42歳 前菜には 毛根
大きな欠伸で天井に息を吹きかける男大西小太郎は今仕事がやっとひと段落終えて立ち上がる。まだまだ仕事は山積みだとはわかっているが根をつめすぎてもまたミスがでて嫌味を言われるのも御免だ。適度な休息、それは着実とした仕事には不可欠である。
職場のオフィスには奥に給湯器等が置かれた休憩所があった。
まぁ休憩所といっても多くの人間はそこを喫煙所として使っている狭い小部屋だ。
ゴミ箱にはタバコの空き箱が彩豊に貯まって盛り上がり、今にもひと箱ふた箱零れ落ちそうな有様だ。
大西小太郎はそれに気づいて片足をあげて洗面代に向かいお湯をポットに汲み込む。
「はぁ、麗華ちゃん来月で終わりかぁ。結局聞けなかったなぁ。」
小太郎は、喫茶店で喫茶店なのにフルコース料理を振舞われた後、結局便座との格闘が長引き店長の逆鱗を鈍器でなぐりつけてしまう。
無論、仕事は片付いたということは伝えてもそういう問題ではないと一掃され、あの日からずっと、インターネットから取り寄せられる、お客様の要望にあった物件を一人で対応することになる結果となった。
それからは周囲の人間も店長にどやされたのだろう。
私は距離を置かれ、月に一度は行っていた飲み会にも誘われなくなってしまった。麗華さんだって、いつも話しかけてきてくれていたのにあの日を境に目もあわせてくれなくなった。
はぁ。イケメンの彼氏はいるし、不甲斐ない仕事姿に見放されるし、散々だ。
私の初恋は無情にも悪い結末を迎えてしまった。
くそ、くそ、どうしてこうなった。
決して仕事の出来が悪いわけではないのに小さなミスを事細かに大声で怒鳴りつけるあの女のせいか。あいつがみんなに俺の評価を下げるように立ち振る舞うからか。
いや、やめよう。
逆にそうだとして、俺になにができる。それに抗ってどうする。
もうそういう嫌な人間関係、出世抗争に諦めておれは転職をしたんだ。もう考えるのはやめたと決めたんだ。
大西小太郎は自分に言い聞かせて立ち尽くす。
目の前には徐々に濃く白く立ち上り始めた湯気。
そろそろか。
大西小太郎は見計らって声を挙げた。
「麗華ちゃああああああああああん!」
「はい?」
_____えぇ?
小太郎はゆっくりと振り返りそこにいるであろう女性が違う人物であることを祈り目を向ける。そこには予想通りの人物が、九条院麗華がそこにいた。
失態だ、ヤカンがいたく時の音に乗じてストレスをぶちまけてやるつもりがまさかこんな時間に彼女がいるだなんて。
まさか聞かれたのか、聞かれたのだろうか。
あの情けない中年男性の悲痛な叫び声を俺はこの麗しき、穢れなき女性に聞かせてしまったのか。
大西小太郎は振り返るとゆっくり両手に手をあてて自分の発言を後悔し自分の脳味噌に呪詛を並べる。
あぁ、まだ若く透き通った弾力のある肌。
目鼻立ちのはっきりとした整った顔。
性格もよく品の良さがうかがえるその女性。
トレードマークである腰を越えて伸びたその長髪から香それはまさに____。
「麗華さん……どうしたんですか。その髪」
ようやくとして気づいた小太郎は自分のしょうもない後悔なんて吹き飛ばしてその姿に不安を掻き立てられた。
はじめて会った時も他人にそれを話すときも、あんなに自慢気に話していたあの長髪が、見る影もなく切り落とされていた。
その髪型はまるでオシャレナ若者のようだ。それも男性のするショートカットの髪型だろう。
____似合っていない。
いや、似合っていないわけではない。
個人的趣向による長髪とツインテールが今まで補正をかけていただけで、それでも十分、世の中に数多いる女性の中では整って綺麗なほうだろう。
髪型も十分にあっている。
けれど、そうだけれど、いったい何事なのだ。
「もしかして失恋ですか?」
小太郎はあらゆる可能性を手繰り寄せる。
あの料亭にいた男だろうか、それとも違う、元から彼氏でもいたのだろうか、なにか不幸があって髪がお亡くなりになられたのか。
いやいやいや、なんだ、髪がお亡くなりになられているとは、もはや支離滅裂としてその彼女の現状が受け入れらず体内をかけめぐる伝達信号がいらぬ箇所までたぎらせてきた。
そういえば____その髪型。
あの時の男と似て____。
「いえ、そんなんじゃないですよ」
小太郎の必至に考え出された答えたちはすべて否定する彼女。
小太郎がではほかにと思考を深めようとして彼女はそれを遮りようがあるなら早くしてほしいといわんばかりに目を細めてこちらをみてきた。
「それで、何か用件がありましたか?」
「いや、何も。すまない、またただの一人ごとだ。」
九条院麗華はいつも品の良い立ち振る舞いだが今日はとばかりに大きなため息をついて不快な感情を露わにする。
「そうです。では私はこれで__」
「あ、そういえば今日本社の部署に挨拶まわりにいったんだってね。いやぁ、店長今日はご機嫌だったよ。おかげで僕も押し付けられた仕事が減ってさぁ。あと少しで帰れそうなんだ。ハハハ、どうだい、もしよかったらこれから飲みにでもいかないかい!すぐに仕事は片づけちゃうよ」
大西小太郎、君は何を言っている。
そう突っ込みを入れるのは心の中にいるもう一人の大西小太郎だった。
自分でも驚きを隠せない。今日、今、初めてであった新入社員の後輩に、今までなんの脈絡もなく突然二人きりしかいないこの場でのみに誘うだなんて。
だめだ、これはだめだ。
如何わしい下心を持って誘われたと思ったに違いない。
こんなおっさんが何を生意気に若い女を誘っているのかと見下されたに違いない。
はぁ、失敗だ。失敗だ。
いつも私は心と口がちぐはぐして行動する。
これで私の初恋は終わった。そう確信した。
あぁ、もう何も言わないでほしい。わかっているから。
そう思う小太郎の目の前にいる美人は応えた。
「_____いいですよ」
■
大西小太郎の手は42歳11カ月にして宇宙を越えた。
彼は今1時間はかかるであろう残った仕事を5分で片づけると人通りも少なくなった大通りに若い女性と二人、会話もなく、ただ目的地をめざし、歩みを進めていた。
「あ、うんうん。駄目だよね、時間も遅い……え?あ、お、おぉうんうん行こう行こう。え、行くの?良いの?本当?え?え?」
あの時なんでもっと堂々とできなかったんだろう。
大西小太郎の胸の中には先ほどの後悔でいっぱいだ。
彼女がどんな思いで受け入れてくれたのか本当のところわかったもんじゃないが、あんなに挙動不審になったおっさんを見て引いてはいなかっただろうか。
ただあれから黙ってついてきてくれる彼女。
取り敢えず、ここは俺が奢るべきだよな。
いい店つれて行ってあげよう。
小太郎はあらゆる居酒屋MAPを脳内に繰り広げあまりうるさくない静かに話せる場所がいいと考えていた。
そしてたどり着いたのはなんの変哲もない飲食店が各階で運営しているビルの最上階。
龍仁酒家__中華料理の居酒屋さんだ。
店内は薄暗くもいやらしい雰囲気ではなく落ち着いた、耳に入るBGMも心地よく流れていく。
小太郎はまぁ何度か通って慣れていたこともあり店主とも何度か話したこともあったため、察した店主が一段上がって用意されている、窓辺の席に案内してくれた。
このお店は知る人ぞ知るお店という雰囲気で、お客はまばらに、大体は一人で来店している人が多い。
「ご注文はどうされマスカ」
店主に指示を受け案内をしてくれたのはどうやら外国籍の人物だろう。中華料理のお店なのだから、中国人かと思うかもしれないが、肌の色や顔だち、近頃のニュースなんかをみているとベトナムの人かと思われる。
最近では中国人労働者のイメージが悪くなってきているという理由等さらなる安価な労働力としてベトナム国籍の人間が多く日本に来ているらしい。
大西小太郎は手渡されるメニューを受け取りながら開けることなく注文をした。
「とりあえず生、麗華さんも生でいい?」
何も言わず頷く彼女
「じゃああとは海月のサラダと、油淋鶏はこの時間やめとこうか?棒棒鶏を取り敢えずお願いします。」
「かしこまりました」
店員が伝票に書き込むとその場を離れ、間もなくして、生二つ、そして先ほど言った前菜がすぐにでてきた。
「よくここには来るんですか?」
九条院麗華がようやくとしてしゃべり始めた。
小太郎は笑顔で答えて取り敢えずとジョッキを持ち上げると麗華をそれに合わせて日本特有の形式をやってみせる。
「そうだね、5,6回目くらいじゃないかな、ここは点心がおいしいのだけれど、この時間から女性には重たいかな?取り敢えずとして前菜を頼んでみたけど好きなの選んでよ。ここは俺のオススメだし俺が持つしさ。」
麗華は「いいんですかと」一様はためらう態度はみせてはくれたけれど、何度かこんなやり取りはもう経験しなれているのだろう。そつなく受け入れた彼女はメニューを広げた。
「へぇー、ここにあるの全部前菜なんですか」
麗華の言うそれはおよそ300にも及ぶ前菜のメニューだ。
そこには餃子からなにから、簡単な料理だがどれも違うおいしそうなものが並ぶ。
「ピータン__皮蛋ってなんか聞いた事あります。これおいしいんですか?」
小太郎はピクりと眉を動かしたが悟られることなく顔を静かにあげて店員を呼んだ。
「頼んでみようか、皮蛋一皿お願いします。」
またもすぐにその皿は運ばれてきた。
中華の前菜はあらかじめ野菜がお皿の上に盛り付けられて保存されており、その上に乗る食材を切り分けてすぐに出せるようになっている。
これはフルコース、で客を常に料理でもてなすために最初の一品はすぐに出せるようにとシステム化されたものだ。
店主に聞いた話ではどこの店でもだいたいそんなものらしい。
運ばれてきたピータンに興味津々の彼女は視線でこちらに伺いを立てるが小太郎がうなづくとパクリと一口食べてしまう。
「くぅっさああああぁぁい!」
小太郎を含めた周りの店員も笑った。
「ハハハ、独特の香りがするよね、でも後になればあとになるほど美味しく感じるんだ。大人の味ってやつだね。」
一つなんだか緊張がほぐれたような、思わぬ衝撃を受けた彼女は笑顔だしだいに増えて自分から話題を振るようになってくれた。
そしてどんどんとお酒も進む彼女はいよいよと今日あった出来事についても語ろうとした。
「今日は朝から、ずっとずっと、挨拶してたん、ですよ」
ちょっと、いや結構酔っているようだ。
「そしたら、気づいたら、社長にまで挨拶しに私いってたんですね。もうおっどろっきましたよ。」
小太郎は黙って笑顔で聞いていた。
「そしたら社長、なんだかすっごい近づいてきて、私の髪触ってきたんですよぉ。そしたら、そしたら、そしたら……うええぇぇえぇぇええええん」
弾むように話していた彼女は、突如として泣き崩れた。
突然の出来事に、少し大きな泣声に、周囲の目は小太郎へと向けられる。
お前、なにしてんだよ。
そんな批難の目だ。
慌てて小太郎は麗華の肩をゆすり、大丈夫かと問いかける。
すると彼女はまたも突然。
今度は立ち上がった。
そして彼女は見下ろすように私をみると涙をぬぐって口をうごかした。
「なんでもないです。忘れてください。それと先輩!」
「あ、あぁ、そんな誰にも言わないとも、当然だとも、どうした急に」
「____先月くらいから気になってたんですけど」
「え、うん、うん。どうした?」
「頭の後ろ、ハゲてますよ」
私は笑顔のまま沈黙し、右手を後頭部し添える。
私はそのまま笑顔で右手で後頭部をさすった。
____さらさらッキュ。
____さらさらッキュ
____ッキュッキュッキュ!?ッキュッキュ!?
無い。毛が、無い。
小太郎の毛は、無い。
「はぁあぁ、やっと言えたぞぉ!じゃぁ先輩、ご馳走様でした。私眠いので帰りますね。お疲れ様でした。」
彼女はそういうと足取り軽く帰って行ってしまった。
はたからみれば振られた男に見えるのだろうか。
会話が聞こえていたものにはそのハゲが原因で振られたかと思ったのだろうか。
硬直した笑顔で彼女を見送る私は。
彼女が見えなくなって真顔になり、
右手を胸の前までもってきて、また動かなくなった。
今のストレスからもきてるんだろう。
その手には、無数にチリばむ人生の垢が、指に絡みついていた。
大西 小太郎 42歳 ついに私はハゲました。
やっとハゲの話ができる。
ネタストックなのに肝心の根幹がかけてないからついつい書いてしまった。
応募原稿書かないと書かないと書かないと書かないと・・・・・。