地方犯罪者
遠く、離れた土地にやってきた。
……この場所に、俺の知り合いは、いない。
「風谷さま~、お待たせしました、ご案内いたします。」
昼時のレストランの待合で、仮の名前を呼ばれた。
待合所の椅子から立ち上がると、ウェイトレスの姉ちゃんが、俺のもとにやってきた。
「ふざけんなよ、どんだけ待たせるんだよ!クッソ腹立つ店だなあおい!もう来ねえよ!つぶれろ!!」
声を張り上げ、真正面から思い切り罵声を浴びせる。
「ひっ…!す、すみまっ、すみませ……!!!」
笑顔が一瞬で怯えたものになり、見る見るうちに表情が曇り、崩れ…、半泣きになってきた。
平日の混み合う人気店の待合所には、気の弱そうなババアや頭の悪そうな学生ばかりで、正義感に燃えるイキリ野郎はいない。
怯える一般客の顔が…実に気持ちいい。
実に痛快な気分で、俺は店を出た。
量販店に向かい、店内を闊歩する。
安売りが自慢のこの量販店グループは…細かいチェックが苦手なんだ。
売れてなさそうな駄菓子コーナーの棚の奥に手を伸ばし、商品をくまなくチェックする。
お買い得コーナーのワゴンに手を伸ばし、商品をくまなくチェックする。
……あった、あった。
レジを済ませた俺は、サービスカウンターに向かった。
「おい!!この店は賞味期限切れのモンを客に食わせるつもりかよ!しかも三つも!!馬鹿じゃねえの、商品管理もできねえなら販売店なんかやるんじゃねえよ!!!」
買ったもんをカウンター内で突っ立ってるババアに投げつけ、罵声を浴びせる。
「……すみませんでした。」
めちゃめちゃ不服そうな顔をしてやがる。
……許せねえなあ、俺はお客様なんだけど?
「なんだその態度は!!店長出せよ!ババアが責任取れると思ってんのか?!おいおいどうなってんだこの店はよお!!!」
「お客様、どうされましたか、申し訳ございません!!」
別の姉ちゃんがすっ飛んできやがった。
困惑の表情か、まあまあだな。
「おい!このクソバアアを今すぐここから連れてけよ!目が腐るだろうが!不愉快だ、早く!!こんな奴雇った会社も見る目がねえなあ!!今すぐつぶれろ!!」
「お客様、わたくしが店長でございます、あちらで伺いますので……。」
腰の低いおっさんが出てきた。
……よく見ると、ずいぶん姿勢が良くて腰が据わっている。
こいつはおそらく、格闘系のスキルを持っているに違いない。
……この辺で、やめておく方が無難だな。
スタッフルームに通されて、返金処理をうけ、商品券をもらった。
……まあまあの、収穫か。
ボチボチの気分で、店を出た。
大型のスーパーに向かい、店内をうろつく。
ここのスーパー系列は、試食が多いことで有名なんだ。
自社製品に絶対の自信を持って、貧乏人どもにただ飯を恵んで満足しているつまんねえ企業だよ。
誰もがうまいと感じる食いもんなんざあるわけねえのに、おめでたい企業だよ。
「ご試食いかがですかー!」
俺は無言で、差し出されたソーセージを口に入れた。
「うっわ、まっず!!これめっちゃマズいじゃん、何これ、こんなもん食べさせるの?!」
口をぽかんと開けたままの年寄りのばあさんに、罵声を浴びせる。
「お口に合わなかったかねえ。」
しょぼくれた顔してんなあ、気が滅入るぜ!
俺はつまようじを床に投げ捨て、別の試食のところに向かった。
「あ、お兄さん、試食してってくださいよ!」
俺は無言で、差し出されたステーキのかけらを口に入れた。
「何これ、くっさ!!こんなくっせえ肉、よく人に食わせる気になったな!くず肉じゃん、いらね!!!」
なんか言いたそうな顔をしている姉ちゃんに、罵声を浴びせる。
「すみませんでした。」
ふん、まるで気にしてねえみたいだ、つまんねえな…。
俺はつまようじを床に投げ捨て、別の試食のところに行った。
「おいしい高級食パン新発売ですよー!試食してってねー!」
俺は無言で、差し出されたパンのかけらを口に入れた。
「何これ、パッサパサ!ごく普通のパンじゃん、どこが高級品?おいしいってこういうのじゃないよね、これは何とか食えるって言うんだよ!」
「ええー、でもトーストすればサクサクしておいしいですよ?」
へえ、若い兄ちゃんだけあって口答えするってか。
眼鏡のひょろガキだ、腕も細いし、これくらいなら平気だな。
「これがうまい?!あんたパン売ってるくせにどんだけ舌が貧乏なんだよ!うまいもん知らないやつがうまいもん語るなよ!これはまずいの、マズいパンなの!こんなもん売ってると店の品格下がるけど、あんたにその責任取れるの?取れるわけないよねえ、あんたバイトでしょ、もうこんな仕事辞めた方がいいよ。あんた働くことに向いてないわ。」
俺はその場を離れようと。
「うるぁああ!!!なんじゃあおまえはあああああああああ!!!」
俺に殴りかかってきた、ひょろい兄ちゃん。
軽すぎるパンチを受け止め、自慢の体重を使ってプレスしたところで警備員と店員が飛んできた。
「いやね、僕は正直にパンの味の感想を言っていただけなんです。そしたらこの青年がいきなり殴りかかってきましてね。」
「申し訳ございませんでした。」
店長から商品券をもらった。
あのバイトの兄ちゃんはおそらく首だな、ざまあ見ろ。
俺は爽やかな気持ちで店を後にした。
俺の趣味は、遠出をして暴言を吐くことだ。
誰一人知り合いのいない、全く思い入れのない、初めて訪れた土地で、罵詈雑言を思うままに放つのだ。
地元では従順で優しい、気の利く温厚で穏やかすぎる人で通っている、俺。
そのストレスは相当なもので、頭の中には罵詈雑言が蓄積されている。
それを、休日に一気に放出するのが、たまらないのだ。
例えば、日々聞かされているつまんねえ客のクレーム。
例えば、日々聞かされている腹の立つ同僚のぼやき。
例えば、日々聞かされている猛毒でしかない上司の八つ当たり。
客の中には、犯罪紛いのいちゃもんをつけてくる奴もわりといる。
思わず手を出したくなるが、出したらこちらが犯罪者になってしまうので、ぐっと我慢をする。
たかだか千円のお買い上げで、アオタンを作った事もある。
まあ、その後慰謝料をゲットしたけどさ。
数々の修羅場を潜り抜けている俺は、いつしかクレーマーのコツを身につけ、ストレス解消のツールとして使いこなすようになったのだ。
月に一度のペースで二連休をとり、一泊旅行に行く先々でストレスを解消して回る。
休み明けはスッキリした気持ちで、クソ客どもに立ち向かえるって寸法だ。
「おいおい、金もらってるって自覚ねーのかよ!」
「大変申し訳ございません。」
「誠意が足りねぇなあ!」
「大変申し訳ございません。」
「ちっ……もう来ねぇよ!」
「大変申し訳ございませんでした。」
クレーマーには、余計なことは言うなってね。
つけこむ事ができる要素を与えてはダメなのさ。
ただ、淡々と謝罪し続ける、それが一番。
俺は休みのたびにクレーマー側に回るからな。
クレーマーの心理はよくわかるのだ。
「加藤さん、そんなにいい人すぎて疲れませんか?」
「接客のプロですね、見習います!」
「加藤くん、ちょっとこのクレーム案件頼めないか?」
会社での俺の信頼度は増していくばかりだ。
「今度、会社が一部合併することになった。加藤くん、君に出向社員の指導を頼みたい。」
「了解いたしました。」
昇進を果たし、順風満帆な日々を送っていたのだが、急に仕事が忙しくなった。
「よろしくお願いいたします。」
「よろしくお願いします。」
「お世話になります。」
いきなり、ずいぶん年上の部下ができた。
「ここは、こうではダメなのですか。」
「ここは、こうしたらいけないのかな。」
「ここは、こうした方がいいですね。」
俺に学びを与えてもらうためにここにきた、頭の悪い年寄りの扱いに戸惑う日々。
「すみません、ここはあなた方のいた会社ではないので。」
「すみません、ここはあなた方の意見を通す場所ではないので。」
「すみません、ここはあなた方の常識を取り入れる予定はないので。」
人の話を聞かない、聞けない、聞こうとしない老害どもに……苛立ちが増していく。
ストレスを解消しようにも、二連休をとる暇がない。
イライラする。
温厚で優しくて、穏やかの代表者として君臨している職場で、おかしな言動をするわけには、いかない。
休みの日に、日帰りでストレス解消に出かけるようになった。
イライラする。
温厚で優しくて、穏やかの代表者として君臨している職場で、おかしな表情を浮かべるわけには、いかない。
休みの日に、近場でストレス解消するようになった。
イライラする。
温厚で優しくて、穏やかの代表者として君臨している職場で、しかめっ面をさらす事が増えた。
客が俺を指差すようになった。
温厚で優しくて、穏やかの代表者として君臨していたはずなのに、いつしか恐れられるようになった。
イライラする。
上司から注意をうけるようになった。
温厚で優しくて、穏やかの代表者として君臨することが出来なくなった俺は、憎まれるようになった。
イライラする。
部下に当たり散らすようになった。
イライラする。
「あんた、ここの社員だったんだな。」
イライラする。
知らない若造が、俺を排除しようと躍起になっている。
イライラする。
「早期退職優遇制度があるんだが。」
イライラする。
会社から追い出されて、やることがなくなった。
ストレスの元はなくなったはずなのに。
イライラする。
イライラする。
イライラする。
近所のコンビニで怒鳴り散らす。
警察に怒鳴り散らす。
冷たい部屋のなかで怒鳴り散らす。
ベッドの上で怒鳴り散らす。
誰もいない部屋の中で怒鳴り散らす。
俺は、なんで、怒鳴り散らしてばかりいるんだ?
自分のことなのに、訳がわからなくて、不安を吹き飛ばすために怒鳴り散らす。
誰もが俺を見て、憎たらしい顔を向けやがる。
この場所には、俺を知っているクソどもしかいない。
……ああ、どこか、遠くに行きたい。
誰も、俺の事を知らない、穏やかな、町へ。
俺は、久しぶりに……遠くの町に行った。
「ご試食いかがですか?」
俺は、無言で、ひと切れのパンを受け取り…口に入れ……。
「なんだ!このマズイパ……ゴフッ、ンゴッ!げふ、げフッグブォっ……!」
「うっわ!きったねえなあ!なんだこのクソじじい!俺のジャージどうしてくれんだ、あぁん?!」
パサパサのパンが、干からびた俺ののどにひっかかり……盛大に噎せる。
入れ歯と共に、噛み砕けなかったパンのかけらが柄の悪い若者のズボンの裾に飛び散った。
激しく咳き込んだせいで、目がチカチカする。
目がまわり、バランスをくずした。
倒れ込んだら、目の前に、趣味の悪い汚れたサンダルと醜く爪の伸びた足の指が
どかっ!げしっ!
「キモいんだよ!どけっ!死ねよクソが!」
がっ!どっ!
誰一人知り合いのいない、全く思い入れのない、初めて訪れたこの土地で、俺は意識を失い。
二度と目を覚ますことは、なかった。