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[No.69] アザラシ猟が禁じられた村

 漁場(ぎょじょう)からの帰港中、船を航行(こうこう)させる漁師たちが、アザラシを見つけた。


 (むれ)からはぐれた個体なのだろうか、一頭だけで泳いでいる。


 岩場の上に到達すると、日向(ひなた)ぼっこでもしようというのか、ずんぐりむっくりした灰色の体を寝そべらせた。



 アザラシは食っても良し、毛皮も比較的高値で取引きされる。



 漁師たちは、帰りがてら一突(ひとつ)きにしていくことに決めた。


 船を岩場へ寄せていくと、そのアザラシは逃げるどころか、横たえている体を方向け、前ビレをひらひらさせて見せてくる。微笑(ほほえ)んでいるような表情と(あい)まり、まるで手を振って出迎えているかのようで、人懐(ひとなつ)っこい。



 仕留(しと)めるのは容易(たやす)かった。



 モリを胴体に打ち込むと、「オウッ」と低い声で鳴き、アザラシは絶命した。


 獲物を船に乗せ、漁師たちは家族の待つ(みなと)へと進路を向け直した。



 帰港後の陸揚(りくあ)げで、異変に気づいた。


 どういうわけか、ぴっちり張っていたアザラシの皮が、ぶよぶよと(たる)んでいるのだ。丸々とした曲線を描いていた体の線は崩れ、胴体のところどころが内側から奇妙に突出(とっしゅつ)し、いびつな姿格好になってしまっている。 



 ひとまず解体してみる運びになった。


 喉元(のどもと)にナイフを突き立て、皮を真横に切る。


 裂け目から(あふ)()てきたのは、血液でもなければ内臓でもない、髪の毛だ。


 長々(ながなが)(たば)になって垂れ、地面にとぐろを巻く。


 不気味で異様な光景に漁師たちは驚いた。


 が、解体の手を進め、喉元から()ビレに向かって腹を()く。



 ……ゴロンっ



 と、割いた胴体から何かが転がり出てきた。



 まだ年若い人間の少女だった。


 眠ったように閉じた(まぶた)は開かず、裸の胸は停止したまま動く気配がない。


 その谷間には、モリが刺さったような(あと)が残っていた。



 漁師たちは困惑の色を隠せない。


 アザラシに丸呑みにされていたのだろうか……。


 しかしすぐにそうではないようだと考え直す。


 体内に(おさ)まっていたのは、少女の体だけだったからだ。


 あるべきはずの、アザラシ本体の内臓や肉片といったものは、ただのひとつも出てこなかったのである。



 アザラシの部位は、毛皮のみだった、という不可解な状況。



 小さな漁村は立ちどころに騒ぎになった。



 やがて噂を聞きつけ、隣り村から中年の男がやってきた。


 少女の亡骸(なきがら)を目にした男は、おいおいと泣き崩れる。


 こうなってしまった責任は自分にあるのだ……、と。



        ※※※

 


 中年の男には、ひとり娘がいた。


 その娘は生まれつき足が不自由で、歩くことができなかった。


 すくすくと成長してくれたものの、いつまでも()いずることしかできない。



「歩けなくたって平気だよ。手を使えばいいんだし」



 本人は明るく気丈(きじょう)だったが、同じ年頃の女の子のように自由に走り回らせてあげたいという思いを、男は(つの)らせていた。



 村に行商人(ぎょうしょうにん)がやってくれば、足が動くようになる薬はないか?、と(たず)ね回る。



「そんなもん()りはしない」



 返ってくる言葉はいつも()ややかだった。



 そうして年月が流れ、数週間前ーー



「歩けるようにはできないが、泳げるようにすることはできる」



 問いかけに対し、興味深い返答をする行商人が現れた。


 詳しい話をうかがうと、行商人は一枚の毛皮を広げて見せてきた。



 アザラシの毛皮だった。



「ただの毛皮ではない。〝セルキーの毛皮〟だ」



 説明によると、〝セルキー〟は海に暮らす魔物という話だった。


 普段はアザラシの姿をしているが、ときどき陸に上がることがあり、そのさい、アザラシの毛皮を脱ぐことで人型の姿に変わるのだという。



「これはそのとき脱ぎ置かれていた毛皮を頂戴(ちょうだい)したもの」



「……それを(かぶ)れば、人間でも、アザラシになれるのか?」



「なれる。海を自由自在に泳げる」



 とはいえ、さすがに眉唾物(まゆつばもの)だ。


 代金も、おいそれと支払うことができない(がく)である。



 実際に毛皮を被って見せるようにいうが、行商人は首を振った。



「俺には無理だ。服を脱がねばならないし、だいいち体格が合わない」



 毛皮に全身が(つつ)まれる体型でなければならない。


 娘ならば、その条件には合致(がっち)しているだろう。


 男は悩んだ(すえ)、行商人の話を信じることにした。



 セルキーの毛皮を家に持ち帰った男は、娘に事のなりゆきを話して聞かせた。



「馬鹿だなぁ、お父さんは、騙されたんだよ」



 娘はひどく(あき)れた様子だったが、差し出された毛皮は、すんなりと受け取った。


 屋内の物陰になっているところで着替えはじめる。



「……まだ被り終わらないか? 手伝いは必要か?」



 男が居ても立っても居られずに()くと、



「オウッ! オウッ!」



 娘の居場所から水獣(すいじゅう)じみた低い声があがる。



 様子を確認した男は大いに驚いた。



 そこにいたのは一頭のアザラシだったのだ。


 そのアザラシの喉元が縦に割れたかと思うと、内側から指が出てくる。


 皮が両側に開かれ、(あふ)れんばかりの笑みを浮かべる娘が顔をのぞかせた。



「すごいよこれ! ほんとに海を泳げるかも!」



 男はすぐさま家を飛び出した。


 愉快(ゆかい)げに首を動かすアザラシが、胸に抱きかかえられている。 


 浜に着くと、波打ち際にアザラシをおろす。


 這いずるのはお手のものとばかりに、アザラシは大海(たいかい)に向かって移動をはじめた。


 引波(ひきなみ)とともに灰色の体が陸地から遠のく。


 海面から姿が消え、男は心配になったが、ひょこんと頭が出てきて安堵(あんど)する。


 見守る中、アザラシはゆうゆうと泳ぎ出した。


 ときおり、尾ビレを使ったジャンプをして見せる。


 岩場へ到達すると、浜をふりかえり、前ビレをひらひら振った。



「私の泳ぎはどう?」



 と、嬉しそうに合図(あいず)を送ってくるかのようだった。




 それから毎日、娘はアザラシになって海に泳ぎにでかけた。


 当初は男が()()っていたものの、着替える姿を見られるのを危惧(きぐ)した娘が嫌がり、ひとりで行かせるようになった。


 遠出しないことが約束だった。


 でも、娘は自由に動き回れるようになったことが嬉しかったのだろう。


 すこし冒険してみたくなったのかもしれない。



 その日、隣り村の沖合(おきあい)まで泳いでしまったのである。



       ※※※



 娘の亡骸は二村(にそん)総出で丁重(ていちょう)荼毘(だび)()されたという。 


 漁港には現在、こう刻まれた石碑(せきひ)が立てられている。



『アザラシを狩ること、()れの一切を許さず』



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