三 男の謎と女の謎
謎の女ナツミに雇われた俺は、その主と向かい合って座っている。満たされた腹が促していた眠気は吹き飛んだ。まぁそれでも、今はまだ様子見だ。
テーブルに置かれた懐中時計は、討伐者組合に卸したもの。それを討伐者のナツミが知っただけなら、どうということはない。
……そんな程度で、わざわざ俺を雇うはずがないことも理解している。
「俺は何の技ももたない素人だ。それは分かっているだろう」
「そんな素人が衣食住を与えられていると分かっている」
「炊きたてのメシで涙を流す程度の衣食住だと分かっただろう?」
「食事の作法も箸の使い方も身についていると分かったの」
…………。
責められているわけではないが、追い込まれている。目の前の女は、思った以上に俺を知っているようだ。
「川魚を捕る罠を作らせた」
「…………」
「藁に包んだ豆を腐らせて、それを食べた」
「…………誰も食べなかったぞ」
「貴方も気に入らなかったでしょう?」
「味は悪くなかったがな」
ウセンゲンに辿り着くまでに、放浪していた俺が関わった事案を、ナツミは漏らさずあげていく。まるでずっと後をつけていたかのように。
もちろん、それは秘密にしていたわけじゃない。秘密にするほどの価値もない。ただ思いついたことをやってみて、他人の知るところになった。そして何となく居づらくなって移って、その繰り返し。
これはどうやら、ごまかせる状況ではないようだ。
「ずいぶん物知りなんだな。お手上げだ。それで、だから何だというんだ」
「言いたいことは二つある」
「一つめは?」
ウセンゲンはわりと気に入っていたが、そろそろ潮時なのだろう。
ため息交じりに話をうながす。今日一日をどうにかして、次の行き先を考えよう。
「誰も思いつかないこと、いえ、この世界の技術では作れないものすら思いつく。貴方のその秘密を知りたい」
「仮にあんたの言う通りだとして、そんな秘密を他人に話すとは思えないだろう?」
「謎の女に話すことはない。でしょ?」
そうして、ナツミはフードを外し、顔に巻き付けた布を取り去った。
……………。
……………………え。
いや。
あの。
………やばい。笑顔はやめてくれ。
「もう一つ。私なら実現できる。どんな職人にも理解されないものを」
「…………」
目の前に現れたのは、若い女だった。いや、そんなことは分かっていた。分かっていたというか。その、あの、余りにびっくりして言葉が出ない。
美人だった。
世界がひっくり返るほどの、およそ人間なのか疑いたくなるほどの、とんでもない美人だった。
「い、い、言っていることが分からない」
「貴方が思いついた何かを、私に伝えたいと念じてほしい。口に出して説明出来ないものでもいい」
「はぁ?」
……何をどうすると言うのか。
目の前の女は不審者ではなくなったが、その代わりに笑顔で見つめられるとそれだけで倒されそうだ。そして、状況から考えて、俺の頭がどうなっているのかほぼ正解をつかんでいる。このまま逃げるのは難しい…か。
それならいっそ、言われるままにやって、失望でもしてもらうのが一番か。
うーん。
……………。
「伝わった」
「え?」
「つまり、これ」
「ええっ!?」
呼吸が止まるほどにびっくりする。
突然テーブルの上に出現した何か。それは炊飯器だ…と思う。
思うというのは、俺は使ったこともない器具だから。思い浮かんで、そして伝えようとしたけれど、しゃべっていないものが、なぜ?
「記憶を読む力があるの。自分に向けられたものに限られるけど」
「…………」
「そして、生み出す力も。ただし正確なのは見た目だけで、中身がどうなっているかは分からない」
「それは俺が理解していないからか」
「たぶん」
ナツミが用意してくれた茶をすすって、しばらく目を閉じて、また開く。あり得ない炊飯器の彼方に、相変わらず人間とは思えない女性が微笑んでいて、また動揺する。
…………。
だが。
ナツミが俺に注目して、俺を捕まえようとした理由は分かる。そして確かに、互いに組むに値することも。
それから改めて、互いについて確認しあった。
俺は生まれも育ちもこの国で、そこには何も隠すような秘密はない。強いて言うなら、両親の記憶がないけれど、その程度の話はよくあることだ。
ただしある時期から、他人とは違う秘密が一つ出来た。
それは、自分ではない誰かの記憶をもっていること。それも、明らかにこの世界とは違うどこかに生きている、見ず知らずの他人の記憶を。
「生まれ変わりということは?」
「ないな。それが他人だと理解している。そもそも、記憶の主が死んだのかも分からない」
「なぜ? その記憶の主は、貴方に話しかけてくるの?」
「いや。…俺が一方的に覗いているだけだ」
死んだのか分からないと言ってみたが、たぶん生きている。なぜなら、時々新しい記憶が増えているからだ。
記憶の主が生きる世界は、ここよりも進んだ社会らしい。さっき食べたメシのせいで取りだしてしまった炊飯器は、この国ではとても作り出せそうにない。だから伝えようとしても、見た目や使い方しか分からなかった。
逆に言えば、材質も構造も不明だという情報しか与えていないのに、ナツミは目の前の物体を創造した。
もしかして、俺が知る以上のことを、俺の頭から読み取ったのだろうか。
こちらにしてみれば、ナツミこそとんでもない能力者。そんな事実を突きつけられてしまったから、諦めて渋々自分の秘密を白状しているのだ。
「私が何者なのか、詳しいことはやがて機会がくれば話すわ」
「何の機会なんだ」
「それを今話すことはできない。とりあえず、記憶を読み取る力はさっき言った通り。それと、思い描いたものを実体化する。どれだけ実体化できるかは、対象を理解できたかによる」
「なるほど」
「なるほど、で済む力ではないと思うけど」
「仕方ないだろう。たった今目撃したんだ」
さらっと流せる力でないことは分かっている。
記憶を読み取られる範囲だって、今は彼女の自己申告でしかない。俺の頭のすべてを本当は覗いている可能性だってあるだろう。
そしてそれ以上に、何もないところに物を生む。これが当たり前なら、ゲンさんの仕事はなくなってしまう。
「無限に作れるのか?」
「作ったことはないわ」
……いつの間にか前のめりになっていることに気づき、慌てて座り直す。彼女の顔が近づいて、いろいろ慌てた。
関心はある。それを分かりやすく相手に示してしまった。
でも仕方ないだろう? 無茶苦茶な出来事が今起きているんだ。
「つまり、俺が向こうの記憶から知った何かをお前に伝えれば、実体化できる」
「だから貴方に提案する。私と組んで」
「それは即答できない」
「なぜ?」
少しずつ落ちつこうと努力する。
正直、目が合うと台無しなので、うつむいてテーブルの木目をなぞってみる。おお、縞々だなぁ…ってアホか俺は。
「この場で起きたことを、俺の頭が消化できていない。だから判断を下してはいけない気がする」
「慎重派なのね」
「穏やかに暮らしたいからな」
「それは無理」
「なぜ断言する」
「冷静になって、今日の出来事を消化すれば他に選択肢はないのよ」
平穏な日々を頭ごなしに否定されて、思わずため息をつく。
確かにそうなんだろう。
そもそも今まで関わってきた人たちに、別人の記憶をもっていると教えたことはない。それでも居づらくなった。
今度は秘密の漏洩度合いが深刻で、しかも相手は討伐者だ。それこそ、口封じが必要になるだろうが、生憎俺は平和主義者だし、目の前の女性に手を出せるとも思えない。
「一つだけ聞きたい。あんたは金儲けをしたいのか?」
「いいえ」
「じゃあ何の意味が」
「私は討伐者。そのために必要?」
「………疑問形にしないでくれ」
ため息をつく。
誰かと組んでいる形跡もないナツミが討伐者組合にいたこと。確かに、あそこにいたのだからそういう職業なのだろうと想像はつくが、女一人で何を討伐できるのかと思っていたのは事実。
しかし、この力を見せられれば認識は変わる。
相手の記憶を読み取るだけでも、大きな戦力だ。まして記憶を実体化できる能力があれば、その場で武器を作り出せる。
………やはり危険だ。
俺をうまく言いくるめて、危険な武器を作ろうとしているのではないか。
「信用できるかどうか、自分の目で見てほしい」
「……俺の心を読んだのか?」
「顔に出てる」
「………なるほど」
警戒しすぎか? いや、この場合はそれぐらいでちょうどいいだろう。俺の秘密をばらしてしまった相手なんだ。
というか、これはあれか。ナツミから離れるとまずいのか。たかがメシ一回で、俺はとんでもない弱みを握られたのでは……。
「そろそろこう考えるんじゃない? 信用できなくとも、私と組んでみるべきだって」
「大した洞察力だ」
「貴方の思考が分かりやすすぎるだけ」
「ちぇ。そこまで分かったなら、その先を誘導してくれ。あんたは俺の立場を知っているだろうが、俺はあんたを知らない」
向こうが思い描いたように、罠にはまって追い詰められているだけなのかも知れない。と言っても、死ぬよりマシな程度の今と比べれば、どんな罠にはまろうが問題はないのだ。
で、誘導しろとお願いしたら、明日の予定を告げられた。
討伐者組合で朝に集合。たったそれだけ約束して、俺は解放された。
いや違う。
残ったメシを包んだものを持たされて、解放された。
見事に餌付けされてるじゃないか。駆け引きもなにもあったもんじゃない。