Day 1 #01
Idol Valkyries Episode 1
ドクン……と。
心臓が大きく鼓動し、血液を、身体に送り出す。
時計を見ると、一時五十五分。開演五分前だ。目の前には、木の板を組み合わせただけの飾りっ気のない階段。十数段のその階段を登った先には、この舞台裏とは別世界の、豪華に飾り付けがされたステージがあり、さらにその先には、あたしたちのパフォーマンスを見るために集まってくれた、何百人という人たちが、開演を待ちわびている。彼らの息づかいが、ざわめきが、期待感が、ここまで聞こえてくる。
ドクン……また、心臓が大きく鼓動した。
ステージに立つのは、これが初めてではない。すでに、何百回と経験してきた。デビュー当初の十人も集まらなかった小さなステージから、先月行われた、何万人も収容できる野球場での大コンサートまで。
それでも。
開演前のこの緊張感だけは、たとえこの先何百回、何千回とステージを経験しようとも、慣れることはないだろう。
他のメンバーを見る。準備運動をする娘、発声練習をする娘、お喋りをする娘、ただじっとして集中力を高めている娘。全員が、あたしと同じように開演前の緊張を感じている。みんなそれぞれの方法で、その緊張をほぐそうとしている。
開演三分前。
「ようし! みんな、集まって!」
キャプテンが、パンパンと手を叩きながら言った。皆、それぞれしていたことを中断し、集まる。キャプテンはメンバー一人一人の顔を確認するようにぐるっと見回し、一度大きく息を吐いた。そして。
「――もうすぐ開演です。今日のステージは、あたしたちヴァルキリーズにとって、初めて経験するステージになります。緊張している人も多いと思います。でも、それはとても大事なことです。緊張するということは、それだけ、このステージの重みを理解しているということですから」
にっこりと微笑む。皆、キャプテンの言葉を胸に刻みつけるように、大きく頷いた。
キャプテンは、声を少し大きくし、言葉を継いだ。「ただし! どんなステージであろうとも、あたしたちのやることは変わりません。最高の歌を歌い、最高のダンスをし、最高の演技をし、最高のパフォーマンスで、お客様に楽しんでもらう! そのために! まずあたしたちがこの舞台を楽しみましょう!!」
キャプテンの言葉に、全員で、「はい!!」と応える。
開演一分前になった。
キャプテンが、右手を拳に握り、左胸にあてた。それに続くように、メンバー全員が同じポーズをする。あたしも右拳を左胸に当てる。開演前の、ヴァルキリーズの誓いのポーズだ。
十秒ほどの沈黙の後、キャプテンが目を開け。
そして、叫ぶ。
「行くぞおぉ!!」
その声に、メンバー全員目を開け。
声を合わせ、拳を振り上げ、そして、あたしたちのグループ名を叫ぶ。
アイドル・ヴァルキリーズ!!
それと同時に。
ステージ上に、音楽が鳴り響く。
あたしたちアイドル・ヴァルキリーズのデビュー曲、「胸奥の試練」だ。ほとんどのコンサートは、この曲から始まる。
流れ始めた音楽をかき消すかのように、フロア中に歓声が響き渡る。
あたしたちは階段を駆け上がり。
そして、ステージに飛び出した。
歓声は、さらに大きくなり。
あたしたちは、それに負けないように歌い、そして、踊る。
コンサートが、始まった――。
☆
あたし、遠野若葉。アイドル・ヴァルキリーズ一期生。メンバー最年長の二十五歳。
アイドル・ヴァルキリーズとは、「歌って踊れる戦乙女」をコンセプトとしたアイドルグループだ。ヴァルキリー――戦乙女の名が表わす通り、女性騎士の恰好でコンサートなどの公演をするのが特徴だ。メンバーほぼ全員が何らかの武術の心得があり、コンサートでは、歌やダンスの他に、演武や殺陣などを披露することもあり、今回のコンサートでも、空手と薙刀の演武が予定されている。ちなみにあたしは、剣道二段を持っていて、高校時代には全国大会に出場した経験があるのがちょっとした自慢だ。
女性アイドルというと、これまでは「護ってあげたくなる」というイメージだったけど、そんなイメージを払拭し、アイドルがファンを「護ってあげる」という、新たなアイドル像を確立し、アイドル・ヴァルキリーズの人気は大爆発。紅白歌合戦出場、レコード大賞受賞、ドーム公演で女性アイドルグループとしては最高観客動員数を記録するなど、今や国民的アイドルと呼ばれるまでに成長した。結成六年目。最初は十六人から始まったメンバーも、三年目から毎年新たなメンバーを迎え入れるようになり、現在総勢四十八名。
アイドル・ヴァルキリーズ最大の特徴は、何と言っても、毎年三月から四月にかけて行われる人気投票だ。三月一日から三十一日までの一ヶ月間投票が行われ、四月初旬にその結果が発表される。
そして、ランキングの結果が、ステージ上での立ち位置に、大きく影響するのだ。
ランキング上位の者は、ステージ上では前の方に配置され、下位に行くほど後ろに配置される。つまり、上位のメンバーほど目立つことができるのだ。
また、ランキングの上位九名には、特別な称号が与えられる。称号を持つことがアイドル・ヴァルキリーズの最大のステータスであり、特に、ランキング1位に与えられる“ブリュンヒルデ”は、アイドル・ヴァルキリーズ全四十八名の頂点に立ち、その一年間、最前列の真ん中で歌うことが許された娘に与えられる称号で、最高の栄誉とされている。
ちなみにあたしは、先月発表されたランキングで見事4位にランクイン。称号“ヘルムヴィーゲ”を獲得した。
二十五歳という年齢は、そろそろアイドル的には色々ヤバイという自覚はあるのだけれど、それでも、四十八人中4位という順位は、あたしにアイドルを続ける自信を持たせてくれる。まだまだ頑張るから、応援よろしくね。