[No.97] ふっかつの埋葬
その日、《サムロストロ町》に暮らすエドガーさん(37)は、町を訪れていた宝石商から〝紅玉の指輪〟を購入した。
結婚記念日を間近にひかえており、愛妻・ヒルダさん(36)への贈り物を何にしようかと悩んでいたとき、ちょうど目についたのがその指輪だった。
はじめは、光り物好きで赤色好きな妻が好みそうなものがあると思って、参考までに見させてもらっただけだった。上質な輝きをふんだんに放っていたため、少ない予算では到底手が届きそうになかったのだ。しかし、付けられてある値札はびっくりするほど安かったのである。桁が一つ二つ足りてないのでは?、と確認するが、間違いではない、とのことだったので、値下げ交渉なしの表示値で迷わず入手したのだ。
この〝紅玉の指輪〟が結婚記念日を悪夢へ変えることになるとも知らずに……。
○
結婚記念日、当日――
妻ヒルダさんの反応は上々だった。贈られた紅玉の指輪をつまみ、瞳を爛々と輝かせて「すばらしいわ!」と幸せそうにうっとりする彼女の様子を見て、エドガーさんも、これを選んでよかった、と幸せな気持ちになった。
ヒルダさんが指にリングを通すと、そのサイズはぴったりで。
まさに彼女の指に嵌まるために生み出されていたようだと思った。
その直後、事は起ってしまった。
紅玉の指輪を差し入れた途端、ヒルダさんが卒倒したのだ。あたかも操り人形の糸を断ち切ったようだった。全身から一気に力が抜け、床に崩れ落ちたのである。血相を欠いたエドガーさんが駆け寄ると、倒れている妻の表情は幸せな笑みを浮かべたままになっていた。「おい、どうしたんだ!?」と声をかけて体を揺さぶってみるが、反応がない。細められた目は瞬きすらしないのだ。まさかと思って彼女の胸に耳を当ててみると、
「……心臓が止まってる」
いきなりの事態に激しく混乱するが、考えている場合ではなかった。すぐに心肺蘇生と人工呼吸を試みる。しかし汗だくになっても、ヒルダさんはいっこうに息を吹き返さない。もう自分ではどうしようもないと思い、エドガーさんは家から飛び出した。
そうして大慌てで町医者を連れ帰って来ても、ヒルダさんは笑みを浮かべて床に倒れたままで。医者が対応にあたってみても、鼓動は再開しなかった。エドガーさんの要望で蘇生術は小一時間つづけられたが、医者は最終的に首を横に振った。脈拍と瞳孔を確認後、開けられていた瞼が、そっと下ろされ、
「ご臨終です」
そう死亡宣告を受けるに至ってしまったのである。
○
事切れてしまったヒルダさんをベッドに寝かせ、エドガーさんはその脇でひたすら嘆き悲しんだ。悲しむと同時に納得がいかなかった。妻は持病もなにも無い健康そのものだったのである。突然死にも突然すぎる。心筋梗塞だろうという医者の見立ても信じられない。でも、納得はいかないが、呼吸は実際停止してしまっているのだ。
「いったい何のせいだっていうんだ……」
ふと、指に嵌ったままになっている紅玉の指輪が目に留まった。
思い返せば、妻が倒れたのは、その指輪を指に差し込んだ直後である。
「まさか……あの指輪のせいで?」
指輪になんらかの魔力が封じられていて、それが妻に障ってしまったのではないか、とエドガーさんは思った。値段が安かったのは、こういうことだったからなのではないか。売り物が魔道具や呪いのかかった物であるならば、購入者にはその効力の説明がなければならない。しかし宝石商からの説明は一切なかった。それは、たちの悪い呪物を、早く手放してしまいたい一心だったからなのかもしれない。
エドガーさんは妻から指輪を外そうとした。……だが、抜けない。どれだけ力を加えて引き抜こうとしても、きつく嵌っているわけでもないのに、指輪は皮膚に貼りついたようになってぴくりとも動かず、回転させることすらかなわないのだ。そして地肌にふれたことで、あることに気づく。
「……まだ温かい」
死亡宣告を受けて数時間は経過していた。心臓も止まっている。しかし、ヒルダさんの体にはぬくもりがあるのだ。微かではなく、たしかな温かみを感じる。唇は薄桃色から変わることなく、肌の血色だって失われていない。指関節はすんなりと曲がり、肘や膝も同様に曲がった。硬直がいっさい確認できない。死臭すら漂ってこず、ただ眠っているような状態なのである。
「死んじゃいないんだ。指輪の呪いのせいだ。呪いのせいで、死んだようになっているだけで、妻は生きている!」
○
翌朝になっても、ヒルダさんは、心臓だけが活動を止めている状態にあり、そのほかの肉体には死後の兆候がなんら見られなかった。紅玉の指輪による影響だと確信したエドガーさんは、魔導士ギルドに助力を求めた。呪術に詳しい人員を派遣してもらい、妻にかかってしまっている呪いを解呪してもらおうとしたのだ。
「これは確かに呪詛のようです」
魔道士ギルド派遣員の診断に、やっぱりか!、とエドガーさんが手に汗握る。
「それで、妻の呪いはどうすれば解けるんですか!?」
「わかりません」
首を横にふって返されたエドガーさんは、愕然として言葉を失った。
派遣員によると、紅玉の指輪が呪物であることは魔法反応が検知されたことから間違いなく。ヒルダさんは指輪の効力によって仮死状態のようになっている。ただ、その効力というのがどうしても特定できない。魔導士ギルドが把握している仮死化呪詛のどれにも該当せず、現状、対処のしようがない、ということなのである。
失意に沈むエドガーさんに、ギルド派遣員はこう続けた。
「対応手段がなく、解呪の見込みがないと判断された場合。当該者の死亡認定を行うことができ、埋葬の許可、ならびに、〝呪詛死〟による国からの見舞金を得ることができます。申請なさいますか?」
エドガーさんは握りかためた拳を打ち込み、派遣員を追い返すことで、いいえ、の答えとした。
○
頼みの綱が断ち切れても、エドガーさんはあきらめなかった。解呪方法はかならずあると信じ、独自調査を開始した。それまで務めていたワイン酒造の仕事を辞め、前職のツテをたよって酒場や宿屋でのアルバイトに転身。町を訪ねてくる冒険者やポストマンといった旅人へ、シラミ潰し的に聴き込み調査を行った。広大な帝国内を渡り歩いているかれらなら、未だ解決困難とされる事象への対処法を心得ている人物がいるかもしれないと思ったのである。
しかし、そう簡単にはいかなかった。
「魔導士ギルドがお手上げとあっちゃ、残念だが、解呪の見込みはないと思うね」
一日、一週間、一ヶ月……と、糸口のイの字も見えないまま、ただ時だけが過ぎてゆく。
情報集めに遠出してみることも考えたが、家に妻を残しておくのが不安でやめた。
ヒルダさんは卒倒した当時のままをずっと維持し続けていた。ベッドで仰向けになっている胸さえ上下させていたなら、眠っているようにしか見えないだろう。閉ざされてある瞼を開けると、その緑色の瞳には一点の曇りもなく、澄み渡っているのだ。
エドガーさんは、妻のぶんの食事を毎日用意し、手がかり確保のための仕事場に出かけるときには、「いってきます」と頬に口づけをして、帰ってくれば、寝てばかりで退屈しているであろう彼女に、その日一日の出来事を語って聞かせた。
○
「あの家のエドガーって男は死体愛好者なんだってさ」
「呪詛死した妻を家のベッドに置いたままにしてるんだと」
「まあ、けがらわしい……」
半年もすると、そんな噂が立つようになっていた。
解呪の見込みがないと判断されたヒルダさんは、通例であれば、呪詛死の扱い。通俗常識では、埋葬されてしかるべき状態にあり、それを怠っているエドガーさんは変わり者中の変わり者となっていたのだ。だが当人は「好きなように言わせておけばいい」と頑として突っぱね、情報収集に明け暮れた。
よからぬ噂に居ても立っても居られなくなったのは、エドガーさんの親族である。片意地を張って妻の死を受け入れようとしない彼を改心させるため、その日、同じ町内に暮らしている父母と弟妹が、エドガーさんの家に集っていた。
「兄さんは、〝早まった埋葬〟になってしまうのを恐れているんだろう?」
弟が言う〝早まった埋葬〟とは、一度死亡と判断された人間が、じつは瀕死状態なだけであって、埋葬されたあとに息を吹き返してしまう事象のことだ。そうなってしまった人は、地中に安置された狭く暗い棺の中で、想像を絶する恐怖を味わいながらもがき苦しみ、やがて窒息により、本当の死を迎えることになる。
「でもね、魔導士ギルドが呪詛死と認めたってことは。そういう事は起こり得ないって保証を与えられたようなものなんだから」
妹がたしなめるように言ってくるが、背を向けたエドガーさんは、ベッドで仰向けになっているヒルダさんを眺め、じっと黙っていた。そもそも『死』と認識していない自分と彼らには決定的な溝があり、到底話し合いになどならないことがわかっていたからだ。しかし、次に続いた両親の発言には平静を保っていられなくなった。
「その娘に身寄りがなくて良かったじゃないか」
「……何を言ってるんだい、父さん?」
「お前はまだ若い。やり直しは十分きく」
「そうよ。いい機会になったと思いなさい。次は、石女なんかに引っかかっちゃだめですからね。ちゃんと子を孕める女性を選ぶんですよ」
「このジジババめッ!!」
猛り狂ったエドガーさんは踊りかかった。妻の目の前で、妻を愚弄することは、たとえ実の両親であっても許せない。母を張り倒し、父を殴りつけたところで、弟と妹から羽交い締めにされる。怒りがおさまらず、「全員まとめて家から出ていけ!」と玄関を指差したところで、トントンっ、と屋外からその扉が叩かれた。
「エドガーさんのお宅はこちらでしょうか?」
聞こえてきたのは、声変わりをして間もないような少年の声だった。物売りの訪問バイトでも来たのかと思い、冷静を取り繕ったエドガーさんが「今は取り込み中だからあとにしてくれ」と返答する。
「そうですか。では、用が済み次第、宿屋に来てください。オレなら、あなたの抱えている問題を解決できるかもしれません」
エドガーさんは弟妹の拘束を振り払って、ただちに扉を押し開けた。
玄関前に立っていたのは、十代半ばに見える少年だった。剣を背にしている様子や身なりから、若年冒険者のようである。彼の乗りものなのだろう、鞍を取り付けられた走鳥が行儀よく並び立っている。
「問題を解決できるってどういうことだ!? 妻のことを言っているのか!?」
そうです、と、走鳥を連れた少年はうなずいた。
「宿屋で、同僚という人から小耳に挟んだんです。聞いた話からすると、奥さんにかかってしまっている呪いを解くのは、オレでも可能だと思って訪ね来ました」
半年が経過しても糸口すら見出せなかった現状である。相手が誰だとか言っている場合ではない。藁にもすがる思いで、少年を家に招き入れた。
○
そんな子供に何ができる、と歓迎しなかった両親弟妹を「黙れ」と一喝し、部屋の外へと追い出すと、エドガーさんは、「奥さんの状況を見させてほしい」という少年に許可を出した。
つかつかと歩み出た少年は、ヒルダさんの状況よりも、嵌め込まれてある紅玉の指輪についての詳細を知りたがった。その詳細というのも、指輪自体がうんぬんというのではなく、購入に至った理由や、どんな人物から、誰が購入したものであるか、といった物事の運びや経緯に重点が置かれたものだった。
「この指輪が、奥さんのために作られてあるようなものだと思いましたか?」
奇妙な質問だったが、妻が指に差し入れた際に、そう思っていたので、エドガーさんは首肯した。
「いったい、何のための質問なんだ……?」
「それが呪詛発動のトリガーになっていたんですよ」
受けとめ難く混乱する話かもしれませんが、と前置きし、少年は説明をした。
いわく、この紅玉の指輪は、本来指に嵌めてもは無害なものらしい。だが、ある条件下――男性が女性に対してプレゼントとして贈り、贈った男性が、その人のために作られあるのだ、と思う念によって、仮死化呪詛が発動してしまうという、話だった。
「このような、いくつかの条件が揃うことによって効力が発揮される呪物は、〝マクガフィン〟や〝フラグ・デバイス〟なんて呼ばれているんです」
「君はどうして、そんなことを知っているんだ? 魔導士ギルドのやつでさえ、何もわからないと言っていたのに……」
「長く旅を続けていると、いろいろ見聞きするんです」
少年はすこし弱々しい笑みを浮かべて見せた。
不可解に思うことが多かったが、エドガーさんは、そんなことに頓着していられないと本題を切り出す。
「どうやったら解呪できるんだ!? 妻をもとに戻せるんだ!?」
「方法は単純です。ですが、正しい段取りが必要になります」
いくつかの条件が揃うことによって呪いが発動したように、解呪にもまた、条件を揃えることが必要なのだと、少年は告げ、その手順を口述した。
必要とされる筋書きを聞き終えたエドガーさんは、激怒し、「ふざけるな!」と声を荒らげた。少年が語った手順は、たしかに単純明快なものだった。だが、エドガーさんの意向に反していた行いをすることになるため、到底受け入れられたものではなかったのだ。
「他に方法は無いのか!?」
「ありません。今話した方法が唯一」
「……成功する保証は?」
「オレを信じてもらうしかないです」
「………………無理だ」
「そうですか」
少年はおもむろに、背負っていた剣を鞘ごと取り外し、差し出すようにした。
なんだそれは、とエドガーさんは鼻で笑う。
「剣にかけて誓うとでも言いたいのか?」
「いいえ。かけるのはこっちですよ」
と、柄を握って刃を引き出し、自らの首元にかざす。
「赤の他人の問題に、そうまでして首を突っ込む理由はなんだ? だいいち、君のその首をもらったところで、妻が復活しなかったら、なんの意味もない」
「そう返されると困るなって思ってました……」と、少年はまた弱ったような笑みを浮かべ、剣を鞘に収め直す。「オレが教えた段取りは、決して忘れないようにしてください。そして、もし、そのときが来たときには、必ず手順を踏んで実行してください」と言い残して部屋の出口へと向かった。
ドアノブに手がかかったところで、「待てくれ」とエドガーさんはひきとめた。
長い息を吐き出したのち、少年を見据える。
「わかった。君のいう唯一の方法に、かけてみよう」
○
後日――
呪詛によって死去したヒルダさんの葬儀が執り行われた。
町内にある共同墓地のいっかくに墓穴が掘られ。その底に横たえられてある棺の中には、白い死装束に全身を包まれた彼女が、紅玉の指輪の嵌められた手を腹部に組んだ状態で安置されている。
参列している父母弟妹の顔には、しめやかな葬儀に似つかわしくない笑みが浮かんでいた。彼らの笑顔は、いっしょに立ち会いを許されてある冒険者の少年に向けられている。呪詛死を受け入れられずにいた長男を説得してくれた功績者への賛辞だ。
礼式に則って進められていた葬儀は、いよいよフィナーレである。手向けの花の投げ込みが終わり、葬儀屋の墓掘り人たちが、開けられていた棺蓋を閉じに入る。
ガンガンガンガンッ
釘が次々と打ち込まれる様子を、不本意ながら黒服を着用することになったエドガーさんは、苦虫を噛み潰す表情で見守った。棺の縁へ釘が埋まっていくたび、自分の心臓に突き刺さるように感じる。
「こらえてください」
ぽつりと漏らされた声に隣りを向く。
「正規手順を踏みました。かならず、うまくいきます」
落ち着いた口調でいう少年は、土が掛け戻されていく棺を凝視している。首筋へ剣をあてがったときのような、肝がすわり、自信をにじませている茶色い瞳。その強い眼差しを買って自分はこの少年を信じることにしたのだ、とエドガーさんは揺れていた気を引き締め直す。
「今夜、元気な姿で会おう」
地中に埋まった妻に呼びかけ、墓地をあとにした。
○
その日の夜更け――
ザック、ザック、ザック、……
と、土を掘る音が、静観としている共同墓地にこだましていた。
「この墓で合ってるんだろうな? あばいた棺桶に腐りかけの婆さんが入ってるとかは勘弁だぞ」
「昼間に埋めてるとこをこの目で見てんだ。土がやわらけぇだろ。なにより、墓石に『ヒルダ』って刻まれてあんだろうが」
スコップが刺さる音には、二人の男の会話声がまじっていた。
「しかし馬鹿な遺族がいたもんだよなぁ」
「ああ、とんだマヌケだ」
「葬式通報人を使って、埋葬者の指には高価な指輪が嵌っていますよ、みたいなことをあんだけ街頭で叫ばせてれば」
「俺らみたいなのに、どうぞ盗んでください、と言ってるようなもんだからな」
雲が流れ、隠れていた満月が顔を覗かせる。
月明かりに浮かび上がったのは、二人の〝盗掘者〟だ。
彼らは闇夜に紛れてヒルダさんの墓を掘り返している真っ最中なのである。
ザック、ザック、ガツンッ!
スコップの先端が弾き返されると、墓泥棒たちは嬉しそうに顔を見合わせた。
「意外と浅かったな」
「よし、もう一息だ」
棺の上蓋にのってある土をすべて取り除き終えると、二人は手提げランプに明かりを灯し、工具を取り出す。慣れた手つきで、打ち込まれてある釘を一本一本抜き取っていく。そうして、「いよいよお宝のお出ましだ」と、蓋がどけられた。
棺の中で、仰向けに安置されている死装束のヒルダさん。橙色の灯火が上半身へと向けられ、お腹の上で組まれた手のところで止まり、指に嵌っている紅玉の指輪がキラキラとした輝きを乱反射させる。「ヒュゥ~」と高らかに口笛を吹いて感嘆したのち、二人の男は互いに「しぃ~」と唇に指を立てた。
「こいつはたしかに上物に違いない」
「ご遺体のほうも中々じゃないか?」
墓泥棒のひとりがヒルダさんの頬に触れ、その途端に「わっ!」と手を引っ込めた。
「おい、静かにしろよ。何驚いてやがんだ」
「……この死体、やけに生暖けぇ」
「死にたてほやほやってことだろう」
「しかもまだ柔らけぇ~……」
「どこ揉んでやがんだよ。はやく回収して、とっととズラからるぞ。金に換えりゃ、そんなことは生きてる女でいくらでもやれんだろ」
墓泥棒たちは指輪の強奪に取り掛かった。腹部に組まれてある手は、死後硬直がないため、難なく引き離された。死体にしては血色のよすぎる手。その右手薬指の付け根に嵌っている紅玉の指輪をつまむ。
……スルッ
と、いとも簡単に指から引き抜かれた、次の瞬間、
「なにさらすんじゃワレぇぇえっ!」
ヒルダさんの怒号が墓穴の中から張り上がった。
○
「今です、エドガーさん!」
「待ってろヒルダ! すぐ助けに行くからな!」
その時を今か今かと待ち構えていたエドガーさんは、共同墓地内の草場から飛び出した。墓穴の観測をしていた少年も、木の上から飛び降り、待機させていた走鳥の背中に乗り移ると、背中の剣を引き抜いて、掘り返されてある墓穴をまっしぐらに目指す。
先を行くエドガーさんの手にも得物がある。対峙することになる墓泥棒との戦闘を想定して購入していた片刃幅広剣だ。
柄をギュッと握りしめ、息を弾ませながら墓穴に急行し、「ヒルダ、無事か!?」と切っ先を掲げながら、積まれた盛土の上に立つ。……が、すぐに、力んだ肩のちからを抜き、剣を持つ手を下げた。次いで到着した少年も墓穴内の様子を確認するやいなや、刃を鞘へと収める。
墓泥棒たちはすでに目を回して倒れ伏していたのだ。
「来るのが遅いわね、エドガー」
と、スコップを肩に担いで立ち、にっこり笑うヒルダさんが墓穴の底から見上げ。
夫は得物を放り出して駆け下りたのだった。
○
――礼式に則った葬儀を行い、ヒルダさんを一度埋葬した後、盗掘者たちに掘り返させ、彼らの手によって指輪を外させる。
それが走鳥に乗った少年が提示した、解呪プロセス。そして見事その通りの工程を経て、呪詛死状態にあったヒルダさんは、復活を遂げたのである。
「あなたには感謝しきれないわね。ずっとあのままだったらどうしようかと思ってたわ」
驚くべきことに、ヒルダさんは、呪詛死状態に陥ってからの半年間の出来事を熟知していた。倒れた直後にエドガーさんが心肺蘇生をしていたことも、魔導士ギルドの派遣員から呪詛死の宣告があったことも、それからのベッド上での暮らしのことまで、なにもかもをすべて鮮明に記憶していたのだ。心臓が停止していても、彼女の意識は残されたままだったのである。
「君を信じてよかったよ。妻の命を救ってくれた恩人だ」
「いいえ、違うわエドガー。助かった命はもう一つあるの」
ヒルダさんはそう言って死装束のお腹に夫の手を導いた。まだポコっとした小さなものだが、命の膨らみが形成されている。夫とともに何年ものあいだ待ち望んでいた第一子を、呪詛死中に懐妊していたのだ。
「なんて素晴らしい日だ! 生まれてくる子にはぜひ君の名前を――」
ひとしきり抱き合って喜んでいた夫婦が顔を戻すと、目の前に居たはずの走鳥に乗った少年は、いつの間にか姿を消していた。名乗ることも、報酬を要求することもなく、静かに立ち去っていたのである。ただ一点、縛り上げられた墓泥棒の手にあった〝紅玉の指輪〟は、彼とともに無くなっていたのだった。
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