尾行
夜が深まっていく中、秀一はまだ家に帰っていなかった。
彼は、自転車を近くに置いて、先ほどの少女をずっと尾行していたのである。
理由はただ一つ。あんな恐ろしい発言をした彼女の目的についてヒントを得るためだった。
自分を殺そうとする謎の美少女。しかも動機は不明。こんな不気味な相手をそのままほっておけるわけがない。
(……もし誰かに頼まれたなら、俺の素性はそこで知る。ただの無差別殺人なら探すような真似はしない。顔と名前の一致しない相手を殺したいほど恨むってことも考えにくい。……それで、なんで俺が狙われるんだ……?)
どんなに考えても答えは出そうにない。警察に突き出すことも考えたが、証拠がなにもない以上、相手がしらばっくれたらそれまでだ。余計に恨みを買いかねない。
(写メは難しいだろうけど……せめて、あいつの住所くらいは自分で突き止めておかないとな――)
それは、秀一が安心した生活を送る上で、必須事項であった。
なぜなら相手の居場所さえ分かっていれば、あとで探偵に詳しい素性を調べてもらえるからだ。子煩悩の母親なら、それくらいの投資はしてくれるだろう。そして、事情が分かれば色々と対策だってとれる。もし本当にヤバそうな相手なら、その時こそ警察に突き出せば良い。
逆に、今一番恐れなくてはいけないのは、相手の行方を見失うことだった。
そうなれば、今後、彼女に自分の正体がバレた時、いきなり背後からズドン――なんて展開だって考えられる。そんな通り魔に怯えた高校生活を送りたくはない。
そんな考えを巡らせながら――
かれこれ二時間も追跡した頃――
秀一はうってかわって、次第にやる気を失っていた。
さきほどから彼女は人探しもそこそこに、奇怪な行動ばかりを続けていたのである。
街中を転々と徘徊しては、先ほどのブランコのように座り込み、ぼけーっと座っていたりする。そして、交差点のミラーや駐車中の車など――行く手に鏡を見つける度、彼女は執拗に髪をセットしていたりした。
こうして遠くで見ていると、ちょっと変わった女の子にしか見えやしない。およそ人を殺そうという人間のする行動とは思えないのだ。
(……やっぱ、帰るか……?)
秀一がそんな風に考え始めた頃、少女はようやく、目的を持ち始めたように歩き始めた。
団地から離れ、国道沿いに長く走る大きな河川敷の道に躍り出ると、彼女は街灯のめっきり減ったアスファルトの上を真っ直ぐ突き進んでいった。
人の気配がほとんどなくなった分、秀一はかなり離れて跡を追った。もう少しで見失いかねないギリギリの距離である。
やがて、ポツンと工事中の建物が見えてくると、そこがどうやら終着点だったらしい。彼女はその中へすっと入って姿をくらました。
秀一は思わず首を傾げた。その建物が、明らかに人の住居ではないからだった。
ガードフェンスに、建物全体を包むビニールクロス。階層はざっと十階ほどだろうか。雰囲気から察するに、おそらくは川沿いの新築マンションという具合だろう。駅やスーパーはずっと遠く、住むにはかなり不便な立地である。
さらに秀一は困った。少し時間を置いてみても、彼女がそこから一向に出てくる気配がないからだ。
(……もしかして、あいつ、家出少女とか?)
建設中とはいえ、工事はだいぶ進んでいる。うまい場所を見つければ、雨風くらいは十分にしのげるだろう。可能性としてはありえることだ。
だが、もし彼女がそこに隠れ住んでいるとすれば、これ以上の追跡は無意味なことであった。
(……中にまで進むのは危険だよな……。このへんの住所だけ調べて、もう終わりにするか。こんな時間だし――)
まあ幸いというべきか、彼女の容姿は美少女なだけに特徴的だ。明日にでも急いで探偵とコンタクトをとり、ここらへんの住所と一緒に情報提供すれば、もう少し詳しい手がかりくらいは見つけてくれるかもしれない。あとはプロにお願いするべきだろう。
そう断念すると、秀一はその場に立ち止まって、スマホの地図アプリでGPSの確認を始めた。小さな画面で渦がぐるぐると回って、通信データを少しずつ受け取っていく。街からずっと離れているせいか、受信速度がちょっと遅いようだ。
(ったく、今日は本当に無駄な時間ばかりを過ごしたな――)
読込画面を見つめながら、そんな風に落胆していると――
その声は急に背後から聞こえた。
「――探偵ごっこはもう終わり――?」