こっちの水は低きに流れた甘い溜池
…ますように。…ますように。
汗が頭部や胸、背中から吹き出している。
手を合わせ頭を下げ何分経っただろう。
自宅のすぐ近くにあるお地蔵様にお願いをするようになり、
もう何年経つだろう。
昔は願い事ではなかった。
「今日も暑いですね。」
「いつも見守ってくれてありがとうございます。」
「今日も1日頑張ります。」
手を合わせながら日々の感謝や世間話を伝えていたのに。
「事故なく安全に終わりますように。」
「怪我人もなく、無事に終わりますように。」
私は今、見もしない、誰かもわからない学生に対してのお願いをしている。
来月には高校野球がテレビで放送される時期だ。
前々から度々話題に上がっているが、
わざわざ炎天下に球児たちがグラウンドに立たされて観客席の吹奏楽部やチアダンス、応援団たちが暑い思いをしている光景を良くは思えない。
全力を出せるため、快適に行うために時期をずらしたり、室内で行うなど、著名運動にも参加したこともあったが何も変わらない。
情けなさを悔いながら、
こうやって願うことしか出来ないのだ。
お地蔵様は話を聞いて下さっているようだ。
暗いトンネルを進んでいるような気分になり、
気の知れた友人と世間話をするかのように溜まっていた気持ちが溢れてくる。
高校野球が終われば、
この地域ではお祭りの準備がはじまる。
下っ端は雑に扱われ、
寄付金の帳簿は抜けだらけ、
酒を飲むためだけの寄り合い。
お祭りの本来の意味も忘れ、
自分より下がいれば偉そうにできる集まり。
年々、秋になっても夏が住み着いて離れない。
お祭り当日が涼しかったのは何十年前の話か、
毎年、救急車で何人もの人が運ばれる。
最近は他県からの観客も来るようになり、
今まで聞いたことのないような揉め事や事件も増えた。
死人が出ようが、問題が起ころうが、
年老いた同年代の者たちほど「昔からの風習」として、内容を変えることを拒む声が大きい。
おいしい思いをしてることへの不具合を恐れているのだろう。
「先代から受け継がれた〜」などという聞こえのいい言葉で熱く語り、
人のいのちより重い旨みを守る行事になっている。
神様への感謝、五穀豊穣、家内安全など、
とうの昔に忘れ去られた。
そういう私も、
世間でイベントと言われる催し事は、
いつからかこうやって何事もなく無く終わることを祈る行事になっている。
今年の夏は涼しそうでよかった。
ひんやりしてる。
こうして目を閉じていると心が洗われる。