」
アリシアは礼を述べると、執事が用意した席に移動する。丁度アレックスの端末の液晶画面が見える位置だ。
「……生憎私はリンゴが苦手でね」
『大丈夫だ、問題ない』
自身の持つ最新鋭のタブレットを掲げ自慢するピョートルの挑発。しかしアレックスは受け流す。慣れた感じと言うか、アリシアには彼らの息が合っているように思えた。
『ピョートル、日本語は読めるか?』
「ロシアの最高指導者である私に読めない言語は無いよ。常識だろう?」
アリシアは自身が前に読んだ【アシノズ・ダイアリー】が、画面上方向にスライドされる光景を見た。彼女は直感で理解する。そのテキストデータがピョートルの端末に送られたのだ。ピョートルは送られたデータを真剣に吟味している。
「……興味深い見解だな。それに二千年代初頭の学者にしては、随分と的確な見解をしているようだ。そうか、これがアシノか」
『私がウラジオストクを越えて行こうとした意味が分かっただろう。ネフィア、もしくはルルイエの主がその乳飲み子と言うのなら……』
「ジパングは確かに黄金の楽園であったようだな」
《
西暦2012年6月17日
今日は遺跡内で発見した石版にあった、恐らく空想上にのみ存在するであろう生物の説明をしたいと思う。渡氏のおかげで、石版に書かれた文字の大半は解読することに成功している。それを踏まえた上での、私の主観を踏まえた説明だ。
まず、太古の昔。地球が出来て間もない頃、宇宙から飛来した神様がいた。それが【ネプテウス】と呼ばれる者。石版に描かれた彼は、蛸のような頭部にやや肥満気味な人間の肉体。ぬらぬらとした粘液が表面を覆い、背中に生えた蝙蝠を思わせる翼で空を飛ぶことも出来たそうだ。ただ、地球に降り立った頃の彼はまだ幼子であったらしく、地球に来る前の記憶はおぼろげにしか思い出せないらしい。
地球に降り立って大分経ち、ネプテウスがその凄まじいまでの知能と発想力で独自の文明を築いた時、自身の話し相手になる存在を欲した。その時に創造した生物が【バンピーノ】と呼ばれる種族である。ただ、その生物は失敗作であったらしく、彼は新生物の開発にあたって地球の原生生物をモチーフにした。そうして生まれた生物は【ゴッドウィアナ】と名づけられた。
バンピーノにゴッドウィアナと、徐々に原生生物に近い生物を生み出したネプテウスは、遂に海中の軟体動物に目をつけた。それまで自身のコピーを地球の物質で生み出すことを考えていた彼は、ここに来て初めて地球の生物を人為的に進化させ、知的生命体を生み出すことに思い至った。そうして生まれたのがエルフィアンである。
ここまでの石版の情報が、渡氏らが名乗る龍の一族の系譜の物語と繋がる。バンピーノとゴッドウィアナと呼ばれる生命体は確認出来ないが、エルフィアンは意図的に進化させられた生命体であることの裏づけが出来れば、今調べているエルフィアン文明の話はいくらか纏めることが出来そうだ。そのエルフィアンの創造主であるネプテウスの存在も、エルフィアンの遺跡や先日説明した部族達の英霊に捧げる歌の中で示唆されている。例えて言えば、生物を創造して使役するという生物的性格が一致する。エルフィアンにとってのサイキック・クリーチャーは、ネプテウスにとってのエルフィアンらに該当する。また、部族の歌の歌詞にある乳飲み子。あれは人間ではなく、ネプテウスのことだったのだ。自信を持って断言していた過去の自分が恥ずかしい。
》
「そうしてその十年後に起きた日系テロリストの侵略戦争。かつてのエルフィアンと同じく、ルルイエやゼロファイターなどのロストテクノロジーを利用している以上、日本もその恩恵を受けているに違いない」
ピョートルのフィンガースナップ。同時に部屋に雪崩れ込んでくるロシア軍のエージェント達。彼らは銃を向けてアレックスとアリシアを包囲する。
「ここまでの情報提供をありがとう、アレックス君。日本にあると目されるロストテクノロジーは、我々ロシアが頂くよ」
「ちょ、ちょっと待ってよ!?」
急な展開についていけないアリシアは呻きながらも彼に食いかかる。
「今の話でどうして日本になるのよ? こじつけに過ぎるんじゃあないの?」
『いや、私達にとってはこれで十分なんだ。詳しくは現地で教えるよ』
「愚か者め!」
アリシアに説明するアレックスをピョートルは叱咤する。
「敵地に潜り込んでおいて、我々が生かして帰すと思うか? 情報さえ吐かせれば君達は用済みだ。決して日本へは行かせん!」
ピョートルはタブレットを操作。来賓室の出入り口が全て封鎖される。
「袋の鼠と言うやつだよ、アレックス君!」
『……そうかな?』
瞬間、部屋の照明が一斉に消される。窓の無い室内が一気に真っ暗になる。と同時に、通気口から何かガスのようなものが噴出される。
「革命鎮圧プログラム……!? どうして!?」
ピョートルが慌てて自身のタブレットを操作する。しかし、タブレットは如何なる操作も受け付けない。どころか、勝手にテキストデータをどこかからダウンロードしていた。ロードが完了し、文章が液晶に表示させられる。
《メイドインコリアなんてザルですわ!》
驚愕するピョートルに兵士が近づく。
「大統領! 捕虜の三人も逃げました!」
「電子錠は!?」
「ハッキングされて……それどころか、司令室のコンピュータも大分やられたようで……」
頭に血が上った様子のピョートル。彼は兵士を思いっきり殴りつける。彼が気づいた時にはアレックスらも見失っている。ピョートルは血走った眼を兵士に向ける。
「無線が使えないのなら走って伝令に行かせろ! やつらの目的は航空機だ! ゼロファイターも出させて必ず阻止しろ! 目標の生死は問わん!」
そこまで一息に言ったところで、ピョートルは兵士が用意したガスマスクを装着する。致死性のガスを少し吸い込んだようだったが、彼は休んでなどいられなかった。
「このまま行かせればキヨモリ公に申し訳が立たん……」
アレックスとアリシアは日の光が差し込む窓を避けながら、衛兵の目を掻い潜って逃走を開始していた。アレックスのタブレットから情報を受け取って、シンとドバチ、ミステリアが合流する。
「ロシア大統領専用のプライベートジェットが滑走路にあるわ! それを奪って脱出しましょう! 比較的早い段階でここの通信系統は掌握しましたから、あとは大統領権限でゴリ押しすれば一先ずは日本へと行けますわよ!」
ミステリアが提案する。同時に、アレックスの端末に周辺の地図と目的地に行く為の安全なルートが表示される。
『よし。それで行こう。ドバチはロシア軍を撹乱してこい』
「アイアイサー!!」
おどけた調子で廊下を飛び出していくドバチ。アレックスはその反対方向に駆け出し、手にした端末を視界に納めながら進んでいく。
『まずは正面の出口までの経路を抑える。可動式防壁の位置』
「今送るわよん」
ミステリアは一切端末等を動かした様子を見せなかったが、管制塔の操作によって昇降するシャッターの位置情報がアレックスの持つ端末に送られる。それも一瞬でだ。
『その先の十字路、二番と三番を封鎖』
アレックス達は駆けながら、進行方向でない通路を次々と封鎖していく。急速に閉まるシャッターを前に踏鞴を踏む敵を尻目に、彼らは最短ルートで先を急ぐ。
実際に基地の機能を掌握したミステリアは、表面上は全く不審な動きを見せていない。アリシアは最初、彼女が何か鬼魔法のような超常的な力を使っていると考えた。
「敵だ!!」
ロシア語で敵兵が叫ぶ。そして発砲。狙われたのはミステリアの足だ。アキレス腱を撃ち抜かれた彼女は勢いのまま床に倒れ伏す。
「死ね!!」
アサルトライフルを構えた兵士が嗜虐的な笑みを浮かべる。
しかし、彼の目前で尋常ならざるあり得ないことが起こる。ミステリアの頭部に、ハッカーなら誰もが知る面妖な表情をした仮面が浮き上がる。と同時に、上半身と下半身が分離し、強靭な両腕を足のようにして駆け始めたのだ。
「何事だ!? あたかも蜥蜴――」
気が動転して俳句を詠み始めた兵士の横を三人はすり抜ける。残された下半身の断面からロケット砲の弾頭が覗いている。ミステリアがそれを切り離していた段階ではもう照準を付けていたそれは、辞世の句を詠む兵士を木っ端微塵にした。
『急で申し訳ないがね、ブラッドリー卿』
走り続けているにも関わらず、アレックスは息も乱していない。マントを片腕で外しながら唐傘お化けの要領で疾駆するミステリアを視界の端に捉えつつ、出口を目前にアレックスはアリシアに懇請する。
『君にも手伝ってもらいたい。少しの間だけ、外で戦ってもらいたいのだ』
ピョートルの指示で、基地に駐屯するゼロファイターの部隊が出撃する。三人が会食していたのはコの字型の建物。その建物の開けた方に対して、航空機などが収容された倉庫が三棟川の字に並んでいる。ゼロファイター部隊とは言え、第三次世界大戦で鹵獲した二機と、アメリカ軍から先程接収した一機の計三機だ。
「聴こえるか!? 相手は工作員が一人、吸血鬼と思わしき女性が一人、あとは全て戦闘経験のないただの芋だ!」
ハッチを開けて兵士が声を張り上げる。アメリカから接収したサクラ・テンペストが起動し、背部からビームタネガシマを取り出す。頭部の兜のようなパーツが逆Yの字に展開し、球状のセンサー類が露出する。球状液晶画面で赤く光る円が縦横無尽に動き回る様はまるで巨大な目玉だ。
「隊長、任せてくださいっすよ!」
「そうですよ隊長! さっきだって、挟み撃ちにするだけで中のパイロットを気絶させ、無傷でそいつを手に入れたんですから!」
同じく兵士の部下がハッチを開けて応答する。無線が使えない今、彼らは肉声で指示を受ける他ないのだ。
二機のゼロファイターは【ポチョムキン】と呼ばれるロシア式のものだ。兜のような頭部装甲を外し、標準装備であったビームタネガシマを巨大な銃剣と交換している。ロマンよりも戦地での整備性に重きを置くロシア軍には、ワンオフにも等しいそういった装備は邪魔でしか無いのだ。
「アメ公にジェット機は勿体ねえぜ。弾の一発だって勿体ねえ。ポチョムキンの銃剣で一突きの内に絶命させてやれ!」
隊長の指示で二機のポチョムキンが先行する。軍用車がところせましと並ぶ基地内部。その中心にある開けた滑走路に件のジェット機がある。滑走路では敵は身を隠せない。危険を覚悟して強行突破をするくらいしかアレックスらには打つ手が無いのだ。
やや猫背気味の一つ目の巨人が二体、滑走路を小走りで駆けている。足の関節部が伸縮する度に、周辺に薄桃色の粒子が滲み出ている。その正体はロシア軍でも分からないのだが、その粒子が機体内部で動力として働いているのは確かである。飛行などをするとそれが大量に噴出すことから、ロシア軍ではその機能は極力使わない様に省エネでやりくりしている。ゼロファイターの耐久年数がそもそも未知数ではあるが、整備がほぼ不可能な本体は補給すら望めない。戦争の在り方を変えた兵器ではあるが、その辺りが世間に混乱を与えていない要因である。
先行していた一機が施設とジェット機を挟む位置に陣取る。銃剣を構えながら正面の軍用車の一台一台に気を配る。
「しかし、普通に考えて……こういうのは歩兵部隊の仕事っすよね?」
先行していた機体から顔を出し、鼻の頭を掻きながら青年が愚痴を零す。
「馬鹿! 無線が使えない今、大人数の兵隊なんて動員したらかえって利用されかねん! それに相手の戦闘力だってかなりのものだ。現代の戦闘ではもう既に負けているようなもんだぞ!?」
「ゼロファイターがあって、むしろ良かったってことっすか?」
同輩に指摘された兵士が複雑な表情をする。彼の「テロリストの武器っすよ」という呟きはシベリアの風の中に埋もれていく。一兵卒の感情など、戦場ではこれっぽっちも考慮されない。彼らは戦場を回る歯車なのだ。
瞬間、正面に止まっていた車が一台、凄まじい急加速をかけて先行していた彼に突っ込んできた。対する彼は、ハッチも閉めず、何でもないとでも言うように銃剣で車を串刺しにする。全項が三メートルにもなる人型巨大兵器である。銃の先端に付いたものとはいえ、その刃渡りは二メートルを超え、かなりの太さを誇る。それはもはや、先の鋭い鈍器だ。車はあっと言う間にスクラップになり、搭乗者は全て絶命したかに思えた。
「っ!? いない!?」
それは無人だ。彼の驚愕と同時に、更に三台もの無人車が突っ込んでくる。彼は今度こそ発砲。それらは鉄の嵐を正面から受けて、煙を上げるただの鉄屑と化す。
「車がぶつかったくらいで、倒せる訳ないっすよ!」
しかし、彼のその判断が命運を分ける。
彼が串刺しにした車。その底面から車とポチョムキンの影を伝って何かが這い寄る。
そして吐血する兵士。何事かと目を見開く彼の目の前に、投げキッスをするイブニングドレスの女性。彼の心臓には血の様に赤い槍が刺さっている。
「……マジっすか?」
その言葉を最後に彼は絶命。その死骸を放り出し、アリシアはポチョムキンのコックピットに乗り込む。
「良い日傘ね」
アリシアはコックピット内で思いっきり体を揺らすと、ポチョムキンは勢い良く前のめりに倒れ込む。銃剣も手から滑り落ち、本体の下敷きになる。
「おい!? 何があった!?」
もう一方の兵士が異変に気づく。だがもう遅い。
倒れたポチョムキンが僅かに持ち上がる。その高さは丁度女性の身長程。赤い双眸が影から兵士を見ている。
「ヒィッ!?」
兵士は身の危険を感じてハッチを閉める。しかし、それよりもアリシアが速かった。彼女の手にはポチョムキンの銃剣。人間が持つとちょっとした神輿ぐらいの大きさのそれを腋に抱え、引き金の部分を思いっきり踏みつける。車を一発でスクラップにする銃弾が兵士に吸い込まれていき、彼はまるで熟れ過ぎたトマトのように炸裂。当然絶命だ。
「アハッ! 銃ってなかなか面白いわね!」
人間が破裂する光景を初めて見たアリシアは歓喜する。が、そこに凄まじい熱線が照射される。アリシアの上で日陰を作るポチョムキンにビームタネガシマを撃つゼロファイターが一機。サクラ・テンペストだ。
「吸血鬼か……。なるほど、確かに恐ろしい……」
隊長格の兵士が静かに呟く。彼の駆るサクラ・テンペストは引き金を引く指を微妙に加減し、極限まで威力を抑えた状態でビームを照射している。
「だがな。俺達ロシア人はな、お前なんぞより遥に恐ろしい奴を相手に戦争をやったんだ」
まるで彼女の恐怖を煽るように、徐々に近づいていく兵士。威力を抑えているとはいえ、ビームの直撃を受けているポチョムキンの表面は炎上している。金属製のゼロファイターでさえそうなのに、吸血鬼も生身で受ければ無事では済まないだろう。
「俺の乗っているこいつは! 俺達の国にやって来て……抵抗出来ない俺達ロシア人を容赦なく焼き殺していったんだ!」
炎上するゼロファイターの下も凄まじい温度になっているはずだ。そこから2メートル程離れた場所でサクラ・テンペストは停止する。
「白旗揚げても、止めてくれと懇願しても、奴らは『ヴァンザイン! ヴァンザイン!』と喚くばかり。狂気だよそれは。そんな中で生きてきた俺達は言うんだ」
トリガーにかけられる兵士の指が震える。
「俺達の第三次世界大戦は……まだ終わっちゃいねえ!!」
サクラ・テンペストの指に力が入る。そしてビームタネガシマの出力が上がる。周囲の温度は急上昇。ハッチの外はちょっとした溶鉱炉状態で、滑走路のコンクリートも融解を始めている。
彼は引き金から手を離すと、目の前には黒っぽい何かのカスがあった。コンクリートや金属類……そういったものが融けて、燃えて、そうして残った燃えカスだ。
しかし、それよりも黒く、そして暗いものが辺りを覆いつくしていた。
兵士はその異変に気づく。昼過ぎに太陽が沈むはずが無い。だが彼がどれだけ辺りを見渡そうとも、地上を照らす太陽が見つけられないのだ。
「……やれやれだわ。この程度で吸血鬼を殺すつもりだったのね?」
天を仰ぐ兵士の目に映るもの。それは目だ。
空を覆い尽くす程の無数の目。その瞳は一つ残らず彼に向けられている。彼はサクラ・テンペスト内のモニターでその光景を見ているのであるが、それが現実であることが到底信じられなかった。
「どうしたんだ……。メイド・イン・ジャパンも壊れる時は壊れるもんだな。ははは……」
モニターを呆然と見やる彼は、しかし突然に赤みがかった白日の下に晒される。コックピットのある胸部のハッチが引き千切られたのだ。引き千切ったのは、血のように赤い、地面から突き出た巨大な腕。溶鉱炉の中にいた彼女は、先程と同じ場所で平然と立っている。その目は嗜虐的な光を放つ。
アリシアはサクラ・テンペストからビームタネガシマを奪う。そしてそのままフルスイング。操縦者を剥き出しにした巨大な武士は、棍棒の如く振るわれたビームタネガシマの打撃で腸を抉られてしまう。
「……銃は殴った方が強いみたいね」
あまりの衝撃で細かく磨り潰されてしまった兵士を尻目に彼女がそう呟く。と、同時に彼女はジェット機の中にいた。始祖の吸血鬼が持つ魔力があってこそ可能な、数々の超常現象。その片鱗を彼らは味わったのだ。
『実に恐ろしきは、吸血鬼の本気だ。恐れ入った』
拍手をして迎えるのは、彼女の正面に座るアレックスだ。彼女の隣にはシンが座る。真ん中の通路を挟んで向こう側の席にドバチとミステリア、そしてもう一人。
首から上が無いロシア人エージェント。いや、良く見るとそれは通路に数人、窓の外にも同じような死体がそこかしこにうち捨てられている。
アリシアはその死体の損傷具合から、頭部を爆破されたのだと気づく。明らかに、爆弾魔……ドバチの仕業である。
「ミステリアがロシア国内の管制塔とやり取りをします。操縦の方もここのオートパイロットが賢いですからね。誰かが座っておけばまあ落ちはしませんよ」
アレックスは無言で背後の操縦席の方に親指を向ける。ドバチはニヒルな笑みを浮かべながら無言で立ち上がる。彼はそのまま操縦席へと消えていった。
そのまま離陸を始めるジェット機。息絶えた部下の海に一人立ち尽くすピョートルは、その光景を呆然と眺めている。
厳島神社に核攻撃が始まったのは、アリシアらを乗せたジェット機がロシアの領海を越え、厳島神社へと不時着してすぐのことだ。
この件でロシアは国際的な非難を浴びることになるのだが、物語の本筋はそこではない。何よりも問題だったのは、ロシア軍の放ったおよそ百発にもおよぶ核ミサイルが、厳島神社上空で爆発。しかし、その強烈な放射能を含んだエネルギーを、緑色の薄い膜のようなものが包み込み、それを全て吸収してしまったのだ。
「安芸の国、いや広島に……そして長崎に! それが落とされると余は予見していたぞ!」
禿頭の老人が厳島神社の舞台にて高らかに宣言する。
「その時の余はアルベルト・アインシュタインと名乗っていたが、統一場理論によって解明された真実を、諸君らは唾棄してくれたな」
彼が読み上げているのは平家納経だ。全三十三巻にも及ぶその経は、彼の龍魔法に反応して、厳島神社の上空にブーケの如く緑がかった花を咲かせる。
「核エネルギーは四つの基本相互作用をもたらす。それは合コンにも似た熱き迸りとなって、今生に阿吽を形成する」
平清盛は経の次の巻を読み上げる。
「余がアルキメデスを名乗った時のことを思い出せ。厳島神社はレンズに同じぞ。核は日輪を人の手で生み出す為のもの。故に風雅である」
彼が発する言葉は花言葉だ。彼の叡智が物事の深層にある概念に作用し、人類を新たなステージに導く為の足掛かりになる。
「風雅を冠する花言葉により、核兵器は人命共々に害為すこと能わずなり!」
核攻撃への報復か、厳島神社の上空に咲き乱れる花々からホウセンカの如く火の玉が降り注ぐ。全世界に向けてレザードムゥの侵攻が始まったのだ。
《
西暦2012年8月15日
私の母国では盆と呼ばれる時期、そして今日は日本人にとって忘れられない……終戦記念日だ。天皇陛下によってポツダム宣言の受諾がなされ、神を名乗っていた者が人の世界に引き摺り降ろされた日。
今年も私は帰れそうにない。両親の墓参りは一体何年先になるのだろう。来年こそは会いに行こう。人には死者と向き合う時間が必要になる時があるのだから。
》
東京は早くも焼け野原だ。火のように攻め立てるレザードムゥは、さながら火葬場のような熱気を放ちながら二十三区を練り歩く。
摩訶不思議なものに命を奪われるのは悔しかろう。口惜しかろう。その怨念が、憤慨せし英霊の魂が、邪悪に燃え盛る恐竜共の糧となるのだ。
その死に様は苛烈を極め、東大寺にて茶釜に火薬を詰めて爆ぜた弾正の歌のように。あるいは羅生門にて下人に卑しい財産を奪われた老婆の嘲りのように。
……嗚呼、諸行無常也。
《
西暦2012年9月11日
今日はアメリカ人にとっては忘れられない日だ。私の研究チームも何人かが帰国している。私も両親をとあるテロによって亡くしているから気持ちは分かる。
大切な人を失う。それも突然に。……平和な世界で暮らしていると、そんなことがフィクションの中だけのものと錯覚してしまうこともあるかもしれない。でも、それは間違いだ。……いや、間違いだったとその時気づかされたのだ。
資本主義という恒久的平和の実現を謳うそれは、もはや幻想であったと気づいてしまった。それは外世界からの警告。私達は内側のみを見過ぎていたのではないか。
私達は、平和を望む私達の心を映す鏡を見て、世界そのものが平和であると錯覚しているに過ぎない。目を開け。否、目を向けるのだ。
私達の居る世界とは違う、外の世界へ。
》
ブロードウェイを彩るネオンが血に染まる。新大陸を蹂躙された原住民の呪詛の迸りであろうか。それはハリウッドでも同じで、彼らが舞うのは人死の華々しさ。夢にまで見た兵達の歩みは嘆きの悲鳴すらも地響きで掻き消していく。
混沌の世界より出でし怪物が、秩序だってそそり立つビル群を、バターに入れる熱したナイフのように突き進む。人生の終幕で見る彼らの光景は何であるか。
新天地を求めて我武者羅に直走った道の先が破壊であるのなら、彼らは末期の祈りに何を口にすれば良い。走馬灯の中で輝く自身を映すことが出来るのか。
《
西暦2012年10月2日
私は知っている。もうすぐ訪れる第二月曜日はコロンブス記念日だ。それはコロンブスが新大陸を発見したのがこの頃だったのが由来。
そもそも世界が球状に閉じていると一般的に知られていなかった時代。彼は交易のルートを西回りに設定した。当時としてはかなり掟破りな行動。目的地には絶対に辿り着けないだろうと誰もが彼を罵った。
しかし、彼は西の海へと船を出した。そうして新大陸を発見したのだ。
自らの知らない外世界への渇望。人知を超えた何かが掻きたてる衝動。それは宇宙へと進出し始めた人々の情熱であり、ネプテウスが唯一母星から持ち出してきた希望。
私はエルフィアンだけじゃない。ここを調べつくし、彼らが戦ったとされるイケメンなる存在に目を向ける。真にイケメンとは何なのか。
私は真実を欲する。真相へと辿り着いた先にあるのは一体何か。
私は……知りたい。そうとも……知らなければならないのだ。
天に召します主よ。見守るお父さん、お母さん……。私をどうか導いてください。
》
世界が炎に包まれる。今生に住まう人命が風前の灯の如く。吹き荒れる旋風は厳島より来る。それは最後の審判であるのだろう。
神の国へと至る為の箱舟には限られたものしか乗せられない。これより渡る星の運河へと沈みたくないのであるなら、我々は選択をしなければならないのだ。
選民達は集う。天より降り立った赤子が最後まで夢に見た、楽園へと誘う巨大なエレベータの御前に。真実はもう目前である……。
《
西暦2012年11月2日
あれから約一年ちょい。私は衝撃的な事実を知った。ここに記しておくことも考えたが……否、明日に我が母国にて全世界に発表する用意が私にはある。恐らくは、この発表によって世界中が混乱するだろう。だが、私達人類にはそのような時間も、もう残されていないのだ。
この事実に気づいたのは二日前。ここ六ヶ月程で集まった資料を基にある真実が浮かび上がった。確信したのは、ほんの数時間前だ。さらに、昨日の夜、近郊のとあるモーテルで渡氏が殺害されていたのだ。……恐らくはやつらの仕業でしょうね。幸い、今日、本国から到着した自衛隊や私専属のボディーガードが私を護衛してくれるでしょうから、無事に母国に帰れるでしょう。
見ていなさい! 私はこの事実を絶対に世界に公表してみせるわ! たとえ、何が邪魔して来ようとも!!
》
《
西暦2012年11月3日――――
日没を迎える厳島神社。出店や土産屋がシャッターを徐々に降ろし始める中。
私は海岸を呆然と彷徨っていた。頭の中で最後の記憶を反芻する。
飛行機で厳島神社の上空に差し掛かった辺りで、アレックスの言う核攻撃なるものが始まった。強烈な熱と爆風で機体が揺さぶられ、木の葉が舞うようにして海上に衝突。私はぐちゃぐちゃにかき混ぜられる機内で何とかシンを救おうと手を伸ばす。シンは「アリシアは泳げないでしょ? だから早く逃げて」と言い、捩れ融ける機内へと消えていった。
私は決して死なない。私は海に落ちれば助からない。
私は決して死なない。例え愛する人が死の淵に身を投げようとも。
死なない。いいえ、違うわ。私は死ぬことが出来ないのよ。どれだけ救いたい人がいても、私という生き物は自らの生存を最優先にしてしまう。それは呪いよ。
彼を私は救わなかった。それは、もし救えば私は助からないことを意味している。
「父上! 父上! いるのでしょう!? 父上ッ!!」
私は叫ぶ。そうよ……。私は父上を捜しに来たのよ。この島の名前は宮島。ここにある厳島神社は、父上が最後に目撃されたとされるルルイエと、強い縁がある場所だ。きっと、……きっとどこかにいるはず。
「……ぐっ。……ぅぅぅ」
私は涙を流していた。……そう。本当は知っていたのだ。
「父上! 父上!」
幼い私はそう言って目の前の青年に抱きつく。ルーマニアにある古城の主、カトル・ブラッドリー卿。古くはドラキュラ公を名乗っていた、旧ワラキア公国の君主だ。
「アリシア……」
心地良いアルトが耳朶に響く。彼の姿形は当時と大分変わったらしいが、その魔力に溢れた魔性の声は変わりようがない。私はその声が大好きだった。
「良いかい? 始祖の吸血鬼はね、代を経る毎にその霊魂と精神を先代達と統合させるんだ。そうやって長い歴史を重ねて来たんだよ」
「わたし、しってるもん!」
私は頬を膨らませて彼に答える。その話は何度も聞かされた古物語だからだ。流石にもう聞き飽きていたから、当時の私は彼の言葉に反発した。
「うん。……でもね、お父さんはそれが……本当は良くないことだと思うんだ」
「どうして?」
特に深くも考えずに首を傾げる私。……今にして思えば、彼はもうとっくに決心していたのだろう。
「う~ん……。どうして、って言われても困るんだけどね。……アリシアは死んだことってあるのかな?」
「ないよ!」
「そうだよね。僕も無いよ」
朗らかに笑う彼の表情に、私も何故だか嬉しくなったものだ。
「僕も、そして先代も含めて……僕達は一度も死んだことが無いんだ。僕達吸血鬼にとって、肉体はただの器に過ぎない。姿形なんてどうでも良いんだよ。……そうして常に新しい肉体を得て、僕達は永遠に混在し続ける」
彼はそう言って、私を抱きかかえた。子どもの頃なんて、目線が高くなっただけで大はしゃぎしたものだ。今の私はそれが嫌になるような経験をしたのだけれど。
「アリシアは嬉しい?」
「うれしい!」
「うん。その感情は貴重だよ。アリシアがアリシアでいる為に必要不可欠な、感情というものは。アリシアはこれから嬉しいことも、悲しいことも……全てありのままに感じていくべきなんだ」
「いやだ! わたしかなしいの、いや!」
私は悲しいという響きだけで、まるで自身が絶望したかのような錯覚に陥っていた。
「いやじゃないよ、アリシア。それは何よりも大切なものだ。長く生を司る者として君臨してきた僕達吸血鬼にとって、それは決して失くしてはいけないものだ」
彼はそうとだけ言うと、私を床に下ろしてしまう。地に足が着いた私は、踵を返した彼の足にしがみ付く。どうしてだか、その時は彼が遠くへ行ってしまうような気がしたのだ。
「父上……」
彼は振り向かない。私は自身の感情のままに言葉を紡ぐ。
「父上はどこにもいかないよね?」
……違う。私がその時に言うべき言葉は、「どこにもいかないで」だったのだ。
「……アリシア。もう行かなきゃ」
その晩以降、彼が帰ってくることは無かった。それは消失感と呼ばれるものだったのか。いいえ、それが喪失による悲しみであることは確実よ。父上に続いて、私はシンを失ったのだから。
でもこれだけは分かる。彼は何かの決心があって、私に何も言わずに消えたのだ。それは始祖の称号を冠する吸血鬼にとっては前代未聞。先代までの叡智も能力も、その大半を私に託すことなく死んでしまった。
私はそれが信じられなくて、シンを巻き込んで彼を捜しに来てしまった。その末に私は二人の大切な人を失ったのだ。
「馬鹿よ。……わたし」
私はその場に崩れる。何が始祖か。何が生を司る者か。先代から積み重ねてきたものがなければ、所詮はただの小娘一人に過ぎないではないか。
「カトレア?」
突然の声。私は潤んだ眼差しを声の主に向ける。金髪の女性だ。かなりラフな格好をしているが、観光客なのだろうか。
「カトレア……じゃあないのね……」
「……アリシアです」
さっきから違う名前を呼ぶ観光客に腹が立ち始めた。でも私は彼女に少し感謝をしなくてはならない。感情の沼地に沈むしかなかった私に、抜け出す足掛かりをくれたのだから。
「それに何なのですか? 先程から私の胸ばかり見て……。いくら貴女が女性だとしても、そういう風に不躾に見つめて良い理由になりません」
私はこの奇妙な観光客の視線から庇うように胸を押さえる。先程は別人の名前を呼んでいたようだし、本格的に変人ではないだろうか。
「え? あ、いや……ごめんね? 想像していたよりかなり大きかったみたいだからさ」
「どういう意味です?」
そういう彼女もかなり……いやいや、私よ。自制しろ。
「それよりもさあ急いで! 厳島の戦いが始まってしまうわ!」
私が頭を振っている内に、彼女は突然私の腕を掴む。そして急に駆けだした。
「いや、何で知らない人に――」
「私はカリギュラよ」
「そうじゃなくて!」
どこかズレたカリギュラと名乗る女性に連れられて、私は赤を基調とした東洋風の神殿のような場所に入り込む。その神殿は砂浜や海に迫り出すように作られているようで、足元の床から波の打つ音が響いてくる。神殿内は紙に覆われた蝋燭のようなものが吊るされ、海上要塞めいたその内装を薄明かりで照らしている。
そうして連れられた先。そこは海に浮かぶ台のようだ。正面には赤い鳥居。柵に囲われた台が他より一段高くなっている辺り、そこは日本式の劇場なのかもしれない。そこに立つのは二人の男性。内一人は見覚えがある。
『遂に来たか。鬼を司る末裔よ』
「アレックス・エンジュリア……」
鉄仮面に白のダブルスーツ。その姿は忘れもしない。逆恨みだと分かっていても、シンを巻き込んだ者として彼に良い印象は持っていない。
『これも清盛公から聞いていたカリギュラの予言の通りだ。この場にて生き残り、高舞台に上がることの許された者』
「何ですって!?」
アレックスは知っていて私とシンを連れてきたと言うのか。
「うむ。これも天道の導きなれば……余も大変感慨深いぞ!」
アレックスを問い詰める私を完全に無視して、彼の隣に立つ禿頭の老人が唸る。
『平家総代・平清盛。今こそ人類は外世界に目を向ける時です』
アレックスは平清盛と呼ばれた老人に進言する。老人が大きく頷くと、アレックスは海中から何かを引き上げる。それはミステリアの残骸だ。
手足は千切れ、頭部を覆うガラスのようなものも割れて無くなってしまっている。その中には赤毛の少女が入っていた。どうやらミステリアの正体は、人型の機械人形に身を収めた少女であったらしい。
彼女の口から「ヒィッ」と小さな悲鳴が聞こえた。彼女の周囲を渦巻く狂気の予感に、恐れ慄いているのだろう。
「これより、処女懐胎の儀を執り行う!」
老人の宣言と共に、アレックスはミステリアを両脇から抱きかかえて高く持ち上げる。
そして老人のボディーブロー。容赦の無い拳は少女の腹部に打ち込まれる。完全に私の理解が及ばない範疇の出来事が起きている。
「痛い……痛いよ……ぅっ!?」
呻く少女を更に老人の拳が襲う。その衝撃に彼女は吐いてしまう。しかし、この狂気の宴は終わらない。彼女が泣こうが泣くまいが、この儀式は終わらないらしい。
そうしてミステリアが十三発程殴られた辺りで、彼女の体に異変が起こる。彼女の腹部がまるで妊婦のように脹れている。殴られた衝撃で腹部が腫れてきたのかとも考えたが、その膨らみようは明らかに異常だ。
「ぅあっ……ああああああああっ!?」
ほとんど意識が無い状態で彼女は叫び声を上げる。そして足をM字に開脚。血の混じった失禁を男二人に披露する彼女に反応するように、私達がいる台が空に浮かび上がっていく。……私の理解が全く追いつかない。
「高舞台が天に昇る……。嗚呼……嗚呼!!」
カリギュラが感嘆する間も、高舞台と呼ばれるそれは凄まじい勢いで上昇する。気づけば私達は雲の上だ。それすらも追い越し、もはや上昇しているのか下降しているのかも分からない状態だ。
『……この女はもう用済みだ』
アレックスは抱えていたミステリアを空へと放り出す。何かをその胎内に孕んだらしいが、雲の中に飲み込まれた少女の肉体を検める術は無い。彼女は最低でも海面に叩きつけられて破裂死するだろう。だが、その方が彼女にとって幸せかもしれない。訳の分からない理の中で生じた子どもを産むなんて、あの小さな身体ではおぞましくて、とても肉体が耐えられそうにないだろうから。
「アリシア。アリシア・ブラッドリー」
透き通るような蒼の中で、私の隣に佇む女性が名を呼ぶ。
「これからあなたに伝えるのは、過去の真実」
蒼は瞬く間に星々を映し出すスクリーンに変じる。幾何学的な、知恵の輪パズルにも似た金属片が真っ赤な地球に降り立つ。それは揺りかごであった。赤子は猛々しい大地の熱と、緩やかな波間の中を漂い、緩やかに育まれている。
私が観ているこの光景は、純粋な親心に根ざした記録映像だ。
『死を超越した土人形よ! お前はバンピーノだ!』
成長した赤子が生み出した影。サイキック・クリーチャー。それは揺りかごの中に内包した真実をも呑み込み、慈愛に満ちた眼差しで赤子の成長を見守る。
『青々と茂る緑の者よ。汝の肉は神に成らざるなり。……ゴッドウィアナ!』
草木に自我すら与えるその所業を見て、私はその赤子はネプテウスであると理解する。彼の発想力が尽きぬ限り、彼はどんな生き物をも創造することが出来た。
だが、唯一生み出せないものが彼にはあった。それは自身と同じ種の生物である。どれだけ多種多様な生態系を再現してしまえても、彼の孤独感を埋めるものは何も生み出せない。そんな彼を見つめる影はとても寂しい目をしている。
『そして、我々エルフィアンは生まれた』
スクリーンの中でカリギュラは口を開く。彼女らは創造主であるネプテウスを神と崇め、地球における生態系の頂点に君臨することとなる。
そんなエルフィアンに対し、苦々しく思っていたのは他でもない、ネプテウスだ。私にも何となく、彼の心情が理解出来た。彼が欲しかったのは対等な話し相手。友達だとか、恋人だとか……些細な感情を共有し合う仲になる者だ。
しかし、エルフィアンはそうはならなかった。いや、それより前のバンピーノやゴッドウィアナとやらも、彼とは対等に成り得なかったのだろう。皆が彼を崇拝し、その強大さに心酔しきっていたのだ。
『彼がネフィアの門に帰還しろと言ったのは、イケメンに立ち向かう私達を侮ってのことではない。ただ純粋に、傍に居て欲しかったのかもしれない』
宇宙から降り注ぐ圧倒的な力を前に、エルフィアン達はなす術も無く倒れていく。辛くも脅威を退けた彼女らであったが、その数は文明を維持出来ない程にまで減少していた。
『……バンピーノ』
ネプテウスは滅び行く種族から目を背け、スクリーンの前の私を見つめ返す。
『どうかお前だけは、俺の傍を離れないでおくれ。滅びえぬ種族、その始祖よ』
視点の主が頷く。次の瞬間には、ネプテウスと共にスクリーンがホワイトアウトする。
「これからあなたに伝えるのは、未来の真実」
私の目前に、厳島神社から無数のレザードムゥが射出される光景が広がる。私はそれを上空から眺めている。
どこか現実味に欠けた、倒錯した浮遊感を自身に迎えている。何故なら私は羽ばたいているから。自身の背中から生えた蝶の翅が、血のような赤の鱗粉を撒き散らしている。
レザードムゥの生み出す火の粉か。あるいは私のバタフライ・エフェクトなのか。悶え苦しむ人々の走馬灯を収めたフィルムが焼け焦げていく。
『私達エルフィアンが自身の遺伝子を人類に託したように、あなた達もまた……鬼の因子を人類に継承させてしまった』
遠い世界の果てで、二人の男女が契りを交わす。男の指には碧の指輪。そして思いを綴った恋文が女に手渡される。宵闇の中でのみ生きる女は、正しく鬼であった。
「知らないわ! 私はアリシア・ブラッドリーよ!」
幸福を追い求める術を知らない者達。彼らは徐々に狂い始める。いくつも枝分かれした未来の全てで、彼らは救いの無い世界で喘いでいる。
でも私は知らない。何故、人が鬼の因子を持ってしまったのか。
『あなたは間も無く対峙することとなる。真に鬼を受け継ぐ存在を』
私は知らない。どうして私がこの場にいなくてはならないのか。
「真実の厳島神社に鬼の末裔を迎える……遂に平家千年の夢が叶うのか……」
老人が呟くと同時、私に纏わりつく映像は消滅した。どうやら、高舞台は遂に目的地に辿り着いたようだ。
そこは天空にある厳島神社……太陽である。私のような吸血鬼が決して拝むことの無い、途方も無い程のエネルギー。
「安心して。これは神話の世界の太陽。厳島神社が……全ての太陽信仰が創り出す、幻想の世界より来る輝き。だから、あなたにも見えるでしょ?」
カリギュラが心配する私の心情を察してか、現状を説明してくれる。……それでもよく分からないのであるが。
真実の厳島神社と呼ばれるここは、高舞台を囲むようにして廻廊が四方を覆っている。正面には相変わらず赤い鳥居がそびえるのであるが、背後を含めた全方位を合わせても、建築物らしい建物は背後の一つしかない。周囲は雲海に覆われていて、真上には星々が煌く太陽系が広がっている。
『ブラッドリー卿。鬼の因子を持つ我々は、ここで決闘をしなければならない』
気づけば、高舞台の上には私とアレックスしかいなくなっていた。二人を捜すべく辺りを見渡すと、背後の建物から私達を眺めていた。窓や壁の類は一切無く、簡素な木製の柵で仕切られているだけ。ただし、雲海はその建物や周囲の廻廊の手前で途切れており、私達の足場は高舞台と雲の上だけであるらしい。
「鬼の因子を持つ者って?」
状況が整理されていくにつれて、怒りが私の中で噴き溜まっていくのを感じる。私は努めて平静を装って彼に質問をする。
『ネプテウスが地球の生物に残した、因子の一つだよ』
いつの間にか廻廊を埋め尽くすようにレザードムゥが群れていた。それは平清盛やカリギュラのような見学者であるのだろうか。
『エルフィアンは調和と創造を司る。その身には龍の因子』
彼の語りと共に、彼の体躯が異様な形に変形していく。
『そして、我々には混沌と破壊を司る……鬼の因子!』
アレックスの体で一番変化したのは両腕だ。それは二周り以上も太くなり、スーツの前腕辺りを突き破って通気口のようなものが現れる。しかし、そこから火を噴出し始めたことで、私はそれの正体を知ることとなる。私はそれと同じようなものをつい最近目にしている。……それはジェットエンジンだ。
『私のはズバリ、鬼の因子!!』
更に彼は靴を放り出し、腕と同程度に肥大化した脚部から炎を噴出して飛翔。四肢からのガスの噴射で空中を縦横無尽に飛び回る彼は、両肩を突き破って現れた二丁の機関銃を掃射。私は横っ飛びでそれを回避する。
「ブラッド・バタフライ!!」
私の宣言と共に、私から伸びる影から血に飢えた蝶の群れが飛び立つ。死を撒き散らす鱗粉を浴びせるべく、赤い蝶達をアレックスの元に向かわせる。
しかし、アレックスは風上に自身を移動させると、蝶の群れに向かって銃弾をばら撒く。鱗粉に当たる前に蝶達は砕け散ってしまい、その大半を失ってしまう。
「ならば……ッ!」
私は床に腕を突き刺す。するとそこから澱んだ血にも似た黒が噴出し、夢物語の中で振るわれるにしてはあまりにも無粋な武器が姿を現す。ロシア軍の人型ロボットが使用していた巨大な銃剣だ。私はその銃身を床に置いて固定し、銃口をアレックスに向ける。
「砕け散れ!」
トリガーを足で踏みつけ乱射。一発当たるだけで軍用の車をスクラップにする威力の銃だ。彼がどれだけ頑丈かは知らないが、流石にこれが当たって無事では済まないはずだ。
案の定それを回避するアレックス。私は逃げる彼を銃口で追う。しかし、弾幕を掻い潜って徐々に距離を詰めていく彼。私は銃身をしっかりと掴む。
瞬間、アレックスは急加速。弾幕を悉く避けて私に肉迫する。
それを読んでいた私は、彼の軌道に当たるように銃剣を振るう。同じく車を串刺しにする程の頑強さを誇る剣だ。
だが、彼は急制動。寸でのところで切っ先をかわされてしまう。しかし、急加速を止めた反動で彼は空中で硬直してしまっている。私は地面から生えてきた赤い槍を彼に投げつけようと構えた。
しかし、彼は予想外の反撃に出る。彼は急制動の際、両腕を突き出した。が、それは姿勢制御の為ではなく、その腕をミサイルのように飛ばしてきたのだ。
「何!?」
私は咄嗟に槍を手放して迫り来る拳をそれぞれの腕で押さえる。その推進力から来る馬力は相当なもので、私が力負けする程のものだ。これでは私が地面に縫い付けられたようなものだ。
『大統領に勝る者などいないのだよ』
勝ち誇ったような台詞を吐くアレックスは、そのまま銃弾の雨を私に向けて降らしてくる。自身の肉体が穴だらけになるのを感じるが、それよりも問題なのは肩にダメージがかさ張ると腕が吹き飛ばされる恐れがあることだ。遠くに離れた腕を修復するには、それを取りに行かなければならなくなる。それは大きな隙だ。
私は仕方なく自身の腕を左右外側に弾く。私の体は床に倒れるが、彼のロケットパンチも床に突き刺さる。倒れ込んだ私は咄嗟に跳ね起きようとする。しかし、それを許すアレックスではなかった。空中から急降下をしてのドロップキックが私に炸裂する。痛みに悶絶する私に、彼は自身の肩を私の胸部に押し付ける。
次の瞬間、それが炸裂する。アレックスの肩部のスーツが弾け飛び、先の尖った杭状のものが私に突き刺さった。
『パイルバンカーだ』
杭はアレックスの肩から外れ、私の心臓付近に突き刺さっている。これで心臓に直撃していれば即死だっただろう。ある意味吸血鬼として当然の悪運に救われつつ、しかし私は着実に戦意を削がれつつあった。
……何をやっているのだろう、私は。父上が死に、シンが死に、私がこれ以上戦い続けることに意義はあるのだろうか。
そもそもシンを連れ出したのが間違い……いや、父上をあそこで送り出してしまったのが全ての間違いだ。そんなことをしてしまったが為に、私は死ぬことすら出来ぬ永遠の責め苦を味わう羽目になっている。私は吸血鬼に生まれてしまったことを後悔する……。
「清盛公はどちらが勝つと思いますか?」
カリギュラの暢気な声が真・厳島神社に響き渡る。しかしてその表情はかなり真剣そのもの。この戦いには勝敗よりも重要な意味が込められているからだ。
「未来を見通せる其方に、余の予想など不要なのでは?」
対する平清盛は達観しているのか、表情も声も快活そのもの。ある種の覚悟を持った者に備わる胆力とも言えるだろう。
「予言など、所詮は流れを読むことの延長線です。万事は流転。そのあるがままに漂う事象は全て分かってしまう。……しかし、こればっかりは分かりませんよ」
カリギュラの視線は真っ直ぐにアリシアに向けられている。
「これは……氾濫した川から零れた飛沫に同じですので」
「アリシア」
私の唇に柔らかいものが触れる。私は薄く目を開ける。そこにはいないはずの人物が、私の目の前にいた。
「シン……!?」
私が彼の名前を呼ぶと、彼は優しく微笑む。
「僕は王子様だよ。眠れる美女を起こしたのだから」
「ふふ……。何を言っているのよ。馬鹿なシン」
言いながらニヤついてしまう自身の頬に力を入れて何とか押さえる。どんな台詞であれ、私は彼の声が聞きたかったのだから。
「アリシア」
気づけば、私は少女時代に戻っていた。目の前には父上が立っている。その顔に柔和な笑みを浮かべながら。
「それは愛という感情だ。愛すると、僕達はぽかぽかと温かい気持ちになれる」
私は無言で父上を抱きしめる。少女時代に戻っていたのは一瞬で、私は元の体型に戻っていた。私に決心がついたということだろう。
「父上。私に本当の母上……いえ――」
その瞬間、私は気づいた。厳密には、これは私の少女時代ではない。……カトレア・ブラッドリーという名の一人の女性が、お腹の中に一つの生命を宿していた時の世界。
「本当の父親はね……この時点ではもう亡くなっているんだ」
父上は少しだけ、ほんの数瞬だけ寂しい顔をする。私には決して見せなかった、かなしい顔。もしかしたら、決心がついたのは父上の方かもしれない。
「僕はね……いや、僕達ブラッドリー卿は、他にも数え切れない程の悲しみを経験している。ブラッドリーの姓を継ぐ始祖として、完全なる鬼魔法と共に受け継ぐものだ」
「でも……ッ!」
私は父上の胸元に泣きつく。感情と共に涙が溢れてきて止まらないのだ。
「父上は悲しみも経験するべきだと言いました! それなのに、私に始祖の責務を負わせないのは道理に合いません!」
「違うんだよ。アリシア……」
幼子のように縋る私の頭を優しく撫でる。彼女は間違いなく父上だ。私の知る、心地良い響きを持った声の主。
「感情は本来、自身だけのものだ。それは決して他人のものと混ぜてはいけない」
私を包み込む父性が優しく語りかける。
「そうであるからこそ、僕達は心と心で通じ合わせることが出来る。魂同士を共鳴させることが出来るんだ……!」
父上は私の額に口付ける。そっと触れるだけの、一瞬だけの感触。それでも、今の私にはそれだけで十二分に理解出来る。
「どうだい? 温かい気持ちになれた?」
私は頷く。さよならは決して言わない。私にはもう必要の無い言葉だから。
「……はい。とても温かいです」
私とアレックスは高舞台の上に立っている。……それは一瞬の出来事。私を立ち直らせる為に、世界がついた優しい嘘だ。
温かな日差しを湛えた天使が、私とアレックスの間に立っている。
『ウフフ。ハレルーヤ!』
それは厳島神社の祝福。天より先、至高の頂に住まう慈愛に満ちた主の思し召し。
『わ、私の仮面が……!?』
アレックスが慌てた声を発する。驚いて私は彼の方を見る。彼の仮面にはヒビが入り、内部から神々しい光を発している。
「イケメンへの道が開かれたのだ」
瞬間、老人と女性が私の背後に現れる。平清盛とカリギュラだ。
「見たまえよ。海上に浮かぶ大鳥居が太陽を迎える」
私は老人の指し示す方角に目を向ける。雲海から昇ってくるのは太陽だ。幻想の作り出したものではない。真実の太陽。
そこには顔があった。何と端整な顔立ちだろうか。私はあれ程に美しいものを他に見たことがない。世界中の、宇宙中の、全ての美を寄せ集めて掻き集めて、それでもあの美の前には霞むだろう。殺人的な美貌だ。
彼は全ての雌を孕ませる為に存在しているのだろう。全ての雌は彼に子種を恵んで貰う為に存在を許されるのだろう。圧倒的に、決定的に、破壊的に、壊滅的に、一切合切が雌として侍る義務を持たざるを得ない。
それは時として悪魔に。それは時として仇敵に。それは時として淫売に。それは時として時空に。それは時として幻想に。……世の女性達を変えてしまうだろう。
これは物語だ。万物が太陽とベッドインするだけの為にプロットが練られている。それが真実なのだ。真に実りを得る女性の為の世界。
「アドルフ・ヒトラーが……アンネ・フランクを肩車している……」
仮面が半ば外れてしまったアレックスが呻いている。彼の顔面はますます強い光を放つのであるが、そんなものに目を向けている暇は無い。アレックスの顔から迸る怪光線と同質の、イケメンの作り出す幻想的な光の階段が、私達のいる高舞台に降りてきている。そこには人影らしきものが見えているが、私にはそれが何者であるかは判別出来ない。
「神風と消えた特攻隊が、皇居前で万歳合唱をしている。ホワイトハウスで白人と黒人と黄色人種が手を取り合っている。全ての宗教の信者がエルサレムで微笑み合っている……」
しかし、アレックスにはそれが見えているようだ。何事かを呟きながら、光の階段を昇っていく。それに続く平清盛。ただ、アレックスとは違い、彼の姿は瞬く間に霞みと化して消えていく。まるで始めから存在しなかったかのように。
「何をしている……!?」
私はただ事でない様子のアレックスに声をかけるが、彼は全く気にしていない。私は黙って彼の背中を見送るしかない。
イケメンへと歩を進める彼が光の中に消える。
アレックスは幻想の中を彷徨っている。アインシュタイン博士とアルキメデスが仲良く談笑する横をすり抜ける。織田信長が豊臣秀吉と徳川家康を引き連れて欧州を観光する光景がハリウッドで上映されている。それを見て触発されたチャップリンが、印籠を見せ付けて弱きを助ける勧善懲悪の物語を書く。彼のプロットを見た芥川龍之介とゲーテが合同でライトノベルを書き上げる。
そんな破天荒な幻想すらも現実にするのがイケメンの力である。
アレックスの足を動かすのは、その力に対する渇望であった。そして、彼の前に扉が現れる。そこに立つのは悲劇の大統領だ。
「やあ、アレックス君!」
世紀の暗殺を身をもって体験した彼であるが、死後に浮かべる表情にしてはあまりに快活であった。人気絶頂当時の彼そのものである。
「アメリカの為に色々尽くしていたようだね? あの世から全部見ていたよ! とても立派な大統領だよ、君は!」
「……ありがとうございます」
勿論、彼はアレックスの悪行も全て見ているはずである。それを踏まえてなお、それが全て愛国心によって取った行動であることも見抜いているのだ。全てを知った上での労い……いや、彼なりの激励なのだ。
「アレックス君。君の知っての通り、我々は全てジュピターだ」
悲劇の大統領は建国の父の姿に変化し、アレックスに全てを打ち明ける。イケメンの世界に触れた者ならば理解出来る。それは神の世界から引き摺り降ろされた者の俗称だ。彼らは真に神になり得なかった。
「イケメンという至高の存在を目指して、それでもそれに匹敵し得なかった負け組なのだ」
安芸の国にて日照を待つ厳島神社と同様に、世界の全てを照らす、その高みに至らなかった者。あるいは、神話の織り成すリレーの中で下賎と見なされた者の叛逆か。
「人は……新たなステージに立つべくを尊きと定めておきながら、その実は緩やかな小波の中で漂うことこそを希求した」
アレックスの周りには数多の偉人が集まっている。古今東西、老若男女を問わず、イケメンという至高を目指した勇敢なる挑戦者が集まっている。
「だが、君は……人の身でありながら遂にイケメンに匹敵するに至った。これは我々の悲願を達成してくれた君への、ささやかな感謝の証だ」
建国の父はアレックスに手の平程もある黄金の鍵を渡す。
「それを使って、初めてイケメンへの扉は開かれる」
「ありが……っ――」
彼は感動のあまり言葉を詰まらせる。
「――ありがとうございます」
涙を堪えながらも頭を下げるアレックス。その顔に張り付いていた鉄仮面は完全に外れている。蛹から蝶が羽化するように、冷たい殻を破って真のイケメンが姿を現す。雑誌だとか、バラエティ番組だとかで目にすることが出来るフナムシのようなイケメン・モドキとは断じて違う。真・イケメンとも称するに値するそれは、内向きに自閉する全ての人類の為に存在する。
そんな彼が静かに扉と向き合う。
「人類イケメン化計画……ここまで長かった……」
アレックスは鍵穴に鍵を差し込む。そして……アレックスは、ゆっくりとその扉を押し開いていく……。
神の玉座より 引き摺り降ろされし 哀しき者よ
悲しい。冷たくなった彼の身体に縋りつく私は子羊。
巨人らの言葉は解せぬ 巨人らの習わしは珍妙である 故に我らは巨人なり
異質なるものを是とする姿勢にこそ本質がある。
男は殴る 女は孕む 故に我らは阿吽なり
人の二面性は破壊と創造。そして第三の道程。
うら若き乙女よ 漆黒の帳の奥で微睡む者よ 我らは天より先へ行く者なり
闇を抱えし幼き神よ。我々はあなたを超越せねばならない。
乳飲み子よ 羊水の如き温い抱擁 渇望するも能わずなり
母の温もりを知らぬ赤子を哀れむこと。諸行無常也。
剣を取れ 水面に映りし天河を斬れ 魔が玉に宿すは外の生なり
戦え。幻想に惑わされるな。忌むる胎児こそ円の外に人を導くものぞ。
巨人の襲来 巨人の陰謀 故に我らは巨人なり
異質を知り、異質に翻弄されつつも異質に染まる。
神の玉座に 這い上がり座す 哀しき人よ
神の不在を知った時、人は神の国へと至るだろう。
ここにある文書を読み終えた者は幸福である。真実のイケメンへと至るから。
故に、後の世に現れるであろう私の後継者にこれを綴る。
芦野明日香
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「はぁっ、はぁっ……」
シーツの上で息を荒げる少年がいる。生まれたままの姿の彼は、同じくありのままの姿をした女性に覆い被さられている。薄桃色に上気した頬。濡羽色は湿気を吸って、より一層艶やかさが強調されている。
そんな彼に歯を突き立てる悦びを彼女は知っている。彼の命を削って、それを頭で理解していても抗えない欲動と言うものを彼女は知っている。
彼に抵抗する術など残されてはいない。拒否する気すら起こさせない。ただ彼女に押し付けられる一方的で身勝手な快楽に、押し潰される他ない。
「アリシア……あっ! ……もっと、もっと強くっ!」
身体中、全神経に走る稲妻に、彼の思考回路はショート寸前。そんなギリギリの境界線に立たされながらも、その永久に続く刹那的快楽しか考えられないと彼の潤んだ瞳が訴えている。どこか遠くに飛ばされる。しかし、それでも構わないという思考が、彼の脳を埋め尽くしている。
それを知っているからこそ、彼女は彼の首筋に唾液を塗すのだ。彼の心身に消えない所有印を刻むべく、彼女は本能のままに彼を抱き寄せる。
対する彼は、混乱する思考で意味も無く身を捩り、彼女の抱擁から逃れるべくうつ伏せで這い回る。だが、それを逃がす程、彼女はか弱くも慈悲深くもない。彼の腕を押さえて組み伏せ、容赦なく彼の身体にむしゃぶりつく。
彼女の熱っぽい吐息を感じる度に、淫行に高鳴る心音を肌で聴き取る度に、彼は獣のように狂わされていく。
そして、彼を貪る彼女もまた獣である。
長い、長い情事の果て。獣から人に戻った二人が交わす睦言。
「ねえ、アリシア」
「……なぁに、シン」
アリシアの胸に抱かれるシンが静かに漏らす。
「僕達……イケメンだね……」
アリシアは無言で彼の頭を撫でる。幼い少年が持つ特有の熱をその手に感じながら、彼女は消え入るような声で呟く。
「この世界は……なんて気持ち悪いのかしら……」
HAPPY END…
真実は必ずあるとは限らない