表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/151

Day 7 #03

 ランキング発表からあっという間に二週間が経ち、いよいよ、お披露目公演となった。長年体に染みついた3位のポジションの振りから新ポジションの振りに変更するのは思いのほか苦労したけれど、なんとか形になり、今日を迎えることができた。


 しかし、連日のハードスケジュールがたたり、今日は寝過ごしてしまった。ライブホールに着いたあたしは、控え室へ走る。まあ、遅くなったとは言っても、まだ集合時刻の三十分前だ。遅刻したわけではない。でも、みんな普段一時間や二時間前に集合して自主的に練習をするのが当たり前だから、控室に入ったのはあたしが最後だった。ロッカールームに向かい、素早く着替えを済ます。


「ゴメンゴメン、遅くなっちゃったよ。すぐに準備するから」


 軽く体をほぐしながら控室に戻ってくると。


 うん? みんな、どうしたんだ?


 普段だったら何人かのグループに分かれ、ストレッチをしたり、発声練習をしたり、軽くダンスの打ち合わせしているのだけど。


 今日は、メンバー全員が一ヶ所に集まっていた。練習をしている様子はない。美咲も、エリも、深雪も、亜夕美も、由香里までも。


 そして。


 あたしが控え室に入ると、みんな一斉に、あたしを見た。


「ど……どうしたの? もしかして、遅くなったから怒ってる? ゴメン。でも、遅刻した訳じゃないんだから、そんなに怒らなくても」恐る恐る言うあたし。


 みんな、あたしを見たまま、誰も、何も、言わなかった。


 ……なんか、様子が変だな。


 あたしに注がれる視線は、どうも怒っているような感じではなさそうだ。責めるような視線ではない。かと言って優しい視線でもない。あたしの方を見ながらも、周りのみんなを気にしている。それは、何と言うか……そう、戸惑いの視線だ。みんな、あたしに声をかけたいけれど、それができない。誰かが声をかけるのを持っている、そんな視線。


「わ……若葉……先輩……」ようやく口を開いたのは美咲だった。「これ……読みましたか……?」


 そう言って美咲が取り出したのは、今日発売の週刊誌だった。特に芸能ネタに力を注いでいる雑誌で、真偽のハッキリしないネタでも大々的な見出しをつけてアピールする、内容よりも見出し重視の雑誌だ。


「いや、見てないけど……それがどうしたの?」


 美咲はまたみんなと目を合わせ、やがて意を決したように、その週刊誌をあたしに差し出した。「ここ、見てください」


 週刊誌を受け取り、開かれてたページを見る。何々?




『大人気アイドルグループ・アイドル・ヴァルキリーズ・遠野若葉、元カレと夜の密会デートからお持ち帰りされる!!』




 …………。


 ……はい?


 なんか今、アイドル・ヴァルキリーズとか、遠野若葉とか書かれてたような。まあ、あたしも一応芸能人の端くれだから、雑誌にグラビアやインタビュー記事が載ることは普通なんだけど、何だろう? 最後の方の、元カレとか、密会デートとか、お持ち帰りとか。聞きなれない単語がズラリと並んでいる。よく分からないな。暗号か? よし、もう一度、今度はじっくりと読み、解読してみよう。


 えーっと。まず、『大人気アイドルグループ・アイドル・ヴァルキリーズの遠野若葉』、というのは、たぶんあたしのことだろう。でも、もしかしたら中国辺りで偽物が出回っている可能性もあるから、それも一応考慮しておこう。で、次。『元カレ』とは、一体なんだろうか? これって、どう考えてもあたしの元カレってことだよな? ぱっと思いつくのは、先日ばったり会った高校の同級生・岩瀬耕作君だ。というか、高校に入るまでは彼氏なんていなかったし、高校卒業は上京しすぐに芸能活動を始めたから、彼氏を作るヒマなんて無かった。恋愛禁止のヴァルキリーズに入ってからは、もちろん彼氏なんていない。つまり、あたしに元カレと呼べる人は、耕作君しかいないのである。ふむ。これは多分間違いなさそうだ。暗号解読は順調に進んでいる。でもまあ、ここまではいい。問題なのは次だ。えーっと。『夜の密会デート』? これはどう読み解くのだろう? 一つ一つの単語の意味は分かる。『夜』というのは太陽が沈んだ後の時間帯だ。『密会』というのは密かに会うことで、『デート』というのは、主に男女が二人で食事したり映画を見たりショッピングに行ったりすることだろう。それぞれは簡単な言葉だけど、その三つを足しただけで、ここまで難解な言葉になるものだろうか? 以前、「俺たち二人は1+1で2じゃねえ! 1+1で200だ! 10倍だぞ! 10倍!!」と言ったプロレスラーがいたけれど、それ以上に難解な計算だぞ、これは。ましてその後の『お持ち帰り』とはなんだ? 耕作君、ピザとかテイクアウトしたのかな? そう言えば、一緒に飲んだとき唐揚げが好きだって言ってたけど、あれをホテルに持ち帰ったのかな? あそこ、テイクアウトできるんだ。今度あたしも頼んでみよう。


「……若葉先輩。今、お得意の現実逃避をしてませんか?」美咲があたしの顔を覗き込む。


「……分かる?」


「……まあ、先輩の顔を見ていれば、それくらいは分かります。スミマセン。あたしたち、結構真面目な話をしたいんで、先輩も、真面目に読んでもらえるとありがたいんですけど」


「……分かった。ゴメン」


 再び記事に目を落とす。えーっと、何々?




『大人気アイドルグループ・アイドル・ヴァルキリーズ・遠野若葉、元カレと夜の密会デートからお持ち帰り!!』




 ……ダメだ。また現実逃避したくなってきた。でも、さすがに怒られそうなので、何とか現実のはざまに踏みとどまる。


 しかし、現実逃避したくなるあたしの気持ちも分かってほしい。だってこの記事、一言で言うと、「ヒドイ」に尽きるのだ。


 記事は数ページに渡って長々と書かれてあるけれど、要約すると。




『アイドル・ヴァルキリーズ最大のイベント・ランキング発表が終わった翌日、主要メンバーの一人である遠野若葉が、偶然街で出会った男性と、人目を忍ぶように街外れの飲食店に入った。


 この男性はK氏と言い、どうやら遠野の高校時代に付き合っていた彼氏らしい。飲食店での遠野は終始上機嫌で、かなりのペースでお酒を飲んでいた。「K君とあのまま付き合ってたら、今頃結婚とかしてたかな?」など、積極的にアプローチ。五月に世界最大級の豪華クルーズ船内で行われる予定のイベントに誘うなど、大胆な行動に出ていた。


 さらにK氏が、前日のヴァルキリーズのランキング発表で遠野を抜き3位に入る躍進を見せた藍沢エリの話題に触れると、「(藍沢は)実は腹黒で、ランキングでは不正をしたに違いない」と、ヴァルキリーズの裏事情を暴露。また、同じくランキングで7位に入る大躍進を見せた桜美咲についても、「胸が大きいだけのタダのゲームオタク。なぜ人気があるのか分からない」、などと言い、メンバーに対する不満を漏らしていた。さらに、K氏が推しメンとして遠野以外のメンバーの名前を上げると、激しく嫉妬していた様子だった。


 その後、歩くこともままならないほど激しく酔った遠野は、店を出た後、K氏とともにタクシーに乗り、都内のホテルへ入った。本誌記者はホテルの前で朝まで張り込んだが、結局その夜、遠野はホテルから出てくることはなかった』




 と、いうことである。写真もたくさん載っている。いつの間に撮ったんだろう? 全然気づかなかった。


「……若葉先輩。どうですか?」再び美咲があたしの顔を覗き込む。


「うーん。どうですか? と言われても困るけど、まあ、よくもこんないい加減な記事を書けるものだ、と、思うよ。呆れるのを通り越して、感心しちゃう」


 あたしがそう言うと、美咲も、他のメンバーも、一斉に安堵の息をついた。


「じゃあ、そこに書いてあることは、全部ウソっぱちなんですね!?」目を輝かせる美咲。


「あ、いや、全部ウソ、ってことも、無いかな? あはは」


 そう言うと、美咲の目から輝きが消え、みんなの表情も再び暗くなった。


「ウソじゃないって、どこら辺がですか!?」美咲はあたしから雑誌をひったくる「この、『元カレのK氏』っていうのは、もちろんウソですよね!?」


「えーっと、それは本当」


 あたしがそう言うと。


 美咲は、この世の終わりを迎えたような顔になる。開いた口から魂が抜けていくのが見える。


「あ、でも、書いてある通り、高校の時の話だよ? ヴァルキリーズに入る二年も前に別れてるし、問題は無いでしょ?」


 そう付け足すと、抜けかけていた美咲の魂が戻って来た。「じゃあ、『人目を忍ぶように街外れの飲食店に入った』っていうのは?」


「うーんと、それも本当、かな」


 再び美咲の魂が抜けそうになったので、あたしは慌てて付け加える。「だって、七年ぶりに会ったんだよ? あたし、最近全然実家に帰ってないし、いろいろ話したいことがあったから。でも、『人目を忍ぶように』っていうのは、ちょっと大げさかな? そりゃあたし、サングラスにマスクして帽子をかぶってたけどさ、後は普通にお店に入っただけだよ。それが人目を避けたことになるんだったら、あたしはどうすれば良かったの? 『アイドル・ヴァルキリーズの遠野若葉、これからご飯食べに行きまーす!』って、大声で言いながらお店に入るのも、おかしいでしょ?」


「じゃ、じゃあ、『あのまま付き合ってたら今頃結婚してたかな?』とか、『五月の世界最大級の豪華クルーズ船内で行われる予定のイベントに誘った』とか、『推しメンに別のメンバーの名前が挙がって激しく嫉妬した』とかは?」


「あー。言ったことは言ったけど、冗談で、だよ? あの時はお酒飲んで酔っ払ってたし、つい、ね。あ、でも、この書き方はおかしいよ。激しく嫉妬、なんて、全然してないし」


「じゃあじゃあ、エリ先輩のことを、『実は腹黒で、ランキングでは不正をしたに違いない』って言ったのは!?」


「それも言ったけど、もちろん、冗談でだよ? 本気で言うわけないじゃん」


「じゃあじゃあじゃあ、あたしのことを、『胸が大きいだけのタダのゲームオタク。なぜ人気があるのか分からない』って言ったのも、冗談なんですね!?」


「いや、それは本気で言った」


「…………」


「…………」


「…………」


「……ゴメン。真面目な話だったね」


「じゃあ、一番大事なことを訊きます」美咲の表情が、今まで見たことが無いくらい真剣になった。「最後の――ホテルに泊まった、っていうのは?」


 美咲がそう言うと。


 みんな、ゴクリと、一斉に息を飲んだ。


 あたしに向けられている視線が、一層鋭くなり、刺すように痛い。


 でも。


「泊まってないよ!! そんなこと、するわけないじゃん!!」


 あたしは、きっぱりと否定した。


 その途端、みんな、安堵の表情を浮かべた。美咲など、安心して腰を抜かし、その場にへたり込んでしまったほどだ。その姿を見て、みんな一斉に笑った。あたしもつられて笑う。


 しばらくみんなで笑った後で、あたしは


「あ……でも……ね」と、続けた。みんなの視線が美咲から再びあたしに向けられる。「ホテルに行ったのは……事実……かな。あはは」


 そう言うと。


 再び、みんなの視線が鋭い刃物になった。


「ど……どういうことですか!?」ものすごい勢いで復活し、持っていた週刊誌を投げ捨て、あたしの襟を掴む美咲。


「うーんと……実は、あたしもよく覚えてないんだけどね」ゆっくりと、記憶を探りながら言う。「あの日はあたし、とにかく酔っぱらっちゃって、なんか、路上で寝ようとしてたんだって。さすがにそれはマズイからって、耕作君――その、K氏って人だけど――が気を利かせて、ホテルの自分の部屋に連れて行ってくれたの。もちろん、お持ち帰りとかじゃないよ!? 部屋に行ったのは事実だけど、誓って何にもなかったんだから。目が覚めて、すぐに帰ったよ」


「でも、『ホテルの前で朝まで張り込んだが、結局その夜、ホテルから出てくることはなかった』って書いてます!!」美咲の目が血走る。


「それは、誰かに見られたらマズイから、目立たないように身を隠して外に出たからだよ。三時前には、家に帰ったんだから」


 あたしがそう言っても。


 今度は、みんなの視線は鋭いままだ。あたしの言葉を疑っているのだろうか? まあ、それも仕方ない。いい歳の男女が夜中に二人でホテルに入って、何も無かった、と言って、いったい誰が信じるだろう? あたしだって疑う。でも、本当に何も無かったのだから、そう言うしかないし、信じてもらうしかない。


「――話は、大体分かったよ」そう言ったのは由香里だった。「若葉が言うんだから、そうなんでしょ。あたしは信じるよ」


 キャプテンの言葉に、みんな、大きく頷き、笑ってくれた。美咲も慌ててあたしから手を放す。良かった。みんな、あたしのことを信じてくれたみたいだ。やっぱり、みんなあたしの仲間だ。


「でもね――」由香里の表情が、また険しくなる。「世間は、そう思ってくれないよ」


 その言葉で。


 控室の空気が、一気に凍りつく。


「……あ……あはは。由香里、怖いこと、言うね」あたしは笑いながら言うけれど、自分でもその笑顔が引きつっているのが分かる。「あんないい加減な記事、みんな、信じるわけないよ。その週刊誌、いい加減なこと書くことで有名じゃん。大丈夫だよ、きっと」


「若葉、あなた、事を軽く考えすぎよ」由香里は、美咲が投げ捨てた週刊誌を拾った。「問題は、こういう記事が出てしまった、ということなの。どんなに信用の無い雑誌でも、信じる人は信じるんだよ。ましてそれが、多少大げさとはいえ、書いていること自体は本当なら、尚更ね。若葉のイメージダウンは避けられない。何らかの処分が下される可能性も、十分にあるわ」


 そんな! たったあれだけのことで、あたしが処分されるって言うの!?


 あたしは別に、法を犯したわけではない。ただ、久しぶりに再会した高校の同級生とお酒を飲み、酔っぱらって介抱されただけだ。アイドル・ヴァルキリーズ鉄の掟、恋愛禁止の約束を破ったわけでもない。耕作君とは断じて何も無かったし、恋愛感情も、いまさらあるわけがない。


 それでも――。


 あたしが、処分されるというの?


 処分――減給、謹慎、いろいろ考えられるけれど、最悪の場合……。


 それ以上は考えられない。考えたくない。


 控室に、重苦しい沈黙が流れる。誰も、何も言わない。あたしも、由香里も、美咲でさえも、言うべき言葉が見つけられないでいた。


 がちゃり。控室のドアが開き、スタッフの人が顔を出した。「若葉さん……マネージャーが、呼んでます。その……プロデューサーと、事務所の社長も一緒です」


 しゃ……社長まで? これは、非常にマズイ予感がする。プロデューサーがイベントに顔を出すことはよくあるけど、社長が来るなんてことは、滅多にない。


 みんなを見る。あたしと同じ予感がするのか、みんな心配そうな表情だ。


 逃げ出したい気持ちでいっぱいだけど、逃げ出すわけにはいかない。失態を犯したのは確かなのだ。大丈夫。マネージャーも、プロデューサーも、社長も、あたしの味方だ。きちんと説明すれば、分かってもらえるはずだ。


 あたしは、みんなに向かって大きく頷き。


 スタッフの人に連れられ、控室を出た。




 マネージャーたちとの話し合いを終え、あたしが控室に戻ってくると。


「ど、どうでした!? マネージャーさんたちは、なんて言ってました!?」


 真っ先に美咲が飛んで来る。


 その後ろに、みんなも集まって来た。心配してくれていたのがよく分かる。


「あ……あはは。怒られちゃったよ」あたしは笑いながら言った。「何も無かったにしても、ホテルに行ったことが事実なら、世間はそう思ってくれないだろう、だって。由香里の言う通りだった」


 由香里を見る。


 由香里はあたしをじっと見つめ。


 ――――。


 しかし、何も言わなかった。


 あたしは続けた。「それでね、週刊誌に書いてあることが事実無根ではない以上、みんなに心配をかけたのは事実だから、何らかの形で責任は取らないといけない、って」


「責任って、何ですか?」美咲が、泣きそうな顔になる。


 あたしは、大きく息を吐き出すと。


「あたし――ヴァルキリーズの活動を、辞退する」


 そう、言った。


 その瞬間。


 みんなの表情が、凍りついた。


 誰もが予想していながらも、誰もが、そんなはずがない、と、思っていたのだろう。あたしだってそうだ。


 でも。


 マネージャーに、プロデューサーに、社長に、みんなに怒られ、あたしは、事の重大さに、ようやく気が付いた。気が付いて、そして。


 自分自身で、決断したのだ。


 みんな、言葉を失っている。だれも、何も言えない。沈黙が流れる。


「何で、ですか……」


 それを破ったのは美咲だった。


 最初は、静かに。


 しかし、すぐに。


「何で若葉先輩が、ヴァルキリーズを辞めないといけないんですか!?」


 外にも聞こえるほど、大きな声になった。


 美咲はいつもハイテンションで、大声を上げることは珍しくはないけれど。


 それは、今まで聞いたどんな美咲の声よりも、痛々しく、悲しげな叫び声だった


「だって、何も無かったんでしょ!? Kさんとお食事して、お酒飲んで、ホテルに行ったけど、何も無かったって、若葉先輩が言ったんじゃないですか!? それなのに、なんでヴァルキリーズを辞めないといけないんですか!? そんなの、おかしいです!! マネージャーさんたちが言ったんですか!? あたし、絶対認めません! 抗議してきます!!」


 そのまま、部屋を出て行こうとする。


「やめて! 美咲!!」


 あたしは、美咲に負けないくらい大きな声で言った。


 ドアノブを握った美咲の手が、出て行こうとする足が、止まる。


 何で止めるんですか? 目が、そう言っている。


 あたしは、にっこりと微笑み、そして。


「これは、あたし自身が、決めたことだから」


 諭すように、ゆっくりとした口調で言った。


 そうだ。


 これは、マネージャーも、プロデューサーも、社長も、関係ない。あたし自身の決断だ。


 美咲の言うことは分かる。こんなことでヴァルキリーズを辞めないといけないなんて、そんなのおかしい。あたし自身も、さっきまではそう思っていた。


 しかし、どんなに記事が大げさであれ、書かれてあることは、ほとんどが事実だ。否定のしようがない。これはまぎれもなく、あたしの失態。責任は、全てあたしにある。こういう記事を書かれても仕方がないのだ。


 ただ、それがあたしだけのイメージダウンで終わるのなら問題ない。あたしの失態が招いた事だ。理不尽だと思う気持ちが無いわけではないけれど、それは、受け入れなければいけない。


 でも。


 事は、あたしだけの問題ではないのだ。


 あたしは、自分で言うのもなんだけど、このアイドル・ヴァルキリーズの主要メンバーの一人だ。今年のランキングでも4位を獲得したし、その自覚もある。メンバーのみんなも、世間も、そう思ってくれているはずだ。


 だからこそ。


 あたしのイメージダウンは、そのまま、アイドル・ヴァルキリーズ全体のイメージダウンになるのだ。


 あたし一人の失態が、ヴァルキリーズのメンバー全員に迷惑をかけることになる。ヴァルキリーズ全体の失態になる。


 そして、ヴァルキリーズの失態は。


 会社の人を始め、スポンサーや、ヴァルキリーズのイベントに関わるスタッフ、全てに、迷惑をかけることになる。


 そして、何よりも――。


 あたしの軽率な行動は、今まであたしを応援してくれたファンのみんなを、アイドル・ヴァルキリーズを応援してくれたファンのみんなを。


 心配させ、そして、失望させてしまったのだ。


 それは、ファンのみんなを裏切ってしまったことに他ならない。


 アイドルとしては、最も犯してはならない罪だ。


 由香里の言った通り。


 あたしは、事を軽く考えすぎていた。


 お酒が入ったが故の、軽い失態――たったそれだけのことが。


 メンバーに、会社の人に、スポンサーに、スタッフに、そして、ファンのみんなに。


 数えきれないほどの多くの人に迷惑をかけ、心配させ、そして、失望させるのだ。


 それが、あたしたちの――アイドルという仕事なのだ――。


 だから、責任を取らなければいけない。


 あたしは、みんなにそう告げた。


 誰も、何も言わず、最後まで聞いてくれた。


 そして再び、部屋を沈黙が支配する。


 ……このままじゃダメだ。これからお披露目公演の最終リハーサルで、その後、本番だというのに、こんな雰囲気じゃ、ダメだ。


 あたしは、みんなに笑顔を向けると。


「ま、しょうがないよ。みんなに心配かけたもん。ヴァルキリーズのみんなだけでなく、スタッフのみんな、スポンサーのみんな、そして、ファンのみんな――。このまま何も無かったようにして続けていくなんて、できないよ。ケジメはつけなくちゃいけない。ま、あたしももう二十五だし、そろそろヴァルキリーズも卒業かな、って、思ってたしね」


 なるべく、みんなが暗い雰囲気にならないように。


「大丈夫。今日のコンサートはもちろん出るし、今入ってる仕事も、全部最後までやるよ。細かい調整はこれからだけど、たぶん、来月の、オータム号の船内イベントが、最後になるんじゃないかな? ゴメンね。あたしが辞退するから、ランキングは繰り上がりになると思う。せっかく覚えた振り付け、また変わっちゃう娘もいるね。でも、ランクが上がるからいいよね? 9位の睦美とか、晴れて称号獲得だし、5位の由香里も、これでベスト4入りだよ。おめでとう」


 できるだけ明るい声で、できるだけ元気よく、できるだけ笑顔で、そう言った。


「何言ってんのよ……」


 低く、静かな声がした。


「え?」


 誰が言ったのか分からず、あたしは、みんなを見る。


 みんなも、誰の声か分からなかったようで、戸惑っている。みんな、もう長い付き合いだ。声を聞いて誰だか分からない、なんてことはありえない。


 でもその声は、確かに、今までに聞いたことのない、低く、恐ろしい声だった。


 その声が、また響く。


「あんた……何言ってんのよ!!」


 そして、前に出たのは。


 由香里だった。


 戸惑うあたしの胸倉を掴む由香里。その勢いで、あたしは壁に押さえつけられる。


「ちょっと……由香里……痛いよ……」


 由香里は、あたしの言葉なんて聞こえていないかのように。


「あんたにとって、ヴァルキリーズは何だったの!!」


 叫んだ。


「そろそろ卒業だと思ってた? スキャンダル記事が出て、ちょうどいいから卒業しようって言うの? あんたにとってヴァルキリーズは、そんなことで無くしても大丈夫なものだったの!? あんたにとってあたしたちは、その程度の存在だったの!?」


 それは、五年間ヴァルキリーズのキャプテンとして、常に冷静にリーダーシップを取ってきた由香里が。


「今日のコンサートはちゃんと出る? 今入ってる仕事も全部最後までやる? あたしたちがそんなことを心配してると思ってんの!? ふざけんな!!」


 初めて、感情を乱した姿だった。


「自分が抜けるから、ランキングが上がって良かったね? そんなんであたしや睦美が喜ぶと思ってるの!? 席譲られて、平気な顔してテレビに出て歌うと思ってんの!? バカにするんじゃないよ!!」


 その目に浮かんでいるのは、涙だろうか。


「――――」


 みんな、初めて見るキャプテンの取り乱した姿に、言葉が出てこない。あたしも出てこない。由香里も、感情が高ぶり過ぎて、それ以上は出てこない。


 ドアが開いた。


「……そろそろ最終リハーサルに入ります」


 ライブのスタッフが、ドアの隙間から顔だけ出して、小さく言った。


 それでも、誰も、何も、言わない。


 長い沈黙が流れ。


「――由香里」


 ようやく亜夕美が、由香里の肩に手を置き、そう言った。


 由香里は、大きく息を吐き出すと。


 あたしを放した。


 顔を伏せ、目のあたりを拭う。涙を拭いたのか。


 そして。


「……ゴメン。みんな、行くよ」


 早足で控室を出た。もう、あたしを見ることはなかった。


 亜夕美があたしを見ている。蔑むような、見下すような、そんな視線。


「……あんたのこと、見損なったよ」


 小さくそう言って、亜夕美も部屋を出た。


 その後に、深雪が、エリが、燈が、七海が、睦美が、遥が、みんなが、続く。


 みんな、亜夕美と同じ視線を向けるか、あたしを見ようとしない。


 部屋には、あたしと――美咲だけが残った。


 目が合う。


 いつも「若葉先輩、若葉先輩」と、あたしのことを慕ってくれる美咲。いつもバカをやって、頭が痛くなることもあるけれど、あたしを、みんなを、癒してくれる存在の美咲。


 あたしは、美咲に向かって微笑んだ。


 美咲は、いつも通り、天真爛漫な笑顔を返してくれる――はずだった。


 しかし美咲は、あたしを冷たい目で見つめると。


「先輩……あたし……残念です」


 小さくそう言って。


 走って、控え室を出た。


 部屋には、あたし一人だけが残った。


 見捨てられた――そう、思った。


 五年間、一緒に活動していたアイドル・ヴァルキリーズの仲間たちに、見捨てられた。


 過ちを犯した仲間は、もう、仲間なんかじゃないのだ。


 長年かけて築き上げてきた仲間の絆も、失う時は、ほんの一瞬なのだ。自分の犯してしまったことの大きさに、今さらながら気づく。


 でも、もう――。


 どうしようも、なかった。




 重苦しい雰囲気の中、最終リハーサルは進んだ。


 スタッフと話し合い、最後の曲の前に五分だけ時間をもらえた。そこで、今回の騒動に対する謝罪と、ヴァルキリーズの活動辞退を報告することになった。


 そして、お披露目公演は始まった。


 開演前の、ヴァルキリーズ誓いのポーズと掛け声は、無かった。




 特に大きな問題も無く、お披露目公演は進んだ。


 合間合間にトークを挟みながら、慣れ親しんだヴァルキリーズの曲を、新フォーメーションで披露していく。いつも通りの公演だ。


 でも、そこには確かに。


 いつもと違う空気が存在した。


 観客のみんなの視線が、自然と、あたしに集まっている。


 歌の合間のトークで、メンバーの誰も、あたしに話を振らない。


 そんな、どこか不穏な空気が流れる中でも、予定通り九曲を歌い終え。


 そしていよいよ、ラストの曲となった。




「――ということでね、今年のお披露目公演も、いよいよ、ラスト一曲となってしまいました」


 由香里のMCで、会場内は、軽い落胆を含んだ歓声と拍手で湧き上がる。


「でもその前に……えー……若葉から……ね、皆さんに……その……報告することが……あるということで……」


 いつもはキレのあるMCで進行する由香里が、珍しく言葉に詰まる。


 湧き上がった会場が、その瞬間、一気に静まり返った。


 みんなの視線が、一斉にあたしに集まった。


 あたしは前に出て、ステージの真ん中に立った。


 そして、マイクを口元に持っていくけれど。


「…………」


 言葉が出てこない。


 MCに慣れた由香里ですら言葉に詰まるこの状況で、あたしなんかがスムーズに喋れるわけがない。


 でも。


 説明しなければいけない。週刊誌に書かれたことを。謝罪しなければいけない。みんなに心配をかけたことを。


 そして、伝えなければいけない。


 今のあたしの気持ちを。


 これからのあたしのことを。


 あたしの口から、伝えなければいけないんだ。


 ――よし。


「……今日は、この場をお借りして、みなさんに、お伝えしなければいけないことが、あります」


 ようやく発せられたあたしの声に、会場は、わずかにどよめいた。


「すでに、ご存知の方も多いと思いますが、今日発売の週刊誌に、あたしのことが、載りました。みなさんに、ご心配をおかけして、本当に、申し訳ありませんでした」


 深く、深く、頭を下げた。


 会場のどよめきの中に。


 ――何の話?


 戸惑いの声が聞こえる。


 ――大丈夫だよ!


 温かい声も聞こえる。


 ――謝って済む問題か!


 本音も、聞こえる。


 あたしは、頭を下げ続ける。


 顔を上げることができない。みんなをもう一度見るのが怖い。


 でも、続けなければいけない。


 あたしは、顔を上げた。


「内容は、あたしが、ある男性の方とお食事をして、その後、その方の部屋に行った、というものです。あの週刊誌に書かれていたことは、少し、大袈裟な所もありますが、概ね、本当のことです。その男性の方とは、ヴァルキリーズに入る前ですが、お付き合いをさせていただきました。あの日、二人でお食事に行ったことも、その後、その男性の部屋に行ったことも、事実です」


 そう言うと。


 会場を包む空気が、大きな落胆に変わる。


 あたしが、記事の内容を否定してくれると信じていた人が、いかに多かったかが分かる。


 それはつまり、多くの人が、あたしのことを信じてくれていたということだ。


 その人たちを、あたしは裏切ってしまったのだ。


 だから。


「ですが、その男性の部屋に泊まったということはありません。あの日は、すぐに自宅に帰りました。恋愛感情とか、そう言ったものは、一切ありません」


 こんなことを言っても、言い訳にしかならない。許されることではない。


 ――信じるよ!


 そういう声も聞こえる。嬉しくて、涙が出てきそうだけれど。


 会場のほとんどの人が、疑いの目であたしを見ている。


 当然だろう。疑われても仕方がないことを、あたしはしたのだから。


「しかし、あたしの軽率な行動により、ヴァルキリーズのメンバー、スタッフの方々、何より、応援してくれたファンの皆様に、多大な心配と、ご迷惑をおかけしたことは事実です。そのことは、深く、反省し、心から、お詫びします」


 あたしは、もう一度、頭を下げた。


 もちろん、これで終わりではない。


 みんな、次の言葉を待っている。言葉だけではなく、どう責任を取るのか。それを待っている。


 頭を上げた。


「それで……これからのことを……事務所の方とか……メンバーとかと……話し合い……今回、皆様をお騒がせしたことに対するけじめといたしまして……あたしはアイドル・ヴァルキリーズの活動を……」


 言葉を継ぐ。


 ゆっくりと。


 だけど。


「あたしはアイドル・ヴァルキリーズの活動を……」


 ――辞退させていただきます。


 その言葉が、出てこない。


 でも、言わなければいけない。けじめをつけることは必要だ。自分を戒めることは必要だ。こんな騒ぎを起こして、みんなに迷惑をかけて、心配させて、裏切って、それでもまだ、ヴァルキリーズを続けていくなんて、そんな見苦しいことはできない。


「アイドル・ヴァルキリーズの……活動を……」


 言え! 若葉!


 このまま何も言わず、舞台から去るの? そんな惨めなことはできない。このまま何も言わず、他のメンバーに代わりに言ってもらうの? そんなカッコ悪いことはできない。


 自分に言い聞かせるけれど。


 ――こんな形で終わってもいいの?


 心の中に湧き上がる本音。


 アイドル・ヴァルキリーズ一期生として、みんなで一緒にグループを立ち上げた。結成当初のライブイベントは観客が十人も集まらないこともあったけど、今やドーム球場のコンサートで最高観客動員数を記録するまでに成長した。この五年間、あたしは、このヴァルキリーズの中心メンバーとして活躍してきた自負がある。


 分かっている。あたしはもう二十五歳だ。アイドルの適齢期はとっくに過ぎている。それくらいの自覚はある。ずっとこのまま、ヴァルキリーズのメンバーとして活動して行けるわけはない。卒業が近いことは、誰の目にも明らかだ。その時を迎える覚悟はしていたつもりだ。そもそも、アイドル・ヴァルキリーズは夢への通過点だ。ここが最終到達地点ではない。あたしにはまだ、叶えたい夢がある。進みたい道がある。ヴァルキリーズから、いつか羽ばたかなければいけない時が来る。それは、絶対に避けては通れない。


 でも……。


 でも!!


 こんな終わり方は、無い!!


 その日を迎えたら――決して遠くは無い、その日が来たら――。


 あたしは、絶対に、笑顔で卒業したい。


 みんなには、絶対に、笑顔で送られたい。


 そして、五年後、十年後、二十年後、それぞれの道に進んだみんなと。


 絶対に、笑顔で再会したい。


 それを……それを……。


 こんな形で、終わらせるなんて……。


「……いや……だ……」


 それは。


 本当に、小さな声のはずだった。


 決して、誰にも届かない。マイクも拾っていない。誰にも聞こえないはずの声だったけれど。


 その小さな叫びを口にした瞬間。


「皆さん!! お願いです!!」


 由香里があたしの側に立ち。


 会場のみんなに向かって、言った。


「この娘を――若葉を!! 許してあげてください!!」


 マイクの音が割れるほどの大きな声で言い。


 そして、頭を下げた。


 何が起こったのか分からない。あたしはもう、見捨てられたはずだ。由香里から、ヴァルキリーズのみんなから。


 それなのに。


 由香里は、何を言っているのだろう。何故、頭を下げているのだろう。


 分からない。分からないから、ただ、由香里を見つめる。


 由香里は頭を上げ、また、大きな声で言う。


「この娘が、軽率な行動を取ったことは事実です! 皆さんにご心配をかけたことは事実です! 皆さんに迷惑をかけたことは事実です! でも、お願いです! 若葉に! ヴァルキリーズを続けさせてあげてください!! お願いです!!」


 叫び。


 そして、頭を下げる。


 会場のみんなに向かって。


 呆然と。


 あたしは、その姿を見つめるしかできない。


「あたしからもお願いします!」


 美咲だった。


 由香里と同じく、あたしの隣に立ち。


「若葉先輩は、ときどき、怖い時もあるけど、とってもとっても、優しい先輩なんです!! あたしが今年ランクインできたのは、全部、若葉先輩のおかげなんです! 若葉先輩が、いろいろ教えてくれたから、今のあたしがあるんです! あたしは、まだまだ若葉先輩から教わりたいことがたくさんあるんです! ううん、あたしだけじゃないです! みんなみんな、若葉先輩から、いろんなことを教えてもらっているんです! だから、お願いします!! 若葉先輩を、アイドル・ヴァルキリーズにいさせてください!!」


 美咲も、会場のみんなに向かって、頭を下げた。


「あたしからも、お願いします!」


 亜夕美だった。


「この娘がやったことは、決して、許されることではありません。皆さんが怒るのも、無理はないと思います。この娘には、あたしから言い聞かせます。なんなら、二、三発殴ってでも反省させます。だから、どうか……どうか! 許してあげてください!! お願いします!!」


 そして、亜夕美に続いて。


「お願いします!」


 深雪が。


「お願いします!」


 エリが。


「お願いします!」


 燈が。


「お願いします!」


 遥が。


「お願いします!」


 七海が。


 睦美が。


 紗代が。


 祭が。


 舞が。瑞姫が。愛子が。ちはるが。カスミが。可南子が。


 いつの間にか、ヴァルキリーズのメンバー全員が。


「お願いします!!」


 会場のみんなに向かって、頭を下げていた。


 みんな、何をやっているんだろう?


 みんなの行動が理解できなかった。あたしは見捨てられたはずだ。由香里に、美咲に、亜夕美に、みんなに。


 それなのに何故……何で、みんな、頭を下げているのだろう。


「若葉! 何やってんのよ!!」


 立ち尽くすあたしを、由香里が見た。


 みんなが、あたしを見た。


 見捨てられたあたしを、みんなが見ている。


 いや。


 あたしは、決して、見捨てられてなどいなかったんだ。


 みんな、あたしのために、お願いしてくれているのだ。


 あたしが、アイドル・ヴァルキリーズを続けられるように。


 立ち尽くすあたしに、由香里が叫ぶ。


「若葉はどうしたいの!? ヴァルキリーズを辞めたいと、本気で思ってるの!?」


 あたし――?


 あたしは――。


「けじめとか、戒めとか……そんなことは、どうでもいい!! あんたの本当の気持ちを言え!!」


 あたしの気持ちは――もちろん。


 あたしは、会場のみんなを見る。


 ――あたしは、ヴァルキリーズの活動を辞退します。


 今、本当に言わなければいけない言葉は、どうしても言えなかった。


 でも、今、決して言ってはいけない言葉は、すんなりと言えるだろう。


 そう。あたしの気持ちは、決まっている。


 この大切な舞台を、大切な仲間を、大切なファンの人たちを。


 失いたくない。


 あたしはまだ、アイドル・ヴァルキリーズの一員として、歌い、踊り、みんなにあたしの気持ちを伝えたい。


 本当の意味での“卒業”を迎える、その日まで――。


 あたしは、魂を込め、仲間への想いを込め、ファンへの感謝を込め。


 五年間の、ヴァルキリーズでの活動のすべてを込め。


「あたしに……ヴァルキリーズを続けさせてください!」


 精一杯の叫びとともに。


「お願いします!!」


 頭を下げた。




 あたしは――あたしたちは、長い間、頭を下げ続けた。


 どれくらい、そうしていたか。


 ぱち……ぱち……と。


 かすかに手を叩く音が聞こえた。


 拍手が、少しずつ広がって行き。


 いつの間にか、会場は、みんなの拍手の音が鳴り響いていた。


 頭を上げる。


 その、温かい拍手に包まれ。


 あたしは、泣いた。


 嬉しくて、安心して、立っていられなくなったあたしを。


 由香里が、美咲が、みんなが支えてくれる。


 みんな、あたしと同じように、泣いている。


 会場にも、泣いてくれている人がいる。あたしのために、涙を流してくれている人がいる。


 もちろん。


 これで許されたなんて、思っていない。


 あたしは過ちを犯した。それは絶対に、許されることではない。


 あたしがヴァルキリーズを続けることに、納得しない人もいるだろう。


 それでも、あたしはヴァルキリーズを続ける。


 あたしのために、頭を下げてくれた、仲間のために。


 あたしのために、手を叩いてくれた、みんなのために。


 あたしを支えてくれる、みんなのために。


 あたしはこれからも、アイドル・ヴァルキリーズのメンバーで居続けよう。


 どんなに見苦しくても。


 どんなにみじめでも。


 どんなにカッコ悪くても。


 あたしは、まだ、ヴァルキリーズを辞めない。


 自分のためではない。


 支えてくれるみんなのために。


 あたしはずっと、アイドル・ヴァルキリーズの遠野若葉だ――。




 会場内に、今日最後の歌の曲が流れ始める。


 みんな、ポジションも、振りも、すべて忘れて、ただマイクを握り、抱き合い、歌う。


 それは、泣き声で何を言ってるか分からず、ホントにヒドい歌だったけれど。




 あたしのヴァルキリーズの活動の中で、最も忘れられない一曲になった――。




 ☆




 ――若葉。


 若葉?


「若葉!?」




 由香里の呼ぶ声で。




 あたしは、我に返った――。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ