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Scene:2大型連休の翌日の話(中)

「昼食まだなんやろ? 一緒にどや?」

 私の目は新のマックの袋から離そうとしても離せなかった。普段の学校食生活では決してお目にかかれないゼイタク中のゼイタク。中からは仄かに油っぽい香りが漂ってきている。

2つの袋を蛇の鎌首みたいにゆらゆらさせて、新はさりげなく私をエスコートしつつ殺人的な人混みから遠ざけていった。むむ、なかなかやるな。

 ふらふらと袋についていく私を眺める新はニンマリと笑う。

「して、返事は?」

「その前に聞いておくけど、メニューは」完全に釣られた姿勢ながら一応尋ねる。

「ビッグマックにフィレオフィッシュにてりやきチキンにダブルチーズバーガー、フライドポテトは勿論Lサイズを2つ、マックシェイクのバニラとストロベリー。デザートにマックフルーリーのキットカットとオレオクッキー。この中から好きなのを選んでな。ちなみにさっき買ってきたから出来たてやで」

「合格!」びッ! と親指を立てる。さすが新、私の好みをよくわかってる。

「ありがたくご馳走になります!」

「よっしゃ、ほならどこで喰うか……」

 

『こぉぉおぉぉぉぉばぁぁぁぁぁああああぁりいぃぃぃいぃいぃぃぃぃぃ!!!』


 言いかけたところで、地獄の底から天を衝く怒声が響き渡った。しかもエコーがかかっている。廊下の向こうからフルアクセルで突進するタイガー戦車のような教師が1台……じゃなかった、1人。

『貴様ぁ1限前のホームルームでピンピンした面を見せておいて、2限の我の授業中にどこで油を売っておったぁぁぁぁあぁぁぁぁああぁ』

 新の顔が一瞬にして青ざめる。

「うわ、あかん! 銀山(ぎんざん)やないか!」

『小針、今日という今日は逃がさん! お前の数々の巧妙な代返によって隠滅されたサボり遅刻早退欠席その他諸々、この銀山(ぎんざん)妙高(みょうこう)が全て暴いて天日干しに』

「ほな、ワイはこれで」

 口上を聞き終わる前に新は動いた。素早くマックの袋を私に押し付け――

「ちょっと! お昼どうするの!?」

「冷めないうちに食べとき! ワイの分は後で回収するからとっておいてやー」

 あっという間に逃げ去った。


『むぅぅぅぅわぁあぁぁぁあああぁあぁぁぁぁてえぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!!!』


 2秒と待たずに目の前を新を追いかける巨大な質量が通りすぎていく。

 銀山妙高、56歳。柳都高校勤務歴14年のベテラン数学教師にして、生活指導の首領(ドン)。しかも私と新のクラスの担任。100キロを超える質量がありながら信じられないほどの機動性を誇り、虎を思わせる禿げ頭にビームでも出そうな眼球がとてつもない威圧感を放つ。要するに何があっても正面に立ちたくない、まして叱られるなんて絶対に考えたくない――そんな先生だった。


 新、ありがとう。

 何でかはよくわからないけど、私のためにわざわざ2限をサボってまでマックを買いに行ってくれたんだね。

 しかもかつて誰もサボることができなかった銀山の数学だってのに。

 腹ペコな私のために――

 本当にありがとう。新のこと、一生忘れない。


 新の逃げた方向に軽く手を合わせると、今度はマックの袋に対してしっかりと手を合わせた。

「では、ありがたく頂きます」

 教室に戻ると襲われるので、適当に探して見つけた人気のない階段に腰を下ろして袋を開けた。極上の油の香りに脳がくらくらする。マックシェイクにぶすっとストローを差し込み、ずぞぞぞぞぞっと一息に吸い尽くしたころにはどっかの馬鹿のことは頭のどこにもなかった。お腹が減っていたのもあって、次々にバーガーを取り出しては頬張り、取り出しては貪った。

 美味い。

 やはりマックはいい。

 ダイエットをしなきゃいけない女子高生としては天敵だけど、でもふとした時に食べたくなる人工的な味。

 クセになるジャンクフードな味わい。食品加工の闇、健康にちっとも良くないという事実が今かぶりついたビッグマックを一味もふた味もおいしくする。正直たまらない。

 バーガーの合間にポテトをつまむ。熱々でパリッとしたポテト。油がにじんでパリパリ感がなくなると旨みが半減するから、早めに食べなくてはならない。ああ、マックフルーリーを溶かすなんて愚行も犯すわけには行かない。これは忙しい。

何か大事なことを忘れているような気がしたけど、嬉しい忙しさに頭を支配された私は食欲のなすままに喰い続けた。

「こんなところにおったか。ただいま、今度ばかりは死ぬかと思うたで」

 山のようにあったポテトを平らげる。最後までパリパリ感が残ってて良かった。

「ありゃ、ワイの分はいったい……って?」

 バーガーの最後の一口をシェイクで流し込む。平行して食べていたマックフルーリーもあと少しだった。嗚呼名残惜しきこと限りなし。

「あれで2人分やったのに……全部喰ったんやな、トキ」

 本当に名残惜しい、これが最後の一口……。


『おい、トキ』


 地の底から噴き上がったような声がした。エコーかかってる。

「!?」

 がばっと顔を上げると、何時の間に戻ってきたのかニンマリと嫌らしい笑みを浮かべた新と目があった。でも目は全然笑ってなくて、激しく気味の悪い顔だった。

「ちょっと! 何で生きてんの!?」

「勝手に殺すなや! 銀山の奴を命からがらまいてたんや! で、ワイの分は?」


 ……………………。


 沈黙。

 気が付けばハンバーガーの袋もポテトの箱も全て空。シェイクも然り。片方のマックフルーリーもまた既に全滅。手にした最後のマックフルーリーには僅かにあと一口がプラスチックのスプーンに乗っている。

「はい、あーん♪」

「あーん♪ んむ。うん、たまにはアイスもええな。で、ワイの分は?」

 私の中で何かが激しく警鐘を鳴らしていた。努めて甘えた声を出してみる。

「ね、おいしかった?」

「で、ワイの分は?」

 タイムリミット。もう茶番に付き合ってくれそうもなかった。

 ヤバイ。

 猛烈にヤバイ。

「ごめんなさい!」

 新が呆れて大きく息を吐いた。

「ワイの言ったこと覚えてないんか?『ワイの分は後で回収するからとっておいてやー』」

「……あ」

 そういえばそんなこと言われたような気がする。

「ごめん! お腹減ってて、お代なら払――」

「もうええで、なくなったもんはしゃあない。お代もいい。半分は食べさせるはずやったしな。問題は時間や時間。鬼教師銀山の2限サボってまでマックに特攻したワイの苦労を一体どうしてくれる。マックまでチャリでここから片道30分はかかるんやで」

「いや、本当にごめん。この通りです」即刻、土下座。

「これはどーしたもんやろなー」

「すみませんでした」床に頭をすりすり。

「ほんとーにどーしたもんやろなー」

 新、すごい棒読み。この「どうかお慈悲をお代官様状態」、早く終わらないかな。

「新様ごめんなさい何でもします……ていうかそもそも私をマックで釣って頼むことがあったんじゃないの!? 食べた以上付き合うわよ!」

「さすがトキさん! そうこなくっちゃ♪」

「どうせ私が今日日直で昼休みに泣く泣く売れ残りの購買パンを買うしかなくて、とてつもなくお腹空かしてて持ってきたマック全部食べちゃうことも計算済みなんでしょ!?」

「いや、そこまでは……まさか全部平らげられることまでは読めんかったわ。けっこう喰いしんぼさんやったんやなトキは」

「悪かったわね」

「別に悪いとは言ってないでー」

「……で、用は何なの?」

 私は一息ついて態度を素に戻した。その様子を見て、新もまじめな表情になる。

「ちょぉーっと付き合ってくれへんかな? 放課後、水泳部まで」

 新の入ってる水泳部に? 

「よくわからないけど、わかった。行くわ」

「助かるわ。あともう1つ頼みが」

「何?」

「腹が減って大変なんや。購買のパンはもうとっくに売り切れとるし。胃の中のマックを分けてくれへんか? こう、鳥の親子みたいな感じで」

 蹴った。


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