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Day 1 #06

 その後のコンサートプログラムは、全て、中止となった。


 男に首を咬まれたカスミは、看護資格を持っているエリに応急手当てをしてもらい、その後、キャプテンの由香里とともに医務室へ向かった。残りのメンバーは、控室で待機することになった。


 重苦しい空気が流れる。だれも喋ろうとはしない。


 あんなことは、五年間のアイドル・ヴァルキリーズの活動の中でも、初めてのことだった。


 コンサート中、野次を飛ばされることはある。握手会で、アンチファンから酷い暴言を言われることもある。


 でも、いきなり襲われ咬みつかれたなんて、前代未聞だ。そんなことが起こるなんて、想像すらしていなかった。


 これ以上沈黙が続いたら、窒息してしまうんじゃないか。そんなことを思い始めた時、控室のドアが開いて、キャプテンの由香里が戻って来た。みんなの視線が一気に集まる。エリとカスミの姿は無い。


「カスミは? 大丈夫?」真っ先に駆け寄ったのは、ランキング2位の亜夕美だ。


 由香里は亜夕美の肩に手を置くと、みんなに向かって言った。「大丈夫。出血は酷かったけど、見た目ほど傷は深くないって。もう出血は止まったし、完治すれば、傷跡もほとんど残らないだろうって。今はホテルの部屋に戻って、エリが見てくれてるわ」


 それを聞いて、控室の空気がようやく軽くなった。みんな安堵の息をつき、顔に笑顔が戻った。


「あの男はどうなったの?」亜夕美が訊いた。カスミに襲いかかった男のことだ


「……分からないけど、これだけの規模の船だから、警察の人もいるみたい。留置場もあるだろうから、そこに入れられてると思う。大丈夫。また襲ってきたりはしないわよ」


 由香里は笑顔で言った。メンバー全員、さらにホッと胸をなでおろした。


 同時に、男に対する怒りも湧いてくる。


 亜夕美が右拳を握り、ぱん、と、左掌に打ち付けた。


「あんなヤツ、海に放り込んで、サメのエサにすればいいのよ!」物騒なことを言う。


 普段なら、「アンチファンの人も同じファン。大切にしなさい」と、厳しく注意する由香里も、さすがに何も言わなかった。


「それで、この後の予定はどうなるの?」あたしは訊いた。今日は六時にコンサートを終えた後、八時から別の会場で、称号持ちメンバーのトークショーが予定されている。もちろん、明日以降もイベントはたくさんある。明日は握手会とテレビ番組の撮影があるし、明後日はコンサート二日目だ。その次の日はお休みだけど、その後もスケジュールはびっしりだ。


 由香里は、うーん、と唸ると、「今、マネージャーが主催者と交渉しているわ。安全が確認できるまで、全てのイベントを中止する、って。でも、難しいだろうね」


 まあ、確かにそうだな。なんせ、ここは世界最大級の豪華客船の中だ。乗船だけでも数十万円である。ヴァルキリーズのイベント目当てにこのツアーに参加した人も、決して少なくはないだろう。初日で中止なんかしたら、暴動が起こっても不思議ではない。


「たぶん、ステージと客席の間をもっと開けるとか、警備を増やしてもらうとか、それくらいの対応になるだろうね。ちょっと心配だけど、まあ、あんな変な人はめったにいないよ。気を付けてれば、大丈夫。とりあえず今日のイベント中止は決まったから、ひとまず解散。みんな、お疲れ様」


 由香里がそう言うと、美咲が飛び上がって喜んだ。


「やったぁ! 若葉先輩! この船、ショッピングモールに大きなゲームセンターがあるんですよ! さっそく行きましょう!」


 いきなり腕を引っ張られる。ステージ衣装のまま遊びに行きかねない勢いだ。ゲームオタクの美咲にとって、ゲーセンは聖地である。テレビ番組のロケやコンサートなどで地方に行った時など、美咲はグルメスポットや有名な観光地よりも、まずゲームセンターに足を運ぶのだ。ゲームなんてどこでやっても同じだろ、と、あたしは思うのだけれど、それを言うと美咲は、「そんなわけないじゃないですか! 対戦相手のプレイスタイルは地方によって大きく異なりますし、営業方針によって、お店の雰囲気も千差万別です! その地方でしか手に入らない景品も沢山あるんですから!」などと力説する。なんとなく分かるようで、やっぱり分からない。


 嬉しそうに控室を出て行こうとする美咲に対し、由香里が。


「ただし! 外出は禁止よ」


 ぴしゃりと言った。


「えー、そんなぁ……」美咲、ガックリと肩を落とす。美咲だけでなく、多くのメンバーが同じように残念がっている。


「当たり前でしょ? こちらの都合ではないにしても、イベントが中止になったんだから。あたしたちが遊んでたりしたら、ファンのみんなに申し訳ないでしょ?」由香里は諭すように言った。


「……はーい」美咲、仕方なくという感じで返事をする。他の娘も、ちょっと残念そうではあるけれど、せっかくもらえた思いがけないお休みだし、カスミのケガも大したことはないそうなので、みんな、嬉しそうではあった。


「じゃあ先輩! 部屋に戻ってゲームしましょう、ゲーム。あたし、ソフトたくさん持ってきましたから!」


 相変わらずハイテンションで腕を引っ張る美咲。本当にステージ衣装のまま出て行こうとしたので、なんとかなだめ、ロッカールームで着替えだけはさせた。その後、あたしたちは劇場を後にし、それぞれの宿泊する部屋へと向かった。




 ☆




「――うん。カスミは大丈夫。笑ってたよ。エリも、心配ないって言ってたし、もう寝たんじゃないかな」


 あたしは、ホテルの部屋に備え付けられてある内線電話を使って、カスミとエリの様子を伝えた。電話の相手は、キャプテンの由香里だ。


「そう。じゃあ、ひとまずは安心だね」由香里は安心したような声で言った。「他のメンバーの様子はどう?」


「うん。みんな、部屋でゆっくりしてるよ。こっちの方は、心配しないで」そう伝えた。


 あたしたちの部屋は、十一階前方右側の一角にある。エリとカスミの部屋はここの隣、正面にはランキング1位の深雪と、四期生の降矢可南子という娘の部屋で、その隣には白川睦美と沢井祭という娘の部屋だ。以上が、このフロアのヴァルキリーズのメンバーだ。別にあたしがリーダーというわけではないけれど、一応最年長という立場上、みんなの様子を見に行ったのだ。あんなことがあった手前、用心にこしたことはない。


「由香里の方はどう?」訊いてみた。由香里の部屋は一〇階だ。丁度この真下にあたる。あたしたちと同じく、八人が四部屋に分かれて泊まっている。


「こっちも問題なし。ただね……」


「うん?」


「亜夕美と燈のグループは大丈夫なんだけど、愛子のグループと、連絡が取れないのよ」


 早海愛子。並木ちはると二人で、コンサート第一部が終わった後、エリと言い争いをした、ヴァルキリーズの問題児だ。


 亜夕美、燈、愛子たちは、それぞれ十人前後のグループで、あたしたちとは離れたフロアの部屋に泊まっている。亜夕美たちは七階の後方、燈たちは六階の前方、愛子たちは、最も離れた三階の前方だ。


「愛子たちのグループって、ちはると、他に誰がいたっけ?」あたしは訊いた。


「真穂とさゆりと千穂と直子。後、瑞姫がいたと思う。誰とも連絡が取れないの。ケータイもつながらない」


 愛子たちは、七人部屋にみんな一緒に泊まっているはずだ。全員と連絡が取れないのなら、きっと、みんなでどこかに遊びに行っているのだろう。


「――だと思う。まったく、しょうがない娘たちね」呆れた口調の由香里。


「まあまあ。これだけ大きな船だもん。部屋でおとなしくしてろって方がムリだよ。あんまり怒らないであげてね」


「まあ、向こうの態度次第かな。じゃあ、今日のところはあたしもゆっくり休むよ。おやすみ」


「うん、おやすみ」


 あたしは電話を置いた。


 ちょっと、あたしも連絡してみるか。キャプテンの由香里からの電話には出なくても、あたしの電話には出るかもしれない。


 ケータイを取り出す。電話帳を開き、七人の中から一番出てくれそうな瑞姫を選ぶ。ランキング12位、K大学卒業のインテリアイドルで、あたしと由香里の三人で『お局トリオ』と呼ばれている娘だ。


 数回のコールの後、予想通り、瑞姫は出てくれた。


「はいはーい。若葉? どうしたの?」のんきな声。


「どうしたの? じゃないでしょ? 瑞姫、あんた今、どこにいるの?」


「どこって、部屋だけど?」


「へ? さっき由香里が電話した時には、出なかったって言ってたけど?」


「あれ? あはは。バレてた? 実は、愛子たちと、ボウリングに、ね。あの娘たちが、どうしても遊びに行きたいって言うから」


「……そんなことだろうと思ったよ。で? もう帰ってきたの?」


「ううん。みんなまだ遊んでるよ。カラオケ行くって。テンション超高かったから、たぶん、朝までコースだね。あたしは疲れたから、パスさせてもらった。若い娘にはついて行けないわ」年寄り臭いことを言う瑞姫。


 お局トリオの一人とはいえ、瑞姫はまだ二十四歳だ。愛子は二十二歳だから、二つしか違わない。でも、気持ちは分かる。明日も朝から仕事だと言うのに、今からカラオケなんて、あたしだってパスするだろう。


「ま、明日は気を付けてね。由香里、怒ってたみたいだから」あたしはそう伝えた。


「あらら。そりゃマズイわね。分かった。先手を打って、今から電話しとくよ。みんなもう帰ってきたことにする」


「そんなウソ、すぐにバレるに決まってるでしょ?」


「大丈夫大丈夫。あの娘、結構単純だから。じゃあ、ご忠告に感謝します。おやすみ」


「うん、また明日ね。おやすみ」


 ピッ。あたしはケータイを切った。


 それにしても、こんな海の上でケータイが使えるなんて、スゴイな。


 このオータム号には、携帯電話の電波を受信できる衛星機能というものがあるらしい。船内の人への連絡はもちろん、日本にいる人のケータイや家の電話にも連絡できるのだ。少し前までは、こういった船の上では備え付けの電話でないと通じなかったそうだから、便利な世の中になったものだ。


 さて、と。


 ケータイをベッドの枕元に置き、あたしは部屋の中を見回した。十畳ほどの広さのツインルームだ。入口のすぐそばにシャワールームがあり、その先に大きなソファーとテーブル、壁には三十二型の液晶テレビがかけられていて、一番奥にツインのベッド、窓の外には海が広がっている。


 テレビの前ではさっきから美咲が奇声を上げてゲームをしている。「部屋でゲームをする」と言った時は、携帯ゲーム機でも持ってきているのだろう、と思っていたけれど、なんと、テレビに接続する据置型のゲーム機だった。「あたし、一週間も箱が無い生活なんて、耐えられませんから」と、胸を張って言う美咲。箱、とは、そのゲーム機の俗称らしい。あたしには見覚えのないゲーム機だけど、美咲曰く、世界的にはメジャーなゲーム機らしい。


 電話を終えたあたしを、美咲が誘う。今遊んでいるゲームは、マシンガンやショットガンやビームガンを使って、ゴリラや小猿みたいな宇宙人と戦う戦争ゲームだ。誘われるがままに遊んでみたけれど、操作方法が全く分からない上に、しばらくすると船酔いみたいに気持ちが悪くなってきたので(もちろんここは船の上だけど、超大型客船なので、船の上であることを忘れるくらいに、揺れは全く無い。美咲が言うには、『3D酔い』と、呼ぶらしい。あたしみたいなゲーム初心者が、このテのゲームを遊ぶと必ず陥るらしい)、早々にリタイアし、ベッドに横になった。


 窓の外を見る。陽はすでに沈み、水平線の上には満月が輝いていた。星も綺麗だ。都会では決して見ることのない、宝石のような輝き。水面には、島も、船も、何もない。ただ月明かりが反射して輝き、ゆらゆらと揺れているだけ。


 ステージ上で不審な男にメンバーが襲われる、なんて、怖い目に遭ったけれど、襲われた本人のケガは大したことはなく、襲った男も捕まった。襲った理由は今は分からないけれど、その内分かるだろうし、分からなくても、それはそれでも構わないだろう。頭のおかしな人だった。と、思うだけだ。時間が経てば、きっと笑い話になる――そのときあたしは、そう思っていた。




 しかし――。




 一人の男に襲われ、メンバーの一人が、軽い怪我をする。


 それを怖いと思っている今の状態が、いかに平和だったか。あたしは――あたしたちは、すぐに思い知る。




 そしてそれは、あたしたちの人生の中で、最も長い一週間の、始まりであった――。






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