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何でも屋の渡辺さん

作者: 佐々木匙

 からんからん、とベルの音がして、人が入ってきました。

「すみません」

 渡辺さんは新聞から目を上げて、少し重たいドアの方を見ます。お客は雑多な物でいっぱいの店内を見回し、おそるおそる、といった風情で言います。

「ここは、何でも屋さんですか」

 若いというには少し年のいった、でもおじさんというほどでもない、黒い服を着た男の人でした。

「はい、そうですよ。何かお探し物ですか、それとも頼みごとでしょうか」

 渡辺さんはカウンターの上に新聞を置き、愛想よく言います。

「本当に、なんでもお願いできますか」

「まあ、大抵のことは」

 どこか切羽詰まった様子の男の人でした。彼は、きょときょとと周りを見、そして意を決した顔でこう言ったのです。

「お願いします、どうか、僕の夢を諦めさせてください」

 渡辺さんは目をぱちくりしました。

「夢を?」

「はい。僕はもうずっと音楽を一人でやり続けています。でも、どうも上手くいかないでこの年になってしまいました。いい加減、音楽のことばっかり考えるのはやめて、他のことをするべきだってわかっているんです。でも、どうしても、自分には何かできるんじゃないか、いつか渾身の作品を作り上げられるんじゃないかって思えてならないんです」

 お客は俯きました。

「それが、つらい」

 渡辺さんは唸りました。渡辺さんには遠い夢を抱いたことはありません。この店も、なんとなくで始めてなんとなく続いているものです。でも、少しだけ気持ちはわかるような気もしました。

「僕の夢を諦めさせてください。お金は払います」

「……できなくはありませんが、それでいいんですか」

 渡辺さんは低い声で確認をします。

「はい。後悔はしません。僕は、もう僕の夢に疲れたんです」

 男の人は、小さく笑みを浮かべました。

「では、失礼」

 渡辺さんは、手に白い手袋をはめて、男の人の胸に触れました。そして、一瞬のことです。水に手を入れた時のように、手は軽く身体の中にめり込んでいきました。そして、やがてまた静かに外に出てきます。夜のように黒い、時折ちかちか光る立方体を手にして。

「これがあなたの夢です。確かにずいぶん大きくなっていたから、取り出すのに骨が折れました」

「これが僕の夢ですか」

 男の人は、目を細めました。

「ああ、なんて綺麗なんだ」

「別に戻せますよ。その場合、お題はサービスしておきます」

「いいえ。いいんです。これは綺麗すぎて……見ていてくたびれる」

 男の人は、どこかせいせいした顔をしていました。渡辺さんはそれ以上何も言わずに、それほど高くもない値段を提示し、男の人は相応のお金をカウンターに払いました。

「これ、店で売ってもいいですかね。いるんですよ、たまに、夢がないから売ってくれっていうお客さん」

「構いませんよ。もう僕には要らないものですから。ああ、これで仕事に集中できる。休日をゆっくり過ごせるし、人付き合いだって苦じゃないんだ」

 満面の笑顔で、男の人はお辞儀をし、からんからん、とベルを鳴らして外へと飛び出しました。店には渡辺さん一人が取り残されます。

「そう上手くいくかなあ。ここまで大きく育った夢の持ち主だ。そのうちまた少しずつ何かの夢を見始めるんじゃないかねえ……」

 渡辺さんは、黒い夢の結晶を指でつつきます。つつくと、小さく青色に光る様は、とても綺麗でした。

 からんからん、とベルの音がして、別のお客が入ってきました。今度は顔色の悪い、学生服を着た少年です。少年は店の中をきょろきょろと見渡し、それからカウンターの上の夢に目を留めました。

「これ、おいくらですか。僕に売ってはくれませんか」

「お客さん、これが何かわかってるんですか。これは人の夢ですよ」

「わかってます! 僕、生きてて何も夢がないんです。何かしたいんだけど、何かをする力が湧いてこないんです。夢があれば、きっと何かになれる気がするんです」

 少年は力説します。渡辺さんは目を細め、金額を提示しました。少年はお財布を覗き込んで少し悩み、そして数枚の紙幣をカウンターに置きました。

「確かに。では、これはあなたのものだ」

 少年はちかちかと瞬く立方体を手に取ります。

「なんて綺麗なんだろう」

「綺麗ですけどね、気をつけた方がいいですよ、お客さん」

 渡辺さんは、ちょっとだけ口を滑らせました。

「夢ってやつは、大きければ大きいほど、なんだか持ち主を苦しめる、そういうこともあるみたいなんですよ」

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