42歳の財布の中身は1500円
平日の昼時でもこういった街中では人通りが絶えない。
自分と同じようにスーツを着る男女が同僚と楽しげに言葉を交わす中、いつものようにと飲食店へと入っていく姿を必死に、動体視力を鍛えていらっしゃるのかと問いかけたくなるように右へ左へと仁王立ちで睨みつける男。
大西小太郎は弁当屋の前にいた。
小太郎は必死に視界に入る人間と呼ばれているであろう個体の頭蓋骨部分を漏らさず確認をする。どこにもいない。どこにいるのか。
小太郎はそんな思いで目を泳がせ、次第に涙が瞼に溜まり、目は血走って赤く染まろうとしていた。
「ここにはいない、どこだ。どこなんだ」
小太郎は自分のいる大通りから外れた。ここら一帯には細道にも飲食店が立ち並ぶ。決して目立つところの飲食店に彼女が行くわけじゃない。
小太郎は真っ赤なな目を閉じて息を吐いた。
その時に溜まっていた涙が零れ落ちるが、その粒が顔からあごに伝う前に小太郎は涙を袖で拭う。そして小太郎は吐いた息の何倍もの空気を吸い込んだ。
その周囲一帯は掃除機でもかけているのかという轟音が鳴り響く。
目の前を歩く人間はキテレツなものをみるように通り過ぎていく。
「……見つけた」
小太郎は吸った息をそのまま飲み込んで、次に吐き出すと走り出した。
「焼き鳥屋、クレープ屋……これはお好み焼きか。」
彼の視界には今口々にした飲食店は見受けられない。だが彼が俊敏に路地をまがるとそこにはクレープとかかれた旗が揚がり、お好み焼きと書かれた看板がビルを覆い、はるか上空には「天上酒家」という知る人ぞしる有名焼き鳥屋のお店が見えた。
「次の角でもシュークリームを売っているな、こいつのせいで臭いがうすれてやがる……」
小太郎は人ごみ構わず突き進む。小太郎が入った道は若者が多く行きかいをして食べ歩きを楽しんでいた。中にはぶつかりそうになる子供ともでくわすが、見た目にそぐわぬ速さですり抜けるといよいよした満ち足りた表情でシュークリーム屋を飛び越える。
小太郎はある程度離れたところでまた静止した。
今度は走れば走るほど、見える先にはどんどんと人通りが少なくなっている。
アパレル関係、デザイナー家具など飲食店すらみかけなくなった。
小太郎はままた鼻で息を大きく吸い込む。
「もう、逃がしませんよ」
一流のストーカーだ最後勝利を確信した彼は一人ごとに今までの行動を誰に聞かせるでもなく自慢した。
「私の鼻は特別でしてね、幾多もの臭いをかぎ分けれるのですよ、えぇ。それに臭いというのはあたりに散らばりしだいに消えてしまうかと思われますがある程度の時間であればその場に残っていたりするのですよ。そして残っていなくても、風向きがたまたまこちらへ向いていたならば、その流れを計算してあなたの場所ですらすぐに感じ取れてしまうのですよ。いえ、何、こんな使い方ははじめてですけどね。でもできますとも。当然ですとも。だってあなたの香りは、嗅ぎ間違えることなんてありえないのだから。」
気のせいだろう。そう思いたい。
小太郎から独り言だけではなく不気味な笑い声まで聞こえてきた。
それはしだいに止み。彼の足並みがゆっくりと動くころには彼はいつもの、静かな彼に戻っていた。
だがそれは今度、度を増して足音を消すかのように気配を消して歩いているようだった。あれだけ動いたにも関わらず汗粒一滴もみせない彼は路地の曲がり角に掛かる電柱から顔をのぞかせるとすぐに顔をひっこめた。
「いたぁあぁ」
ストーカーは笑顔で電柱に隠れながらうずくまる。
恥ずかしい。そうつぶやきながら頬を赤らめる42歳は真っ黒なアスファルトに指をなぞらせながらもう一度覗き込む。
2階だ。お座敷であろうところに座る彼女が食事をしているのが見えた。
小太郎は意を決して立ち上がり歩みを進める。なんと言って話しかけようか。
「偶然だね」「仕事がはかどってさ」「麗華さんに元気を貰ってがんばっちゃったよ」
どれだ、どのルートだ。
小太郎はどの言葉が最短ルートで彼女から連絡先を聞き出せるのか数多シュミレーションゲームをクリアしてきた中のルート分岐を思い出す。
天空学園ツヴァイヤ?乙女傑女?おおみみとしてかける?イヤーズテゥモロー?っは……もしかして、ワールドネバーランドか!
だとするともう率直に遊びに誘ったほうがいいのか、あのゲームは結婚したら会話の項目が「愛してる」からはじまる子作りと「デート」と「好き」だと唐突に告げる好感度が必ず上がる夫婦円満コマンドだけだ。結婚する前にはひたすら話しかけてまず知人というカテゴリーから友人になる。そしてそこからまた話しかけて日をかけながら遊びに行く約束をし、告白をして恋人のカテゴリーに移るという流れだ。
私としてはそのゲームが一番功績輝かしく残せたゲームの一本であり、それは一族212代まで続いた私の自慢のデータであり経験だ。
朱雀院 茜はどちらかというと戦闘を重視したストーリ構成キャラクターデザイン。
それを考えると決してその恋愛的シュミレーション要素を参考するべきではないのだろうが、いや、私は確信している。
九条院 麗華の立ち振る舞い、美貌、性格、それらはすべて、かの2次元と同位であると。あんな素敵な笑顔をどうしようもない42歳にむけれる女性など2次元以外にはありえないはずだ。
キャバクラでもあるまい、ガールズバーでもあるまい、たとえ上司だとしても、いらぬ思いを寄せられても困ると冷たくされるのがさえない中年男性よ。そうするのが現代を生きる麗しく若き女性たちの処世術よ。
なのに、なんなんだ。なんなんだあの優しい笑顔は!
あんなもの好きになるに決まってるじゃないか!
惚れるに決まってるじゃないか!
電話番号聞きたいじゃないか!!
「あ、今はLINEか…」
現代における最先端常識を思い出して小太郎は我を取り戻した。
意識がずっと薄れていたせいか気づけばすでに店内へと足を踏み入れていた。なんなら店員が「一名様ですか」と確認までしてくれている。
それに応えると店員は手を綺麗に立てて廊下を差し、その長い廊下を歩いて案内してくれた。
「え、なんでこんなに廊下長い?」
小太郎はなんで今頃気づいたのかと人二人がギリギイすり抜けれるであろう廊下を前後ろ横にと見渡して唖然とした。
長い、長すぎる。足元には土足で踏み入れているのにやさしく包み込むようなやわらかな絨毯。天井にはどこから仕入れたんですかと思わせる趣向残った和彫りの照明。廊下には等間隔で華々しくも御淑やかに飾りおかれる花が見えた。
小太郎は悪い予感がする。
「あの、すいません。ちょっと友人もくるそうなのでちょっと戻ってもいいですか?」
小太郎はすかさず何も通知がきているわけでもないスマホを取り出して困った顔をして店員さんに話しかけた。
我ながらに接客業をしているだけあって当たり障りのない嘘がつけたとほっとする。
「あ、そうですか、いえいえ全然。もしよろしければなかで…」
「いえ、ちょっと何人くるかわからないものですからすいませんね。出直します」
「そうですか、お待ちしておりますね」
無表情に近いが温かみのある笑顔で外まで送ってくれた女性。女将さんだろうか。綺麗な着物をきた人だった。送られて出てきた小太郎は一旦また電柱に隠れてから扉が閉まったのを確認してまた店の前に立つ。
おしながき。
山菜の天ぷら 2400円
ざるそば 1600円
海老天丼 3600円
ひつまぶし 12000円
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「たかーい」
小太郎は子供が両親に欲しいものをねだるような声で感想をのべた。
いやいや、まさか。これはないだろう。
小太郎はふとポケットから取り出した財布をあけて小銭入れと合わせて1500円しかないのを確認すると無言と真顔で財布を閉じた。
そのまま店の前で立ち尽くす男。
ちょっとの間そのままに、彼は、帰ることにした。
「おぉまだあったんじゃのぉこのお店のぉ。なつかしいのぉ」
振り返り来た道を戻る小太郎と入れ違い様に黒い車が通り過ぎていった。
なんだか変わった車だ、長いし、扉少ないし。「え、長い?」
その車はいわゆるリムジンというやつだ。
テレビなんかでははめを外したお金持ちが乗っているその車だがこれはいったい。はじめて見た。
はじめてみるリムジンは驚きを隠せない。傷ひとつない、光沢のあるボディ。
さぞ乗っている人間も良い身なりをしているんだろう。
小太郎はリムジンに目を奪られながらその視線をリムジンに空いた窓から顔をだす光沢に向ける。
「ん、照り照りしてる?」
颯爽とふりそそぐ太陽光がそこに反射してこちらの視界をふさいでしまった。
「うわ、眩しい。」
その光沢は窓からつきだしゆらゆらとうごめくとしだいにその光は上向いて、
人の顔がそこにあった。
「いやー今日は何を食べようかのぉ腹ペコだ。
リムジンの前部座席であろうところから黒服の男たちが数人飛び出しと光源飛び出す扉へと彼らは集まった。そして一人のおとこが扉に手をかけゆっくりを開くとそこからでてきたのは、
アロハシャツを着た老人だった。
老人、そのご老体は腰が曲がり。
ご老体、その腰には両手をあてて。
ご老人、その顔は、とても光っていた。
小太郎はどう表現していいのかわからなくなる。
一見すれば、まぁ全国どかかしらに広く分布するであろう明るいおじいさん。そう思うことだろう。
だけれども、
頭が、ハゲている。
いやいや、ハゲているのはどうでもいい。
ハゲであるのは年をとればみなそうなるのだろう。
抗うことのない仕方のないことだ、それを指摘するのは失礼だ。
しかしどうだろう。
このご老人。
素敵な笑顔でみせる歯をいう歯が、真っ金金じゃないか。
老人は素敵に輝く笑顔と歯を黒服を男たちに振りまくと一人足早に歩き出した。
「そうだよな、あんな高いお店。こんくらいの人じゃないと食えないよな。」
小太郎は未だポケットにしまわない財布を握り締めて老人を羨ましく眺める。
お金があれば、麗華さんとお食事ができたのに。そう思ってだろう。
「あれ?」
小太郎の視線はゆっくりと老人から先ほどのお店へとむかったのにその視界には老人が消えていた。
どこに行ったのかと老人を探すと老人は先ほどの店舗ではなくてその店舗の向かい側、通りを挟んだ店へと入っていった。
それを見送る黒服たちは車の中へと戻り、ここにいては邪魔になるのだろう。車を出してどこかへ消えた。
小太郎はその何事もなかったように静まり返った道へと戻り、老人が入って行ったそのお店を見上げる。
「喫茶店バーゲル?」
小太郎は名前を確認した後その店のおしながきに目をやった。