まあ、登校一週間前だったり。
「……ぐむ」
小さく唸る。新しい自分の部屋、先ほど荷物を全部並べ終わったところ。そこで、雪也は鏡を覗き込んでいた。
「……うぬぅ」
映るのは、自分の平凡極まりない仏頂面。そして、自分の今着ている服。
「……むぐぐ」
また唸る。
「何してんの兄貴」
「ぴゃあああああああああ⁉」
思わずびっくんと飛び上がった。ドアを開けた星花がこちらを見ていた。あまりにも集中していて気付かなかったらしい。
「何今の声……。って、兄貴それ、新しい制服?」
今の雪也は、青のネクタイに所々黄色の線や刺繍が入った暗い緑色のブレザー、そしてグレーのスラックスを穿いていた。そう、九波異能学園の制服である。
「そうだけど……何か用か?」
「ん、ううん、別に」
「だったらどうして俺の部屋に来たんだっつの」
「あ~~、そのね」
何だか歯切れが悪い。目を泳がせまくっているし、人差し指をつんつん突き合わせている。何この怪しい人の代名詞。
「……お願い兄貴! 一緒に来て!」
ぱん、と両手を合わせて頭を下げる星花。こいつが頭を下げるくらいの出来事って……何だ?
「……はぁ? 何で俺がお前と一緒に」
「お願いお願いお願いっ‼ 私を助けると思って!」
え、こいつが本気でお願いするのって何年ぶり? ……というかこいつにここまでやらせるのって……まさか。
嫌な予感がまたもやふつふつと湧き出る。ジワリと冷や汗が滲み出した。
「参考までに……一緒に行く場所とやらを教えてくれるかなぁ?」
最早冷や汗は止まらず、嫌な予感がしまくっている。
だがしかし、ここは兄として……
「美織さんのとこ!」
「ごめんなさい。死地に向かうなら一人で行ってください。俺はまだ死にたくない」
「怒涛の三連続攻撃! というか妹を死地に向かわせる兄って何⁉」
そんなことはわかっている。それでも雪也には行けない理由があるのだ。それは、
「だってあの人のとこに行くっつーことは悠理とも鉢合わせじゃん⁉
つまりそれは七年前の引っ越しの件を言わなかったことに対しての粛清が待ってるってことなんだよ!
俺まだ死にたくねーもん!」
「下種ねバカ兄貴⁉」
悠理というのは雪也の幼馴染。祖母である美織と一緒に暮らしていて、七年前、結局引っ越しすることを言い出せなかった相手だ。
更に剣道やら弓術やら、とにかく戦闘系の習い事なんかをしていたために、めちゃんこ強い。
「いや……待てよ? あいつ毎日あんなに特訓とかしてたんなら、すんげーゴリラ女になってるんじゃ……
叩きのめされるのは怖いっちゃぁ怖いが、それであいつを笑ってやれんなら……」
ぶつぶつと雪也は呟いて、
「よし、行くか」
「とことん下種ね、アホ兄貴……」
背後で星花が頭を抱えていたが、まあいい。
「ほら、ついてってやるからさっさと支度しろ」
「はぁ……」
ため息をついてから、星花が部屋を出ていく。
「……なぁ。星花さんよ」
「……何ですかい、雪也さん」
「いや見りゃわかんだろ!」
雪也はそう怒鳴り、目の前を指さした。
「な、ん、で! 《九波異能学園》に着いてるんだよっ‼」
そう、二人の目の前にある、広大な土地。まだ春休みだからか、だれもいない校門前。どこか近未来的な装いの建物が立ち並ぶ、その場所こそ。
九波異能学園。
「わ、分かんないよ! 美織さんのメモの通りに来たんだもん!」
「可愛こぶんな、いくらなんでもそれはねぇだろうが!」
最早涙目の星花。流石に言い過ぎたかと若干反省した……のだが。
「…………にゅふふふふ、やはりここからがよいか」
誰かの声がした。───真下から。
「ひっ⁉」
驚いて飛び退いた星花の足元にあった路面。そこを雪也は軽く叩いてみた。こんこん、と軽い音。
なので雪也は、悠理と会うならこれくらい必要だろうと思って持ってきたバールの釘抜き部分を路面に突き立て、
がこん。
「ひぎゃぁー! ゆ、雪也お主、何をする!」
路面を外すと、そこには大きな空洞があり、その中で双眼鏡を持ってふんふん言っていた幼女が光を浴び、悲鳴を上げた。
「何やってんすかあんた」
雪也がそう言うと、中にいたミリタリーっぽい服を着た幼女が這い出てきて、
「の・ぞ・き☆」
「ざけんなこの変態ロリババア」
星花がとてつもなく冷たい目で雪也のバールを奪い取り振り下ろした。魔法少女的ポーズをとっていた幼女は、ひにゃあ、とか悲鳴を上げて飛び退く。
「にゃーっ⁉ やめ、冗談じゃ、冗談じゃからーっ」
「まてぇぇぇぇぇええええええええええっ!」
まあ、一騒動ありまして。
「で、何で美織さんが九波異能学園にいるんすか」
バテている星花の隣でバールを拾い上げた雪也が息一つ乱していない幼女───美織に聞いた。
「……まあ、それは後で説明させてもらうが」
美織は服の汚れをはたき、
「まあ、とりあえず。一緒に来てくれるかの?」
一見すると穢れの無いような笑みを浮かべ、そう言った。
「わ、あ、あの。勝手に入っていいんですか?」
星花が廊下を歩きながらそう言うと、美織は
「本当は駄目じゃがな、今日はいいのじゃ」
意味が分からなかった。とにかくこのツインテールミリタリー幼女は、自分たちより年は上だ。
一応従っておこう。
「何か言ったかの?」
「……い、いいえ」
喉に美織のペンが突きつけられていた。
あ、昔から年齢の話は禁句だっけ。心読んでくるし。
まあ、こんな姿でも孫のいるおばあちゃんだ。優しくしてやろ───
「年寄りに無駄な優しさを向けるんじゃないぞ?」
「……い、いえす、まむ」
老人に過剰な優しさは禁物だと知った。
教室をいくつか過ぎ、廊下をしばらく歩いたところで美織が止まった。
「ここじゃよ」
『理事長室』そう書かれている扉を指す美織。
「えっ? さ、流石にそれはまずいんじゃ……」
星花が言い、雪也も少し眉をひそめた。いくら恩人とはいっても……犯罪行為に加担することはできない。
しかし美織は、
「ここがわしの部屋じゃよ」
「え?」
疑問を挟む暇もなく、美織はとっとと入ってしまう。
「わ、ま、待ってください」
それに星花が付いていき、
「あーもう」
雪也も続いて中に入った。
中は案外普通だった。異能者を束ねる学園の理事長室だ。それなりにおかしなものなのかと思っていたが……。
美織がすたすたと歩いていき、高そうな机に腰掛ける。
「あ、あの、美織さん?」
思わず雪也が問いかけると、美織は軽く目を細め、
「いらっしゃい、九波異能学園へ。わしはこの学園の理事長、河南美織じゃ」
そう言った。……え。
「「えええええええぇぇぇぇぇええええええええええええ!」」
二人して絶叫してしまった。いつもお気楽仕事したくないと子供に言い聞かせていたあの現役ニートが!
「は、働いてる……のか?」
「お主らわしに対するイメージ酷くないか?」
美織がむっとした表情を作る。それからにまぁといやらしい笑みを浮かべて、
「ちなみにお主らのご両親に転校について、うちの学園にしないかと持ち掛けたのもわしじゃ」
「おおおまああえええええええええええ!」
思わず飛び掛かりそうになったが星花に羽交い絞めにされ止められる。
「あんたなぁ!異能者を育てるための学校に一般人入れてどうする! 何だ、嫌味か、嫌がらせか⁉」
「お、落ち着いて、兄貴」
思わず怒鳴ると美織は「まあ落ち着け」と茶を差し出してきた。
「あ、いただきます。……じゃ・な・く・て⁉」
「おお、見事なノリツッコミ」
お茶をいそいそと受け取り飲んでからツッコミを入れた雪也に対しそれを褒める美織。
ハッキリ言って全く嬉しくないが。
「とにかく! いったいどういう事なんですか⁉」
そう雪也が言うと。美織は今までの怪しげな雰囲気を一切取り除いて、
「いやー、お主らに生徒会をやってほしくての~」
訳の分からないことを言った。
「「……はぁ?」」
「いやの~、最近学内での、一般人を見下す風潮が出来上がりつつあるのじゃよ」
美織は足をぶらぶらさせて、
「だからこう、一般人のお主らにの~、学内の力の象徴である生徒会役員になってもらっての~、こう、ばかーんと」
「「アホかぁー⁉」」
思わず叫んでしまった。しかし美織はにまぁと笑って、
「うちの生徒会ではの、毎回選挙方法が決まってなくてのー? 前期の生徒会長がその決定権を有するんじゃよ。
……ああ、あくまで『方法』の決定権であって、人員の決定権じゃないのじゃがな。
今期は随分と面白い方法があるゆえのー、雪也には頑張ってほしいのじゃー」
……あれ? 俺限定?
「ちょ、星花はっ⁉」
「生徒会役員になれるのは高等部だけじゃ」
「俺一人にがんばれと⁉」
「うん」
美織は男に興味がない。いわゆる百合というやつだ。じゃあ何故孫がいるのかという質問は聞かなかったことにする。
「う、ぐぬ……。ぜ、絶対生徒会になんか入りませんし入れませんからね⁉」
そう叫んで、つい雪也は部屋を飛び出してしまった。……まあ、協力してやろうという気はあるのだが。
兄を追って星花が飛び出した後。美織はただ笑みを浮かべて書類に書かれた一文を眺めていた。
そこには、こう書いてあった。
『生徒会総戦挙』
美織の笑みが深くなっていく。