第1話「名前呼び」
「…みさん…七海さん、ついたよ」
誰かに声をかけられ目を覚ますと、私は男の人の背中に乗っていた。
「…パパ……?」
寝ぼけた私は、何も考えずに思ったことを口にする。
「違うよ七海さん、伊織だよ」
だけどそこにパパはいるはずもなく、声の主は自らを伊織と名乗った。
「いおり…くん…?」
まだ覚醒しきってない脳でそう尋ねると、その声の主は
「そうだよ、伊織だよ」
そう優しくて包み込むような声音で告げた。
ここでようやく脳が正常に働き始めてきた。
「い…おり……原君!?」
「おぉ、急に元気だね」
少し声が大きくなってしまったらしい。でも何で伊織君の背に私が…?
そこでようやく全てを思い出した私は、羞恥で顔が赤くなるのを自分でも感じながら伊織君にこう告げる。
「すっ…すみません。もう大丈夫です」
「ほんとに?」
「は…はい。場所さえ教えて貰えればあとは一人で帰れ…ヘクチッ!」
「大丈夫じゃないじゃん。ほら、うちで休んできな。七海さんが嫌じゃなければシャワーも入ってっていいよ」
「何から何まですみません。あと、私途中で寝ちゃったから私のことおぶりながら傘持つの大変でしたよね…すみません。」
伊織君がわたしをおぶりながら器用に傘を差している姿を見て謝罪した。
「大丈夫だよ。可愛い寝息たてながら気持ちよさそうに寝てたから起こしちゃ悪いなって思って」
「かっ…かわっ…!?」
「川…?どしたの?川好きなの?」
「可愛い」もちろんこの単語に反応したわけだが、あまりにも耐性がないからすごく恥ずかしい。
にしてもこの流れで「かわっ!?」が何を指しているかわからないあたり伊織君鈍感なのかな?
いやちがうか、私とは違ってこういうのに慣れているだけかのかな。
そう考え、気を取り直し伊織君に告げる
「お気遣いありがとうございます。あ、もう降ろしてくれても大丈夫です」
そう言うと伊織君は私を降ろしてくれて、伊織君に促されるまま家の中へと入っていった。
♢♢♢
「七海さん、着替えの服はここに置いとくから。俺のなんだけど…嫌じゃない?」
伊織君にバスルームに案内してもらうと、そう尋ねられた。
「嫌なんて、とんでもないです。ありがとうございます。来週の月曜日に洗ってお返しします」
明日は土日で学校が休みなのでそう提案した。
「洗わなくてもいいよ、手煩わしちゃうし」
「それが礼儀というものですので」
「そっか、ありがとね」
伊織君はそう言うと微笑んでみせた。
♢♢♢
「あ…少しぶかぶかすぎるかも…」
シャワーを借り脳の働きも完全に元に戻った私は、伊織君の用意してくれた服を着てサイズが大きすぎることに気づいた。
それでも一応着れるには着れるので何も問題はないのだが、そんなことよりも数百倍も大きな問題があった。それは…
「下着…どうしよ…」
そう、雨で下着まで濡れていたためその替えがないのだ。
「伊織君に借りるわけにもいかないし…」
男物のを使うわけにもいかないし、かといって濡れたまま履くわけにもいかない。
そうこう考えてるうちに時間が経っていたらしく、心配した伊織君が声をかけにきてくれたようだ。
「七海さん大丈夫?足りないものあったら言ってね」
ドア越しに気持ち大きめな声で話しかけてきた伊織君に私はとあるものを要求する。
「原君、ドライヤーってありますか?ドライヤーじゃなくても何か温めるものがあればいいんですけど…」
少し声を張ってドア越しの伊織君に伝えた。
「ドライヤー?……あぁ、そっか、ちょっと待ってて」
そう言うと伊織君はスタスタと歩いて物を取りに行ってくれた。
2、3分経つと伊織君が戻ってきた。
「ドアの前に置いとくから俺の足音が遠ざかったら取ってね」
「何から何までありがとうございます。原君にどうお礼したらいいか…」
「お礼なんていらないよ、あと俺のこと伊織でいいよ」
「わかりました。では伊織君と呼ばせていただきます。それと、何か少しでもいいのでお礼を…」
ここで貸しを作ってしまうと、関係がずるずると続いていきそうで少しでもお礼をさせてもらおうを食い下がる。
「いいっていいって。……………ごめん、やっぱ一つだけいいかな…?」
「はいっ!もちろん!」
「七海さんのこと菜乃華って呼んでいい?」
「っ…!い…いいですよ…」
予想外のお願いに少し驚いたけど、これくらいなら大丈夫。
「ありがと、菜乃華」
そう少し嬉しそうに言う伊織君にドキッとしなかったと言えば嘘になる。だけど、伊織君の中ではこれが日常なんだろうなと自分に言い聞かせ、「こちらこそ」と返す。
少し関わりすぎただろうか…。いや、きっと大丈夫だ。今は伊織君の優しさで匿ってもらってるにすぎなくて、何にせよ伊織君は人気者。きっと服を返せばそれっきり、伊織君と学校以外で会うことも、話すこともなくなる。
そうやって、私たちは元の生活に戻っていくんだろうな。
そうこう考えているうちに伊織君の足音は遠くへと去っていった。
私は少しだけドアをスライドさせ、伊織君がいないことを確認してからドアを開けるとそこには、私が頼んだ物以外のものあった。
ドライヤーと共に、小さなメモと女性物の下着が1セット置いてある。
私は少し困惑していたがその全てを手に取り、ドアを閉める。
「なん…で…」
不思議に思いメモを見ると『姉がこの前泊まりに来た時に忘れていったやつ。新品らしいからもしよければあげる』と書かれている。
気になることは沢山あったが、サイズも奇跡的にあってたし未使用ということで今はありがたく使わせてもらうことにした。
♢♢♢
伊織君から借りたパーカーとズボンに着替え終わり、リビングに向かった。
何やらテレビを見ていた伊織君があわあわとしている。
「伊織君?どうしたんですか?」
伊織君はゆっくりとこちらを振り返ると、こう告げる。
「菜乃華…‥台風だって…」
「えっ…?」
「しかもおっきいの」