噂 (2/2)
彼女の真面目なトーンの口調に、秀一は早歩きのペースを緩めて、ようやく耳を傾けた。
「ふむ。俺に関係する噂か。ふーん。うん。それなら参考程度に聞いておいてやっても良いな……。あくまで卒業論文の参考文献に載せない程度の薄っぺらい参考の意味だがな」
「……あんたは本当に昔からいちいち口の減らないやつね……まあ、もういいわよ、そんな参考レベルでもいいから、とにかく聞いて。なんかね、秀一のことを探している他の学校の女子がいるみたいなんだって。……心当たりとかある?」
答えは考えるまでもない。秀一はきっぱりと即答した。
「いや、知らんな」
「……まあ、そりゃそうよね。だいたい、あんたの性格を少しでも知ってる女子なら、まず二度と近づこうとするはずないし――」
秀一の肩からカバンのヒモがずるっと、ずれ落ちる。
「おい。お前もたいがいヒドいこと言ってるからな……?」
それから琴子はこう付け足した。
「しかもね。噂では、その女の子がとんでもなく可愛いみたいなのよ」
『可愛い』の単語を耳にした瞬間、秀一はキリッとなって、ようやく話題に食いつきをみせた。
「ほう。なるほど。それは極めて重要な情報だ。すぐさま蛍光マーカー、それもとびきりビビッドな赤色線を引いておこう。おまけにそのページには特別に折り畳み式インデックスシールまで貼ってやる。……で、その子はどこにいるんだ?」
しかし、琴子はそんな秀一の期待をバッサリ切り捨てた。
「ばかね。だから、会わない方が良いよって忠告なわけ。どう考えても物理的におかしい現象じゃない? あんたに近づこうとする可愛い女子が存在するなんて。どうせ詐欺かなんかの類でしょ」
「……お前、この作品に人気投票があった時は覚悟しておけよ。たった今、お前は全国大勢の男子諸君の夢に現実を突きつけてぶち壊しにしたのだからな」
そうして二人が下駄箱に到着すると、秀一が靴を履き替える中、琴子はじっと足を止めていた。
(……ああ、部活か)
秀一はすっかり忘れていたが、そういえば彼女は普通の高校生らしく、ちゃんと部活に打ち込んでいるのであった。合気道だの、映画研究だの、英語研究だの――あとはなんだか色々とやっていたようだが、うろ覚え程度にしか把握はしていない。まあ夏のテストも終わったことだし、どれかの部活のなにかしらの練習が予定されているのだろう。
「それで……話ってのは、もう終わりでいいのか?」
革靴に履き替えた秀一を睨んで、琴子は釘を刺すように告げた。
「いい? ちゃんと気をつけてよ。たとえあんたの好みの可愛い子でもホイホイついていかないって。それと織原琴子には毎日百五十円以上の美味しいお菓子を用意するようにね」
「ええい! お前は俺の保護者か! そんで、ドサクサにまったく紛れきれていない二つ目の忠告だけは絶対に守ってやらん!」
「ちっ。失敗か」
琴子が露骨な舌打ちをする。
そんないつものやりとりを終えると、秀一はうんざりしたようにため息をついた。
「ったく……。昔からホント暇人だよな、母さんも。お前も。俺に構う時間があるなら、ニュース番組の一つや二つ見てたほうがよっぽど有意義だぞ。お互いに」
「……秀一がそんな嫌味ばっかりの性格だから心配するんじゃない。いくら頭が良いからってさ。二年生にもなって未だに遊ぶ友達もいないみたいだし。困るよ、色々と――」
「だから、ほっといてくれって。いつも言ってるだろ。俺は一人でもちゃんと充実して楽しく生きているから、余計なお世話なの。ま、どのみち来年にはお別れだけどな。それじゃあ用事も終わったなら、俺はこれで――」
ぷらぷらと手を振って、そうして秀一はさっさと学校を後にした。