2…【誰か】
「ルーレシア、どうする? 此処にも皇帝の子供がいるぞ。まだ一歳にも満たなさそうだが……」
皇子の国は今、革命の真っ只中にあった。だが、もうじき終わる。革命軍が宮殿に攻め込んだからだ。そして今、皇子は殺されかけている。彼の兄姉たちはほとんど殺されて、両親は捕虜として捕えられた。じきに殺されるだろう。
革命軍からしてみれば、この一歳にも満たない皇子を殺せば、皇帝の直系の血脈は完全に途切れることになり、実に都合が宜しい。殺さない手はない。
ルーレシアと呼ばれた人物は凛とした美しい女性だった。整った顔。そして、その赤い髪が、この燃え盛る宮殿に反射して光っている。自我と呼べるものが存在しない皇子からしてみても美しいと呼べる代物である。
ルーレシアは特に表情も変えずに思考を巡らせていた。
ルーレシアは答えを出した。
「いや、殺しておこう。そうだな、私としては生かしたいけど、そう云って戦争はこの何百年も続いてきた。革命軍総司令官の立場からしても、これ以上無駄な流血をさせたくない」
そういわれると皇子はもう自分は助からない、と諦め、深い眠りについてしまったのだった。
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皇子は目が覚めたら、【誰か】に抱え込まれ、その上で馬上にいた。本当は辺りを見渡したい気分だったのだろうが、まだ赤ん坊である皇子にそれは出来ない。
ただ、激しい雨に打たれている事は、皮膚の感触で分かった。
【誰か】は革命軍と思われる一派に過剰に追撃されていた。それでも【誰か】は一歩も退かず、皇子を護りながら革命軍をその手に持つ矛で蹴散らしながら、少しずつ前に進んでいた。
【誰か】は一見孤独そうに見えたが、そうでは無かった。彼の周りは味方がいた。味方は【誰か】に向かって笑い掛けていた。そして、味方は【誰か】を、ひいては皇子を護るために、【誰か】の盾となり散っていった。
【誰か】はそんな味方を気にも留めず、ただ馬を走らせ続けていた。皇子はそんな【誰か】を無情なヤツだ、と感じた。
しかしこの考えはすぐ変わった。見たからだ。平気で味方を切り捨てている様に見えた【誰か】が、確かに大粒の涙を流していたところを。雨で気付かなかったが、【誰か】は人間だった。情のある人間だったのだ。
再び眠くなった皇子は眠りに着いた。
気がついたら、森の中に居た。既に追っ手らしき者たちはおらず、【誰か】は馬を動かす手綱を離していた。その手に持っていた矛は下ろしているのが分かる。どうやら安全な場所に着いたらしい。
もしそれが本当ならば、皇子は幸せだっただろう。
この時皇子は、確立した自我は保持していなかったが、【誰か】は信頼できると確信を得ていた。そのため、どことなく油断していたところもあったのだろう。【誰か】も同様だ。
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急に猛威を振るう強風が辺りを襲った。否。強風ではない。空気の斬撃である。斬撃は森を破壊し、倒れた木は次々と【誰か】めがけて倒れ込んできた。
【誰か】は油断しきっていた。
だから、かわせなかった。先程まで王者の風格で敵中を駆け抜けていた人間が、哀れな有り様であった。【誰か】の馬は突然な斬撃に恐れおののき、暴れ出した。
【誰か】は瞬時に自らが置かれている状況を理解し、対処に動こうとした。それなのに、馬が言うことを訊かない。制御不能、といったところだ。
【誰か】はそれでも諦めずにその聡明な頭を回転させ、この危機的状況を脱する方法を探っていた。だが、どの作戦にも馬が必要不可欠であった。馬にもう頼れないと直感で気づいた【誰か】は下馬した。
そして、その手に持つ矛をもう一度強く握りしめ、皇子を腕に抱き、今度は自分の足で走りながら木を斬り捨てていった。
急に斬撃が止んだ。
代わりに暴風が吹き荒れた。【誰か】の目の上には大きな影が現れた。純白色の大きな竜であった。竜の頭の先端にはペガサスのようなツノが大きく突き出ていた。
翼は左右に等しく広がり、それを自慢するように広げた。美しく見えるが、その手には鋭い爪、口には全てを切り裂けそうな歯がぎっしりと並んでいた。