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Day 6 #08

「――起きろ!」


 ぱしゃん、と、顔に冷たいものがまとわりつき、あたしは意識を取り戻した。目の前には、コップを持った愛子。どうやら水をかけられたらしい。拭おうとしたけど、できなかった。両手は手錠で繋がれ、さらにその手錠は、別の手錠でスチール製の大きな書類棚に繋がれていた。そうだ。あたしは、朱実たちを助けようと愛子に戦いを挑んだけど、攻撃すらさせてもらえず、絞め落とされたんだ。どうやら夢を見ていたらしい。一年ほど前の、四期生が初めてヴァルキリーズのお仕事に合流した日のことだ。


 辺りを見回す。一〇畳ほどの広さに、机や椅子が並び、机の上には三台のモニターがある。留置場の手前の部屋だ。気を失ってからどれくらいの時間が経ったんだ。朱実たちは無事なのだろうか。


「――やっと起きたね。心配しないでいいよ。パーティーはこれかだから。見逃し厳禁だよ」愛子は鼻に人差し指をあて、ウインクをした。おちゃめなポーズだけど、反吐が出る思いだ。


 ひとまず、朱実はまだ無事なようだ。だが猶予はほとんどないだろう。早く何とかしなくてはいけない。素早く状況を確認する。部屋には愛子一人だけだ。瑞姫とちはるの姿は無い。朱実もいない。まだ奥の留置場にいるのだろう。手錠の状態を確認する。ガッチリとはまっていて、当然はずせそうにはない。繋がれた書類棚は、とても大きく、頑丈そうだ。しかし、壁に溶接されているわけではない。少し引っ張ってみる。ぐらり、と、揺らいだ。重そうだけど、その気になれば、倒したり、引きずったりはできそうだ。でも、だからといってどうなるものでもないだろう。振り回して武器にするのはムリそうだ。相手が近づいてきたとき倒す、ということは可能だけど、よほど当たり所が良くなければ、一撃で戦闘不能にすることなどまず無理だろう。三人同時ともなればなおさらだ。どうする? 何か手は無いのか? 考えろ。何かないか?


 部屋の中を見回す。机の上の三台のモニターが目に入った。電源が入っており、それぞれ四分割された画面が映っている。どこか人の多いホールや、ひと気のない廊下、部屋の中などを映している。映っている人は、ゆっくりした動きで、特に目的も無く徘徊しているように見える。たぶんゾンビだろう。映像には見覚えのある場所もある。船の中の監視カメラの映像だ。やはり瑞姫は、監視カメラで船の様子をずっと見ていたんだ。


 まあ、今はそんなことはどうでもいい。この拘束から逃れるための方法を考えるんだ。何かないか?


 しかし。


「はいはーい、準備OKよー」


 本当にパーティーの準備ができたかのような軽い口調で、ちはるが部屋に入ってきた。ストレッチャーを二台押している。一台にはゾンビとなった直子が、もう一台には朱実が横になっている。二人とも、両手両足、腰、頭の六ヶ所をベルト縛り付けられていた。おかしいのは手の縛り方だ。左手は体と同じ方向に置かれて縛られているけれど、右手は真横に伸ばされていた。縛っているのは肩の部分で、ひじから先はストレッチャーからはみ出し、自由に動かせるようになっている。何であんな縛り方を?


 部屋の中央にストレッチャーが置かれた。そして、ちはるの後ろから、瑞姫が現れた。


 愛子が、気絶している朱実の頬をぱちぱちと叩く。「ほら。あんたも起きな」


 やがて朱実は意識を取り戻した。何が起こっているのか分からない表情。動く範囲で首を動かし、辺りを確認する。隣にゾンビが寝かされていることに気づき、短い悲鳴を上げた。だが、ゾンビも拘束されているから、もぞもぞと動くだけで何もできない。でも、安心はできない。ゾンビが縛り付けられ、自分も同じように縛り付けられ、そして、周りには三人の悪魔。これから何があるのか、いまだに分からないけれど、まともなことではないのは確かだ。再び朱実は泣き叫ぶ。しかし、愛子も朱実も、もう「うるさい!」とは言わない。むしろ、泣き叫ぶ朱実の姿を見て、満足そうに笑った。


「えーっと……アレ、どこに置いたっけ?」何かを探している愛子。


「ああ。そこだよ。その下」ちはるは机を指差した。


 愛子は机の下を確認する。「お、あったあった」


 そう言って、愛子が取り出したのは――。


 ファイアーアックス――災害時、扉などを壊したりするときに使う、両手持ちの斧だ。防災用具だけれど、今の愛子が持つと、凶器以外の何物でもない。


 斧を持った愛子は、直子のストレッチャーの横に立ち、杖のように床に突いた


「……そんなもの、いったい、どうするつもりなのよ」憎しみを込めた声で訊いた。すでに想像はついていた。しかし、何のためにそんなことをするのかは分からない。もちろん、理由を聞いたところで納得できるとも思えないけれど。


 瑞姫は、直子と朱実の姿をうっとりとした表情で見つめながら、言った。「今回のテーマは、『ゾンビから人への四肢移植』、よ」


 ――――。


 また、意識を失いそうになる。


 凡人には、天才の考えは理解できないと言うけれど。


 ここまでとは思わなかった。


『ゾンビから人への四肢移植』だと――?


 四肢移植――手足の移植手術だ。瑞姫は、ゾンビから手足を切断し、人に移植しようと言うのだ。


「今回は、いくら天才のあたしでも、さすがに難しい手術になるわね」瑞姫は、にやにやと笑っている。


「じゃ、いい顔で泣いてね」


 ちはるはスマホを取り出し、朱実に向けた。本当にムービー撮影するつもりだ。


 しかし、朱実は泣き叫ぶのをやめ、怯えながらも、状況を理解できないような表情で、愛子とちはるを交互に見ている。あまりの恐怖で、これから何をされるのか理解できていないのだろう。


「察しが悪いね。つまり、こういうことだよ」


 愛子は、斧を振り上げると――。


 直子の右腕めがけて、振り下ろした!


 ――ざん!


 血飛沫が飛ぶとともに。


 ごとり、と、音を立て、直子の腕が胴を離れ、床に転がった。


 直子の左側にいる朱実に、それを確認することはできない。ゾンビとなった直子は痛みを感じないので、悲鳴を上げることはない。何事も無かったように、それまでと同じく、じたばたと暴れているだけ。


 愛子が、直子の腕を拾う。


 そして、朱実の目の前に突き出した。


「これと、あんたの右腕を、取り替えてやるのさ!」


 腕から血が滴り落ち、朱実の顔に、深紅のまだら模様を描いていく。


 目の前に突き付けられたものが何か、理解した朱実。


 愛子の言葉の意味を、理解した朱実。


 愛子が持つ斧の意味を、理解した朱実。


 これから何が行われるのか、理解した朱実。


 すべてを理解した朱実の泣き叫ぶ声が、響き渡る。


「そうそう! そういう顔で泣いてくれないと! せっかくのお宝動画なんだから!」スマホを朱実の顔に近づけるちはる。「ちなみに麻酔は無いからね。向かいの病院に行けばあると思うけど、取りに行くのもめんどくさいし。我慢してね」


 くそ! 早く何とかしないと! でも、どうすればいいの? どんなに引っ張っても手錠はちぎれない。書類棚も壊れない。ガシャガシャと金属音を響かせるだけ。自分の無力さを知るだけ。


「じゃ、そろそろ始めるよ」愛子がストレッチャーの上に立った。唯一動かせる朱実の右腕を踏みつけ、最後の自由を奪う。そして、朱実の細い二の腕に、狙いを定めるように斧の刃を当てた。


 朱実の泣き叫ぶ声が、さらに大きくなる。


 それが合図であるかのように。


 愛子が、斧を振り上げた。


「やめ……やめろおぉ!!」届くはずもない、あたしの絶叫。


 しかし――。


 ――――!


 振り上げられた斧は、愛子の頭上で止まった。


 動こうとしない。


 しばらくその状態だったけれど。


 やがて愛子は、ゆっくりと斧を下した。


 どうしたんだろう? 何かあったんだろうか?


「何? どうしたの?」不満そうな表情で、愛子の顔を見るちはる。


 愛子は、朱実ではなく、机の上、監視カメラの映像が映ったモニターを、じっと見ている。


 そして、一台を指さした。「見なよ――」


 ちはると瑞姫がそちらを見た。あたしも視線を向ける。真ん中のモニター。四分割された画面上に、船内のどこかの映像が映っている


 その画面のひとつに。


 全身を覆う忍者装束の娘と、紺の袴に白い着物、胸当てに弓という弓道着姿の娘が映っていた。


 あれは……燈と遥?


 それは、二日前ゲームセンターで会った時と同じ格好だった。監視カメラだから画面は鮮明ではないけれど、間違いないだろう。あれは何処の場所を映したカメラだろう? 映像の隅々まで確認する。何もない単調な廊下が奥まで続いている。見覚えがあるような気もするけど、どこにでもある廊下なので、正確な場所は分からない。しかし、愛子たちが気にしているということは、この近くなのだろうか? まさか、助けに来てくれたのか? 期待が膨らむ。あたしにみんなを助けるだけの力は無かったけれど、あの二人なら、きっと――!


「73番カメラか……一〇階前方の客室だね」瑞姫が言った。あたしたちが初日に泊まっていた部屋があるフロアだ。ここは三階。あまりにも遠い。


「チャンネルを劇場に変えて!」愛子が叫んだ。劇場? 初日にコンサートを行った場所か? あそこに、何があるんだ?


 ちはるがリモコンを取り、何度かボタンを押す。丸々一画面にコンサート会場の控室が映し出された。


 そこに。


 村田亜紀や上原恵利子など、燈のグループで行動している娘たちの姿が映った。


 燈たち、劇場の控室に立てこもってたんだ。劇場はあたしたちのような芸能人がよく使うから、控室は割と防犯レベルが高くなっている。四階の後方にあるから、ショッピングモールも近い。食料や薬品などの調達も容易だ。立てこもるには、割と適している。


 しばらくモニターを見つめていたちはるが、ニヤリ、と、悪魔のような笑みを浮かべた。「――いたよ、愛子」


 モニターを指さす。


 そこには。


 背中まで伸びたストレートの黒髪の娘が、メンバーの娘の腕に包帯を巻いていた。


 それは、やはり鮮明な画像ではないけれど。


 間違いない。


 あれは、昨日から行方不明になっていたエリだ!


 あの娘、やっぱり燈のグループにいたんだ。


 愛子がストレッチャーから飛び降りた。「悪いね、瑞姫。あたしたち、ちょっと行って来るよ」


「はぁ? 今から? 冗談でしょ?」


「冗談なわけないだろ? もともと、エリを好きにしていいという条件で、あんたのイカれた実験とやらに協力してきたんだ。今までエリはずっと操舵室に閉じこもってたし、昨日ようやく出てきたと思ったら、今度は燈と一緒に行動し始めた。これまで手が出せなかったけど、今ならやれる」


「そうそう。チャンスは逃さないようにしなきゃ」ちはるも言う。「あたしと愛子が二人で操舵室に行ったのだって、このアウトブレイクの黒幕をエリに仕立て上げ、由香里のグループと燈のグループを対立させるのが目的だったんだから。エリを捕まえるためにね。若葉が気付いちゃったから、もうこの作戦は使えない。エリを殺るなら、燈も遥もいない、今しかない」


 愛子とちはるは、瑞姫を睨む。


 争っても瑞姫に勝ち目はない。瑞姫は武術は何もしていないのだから。


 瑞姫は忌々しげに愛子を見つめていたが、やがて言った。「――分かったわよ。さっさと行ってきなさい」


 愛子は、ニヤリと笑う。「さすが瑞姫ちゃん。話が分かるね」


 斧を床に置いた。ちはるもスマートフォンをしまう。もう、朱実に興味は無くなったようだ。


 愛子は瑞姫の肩をポンポンと叩いた。「ま、実験素材も少なくなってきたことだし、ちょうどいいじゃん? サクッとエリをぶっ殺して、ついでに他のヤツらを連れてくるから、ちょっと待っててよ」


 そして二人は、入口のシャッターを開け、外に出て行った。瑞姫は、ため息をついてそれを見送った。


 今からエリを襲うために、劇場に行くのだ。


 燈たちと一緒にいたメンバーを思い出す。本格的な武術をやっている娘は、燈と遥だけだ。今、劇場に立てこもっているメンバーは、週二回の剣道実習をやってる娘だけ。愛子とちはるに襲撃されたら、なすすべはないだろう。


 でも――。


 これは逆に、チャンスでもある。


 愛子とちはるは出て行った。朱実への残酷な行為は中断されている。部屋には瑞姫一人だ。いくらあたしが弱くても、さすがに瑞姫には負けないだろう。朱実たちを助けるなら今しかない。エリたちのピンチだけど、まあ、あの娘のことだ。簡単にやられたりはしないだろう。今はとにかく、この手錠を外すことだけを考えろ。きっと、何か方法があるはずだ。


「……若葉ってさ、ホント、学習能力が無いよね」


 バカにしたような口調で言ったのは瑞姫だ。あたしの顔を見て、ニヤニヤとイヤな笑いを浮かべている。何だ? 学習能力が無い? 否定はできないけど、それがいったい、何だと言うんだ。瑞姫の顔を睨み返す。


 瑞姫は小さくあごを上げた。「――今、『愛子とちはるが出て行ったから、朱実たちを助けるチャンスだ』って、思ってるんじゃない?」


 あたしは、無言で瑞姫を睨み続ける。ふん。その通りだよ。あたしの考えてることなんて、お見通しってことか。でも、それがどうした? チャンスには変わりない。時間的余裕はそう多くは無いけど、絶対に、何とかして見せる。


「……分かってないみたいね」ため息をつく瑞姫。「どうして、『あの二人が出て行ったから、実験が中断された』なんて考えになるの? この状況で、どうやったらそんな楽観的な思考になるのよ? もっと、論理的に考えなさい」


 そう言って瑞姫は。


 愛子が床に投げ捨てて行った斧を、ゆっくりと、拾った。


 ――ま、まさか!?


「そう。『あの二人が出て行っても、実験は続く』の。なんでこんな当たり前の可能性に気が付かないわけ?」


 瑞姫は斧の重さを確認するように両手で上下に振りながら、朱実の方を見た。斧を振り上げた。


 朱実の表情が凍りつく。


 今度は、泣き叫ぶ時間も無い。


「やめろおぉ!!」


 今度は、あたしの絶叫も届かない。


 ぶん! と、空気を切り裂く音とともに、斧が振り下ろされた。


 そして――。


 がきん!


 何か、硬いものを叩いたような音。


 同時に、朱実の悲鳴。


 泣き叫ぶ朱実の声の中でも、その、“がきん”という音は、はっきりと聞こえた。


 愛子が、直子の腕を切り落とした時の、“ざん!”という音ではない。


 腕ではなく、違うものを切ったのか。手元が狂い、硬いコンクリートの床を叩いたのか。そう思いたい。そう思いたかった。


 でも違った。


 瑞姫が振り下ろした斧は。


 朱実の二の腕を捉え、腕の半分ほどの位置まで食い込み、止まっていた。


 斬れなかったのだ。


 あの、“がきん”という音は、斧の刃が骨に当たって止まった音だったのだ。


 朱実の右腕は切断されなかった。しかしそれは、決して、幸運なことではなかった。


「あれ? 斬れなかった? ゴメンね。あたし、愛子と違って非力だから。痛いでしょう? すぐに終わるから、待っててね」


 そう言って、瑞姫は。


 斧の背に右手を乗せ、体重をかけ、押した。


 ごりっ、と、嫌な音がする。


 朱実の叫び声は、さらに悲痛なものへと変わる。


 それはまるで、まな板の上で硬い冷凍のお肉でも切るかのような動作だった。瑞姫は、何度も何度も斧に体重をかけ、押した。その度に、がり、ごり、と、斧の刃と骨が擦れ、きしみ、削れる音が聞こえる。ぷちん、ぷちん、と、筋繊維が切れる音が聞こえる。朱実の、言葉にならない絶叫が聞こえる。あたしの、言葉にならない絶叫が聞こえる。


 やがて。


 だん! と、いう音とともに、斧が一気に沈み。


 ごとり、と、主を失った右腕が、床に転がった。


「ふう。やっと切れたよ。なかなか手強かったわね」床に斧を置き、額に浮かんだ汗をぬぐう瑞姫。右手を拾い、足元のバケツの中に放り込んだ。かわりに、そのバケツの中から直子の腕を取り出す。


「すぐに終わるからね」朱実に向けてウィンクをする瑞姫。


 その表情が曇った。


 そう言えば。


 朱実の様子がおかしい。さっきまで泣き叫んでいたのが、静かになっている。痛みのあまり気を失ったのだろうか?


 瑞姫が直子の腕を置き、右手で鼻と口の辺りを探る。そして、胸のあたりに手を当てた。しばらくそのままの格好だったが、今度はポケットからペンライトを取り出した。その光を、朱実の目に当てる。一度光を外し、また当てた。何度か繰り返し、もう一方の目にも同じことをする。


 ……あれは、ドラマや映画でよく見かける光景だ。イヤだ。その後のセリフを言うな。聞きたくない。


 瑞姫は、小さく舌打ちをした。「――コイツ、痛みでショック死しやがった。まったく、根性ないな。仮にもヴァルキリーなんて名乗ってるんだから、これくらいの痛み、耐えろよ」


 ――そんな。


 朱実が……死んだのか……。


 ああ。


 あたしは、助けられなかった。


「すぐに助けるからね」と約束したのに。


 目の前で殺された。


 愛子の言う通り。


 あたしは、「助ける」なんて、できもしないことを言って、期待させ、結局救えなかった。殺されるのを、見ているしかできなかった。


 あたしは、どこまで無力なんだ。


 身体中の力が抜けた。その場に倒れそうになるけど、手錠と書類棚がそれを阻む。膝をつくくらいしかできない。倒れる自由すらないのか、あたしには。


「まあ、いいや。実験素材は、まだたくさんいるしね」


 瑞姫が。


 エリたちが映っているモニターを見ながら、笑った。


 あたしは。


「あんた……なんで……なんでこんなことするのよ……大切な仲間に……何でこんなひどいことするのよ!!」


 叫ぶ。


 こんなひどいことを、まだ、他のメンバーにしようというのか。何の為に。


「何? いまさらそんな質問? もう気づいてたんじゃないの? 楽しいからよ。楽しいから、やるの。こんな、ゾンビだらけの船の中に一週間もいるなんてシチュエーション、滅多にないでしょ? 誰にも邪魔されないし。せっかくだから、やりたいこと全部やらないと」


 こいつは。


 そんなことのために、このアウトブレイクを引き起こしたのか。


 ゾンビ菌を船内に撒いたのか。


 ただ単に、自分の知的好奇心を満たすために。


 ただ単に、楽しむために。


 その時、あたしの胸に。


 これまで抱いたことのない感情が、湧き上がってくる。


 ――――。


 ――て、やる。


 ――殺してやる。


「――殺してやる」


 生れてはじめて湧き上がったその感情は。


 すぐに、あたしの口を継いで出てきた。


「……へぇ。あんたも、そんなまともなことが言えるんだ。ちょっと見直したよ」瑞姫は笑った。「でも、そんな目であたしを見ないでくれる? このゾンビの腕、あんたに付けたくなっちゃうから」


 やってみろ。腕を切り落とせば、この拘束から逃れられる。その瞬間、お前の人生は終わりだ。


「でも、ここは我慢してあげるよ。あんたには、もっと大切な実験を用意してるんだから。それに――」瑞姫は、机の上のモニターに視線を移した。「あっちのパーティーも、そろそろ始まるみたいだからね」


 モニターには。


 劇場の控室にいるエリと、亜紀や恵利子など、燈たちと行動していたメンバー。


 そして、エリと対峙する、愛子とちはるの姿が映っていた。


 瑞姫が、モニターの側に置かれていたトランシーバーを取る。「愛子? 若葉に聞かせてやりたいから、トランシーバーのスイッチ、オンにしておいて」


 モニター上の愛子がポケットからトランシーバーを取り出した。


《はいはーい、了解》


 ノイズ交じりの声。愛子は再びポケットにトランシーバーをしまったけれど、音はそのまま聞こえ続ける。


「画像も音もヒドイくて、臨場感がイマイチだけど、我慢してね」瑞姫はトランシーバーをテーブルの上に置いた。


「エリ! 亜紀! 逃げて!!」叫んだ。もう、それしかできない。


 でも、その声は届かない。エリにも、他のみんなにも、もちろん、愛子たちにも。


《エリちゃーん。やっと会えたねぇ。ずうぅっと、会いたかったんだよ? このゾンビ騒動が起こってから、もう、エリちゃんのことだけを考えてたんだから》


 愛子の言葉に。


 エリは、何も応えない。ただ立ち尽くし、愛子たちを見ているだけ。


《あれ? 今日はおとなしいね? いつもの減らず口はどうしたの?》笑う愛子。


《まさか、怖くて震えてるのかな? そんなタマじゃないよね? それとも、黙ってれば見逃してもらえるとでも思ってるの? うーん。まあ、土下座して、今までのあたしたちへの非礼を詫びるって言うんなら、すこーしだけ、手加減してやってもいいよ?》挑発的な口調のちはる。


 それでも、エリは何も言わない。動かない。


《……ま、いいわ。そのすまし顔がいつまで続くか、それはそれで楽しみだよ》


 愛子が前に出た。


《一人でおいしいとこ全部持って行かないでよ?》ちはるが言った。《あたしにも残しておいてよね》


《もちろん。とりあえず腕一本折ったら、代わってあげるよ》


 愛子は軽く跳ねながら、両手を広げ、おもむろにエリに近づく。


 しかし。


 急に立ち止まる。


 じっと、エリを見つめている。エリもまた、愛子を見つめている。


 愛子が、一歩後ろに下がった。


《お前誰だ!? エリじゃないだろ!》叫ぶ。


 ――は? エリじゃない?


 じっと、モニターを見る。背中まで伸びたストレートの黒髪に、いつものおすまし顔。画像は荒いけれど、どう見てもエリだ。愛子は、何を言ってるんだ?


 エリは表情を変えず、立ち止まっている愛子に近づいて行った。まさか、戦う気!?


 エリは、ヴァルキリーズのメンバーに義務付けられた剣道を習っているだけだ。真面目に取り組んでいて、筋はいいけれど、深雪や由香里のように段位は取っていない。エリの武器はやはり看護資格であり、武術ではないのだ。なのに、武器も持たずに、柔道の有段者である愛子に向かっていくなんて、無謀だ。


 だけど。


 愛子は明かに戸惑っていた。向かって来るエリに対して、怯えているようにも見える。


《――くそ!》


 愛子がエリを掴んだ。エリも愛子を掴み返す。


 その瞬間、エリの体が浮いた。


 組んだ瞬間に投げられた――一瞬、そう思ったけれど。


 ……違う。


 エリは、愛子と組んだ瞬間、愛子のお腹に左足を当て、そのまま腕に絡みつくようにして全体重を預けた。愛子の左腕にぶら下がるような恰好。エリは軽量だけど、いきなり全体重を預けられたら、いくら愛子でも支えられない。前のめりになる。エリは体を丸め、床に背中をつけると、左足で愛子の腹を、右足で首を刈った。愛子の身体は大きく弧を描いて宙を舞い、そのまま背中から床に叩きつけられた。とっさに受け身は取ったけれど、悲鳴が上がった。本当の激痛を味わった時の、言葉にならない悲鳴。すぐにエリが立ち上がった。愛子は肘を押さえ、床を転がりまわっている。その肘関節が、おかしな方向に曲がっていた。どう見ても折れていた。


 あれは、エリがやったのか?


 そうとしか考えられない。


 まさかエリは、腕ひしぎ十時固めを決めたのか?


 腕ひしぎ十時固め――プロレスなんかでよく見る技だけど、そもそもは柔道の技である。相手の腕を抱え込み、お腹の辺りを支点にして、てこの原理で腕関節を逆側に曲げる、シンプルながら非常に強烈な関節技だ。単純な技なので、それ自体は見よう見まねでできなくはないけど、今のエリの入り方は、いわゆる『飛びつき腕ひしぎ十時固め』という入り方だ。柔道よりも、サンボやグレイシー柔術でよく使われる。どちらも柔道をベースに海外で生まれた、どちらかと言えばマニアックの部類の格闘技だ。何でエリがあんな技を使えるんだ?


 瑞姫も驚きの表情でモニターを見つめている。まさかエリが反撃するなんて思ってもみなかったのだろう。モニターに映るちはるも、呆然と立ち尽くしている。


 エリが一歩近づいた。それで、ちはるは我に返った。


《……てめぇ、よくも!!》襲い掛かる。


 ちはるは大きく振りかぶって、右のローキックを繰り出した。エリは表情ひとつ変えず、少し体を引き、その一撃をかわした。だが次の瞬間、ちはるの右足は軌道を変え、エリの顔めがけて飛んだ。ローからハイへの二段蹴りだ。エリの表情は変わらない。再び身を引く。空を切るちはるの右足。それでも攻撃は終わらない。ちはるはそのままくるっと身体を回転させると、今度は左の後ろ回し蹴りを繰り出した。エリの顔面へと吸い込まれるように飛んで行く。が、その一撃も、エリを捉えることはできなかった。


 代わりに。


 ちはるの後ろ回し蹴りをかわした瞬間、エリの左足が、ちはるの側頭部を捉えていた。ぱあん、と、奇麗なヒット音が聞こえてきそうなほど、見事なハイキックだ。


 その一撃で。


 ちはるは、崩れるように倒れた。一瞬で意識を失ったのだ。


 あたしは今、何を見たんだ。夢でも見てる気分だった。


 ヴァルキリーズの問題児、柔道家の早海愛子と、マーシャルアーツの使い手並木ちはるが、一瞬にして倒された。しかも相手は、剣道を習っているとはいえ段位は持っていない、しかも竹刀も何も持っていない、あのエリである。あの娘、いつの間にあんな武術を身に付けたんだ。


 瑞姫も、信じられないと言った顔でモニターを見つめている。と、何かに気づいた。そんな表情。


 なんだ? 何に気づいたんだ?


 モニターには、気絶したちはると、関節を折られて激痛に悶える愛子と、そして、こちらを見るエリの姿が映っている。


 愛子の言葉が頭をよぎる。


 ――お前誰だ!? エリじゃないだろ!


 エリじゃない?


 モニターに映っているのは、映りは決してよくないけれど、顔も髪型もエリのようではある。


 でも確かに、ちはるの猛攻をかわし、なおかつハイキック一撃で仕留めるなんて芸当、エリにできるとは思えない。ましてその前の飛びつき腕ひしぎ十時固めなんて技、絶対に無理だ。入り方が特殊すぎるし、しかも技を決めた瞬間に関節を破壊するなど、試合ではなくルール無用の実戦レベルの技だ。軍隊じゃないんだから、普通の格闘技でそんなことは習わないし、やろうと思って簡単にできることではない。エリにそんなことができるとは思えない。


 では、エリじゃなきゃ誰なんだ。サンボやグレイシー柔術なんてマニアックな格闘技を習っている娘は、ヴァルキリーズのメンバーにはいない。まして、あのちはるを圧倒できるほどの立ち技も同時に習得してるなんて、そんな総合格闘家みたいな娘がいるはずが――。


 ――――。


 いるじゃないか。


 このヴァルキリーズには、他のメンバーが全員で束になってかかっても敵わないかもしれない、まさに最強の娘がいる。サンボやグレイシー柔術を習ってるなんて話は聞かないけど、習ってても全然不思議じゃない。実戦レベルで格闘技をやっていても全然不思議じゃない。


 エリが――エリに見える娘が、左手を上げた。自分の髪の毛を掴む。そのまま上に引っ張った。ズボッ、と、顔が抜けた。


 ……は? 顔が抜けた?


 見ると、左手には、目と鼻と口の部分が空洞の、エリの頭が握られていて。


 そこには、長い黒髪を後頭部の二ヶ所で止めたツインテールの髪型の娘がいた。


「――燈!!」


 瑞姫とあたしが同時に叫ぶ。


 それは紛れも無く、アイドル・ヴァルキリーズ最強と名高い忍者・一ノ瀬燈だった!


 左手に持っているのは、エリのマスクか? 変装してたってこと?


 燈は、ゆっくりと顔を上げた。カメラの方を見る。あたしの方を――いや、瑞姫の方を見る。


 そして、右手の人差指をこちらに向け。


《……は……えだ……》


 何かつぶやいた。


 それは、あまりにも小さい声で、その上ノイズ交じりで、全然聞き取れなかったけれど。


 何と言ったかは分かった。ハッキリと、分かってしまった。全身に泡が立つ。背筋が凍る。それほどまでに、恐ろしい言葉だった。




 つ・ぎ・は・お・ま・え・だ・!!




 ……って、どっかで聞いた怖い話やってる場合か。こっちはまだピンチなんだぞ?


 なんて思った瞬間。


 どーん! という轟音が部屋中に鳴り響く。突然、警察署の入口が爆発した。なんだ!? テロか!?


 入口は爆発の煙と砂埃で曇り、何も見えない。


 ――と。


「……すごいわね、あの娘。船にある材料だけで、こんな破壊力のある爆弾作るなんて」


 煙の奥に、二人の人物の影が見えた。


 ゆっくりと近づいてくる。姿がハッキリとしてくる。


 一人は、全身を覆う忍者装束の娘。もう一人は、紺の袴に白い着物、胸当てに弓という弓道着姿の娘。さっき、監視カメラの映像に映ってた二人――燈と遥だ。


「――すみません、若葉さん。電波拾って場所を特定するのに、時間が掛かり過ぎてしまいました」燈が言った。


 いや、燈は今、劇場の控室にいた。じゃあ、あれは誰だ。


 燈の恰好をした誰かは、覆面を取り、ツインテールの髪をほどいた。よく見るとその髪は、燈にしては短すぎて、背中までしかない。


「おや? いいものが落ちてるじゃないですか?」床に落ちている斧に気づき、拾った。「それで――どこにいるんですか? このあたしをハメて、アウトブレイクの犯人に仕立て上げようとした、二十代後半になってもアイドルを続ける、恥知らずの大年増は?」


 両手で斧をもてあそびながら、ニッコリと笑う。その姿は、愛子や瑞姫よりも、よっぽど悪魔のように見える。


 ――武術もできる白衣の天使・藍沢エリ。


 その先制口撃は、瑞姫ではなく、あたしの胸に深々と突き刺さったのだった――。






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