1話〜妖精と星の光〜
幼い頃から疑問だった。
どうして人は、生きるために『やらなきゃいけないこと』がこんなにも多いのだろう。
毎日毎日、面倒だった。
食事も、風呂も、排泄も、睡眠も。
極めつけは、それらを満足にするために働かないといけない。仕事をしないといけない。
全ての時間を、自分の自由に使いたかった。
望む時に食事をして、風呂に入り、眠る。
そんな存在でありたかった。
この世界には、そんな面倒なことをしなくても問題のない生き物がたくさんいるのに。
どうして人はこんなに不便で、どうして俺は人に生まれてきたのだろうか。
そんな事を常日頃考えていたからだろうか。俺は短くて長い一生の最期も、変わらなかった。
視界が、音が、熱が、鼓動が。
世界が緩やかに深い暗闇に呑まれていく中で、気まぐれに切実に願った。
ーーどうか、天国は自由でありますように。
そしてそんな今際の際の願いは、どうやら叶ってくれたらしい。
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緩やかに暗闇に呑まれたように、今度も緩やかに光に包まれていく。
覚醒していく意識の中で、声のような音が届いた。
ーーおめでとう。
ーーよろしくね。
ーー新しい家族。
ーー新しい兄弟。
ーー新たなぼくらの友。
ーー心から歓迎するよ。同胞の誕生を。
どうやら長い永い夢を見ていたようだ。
暗い暗い時の中で、光り輝く黒い子がいた。
興味のままに、その子を追って歩いた。
ずっとずっと暗い時を。
夢に思いを馳せる間も、賑やかな空気を感じて目を開ける。
深い緑に包まれた森が木漏れ日を浴びて、湖の水面はベールのように光り輝き、色とりどりの花々が朝露を纏っていた。
暖かい風が緑の香りを運ぶ中で、俺を囲っていたのは淡く光る身体に半透明の羽根を持つ、いわゆる妖精と呼ばれる者たちだった。
◆
死んだはずの俺が生きていた。果たして妖精が生きていると言えるのかどうかは、ひとまず置いとくとして。
どうやら妖精に生まれ変わったらしい俺は、特に戸惑うことも無く新しい生を満喫していた。なにせ、自由なのだ。ここが天国であると言われても、確実に信じる。
食べる必要もない、寝る必要もない。生きる上で『やらなきゃいけないこと』が一切存在していない。ただ、やろうと思えばなんでも出来る。食も睡眠も風呂も。
生まれ変わってどれだけ経ったか、おおよそ妖精という存在について理解した。
実体は持たず、気まぐれに飛びまわる。妖精達の話を聞くに、ただ好きな事をして生きている。イタズラでも人助けでも、好きな物の収集でも。実体を持たない妖精は物に触れる時、魔力を纏い擬似的に物質に干渉する。
小さな身体で出来ないことは大抵魔法でどうにかなるし、やろうと思えば好きな大きさで実体を生み出すことだって出来る。
他の妖精たちが魔法を使うのを見て、俺も色々と試してみた。結果、やろうと思い描いたことはほとんど出来る。逆に、思い描けないことは不発だったり、意図通りの発動をしない場合があることを学んだ。
その過程で、鏡らしき物を生み出して今の姿を確認してみた。
元々、自分が妖精であることは当然ながら分かっていたし、空も飛んでいるし。
ただ、作った鏡に俺は映らなかった。それでいて湖の水面には映ったから、この違いは後々調べていきたいなと思っている。
今のところ、森の外には知りたいことが大量にあるわけだが。
水面に映った俺は、白ベースの姿をしていた白髪には金が混ざっているようで、白金とでもいうべき色合いをしていたし、透明な羽根は他の妖精たちと同じく光の角度によって、七色の輝きを見せる。
ちゃんと色を含んでいても、白い印象が強いのは、全身が淡く発光しているからだろう。
ふと、自分が裸であることに気が付いて他の妖精の真似をするように、魔力で服を作ってみることにした。
白と薄緑をベースに金と黒の装飾を施し、所々に湖に映る空の色を落とし込む。
我ながら、妖精のイメージにも合うような神秘的な衣装が出来上がった気がする。
黒は夢で見たあの子の黒だが、思い付きで入れてみた割に全体を引き締めて、儚さだけではない気品みたいなものを感じる。
完璧な仕上がりを、妖精たちに自慢してみたら、コンテストさながらの服自慢が始まった。
その次の日、妖精たちから外の話を聞いてどうやら近くに街があるらしいと知り、行ってみることにした。
世界のどこにいても、この森には帰って来れる。そんな確信もあったし、事実妖精たちも『帰りたい』と願うだけで帰ってきているようだった。
話に聞く外の世界は、なんともファンタジーな世界らしく、見に行かない選択肢はなかった。
ふわふわと空を飛びながら、森から出る。
途中、妖精の羽根と同じ輝きを放つ光のベールを通過すると、そこから『外に出た』という明確な感覚がした。
空気が変わるような、神秘的で真絹のような風が、壮大で荒々しくも感じる大自然の風に変化した。
前世よりも『風』という感覚に敏感なのは、恐らく俺が妖精になったからなのだろう。
しばらく気の向くままに空を飛んでいると、街道のような跡を発見した。草木の生えていないその道に沿って北に進むと、目当ての街が見えてきた。
壁に囲まれたその街は、どうやらかなり賑わっているようだった。門の前には荷馬車が並び、行商や旅人らしき人々が列を作る。
試しに、最後尾に並ぶ商人らしき人の前を、飛び回ってみる。多分、見えていないだろうと思ってはいたが、やはり見えないようで商人は列の前の方に目を向け、まだかまだかと日の位置を確認していた。
見えないのはその人だけでなく、列に並ぶ全ての人が見えないようで、俺は門番をスルーして街に入ることにした。
街はかなり賑わっていて、それどころか祭りがあるらしく忙しなく人々が働いていた。
街の雰囲気を見るに、中世風ではあるが所々に魔法を見つけることが出来た。
入り組んだ路地の奥以外、特に不潔さを感じることもなく、どうやら見た目以上に文明は発展しているようだった。
ありがたい事に、俺はなんの問題もなく人々の会話を聞くことが出来た。いつも妖精たちが使う言葉とはまた別だったが。
『星祭り』が今夜開催されるらしく、それを目当てに冒険者や商人が集まっていると。
星祭りとは、一年に一度『星の欠片』が大量に降り注ぐ夜に行われる。
星の欠片を好む妖精たちが集い、人々は妖精たちに日頃の感謝と信仰を伝える。
ここまで大規模な祭り自体は大きな街でしか行われないが、なんてことない小さな村でも今夜は星に祈るそうだ。
気まぐれでイタズラだってする妖精を、ここまで称えているのを見ると不思議な気分になるが。
このファータム国では、建国自体に妖精が深く関わっているとされているらしい。
妖精がいなくなった土地には、生命が生まれなくなるという伝承もあるそうだ。
せっかくなので、見ていく事にした。
その夜、街の中央にある広場に何やらキラキラと光る小さな石のような物が集められた。
このために作られた祭壇に、高く積まれた光り輝く石。何やら妖精の森を思い出す光。
あれはなんだろうか、宝石の類か?それにしては特段珍しいものにも感じない。
どうにも不思議がっていると、祭壇へ捧げていた祈りが終わったようだ。
広場に集まった人々が、皆一様に空を見上げて何かを待っている。
10秒、20秒、30秒……。
広場を照らしていた魔法の光が、ゆっくりと夜の闇に消えていき、光源が祭壇に積まれた石の淡い光のみになった。
やがて、静粛に耐えきれなくなった街の子供たちが親の手を引こうとした時。
それは一斉に始まった。
空にきらめく無数の光。それはただそこにあるだけの星とは違う。
空がまわるように、星が巡るように。
前世では一度も生で見たことがないその光景は、流星群と呼ばれるものに似ていた。
光の帯を残して、無数の星が流れる。
宵闇の中、音もなく過ぎ去る星々は人々の目を奪うのに十分すぎるものだった。
そして一つまた一つと、光る石が浮き上がっていく。いつの間にか集まっていた無数の妖精たちが、楽しそうに嬉しそうにその石を抱えて飛んでいるのだ。
例え妖精の姿が、人々に見えなくても。光る石が浮かび上がる光景は、さぞ美しく神秘的に映るのだろう。
俺も、妖精たちの真似をして石をひとつ拾い上げてみる。これが、昼間聞いた妖精が好むのという『星の欠片』なのだろうか。
星の欠片を抱えて嬉しそうに飛び回っていた妖精たちは、またも嬉しそうにその欠片を食べ始めた。
手の中で光る石が、食べ物にはどうにも見えないのだが、美味しいのかこれは。
恐る恐る噛み付いてみると、石に見えるそれは綿菓子のように口の中で消えていった。
不思議な感覚に、また一口含んでみる。
確かに手に触れる感覚は石なのに、やはり口の中で消えていくのだ。
だが、ひとくち食べる度に身体が清らかな光で溢れるように、心地よい魔力を感じる。
どうやら『星の欠片』は、とても質のいい魔力を保有しているらしい。
味がする、とはまた違う不思議な美味しさがある。確かにこれは、妖精たちが好むのも頷けるなと、次の欠片を取りながら考えた。
空を流れる星が消える頃、山のように積まれていた星の欠片もひとつ残らず消えていた。
俺も、気が付けばかなり食べていた。
霞を食べるような感覚で、いくらでも食べれてしまう。ただ、食べ終わった後に満足感も十分あるから、良いおやつだと心底思った。
俺と同じように満足した妖精達は、どうやら妖精の森へ帰るようだ。
良いものも見れたし、おおよその世界の情報は昼間の探索で知れた。俺も帰るとしよう。
期待した以上の成果に、初の冒険を終えて森へ帰ってきた。やはりこの空気は落ち着く。
外へ出て知ったが、人々が言うには妖精たちが住まう森を『妖精王の森』と呼ぶらしい。
妖精王とは一体、どんな存在なのだろう。
それからは時折、森の外に出て外の常識や民の暮らしを学んでみたり、森の中で木の実を食べたり、木の葉で船を作って湖を揺蕩いながら気の済むまで寝てみたり。
自由気ままに妖精生活を堪能していた頃、なんでもない日常にあの子は突然現れた。