十五 ナツミの悪巧み(何回目?)
王宮で王女様と面会するというあり得ない一日。ようやく自宅――ではない――に戻り、今はいつものテーブルを囲んで、二人向き合って座っている。
討伐者の衣装を脱いで普段着になった彼女は、髪型に朝の面影を留めているけれど、概ねただの魔女神様。人を殺しそうな凶悪な笑顔をこちらに向けるので、仕方なくうつむき加減に茶をすする。
ほっとするひととき?
何でしょうか。嫌な予感しかない。
「では、今日も作りましょう」
「…………何を?」
「レイゾウコというものよ」
「はぁ…」
聞いたことがないんだが、たぶん俺の中の誰かの記憶関係だよな? いや、俺が聞いたことのないものをナツミが知ってるっておかしいよな?
呆れて確認すると、これも風呂と同じく炊飯器の記憶についていたらしい。
「彼は炊飯器を使った後に、レイゾウコを使ったわ。それから風呂に入って、またレイゾウコを使った」
「なぜそこまで細かく覚えていられるんだよ? 当事者が忘れ去ったどころか初耳だって言うのに」
「レイゾウコはたぶん冷蔵庫。物を冷やす装置のはず」
「お前って人の話は聞かない主義だよな」
ナツミには超人的な記憶力も備わっていたのかと呆れたが、必ずしもそうではなかった。
いや、彼女の記憶力は超人的と言っても過言ではない。ただし、レイゾウコの記憶を取り出せたのは、そもそも俺が思い浮べた記憶が一瞬で消えるわけではなく、継続的に読み取れたせいだったという。
要するに、同じ映像を何度も繰り返し見るようなものだから、細かい部分も読み取れる。おかげで、見知らぬどこかの人の行動が詳細に明らかにされた。
「どこかから帰って、好きなもの食べて風呂に入って、また好きなもの食べて寝てるの」
「どことなく非難するような口調だが、別にいいだろ? 好きなことができるから好きにしてるだけで」
「カズヤはその人を大切にしてるのね」
「その人を一人の人間と思ったことはない」
自堕落な時間がおくれるだけ、どこかで頑張っているんだろう? 知らないけど。
そもそも、勝手に記憶を抜き取っている俺たちが、はっきり悪質なのだ。向こうは単なる被害者。いや、自分も勝手に記憶を与えられている被害者で、明確な加害者はナツミだけか。
「なんで俺はこんなことになったんだろう」
「その疑問はじっくり考えていくことにして、まずは冷蔵庫の記憶を」
「じっくり考えるのはお前じゃなくて俺だよな?」
「誰が考えてもいいのよ。私が暇な時に考えても」
結局、無駄なやり取りで疲労するだけと悟った。さっさと部屋に籠って眠りたいので記憶を探すことにした。
そして、何とびっくり。風呂を超える無数の記憶。冷蔵庫はものすごく身近なもののようだ。急いで探し方を変える。
風呂の時みたいに、たらたらイヤミ放題はもう結構だ。できる男はあっという間に必要な記憶を探してしまうのだった。
「嘘でまとめないで」
「すまん。あ、謝る必要あったか?」
「困った時はまず謝れと、ヨシさんも言ってた」
「誰だよヨシさん」
捜索は難航を極めた。
開けて中身を取りだして閉めるという記憶は無数にあるが、それ以上が見つからない。つまりそれは、記憶の男は冷蔵庫の全体に関心がなく、物を収納する場所として使っているだけということだ。
それから一時間近くも、いろいろ探してみた。
やがて、逆立ちしてみたらひらめいた。
「自分で作るわけじゃなさそうだし、買った記憶を探したら?」
「そ、それ。今俺がひらめいた」
「ひらめく前に普通は思いつくものでしょう? 貴方は想像力が足りないわ」
ちぇ。俺は褒められて伸びる男なんだよ。
ともかく方向性は見えたので、改めて探してみると、だいぶ古い記憶が見つかった。
というか、五年前にどこかの店に行った記憶らしい。五年前に一度行っただけの店の記憶なんて、ないに等しいと思うけど…。
「ほい!」
「な、な、何で出来るんだよ!」
「そういう力だから」
部屋の隅に、いきなり大きな箱みたいなものが出現した。白い。それ以上は何が何だか。
すぐにナツミが立ち上がって、それを確認し始める。
白い壁のようなものの正面は、扉になっていた。開けてみると、物置? 他は引き出しになっていて、やはり物が入るようだ。もちろん中は空だった。
「戸棚?」
「このままならそうね。でもほら、やっぱりあれが必要」
「また電気なのか」
本当にあれだな、何をするにも電気なんだな。まぁ逆に言えば、俺たちの側と向こうの違いが電気の有無だから、そういうものばかり気になるのだろうが。
とりあえず、食べ物を入れるという前提らしいので、まずは炊事場に移動させる。
びっくりするほど重いけど、二人で持てばどうにかなった。俺は何だかんだと身体だけは丈夫だし、ナツミはそれ以上だからな。
「後はよろしく。俺にはもう仕事ないだろ?」
「ありがとう。貴方の仕事はあるけどまずは動かしてみる」
毎度のことながら理由が分からないが、ナツミが電気を作ったことで、冷蔵庫は動き出した。
思ったより大きなうなり声のような音がする。そして…。
「それでは御開帳の儀にはいります。カズヤ、伴奏」
「できるか!」
さっきも開けた扉を再び開いてみると、おお、明るい?
「これも電気と呼ぶそうよ。もちろん知ってるでしょ?」
「まぁ」
照明自体は、既に風呂を作った時に体験した。ランプより圧倒的に明るい上に臭いもしないという優れもの。
ただし、物を動かすのも電気、それを使った明かりも電気。向こうでそう呼んでいるのだからしょうがないが、ややこしい。
ともかく、さっきも開けた扉の内部は明るく照らされた。
「では入れましょう。カズヤが無駄に時間を食ったせいで、肉や魚が腐ってしまいそう」
「最初からそのつもりなら、先に言ってくれれば良かっただろ? 思い出すだけなら、歩いてたって出来る」
「荷物を落とされたら困ると思わない? 貴方は自分を過信しすぎ」
勝手なことを言いながら、手際よく中に押し込んでいくナツミ。
開いたままの扉の奥からは、いつの間にか冷たい風のようなものが流れてきた。どうやら冷蔵庫というものは、本当に電気で物を冷やせるようだ。
「すごい世界なんだな、向こうは」
「すごい世界。だからもう一つ頑張ってもらう」
「ぁああっ!?」
冷蔵庫騒動が一段落して、優雅に茶をすすって終わりと思ったら、さらに悪魔の微笑みが迫ってきた。
何だろう。魔女神様は魔女悪徳商人に変わった気がする。売り物にはしないと言っているけど。
「後学のために聞いてみるが、何を作らせようと企んでいるんだ」
「今すぐ貴方に役立つ知識。トイレ。糞尿を美しく流す部屋」
「…………」
悪徳商人どころか魔女クソガキだった。笑顔で糞尿とか言うな。
風呂と冷蔵庫の記憶には、ノイズのようにトイレと呼ばれる便所のそれが混じっているらしい。悲しいことに、探してみれば確かにその記憶は無数にある。そりゃまぁ、排泄行為は生き物に共通しているからな。
というか、向こうとこっちの人間は、生物としては同じように日々を暮らしているのだろう。
「なるほど。トイレというのは、カズヤが下の穴からひねり落としたものを水でどこかへ流す装置。確かに水で流せばきれいになる」
「無駄に具体的な部分は、せめて口に出さないでほしい」
「なぜ? 今だってあそこには貴方と私が抱き合うように…」
「悪魔女と呼ばせてもらう」
あえて説明したくもないが、ナツミが指差した先は便所である。
風呂が増設されたせいでいびつになった家の裏口から、いったん外に出て徒歩数秒の距離に専用の小屋があり、そこで下に掘られた穴に落とす。穴には壺が埋めてあり、そこにボットンと溜まったあれは、農家が掬って肥料に使う。構造としてはこの国の当たり前で、共同便所でないだけ高級だ。まぁ周囲に人家はないのだから、共同便所があるわけないけど。
一通り汚物について主張した彼女は、ついでに俺の頭から記憶を読み取っていたらしい。あ、どっちがついでなのかは諸説あるが、どうでもいい。
次の瞬間には、廊下を挟んで風呂の反対側に家が伸びて、汚物の小屋を覆い隠した。床がぐにゃりとする光景は、二度目の体験でも気分が悪くなる。数秒後には新しい扉が現れて完成したらしい。
最早掛け声もなく、気がつくと家の形が変わる。冗談にも程がある。
「これは陶器だわ。それで…、ボタンがついてるけど、何?」
「使い方は頭に入ってるんだろ? さっさと己の糞尿で試せばいい」
「か弱い女の子に、そんなはしたない真似を強要するなんて」
女の子と呼ぶような年齢じゃないだろ。
(か弱い)
(そこは最初から聞き流した)
無駄話はさておき、部屋はだいたい外の便所小屋と同じぐらいの広さで、中に白い奇妙な形の陶器が置かれている。蓋がついていて、開けてみると下に水が溜まった漏斗状。ナツミが言うには、座って排便して、水で流すらしい。
他の設備は、蛇口と小さな手洗い場、そして天井に明かりがついている。
「もう使えるのか?」
「情報が足りない。このままだと流す先がないから。…もっと頑張るのよカズヤ」
「頑張ったら出るって言いたいのか?」
「男の人って、どうしてそんな下品な発想ばかりするのかしら。王女様も悲しまれるわ」
「お前が言うな」
この便所――トイレ――は、下に糞尿を貯める穴がなく、どこか別の場所へ管を通して流すものらしい。しかし、ナツミが作ったものは管が途切れている。
その先の記憶か…。
残念ながら、冷蔵庫と同じで簡単には見つからない。トイレを買った記憶というのも見当たらない。自分で買ったわけじゃないのかも知れない。
どうせ使えるなら使いたいんだが、困った。
「ゲスイって何?」
「ゲスイ?」
「時々、トイレの記憶に混じってる」
………。言いたいことはあるが、正直言ってさっさと用を足したくなってきたので、彼女の指示に従って探してみると、下水の目的は分かった。
つまり、流したものを運んで、どこかで集めて処理する。確かにそうすれば、汚物を貯めておく必要はない。よく出来た方法だが。
「さすがにそれは作れないだろ。諦めるか?」
「ふふふ、カズヤ君。諦めたらそこで終了ですよ」
「誰の真似だ」
そこから、下水処理に関する記憶を探す羽目に。と言っても、そんな記憶はほとんどなかった。要するに、記憶の主はそういう仕事はしていないし、トイレで用を足すだけの人間には知る必要もない情報だ。
どうにか見つかったのは、どうやら学校で学んだ記憶らしい。
「彼はずいぶん長い間、学校に通っていたの」
「貴族だったのか」
「どうかしら」
学校の記憶にも、再現できるほどの情報はなかったが、簡単な仕組みは分かったらしい。
俺の頭の中の情報だけど、自分は探すだけで、読解はナツミ任せ。何だろう、最初から二人組で利用する想定だったのだろうか。そもそも、誰の悪意でこんな目に遭わされたのかも分からないけど。
結局、今日の段階では、下水処理を再現することは不可能という結論になった。
で、代わりに裏庭の外れの方に大きな穴を作り、管をそこまで通した。彼女が言うには、処理方法を知るまで数日だけ利用する予定らしい。
そんな状況なら、今までの便所小屋を使えばいいだろうと思ったが。
「二度とそんな台詞は吐けなくなるの」
「何でお前が自慢するんだよ」
先に扉を閉めてナツミが試用すると、勝ち誇った顔でほざくのだった。
なお、言うまでもないが彼女の試用の際に、俺は遠くに離れていたぜ。音なんて聞こえたら、こっちが緊張して逃げ出したくなる。
「ここに座って、出し終わったら手前のボタンを押す。止めたい時は奥のボタン。最後に壁の大きなボタン。さぁ頑張れカズヤ!」
「応援ありがとう。そしてさようなら」
「えっ?」
「えっ、じゃねえ!」
親切に使用方法を教えてくれるのはいいが、そのまま扉を開けて見物しようとしたので追い出した。どこに他人の排便を覗く女がいるんだ。
…………。
き、緊張する。
(大丈夫、誰だって最初は緊張するの)
(話しかけるな)
いい加減にしてくれよ…と思っていたらもよおした。あう。
………。
…………。
で、手前のボタンを。
……ぉう?
ボタンを押すと、何か音がして、次の瞬間に下から水が噴き出してくる。な、何だこれ?
(教えてあげようか)
(いや、もう分かった。そして何度でも言う。話しかけるな)
奥のボタンを押すと水が止まる。なるほど、これで洗うわけか。なんて贅沢な便所なんだ。
壁のボタンを押すと、さっきとは別の場所から勢いよく水が流れ、糞尿を押し流した。後には何も残っていない。すごいな。確かに、これを知ったら今までの便所には戻れないかも。
数日後、この世界で初のトイレは本格稼働を始めた。
ナツミの執念と、つき合わされた俺の涙ぐましい努力によって、浄化槽というものの記憶に辿り着く。つまり、どこかに大規模な処理設備を作るのではなく、簡易な設備を自宅地下に設ける。これなら実現可能だった。
向こうの世界でも、これは下水が作られるまでの過渡的なもののようで、そんなものと全く縁のない記憶の主から、よくも生み出せたと思う。
要するに、これが記憶の主を利用する限界だ。一人の人間の記憶は、その人物が関わった範囲しか映し出さないのだから。
……というか、結果的に記憶の主が一人の人間なのだという事実を、俺たちは知ったことになる。少なくとも自分は、ただ知らない世界の記憶があるとしか考えていなかったのに。
(などと便座に座ったままの男はわけの分からないことを申しており)
(うるさいな。放尿の音でも聞きたいのか)
(隙あらば下品な話ばかり。困ったカズヤ)
…………。
個室の素晴らしさを知った我々。用便しながら思索にふけるなんて贅沢。向こう側はとんでもない世界だなー。もう茶々入れるなよナツミ。
※ブックマークありがとうございます。現在の流行にほとんどかすっていない設定で、読者を増やすのも大変です。ぶっちゃけ、異世界転移タグがないだけでも結構な差があるようで。
ただ、転移も追放も不遇職も役立たずも、正直言って辟易しています。出オチのタイトルもみっともなくて嫌だし、なろうで書く必要もない気がしますねぇ。
あ、糞尿ネタは鉄板です。一応、本作は当面アダルトな方面の描写はしない予定です。




