折り鶴、君さえいなければ
「君は、折り鶴恐怖症だろう」
名高い医者は、ほくそ笑む。
そして、くれないの千代紙で鶴を折って掲げた。
「やはりだ。私の診断に誤りはないな」
身をすくめ脂汗をかく私に、彼は心底満足そうに告げた。
*
小4の夏休み明け、転校生が来た。
「わたくし、折本鶴子と申します」
気品漂う口調からどことなく育ちの良さを感じ、友達になれたらいいな、などとときめいた。
きっと、ブランド物で身をかため、香水の芳香をまとった、生粋のお嬢様なのだろう。
想像するだけで、胸が高鳴る。
しかし、甘美な妄想の終わりは早かった。
声はするものの、彼女の「姿」はどこにもなかったのだ。
クラスメイトも違和感に気づいたようで、
「せんせい、転校生とか嘘ついいたんだ」「いないもん」
とささめき出した。
先生が場を取り繕うと尽力するが、まったくもってぬかに釘。
流言飛語が飛び交うばかりだ。
その時、
「失礼な。わたくし、ちゃんといますから。立ち上がってごらんなさい。立ち上がって」
怒気を含んだ一声がとどろく。
それは、(いないはずの)本人の一喝だった。
みな、言われた通り立ち上がる。
途端、教室中がわっと沸いてすぐさま静まり返った。
黒板の前、教卓の陰となる場所に、たしかにいた―いやあったのだ。
朱色の折り鶴が。
紙製の、「折り鶴」。それが同級生。
にわかに信じがたいが、信じるほかないのだろう。
色を失った子、動揺を隠せない子を前に、先生は淡々と言った。
「夏休みの宿題の提出期限を伸ばすので、仲良くしてあげてください」
*
折り鶴の小学生。
どんな子かと思えば、ひどく高飛車、驕り高ぶる嫌なヤツだった。
身長7.5センチメートル、体重0.015キログラム、と超華奢だから、
女子たちが
「めっちゃ軽いじゃん」「いいなあ」
と口々に褒めちぎるのだが、そのたびに、
「あんたたちが重すぎるだけよ」
と突き放していた。
ボディーカラーのカーマインレッドを、
「お姉さんみたい、憧れる」
と称した子には、
「ランドセルとかぶって迷惑なんですけど」
と愚痴を吐き、特注のランドセルを見せていた。
ランドセルは、消しゴムほどの寸法だった。
内心、私は赫怒した。
ランドセルが消しゴムほどの、こんなに小さい 折り紙女子が、なんでここまでいばるんだ?
わたしは無意識に、名簿に手を伸ばしていた。
折本鶴子。
その名は、他と比べ、大きくはなく、むろん小さくもなかった。
*
程よい距離を保ったまま歳月は流れ、卒業式。
そこで決定的な出来事は起きた。
もう、あれは事件と呼べるだろう。
「皆さん、わたくしへの卒業記念品は持ってきたでしょうねえ」
鶴子は挑発するように言う。
「もちろんです。鶴子様」「うん、持ってきたよ」「鶴ちゃんの好きそうなの選んだ」
「あらそう、良かった。わたくしが気に入るかは、わかりませんけどねえ」
クラスメイトを、子分か家来か虫けらかのように扱って、鶴子はひとり有頂天になっていた。
なんなんだあいつ。
息を殺してつぶやく。
その時、
「あなたさあ」
突如、彼女のじっとりとした視線が私に向かって注がれた。
「忘れたんでしょ。卒業記念品」
鶴子の笑みは、どこか血なまぐさかった。
卒業記念品なんて、持っていない。
私はほのかに寒気を覚えた。
でも、大丈夫だろう。所詮、鶴子は短身痩躯。
背伸びをしたって、精一杯はねたって、私の膝にも及ばないはずだ。
だから、油断していたんだ…
「隙ありっ!奇襲よ」
鶴子のあでやかな声とともに、クラスメイトが頭突きを始めた。
そして、すぐさま殴られた。蹴飛ばされた。それはもう酷いものだった。
「鶴子が指揮し、クラスメイトが実行する形式」
その手があったか、と 痛みに身をよじらせて理解する。
中には体格のいい男子もいて、気づけば私はかなりの傷をこうむっていた。体の節々が痛い。
「いい気味。いい気味よお」
悪の根源、人を仇する鶴子は、甲高い声を上げて 私を見据える。
彼女は矮小で、図鑑にでも挟めば即死するサイズだった。
「あなたたち、とどめを刺しましょう!」
鶴子は金切り声で叫んだ。
操り人形と化したクラスメイトが、鬼の形相で迫りくる。
ピンチ。
ピンチ。
手元にあるのは真新しい卒業アルバムだけ。
どうしよう。
どうするべきだ。
私は考えた末、
――操り人形の糸を断った。
糸をたぐった先にあるモノを絶った。
バシン。
小気味よい音が鳴る。
*
ここ最近、寝られない。不吉な夢に、幾晩もうなされている。
そう言うと、
「君は、折り鶴恐怖症だろう」
名高い医者は、ほくそ笑む。
そして、くれないの千代紙で鶴を折って掲げた。
「やはりだ。私の診断に誤りはないな」
身をすくめ脂汗をかく私に、彼は心底満足そうに告げた。
今も、卒業アルバムを開けばある。
押し花のごとく潰れた折り鶴が。
それはところどころ黒ずんでおり、一層 禍々しい。
その黒ずみは、年季が入ったせいなのか、細胞が壊死したからなのか、不明だ。
思えば、私だって、やりたくてやったわけじゃない。
身の危険を悟りとっさにやっていただけだ。
折り鶴、君さえいなければ。
そんなことを度々思う。
何を言おうと思おうと、今は、引かれものの小唄にすぎないが。
――とまれかくまれ、たたりが怖いものだ。