42歳ってこんなもんだと思います
「ちょっと小太郎さぁん!物件案内してほしいって二組とも小太郎さんの名前だしてるんだけどどういう事ぉぉお!?」
午前10時半。
出勤してまだ間もない小太郎の背後から耳元で大声をあげるこの人物はギラギラとした目で小太郎を睨み付け、その黒く老化しボロボロになった肌には似合わない真っ赤な口紅のダルマ体系でどこで買ったんですかとはとても言えないくらい派手な紫いろのスーツを着ている定年まじかと見える女性。大元 かず子がいた。
大学を卒業し、2度目の転職先とはいえかれこれ10年勤めあげてきている小太郎よりも古株のかず子はいつものことだけどねと嫌味を置き去りに開店そうそう来店してきた客の接待をはじめていく。
小太郎も申し訳程度に頭を下げていそいそと来店した担当のお客様のもとへと向かった。小太郎は以前依頼されていたお客様の条件にあった物件をあらかじめリストアップしていたので大元のデスクに一つ、そしてもう一つの紙束を脇に抱えると「おまたせしました」と冷や汗を軽く拭ってお客の前に腰掛ける。
「では、以前にお伺いしていた物件なのですが…」
いつもと変わらない業務が今日もはじまった。
いきなり2つの予定を被せてしまったことは失敗だったがそれはなんとかなったからまぁよしとする。小太郎は色々と諦めきっていた分その辺には気楽になれた。転職組であり、能力も特別高くない。出世を望まず、それなりの生活を送る分にはこの程度のミスは何処にも響かないさ。そう思っている。
小太郎が取り敢えずといくつか決めて貰った気になる物件を案内し終わると時間は丁度お昼になるかという所。お客さんははじめての物件案内だったということで今日は一通り回りきると帰って行った。
「さて…休憩にはい……。」
「ちょっと小太郎ぉ!」
長老が険しい表情でデスクから立ち上がる小太郎に言葉で呼び止めた。
「あんたこのリストちゃんとお客さんに用件聞いて作ったの!?ロフトは嫌だって言ってたわよ?前来た時にはロフトも考えてたみたいだけど夏場のロフトは熱いからやっぱり遠慮するって言ってたわ。なのになによこれ!ロフトを限定してお願いされたわけでもないのになんであんた9割9分ロフトなのよ!あんたどんだけロフト押すのよ、ロフトに命でもかけてんのあんたわぁ!」
長老のお言葉に小太郎は何も言えなかった。
それは自分の判断でこれから新生活を迎える大学生がなるべくオシャレな部屋がいいということで抜き出してまとめたものなのだ。その結果、ロフトがついた家というのは木造建築が多く、家賃も安い中でオシャレという点を考えるとロフトしか見つけ出せなかった。その分お客さんの希望価格帯、それよりも下回るなかで抜きんでたものを挙げてはみたのだけれど。
「すいません大元さん…私が変に気をまわしてしまいました……。」
「ふんっもういいわ。とりあえず今日あたしも別物件で紹介はさせて貰ったけど気に入らなかったみたい。明日も来てくれるそうだから今すぐこの条件でリストあげておいて頂戴」
大元かずこはそのまま吐き捨てると小太郎の肩をぐいっと押して椅子に座らせ、お客さんが書き残して行ったアンケート用紙を投げ渡すと店の外へと出て行ってしまう。
「休憩なしか…」
ぽつりとぼやいた小太郎。最近どんどん上司である大元かず子からのあたりが強くなっている気がする。多くはないにしろ、些細なことにしろ、ミスが亡くならないことが原因なのだろうか。いや、どうなのだろう。単純に嫌われているのかもしれない。
「更年期障害ってやつか。」
また思わず一人言がこぼれた。
「小太郎さん、面白いですね」
自然と口から出た独り言に気付いた一人の女性から名前を呼ばれて小太郎ははっと後ろを振り返る。そこには薄い茶色に染めた長い髪の似合う女性。九条院麗華が立っていた。
本社勤めの彼女は新入社員で研修が終わり、現在視点を回っているらしい。ここに来たのもつい最近で小太郎も名前をしっかり覚えたのは先週あたりだったかと思い出す。
というよりも、小太郎は初めて自己紹介をされたその瞬間から彼女の名前は刻み込んでいた。先週の月曜日、少しぎこちなくスーツを着こなす彼女に小太郎は惚れてしまった。一目ぼれしてしまった。
だってその女性は、あの某有名恋愛シュミレーションゲーム朱雀院 茜という有名人気キャラクターを模したような美しいツインテールだったのだから。
まぁ欲を言えばキャラクターデザイン通り黒髪が良かった。黒髪でいてほしかった。清純さを残しておいて欲しかった。だがそんな欲張った感情を押し殺してもその今目の前にいる彼女のツインテールは
「見事だ……。」
思わずそう口にしてしまう。
また独り言なのか自分に言っているのかわからないその言葉に麗華はクスクスと手を口にあてて笑っていた。
美しい。品がいい。育ちの良さを感じさせるその立ち振る舞いは100点だ。
もっと言えば社会人としては多少口をはさむ人間も多い事だろうその腰を越えて伸びた長くつやのある髪はかの朱雀院 茜でしかなしえない物。それを具現化し、さらには一挙一動に心地よく香る芳醇な甘い誘いは私だけじゃないだろう。
全国の美少女を愛する男達にとって最高の賜物だ。
「120点……。」
「もう、小太郎さん。こっち向いても独り言なんてやめてくださいよー」
小太郎はここでハッとしてようやく朱雀院 茜ではなく、九条院 麗華の視線を受け止める。
「あぁ、ごめんごめん。そんなに一人ごと多かったかな?」
「ええー。気づいてなかったんですか、すごい堂々とパソコンに向かって話しかけてましたよ。」
素敵な笑顔のまま小太郎の奇怪な行動を指摘する彼女。どうやらこれは、面白い人だと思っていてくれているに違いない。小太郎は確信した
何故なら小太郎のシュミレーションゲームで鍛えたいくつかのパターンにこのやり取りが該当したのだから。
(このルートは…一緒にお昼のランチタイムコースだな!)
「あははは、ごめんごめん。気をつけるよ。夜道でも独り言呟いて通報されたら笑えないもんね。それでなにか用かな麗華さん。」
(よっし、このまま話を聞き出して向こうから誘ってくるパターンだぞこれ!大元店長には悪いがここは、私の人生の花道を優先させてもらおう。)
小太郎が悪への誘いを九条院 麗華を目の前にして容易く受け入れたところで彼女がそれに返事を返した。それは、ちょっと思っていたものと違っていた。
「えっと、お弁当買ってきましょうか?」
笑顔で違う言葉を待っていた小太郎は笑顔のまま一度下を向き、そのまま笑顔で顔をあげると懐に手を持って行きながら軽く棒読みのまま笑顔でそれにお答えする。
「から揚げ弁当でお願いします」
小太郎が懐からだした1000円札を受け取った麗華は、「じゃぁ休憩いってきます」と一言返して大元かず子と同じ歩みで店を出ていってしまいました。
生殺しだ。半殺しだ。こんな寸止めみたいなのひどすぎる。
大西小太郎は九条院麗華の背中が見えなくなったところで自分のデスクに上半身を打ち付けはじめた。
こんなルートはありえない。こんなルートでいいわけがない。
よくわからない独り言が再び繰り返される。
だがそれも1分程度だろう。絶え間なく打ち続けるからだを突如として静止し、勢いよくその上体は湧き上がる。
「そうか、大元店長に仕事を与えられたのを聞いていたのだな。彼女なりに気を使ったのだな。この後に来るルート分岐への布石なのだな。そうなんだな。なんて彼女はやさしいんだそうかそうか」
声こそ小さかった。今度こそ誰にも聞かれてはいなかっただろうその言霊を呟く彼の表情は隠しきれない欲望が滲み出たような、最低な顔をしていた。
大西小太郎はひとしきり自分の解釈をまとめあげるとさらにあとのことを振り返る。これはもし仕事を押し付けられなかったのならどうなっていたのだろう。
もしこの先も昼休み中ずっと仕事を押し付けられたら一度も麗華さんとお食事に行けるルートが生み出されないのではないか。
聞いた話だと3か月おきに店舗を回っているらしい。
それまでになんとか、なんとか連絡先だけでも手に入れなければ。
大西小太郎、盲目にひた走る彼の手は、光速を越えた。
いや、実際には光速なんて越えているわけがない。しかし、幾多もの情報を繋ぐ光ファイバーの通信速度とそれを処理するパソコン本体の速度に引けをとらず、なんならばCPUの処理速度が常に追いつかなくなるほど彼の手は蠢き、目は一文字も逃すことなく情報を海馬に叩き込んでいく。
その姿はまるで修羅。
この世に生まれ42年。初めて恋した彼女は2次元。
会えないと知っていた。触れ合うことができないとわかっていた。
けれど今、その2次元が3次元に舞い降りた。
大西小太郎の本当の初恋だ。それに燃えたぎる漢はものの10分でEnterを店内に鳴り響かせて席を立った。
彼が常軌を逸して燃え上がり急ぐ先。それはそう。
彼女のもとへ。