勇者の神託
魔王が魔族を支配し、人々に恐怖を撒き散らすこと千年以上。数多くの勇者が出現しては、魔王を滅ぼすことは一度たりともなかった。そう、半世紀前までは。
魔王のもとまで辿り着ける勇者すら僅かだったが、人類の悲願である魔王討伐に成功したのは初めてのことだった。
半世紀経った今でも、その輝かしい功績は語り継がれている。
曰く、魔王が討伐された一年はどこもお祭り騒ぎだっただとか。曰く、魔族の姿が一時消えただとか。曰く、勇者様は聖騎士だっただとか。曰く、魔王は三つ目の巨人だっただとか。曰く、勇者様は魔王幹部を相手取りながら闘っただとか。曰く、曰く、曰く――
逸話を挙げるとキリがないほどに、色濃く伝わっている。
しかし、その平和も長くは続かなかった。
歴代魔王がいるように、魔王は代替わりしていく。
それは勇者によって討伐されても変わらないらしい。数年の間は魔王の座を巡り、魔族同士で殺し合いが勃発。その影響を受け、被害に遭った町や村は少なくない。その後、半世紀も経たずして、新たな魔王が誕生した。それからは魔族だけでなく、魔物も標的を人類に定め、以前の勢いを取り戻していった。
聖暦六八五年。
ここ、グラナリタス王国、王城に人類が待ちわびた、神殿により神託を受けた新たな勇者と、勇者と共に魔王に立ち向かう重戦士、神官、そして宮廷魔法師が呼び出されていた。
その誰もがまだ若輩者だったが、次代を期待されている有望な人材でもあった。
初めて魔王を討伐した勇者よりも以前はそれほど勇者を名乗る者達は期待されていなかった。この王国も同じ。援助はするが、それも最初だけ。しかも、最低限。
それもそのはずだ。たくさんの勇者が旅立ち、殺されていった。魔王を討伐するなど、夢のまた夢のことだった。成功した暁に援助したという体裁と虚栄のためだけであって、はなから期待もしていない勇者への対応などそんなものだ。
そうだったのが、半世紀前に一人の勇者が成功したことで、王家は勇者を自国から出したのだという栄光と魔王討伐に助力したという姿を見せるメリットが生まれたのである。
王は再び勇者が魔王の討伐に成功することを期待し、上機嫌で彼らを出迎えていた。
勇者の名前はルシアン。
十八の若き青年。
黒髪長髪を後ろでポニーテールにし、メガネをかけた優男。
そして、王国の経済を支えていると言っても過言ではない商会長の一人息子。
溌剌とした印象が実に似合う。優しげで裏表のなさそうな面持ちはまさしく、勇者と言って然るべき佇まいである。
ただ、未だに、何故この青年に神託が降りたのかは分からない。何の変哲もない商会の息子。戦争や魔族討伐で名の知れた騎士、戦士でもない。身なりからして、全く想像する勇者とは似ても似つかない。
新たな勇者の門出を見ようと多くの貴族が集まる中で、勇者ルシアンは真っ直ぐ王を見つめていた。
コホン。
「此度、神託によって勇者と定められたルシアンよ。よくぞ参った」
厳かな声が広間に響いた。
周りでことの成り行きを見守っている貴族達の中から息が漏れる。ルシアンが勇者であると実感が湧いたのか、興奮が漏れたのか。どこかそわそわとした雰囲気が包んでいた。
ルシアンはゆっくり目を閉じ、一礼する。
「謹んで、辞退いたします」
はっきりとした声が広間の隅々にまで届く。
一瞬、辺りが静まり返った。
そして、事態が漸く理解できた貴族達、そして王の御前で控えていた神官達でさえ周囲と目を合わせてざわつく。
ルシアンの傍にいた重戦士、神官、宮廷魔法師も目を見開いて信じられないとルシアンを見つめた。
王も驚愕の表情で固まっている。
一仕事終えたとばかりに、ルシアンは立ち上がった。
「では、御前、失礼いたします」
慇懃無礼な態度で踵を返す。
周囲の動揺を他所に、ルシアンはスタスタスタ、と振り返ることもなく、広間を後にしようとしていた。
呆気に取られすぎて、開いた口が塞がらない。
扉の前やら、貴族と勇者一行の間やら、そこかしこにいる近衛騎士もルシアンの行く手を阻むことさえ思い付かなかった。
「ちょ、ちょちょちょいと待たれぃ!」
それに焦ったのは王だった。
王座から転がり落ちるようにしてふんぞり返っていた姿はどこへやら。立ち上がって必死にルシアンを引き止める。
「今⋯⋯今、何と⋯⋯?」
口にすることさえ悍ましい。まさか、断る者がいるとは。
ルシアンの足が止まる。
「私は勇者にはならないと申し上げましたが」
それが何か。
振り返り、ルシアンは平然と言い直した。
「私はただの商会長の息子です。騎士のように戦闘に特化しているわけでもありません。勇者として魔王討伐に赴くには、いささか不向きかと」
「だが、神託が下ったのだ」
「神託の正当性を疑うつもりはございません。それに、私は命をかけるつもりは毛頭ございません。他の方を指名した方が宜しいかと」
ルシアンは淡々と告げた。
耳を疑ったのはこの場にいる他の者達全員だ。
「なんと……!」「不敬な」と憤る者もいれば、「ふん、ただの臆病者めが」「確かに騎士でもなければ戦士でもない」「貧弱な商会の息子か」と蔑む者もおり、ほとんどの者が眉を顰めていた。
とは言え、ルシアンの姿勢は変わらない。
寛大にも王はそんなことか、と王座に腰を落ち着けた。
「安心するが良い。貴殿が非力であろうとも魔王に立ち向かえるだけの精鋭を用意しておる」
ちらり、と片膝をつき、頭を垂れる三人に目をやる。
言っても魔王が討伐されてからまだ半世紀しか経っていない。新たな魔王と言っても、力は弱いだろうと神殿も各国の重鎮も共通の見解を示している。魔王という悪夢を今こそ断ち切る良い機会だとも。
ルシアンもまた、王の視線が向いた彼らを一瞥した。
そして、再度、ゆっくりと瞬きをする。
「であれば、彼らだけで向かった方が宜しいのではないでしょうか。非力な私では足手まといでしょう?」
さすが、言葉を操り、人の心に入っていく商人らしい返答だ。
「それもそうだな」「確かに、勇者でなくとも⋯⋯」と納得する声もあちこちで上がる。
「神託において、勇者は魔王討伐には欠かせない存在だと言われておる。おそらく、貴殿には何らかの特別な能力が備わっておるのではないか?」
「能力、ですか⋯⋯」
王の言葉に顔を顰めたのはルシアンだった。
ルシアンの中でも王が言った特別な能力とやらには心当たりがある様子である。
ルシアンは静かに逡巡した。
神託を聞いた者も、そして王も知らぬこと。
たかが商人の息子に何ができようか。彼に拘る理由は何か。王が口にしたのはあくまで王自身の推測に過ぎなかった。
それでも、ルシアンの様子を見て、あながち間違いではなかったのだと確信する。
余計に、ルシアンに魔王討伐へと向かってもらわなければならなくなった。
ややあって、ルシアンの中で共に行くことは納得できたようで、一度、頷く。
「しかしながら、取引は公平にするべきです。現時点で私は勇者となることに何ら利益を感じてはおりません。一方的な契約は私の好みではありませんね」
それに、見合う対価も条件もありませんし。
ルシアンはそう付け加えた。
ルシアンの言葉に王の表情は険しくなる。
「⋯⋯勇者の使命を、商取引と同じに考えるか」
「使命であることと公正な契約は矛盾しないと存じますが」
実に勇者らしからぬ、商人らしい考え方である。
これが神託を下された勇者か。
王は苦々しく思った。
勇者とは元来、人助けを好んで行い、人類のため、世のために魔王を討伐するという使命を自ら背負っていったと聞いている。決して、名声や利益を求めていたわけではない。
こんな人情とはかけ離れているような者がよもや、勇者に選ばれるとは。
少しの沈黙の後、ルシアンは思い出したかのように切り出した。
「そういえば、魔法師ならば既におります」
「⋯⋯何?」
ピクリ、と王と宮廷魔法師の片眉が動く。
「うちの炭鉱に」
それはあまりにも場違いな言葉だった。




