十 帰るべき家
魔物討伐を終わらせて、ウセンゲンに戻った日。
ノージョと別れたナツミと俺は、組合近くの食堂に入った。
「好きに食べなさい」
「さっ引かれるんだろ」
久々にまともなメシ…と言っても、今までまともなメシなんて食ってなかった俺は、何を頼んでいいのか分からず。ナツミが頼んだものと同じヤツを二つくれと、頭の悪い注文をした。
そうして現れた肉入りの麺。あっという間に食べ終えてしまい、まだ満たされない俺は三つ目を注文。一応ナツミの顔色を窺って、やめろと言う感じじゃないので暴食を遂行した。
ああ満足…。
「貴方の贅沢は安上がり」
「へいへい」
今さらバカにされても腹も立たない。立つんじゃなくて満たされたからな。
その後、討伐者組合の事務所に戻ると、ちょうどネマリガの売却中だった。
近くにはガクラたちもいた。ついさっき戻って来たらしい。
「姐さん、この節は世話になりやした」
「おいガクラ、姐さんって呼ぶなって言われただろ」
「ああ、これは失礼しやした。お嬢様!」
「…嫌がらせかよ」
ナツミは終始ガクラたちを無視していたが、特に機嫌が悪いわけではなさそうだ。全く表情は見えないけど、だんだん想像つくようになってきた。
それよりも問題なのは、ガクラの仲間たちもナツミを崇拝し始めていることだろう。魔物退治で彼女がどのように活躍したのかは知らないはずなのに、ガクラに勝っただけでこの状況。先が思いやられる。
ネマリガ下半身の胴体は、町の薬師の組合が買い取った。普段はそういう買い方はしないらしいが、あまりに高額なために代表で買い取って、内部で分配するという。
気味の悪い脚二本も、それぞれ買い手がついた。片方は誰かの代理人、もう片方も身分は明かせないそうな。
「身分が明かせないってことは、高貴な身分ってことか。…トシさんは何かご存じですか?」
「いや、全く分からないなぁ。あれが売りに出たのは初めてだから、もしかして壁飾りにでもするか?」
「まさか…、あの足の指をですか?」
見守っていた職員のトシさんも首を傾げていたが、いろいろ分からないまま、ガクラたちが持ち込んだ上半身や、タケ何とかも含めてすべて引き取られた。
「君たちには、もう少し丁寧な扱いをお願いする」
「いや、頑張ったんだよ! 硬くてああするしかなかったんだ」
職員に小言を言われたガクラたちは、必死に言い訳していた。実際、小言を言われるのも仕方ないほどに上半身はボロボロで、原形を保っていない。タケ何とかよりは高めの値段がついたが、もう少しきれいな状態で運べなかったのかと思う。いや、思いたくなる。
……仕方なかったのだと、本当は分かっている。
ナツミやノージョのように、ネマリガを一刀で切り裂くのが異常なのだから。
その後、職員に呼ばれた俺たちは、改めて討伐の礼を言われ、報酬と売却益を受け取った。一度ナツミが全額を確認し、ノージョの受け取り分は職員に預けたようだ。
そうして入口付近まで歩いたナツミは、近くにいたガクラに小袋を一つ投げた。
「世話になった。うまいものでも食べろ」
「あ、姐さ…じゃないお嬢さん、ありがとうごぜえやす!」
もう姐さんでいいんじゃないのか。苦笑いしながら外に出た。
討伐の仕事が終わったところで、ふと気づく。
俺には帰る先がない。
鍛冶職人のゲンさんのところを引き払って、安宿に一泊して、二泊は旅をしていた。そうして戻って来たものの、今晩からの行き先はない。
幸い、金はある。討伐報酬は相当なものだ。もちろん、二人と俺が同じだけもらえるわけはないが、安宿に泊まるぐらいは問題ないだろう。
ということで、報酬を受け取って別れるという話だったが。
「貴方の行き先はこっち」
「………」
ナツミはそのまま俺を引き連れて歩き出す。
歩く経路には憶えがある。川沿いから橋を渡って十字路…。
「ようやく着いた。お疲れ」
「あ、ああお疲れ様」
何のことはない、ナツミの家に着いた。
いやまぁ、ナツミが自分の家に帰るのは当たり前だ。
「それで報酬なんだが…」
「まずは中に入って。貴方の着替えもある」
……そう言えば、古着屋で買った服はここにあるんだったな。そもそも俺が買ったわけじゃなかったから忘れていた。
仕方なく中に入り、言われるままに奥の水路で水浴びして着替えた。幸い、ナツミは顔を出さなかったので、水浴び自体は平穏に終わった。
「それで…」
「こちらに来て」
そこに現れたナツミを見て、一瞬足が止まる。
俺が着替えている間に、彼女も着替えた。それだけのことだったが、そこにいたのは討伐者ではなく普通の衣装を着た若い女だった。もちろんフードも白布もない。
……………。
本当に惚れてしまった相手は、見つめることすらできない。山の上でノージョがバカみたいに熱く語っていたことを思い出す。
惚れた…とは言わない。
だけど目の前にいる相手が、冗談が過ぎるほどに俺が望むままの姿だった。それだけだ。
「な、なかなか良く出来た階段だ」
「貴方は大工もやってるの?」
苦し紛れに適当な会話をつなぎながら、案内されたのは二階だった。
他人の家を覗く気まずさを感じながら階段を上ると、扉が三つほど見える。
ナツミはその一つを開けて、中に入るよううながす。そこは…、この間の安宿より広く、ベッドが一つ備えつけてあった。
「ここは?」
「貴方の部屋」
「はぁ!!?」
びっくりするほど大きな声が出た。
いや、何言ってんだナツミは。
「何か驚くようなことだった?」
「いや、驚かないわけないだろ!?」
「今さら。貴方に他の選択肢はない」
「え……」
急に深刻な表情を見せるナツミ。
……………なるほど。
魔物討伐隊の一人であると知られている俺は、当然金を持っているはず。顔も割れているから、宿に泊まれば間違いなく襲われることになる…と。
「今だって、近くに数人潜んでる」
「えっ!?」
「自分で身を守れるノージョはともかく、貴方は私が預るしかないの」
「…………」
何だかとても情けなくなってくるが、ナツミの言い分に何も反論はできない。
いや、そもそも現時点での自分は報酬を受け取っていないのだから、今までと同じ文無しだ。しかし、それを強盗に向かって主張したところで、向こうに聞く耳はないだろう。
はぁ……。
「得体の知れない男を泊めていいのか? 俺が襲われようとナツミの責任じゃない」
「貴方の得体は知っている。それに私は貴方と組みたい」
「……………」
完全にお手上げだ。
まぁ俺だって死にたくはないからな。ただ…。
「この家に侵入されることだってあるだろ?」
「入ろうとすればあれで縛られて終わり」
「あ、あれ…か」
あの糸のやつか。
「あれは…、離れたところでも出せるのか」
「気づいてた?」
「当たり前だ。ノージョだって知ってただろ」
「たぶん」
糸はナツミが念じれば、出したい場所に出せる。その距離は無限ではないが、目に見える程度の範囲なら出せるし、罠のように使うこともできるという。
「私の秘密」
「それを俺とノージョに明かしたのか」
「ノージョは私に似た存在だから。力の種類は全く違うけれど」
「え? あいつも特別な力を使ってたのか?」
そんな途方もない事実を、一緒に組んで仕事をしてから教えられるのもどうかと思う。抗議をしようにも、彼女はさっさと階段を降りてしまったが。
仕方がないので一階に降りて、椅子に座って茶を飲むことになった。
ほっと一息つき、落ちついてくると、今度は正面に美女…、それとも天使か女神がいることを意識して、カップを持つ手が震える。
なお、コートを羽織っていた時は目立たなかったが、顔もすごいけど胸もすごい。彼女が何かをするたびに大きく揺れて、ますます俺の意識は混乱する。
「ノージョが特殊…とは言わない。ただし、いくら鍛えてもあの力には届かない」
「…………」
「要するに、三人が三人とも普通じゃなかった。だから明かしただけ」
特殊じゃないけど特別。何だか意味が分からないが、ナツミは次のように区別しているようだ。
ノージョのあり得ない身体能力は、あくまで人間の能力が常識外れにまで強化されたもの。対してナツミや俺の能力は、そもそも人間の能力ではない。
努力してもなれないんだから、ノージョの力も結局は人間の能力ではないと思うが。
「こういう…、あり得ない力をもつ人間は多いんだろうか」
「なぜそう思うの?」
「そりゃ…、こんな一つの町に三人もいれば、そう思うだろう」
ウセンゲンはこの辺りの国の中では特に小さいわけではないが、近隣には他にも似たような規模の国がいくらでもあって、数え切れないほどの人間がいる。それらをすべて探せば、友だち百人できそうな気がする。
しかし、彼女の反応は予想と違っていた。
「私の予想では、三人だけだと思う」
「どうして? 無茶な想定じゃないか」
「そうでもない」
そこで彼女はにっこり笑って小首を傾げた。
あぅ…。
よく見せるあのポーズの時、こんな……とんでもなく可愛い笑顔だったのか。
「私たちは互いに出会わなければならない理由があった。そう考えてる」
「むむ…」
「例えば、貴方と同じ力をもつ者が方々にいれば、世の中に未知の技術が溢れる」
「それはまぁ…、そうか」
何度も混乱して意識が飛びそうになるのを抑えながら、どうにか会話に復帰する。
俺と同じように他人の記憶が巣食っているヤツがいる可能性は、俺自身もあまり想定していない。
ただ、未知の技術を知るのは、記憶の主が、ここよりも文明レベルが上の世界にいるからだ。この世界と同等かそれ以下の記憶なら、持っていても大きな影響を与えないはず。
「名のある魔物を一方的に倒せる者も、いれば必ず伝わってくる」
「…そっちはやや根拠が薄くないか?」
「少なくとも組合には各地の情報が送られている。ノージョには各国から引き抜きの話が殺到している」
「なるほど…」
討伐者組合では、あくまで規定通りのランクを与えるだけ。なのでノージョと同じAランクはいくらでもいるが、その実力はとても比較できるものではないらしい。
…というか。
「ナツミもAランクだろ?」
「なぜそう思うの?」
「ノージョに勝てるじゃないか」
「断言するの?」
「断言するさ」
「…………」
一応、他人にランクを尋ねるのは御法度らしい。いや、目の前の女に思いっきり尋ねられたけどな俺。
で、ナツミは当然Aランク。ただし認定の経緯が複雑らしく、秘密にしているという。ノージョはそれでも知る術があったわけだ。
「ノージョもいろいろあった。Aランクになる人は、だいたい口に出せない仕事もしてる」
「まさか、あ、暗殺とか?」
「そういうのは討伐者の仕事だったの?」
「いや、その、……申し訳ない」
失言したのはこちらだが、頼むから首を傾げないでほしい。いちいち理性が飛びかける。
王侯貴族の問題解決など、表沙汰にしたくない依頼はいくらでもある。越境依頼もそうで、別に犯罪に手を染めたから隠したいわけではない、と。
申し訳ないともう一度頭を下げた。
まぁ今、現在進行形で暗殺者に狙われているから、どうしても気になってしまう。
「それで元の話に戻るけど、ナツミは?」
「…………」
「お前と同じ力を誰かが持っているとは思えないな」
「なぜ私の話の時だけ断言するの?」
俺とノージョが、世界唯一の可能性が高い理由は示された。
それなら、残る一人の証明は簡単だな。
「決まっている。お前が俺に見せた力、それだけで国を奪える」
「過分な評価。奪ったところで経営できない」
そりゃ経営はできないだろう。しかし奪うだけなら確実にできる。
強盗が入ろうとすれば自動的に捕まる罠。それだけでナツミはどんな警備も無効化できる。その上に、ノージョと対等以上に戦える力があるんだから、手足を拘束された警備兵や護衛など役に立たないはずだ。
そしてそれだけのことを、彼女なら、ちょっと屋台で飯を食うぐらいの気軽さでできてしまう。もしも複数存在したら、世界は大混乱に陥っているだろう。
「私のような者を、なんて言うの?」
「え……、あぁ、そういう」
諦めたような表情で、ナツミはうながした。
そんな呼び名のために、余所者の記憶が必要なわけはない。が、この世界にナツミと同じ力がないのだから、適切な呼び名はない。
「……そもそも、お前のような力は向こうにも存在しない。そう記憶にある」
「そう」
「その上で、空想上の存在も含めて探すなら…」
できるだけ触らないようにしていた記憶の領域。というか、別世界の空想なんて知る必要もなかった。
「魔女、だ」
「じゃあ今日から魔女と名乗るわ」
「名乗ったらまずいんだろ」
「貴方の前でだけ。何か問題ある?」
「いや…」
俺の前でだけなら、なおさら必要ないと思う。今すぐひれ伏したいほどの笑顔に、何も言えなくなってしまうけれど。
ここは間をとって姐さん…とはならないだろうか。
「また失礼なことを考えているの」
「だから他人の記憶を…」
「頑張って、記憶を読みたくなるような人になって」
……………完敗だった。
こうして俺は、魔女に飼われるダメ男としての一歩を踏み出した。報酬の分配について、何の話もなかったことも、あえて触れておこう。
※とりあえず序章はここまで。と言っても十一は翌日の話で、今のところ明確な区切りはないけど。
次の魔物は我ながらバカじゃないかと言いたくなる相手。ただし、その前にお出掛けで、四人目の主要人物登場です(五人目も)。




