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[No.46] 【特集】死後に認められし女流画家 シャルーン・ジュレザン

 これからシャルーン・ジュレザン(享年(きょうねん)・37)という女流画家の話をしよう。


 シャルーン女史(じょし)は《ゼルキィーン市》に生まれた。画家である父の影響もあり、ハイハイ歩きのときから画材に()れ、字を書くことよりも言葉を話すよりも先に、絵を描くことを覚えた。物心がついたころには、自分専用の画材を所有し、家にいようが出かけようが片時(かたとき)も筆記用具を手離すことはなく、食事中にもペンはつねに紙の上を走っていた。


 月日とともに、頭角(とうかく)はめきめきと突出していく。鉛筆画、パステル画、木炭画、水彩画、油絵、……。あらゆる画材・技法に興味を示し、描画対象も、家族や風景、空想情景などさまざまで、その作風は、抽象的なものから写実的なものまで多岐(たき)にわたり。十二歳の誕生日を迎えたころには小規模ながらも個展を開くにまで至った。


 いずれ男性主流の画界(がかい)に変革をもたらす人物になる。


 そう(うた)われだしていた十四歳のとき、運命が変わった。


 画家の父が豊かな自然を求めたため、シャルーン女史は、一家で村に移り住んでいた。二歳下の妹と母親は不便な村の生活に不平不満だったが、女史は大歓迎だった。これまで目にしたことのない動植物に刺激を受け、創作本能が一段と()()てられたからだ。


 難儀(なんぎ)な森の泉への水()みも、シャルーン女史が自ら買って出た。泉には鮮やかな花が生え、小妖精も飛び回っており、スケッチの題材にもってこいなのである。「お姉ちゃんに行かせたら日が暮れるまで戻ってこないわ!」と、しばしば妹がお(かんむり)になるほど入り浸っていた。


          ◯


 そんなある日、泉で鉛筆を走らせていたシャルーン女史は、無我夢中になっていたスケッチブックから、ふと顔をあげた。辺りに濃い(きり)が立ち込め出していたのだ。ぐるりと周囲を見渡すうちに、雲の中に入ってしまったように一寸先が真っ白になってしまう。


 ふふっ、うふふっ、ふふふっ。


 若い女性の含み笑っている声が、白霧(はくむ)に包み込まれている方方(ほうぼう)から聞こえてくると、視界がゆっくりと晴れ出し、居なかったはずの人影が泉のまわりに浮き上がっていく。見えてきたのは、一糸(いっし)まとわぬ裸の女性たちである。泉の中に立って()れた髪をかきあげていたり、(ふち)に足を組んで座っていたり、草地でうつ伏せに寝転がっていたり、樹木の枝にぶら下がっていたり、……いずれも二十歳前後、若くて見目麗(みめうるわ)しい女性が寄り集まって、水浴びを楽しんでいるかのようだ。


 現れたのは、〝ニュンペー〟という名の人型妖精たちなのである。


 茫然(ぼうぜん)としているシャルーン女史のもとへ、ひとりのニュンペーが近づいてきた。野花を精密描画していたスケッチブックを(のぞ)()むと、微笑(ほほえ)みを浮かべ、自らと紙面を交互に指差す。自分を同じように(えが)けと示しているのだ。女史は首を横にふって断った。人の裸だけは描いてはいけない、と父から言われていたからだ。しかし、しつこく催促(さいそく)され、ニュンペーが横寝のポーズを取り出してしまい、「今回だけ」と心に決めて描いてあげた。


 完成した絵を切り渡すとニュンペーは大層喜び、シャルーン女史の(ほほ)にキスをして、他のニュンペーたちに見せびらかした。それがきっかけになり、私も描いて、と彼女たちが次々に押しかけてきて、女史はひとりひとり順番に描くはめになった。


 (とが)っていた鉛筆の(しん)が丸まっていくにつれ、禁じられていた裸体を描くことへの抵抗感が消えてゆき、あられもない大胆なポーズを取られても恥ずかしさを感じることなく、緻密(ちみつ)に描写することに没頭。そして気づけば、泉にいた全員を描きあげてしまっていた。


 シャルーン女史が薄くなったスケッチブックをぺらぺらとめくっていると、また辺り一帯が濃霧(のうむ)に包まれた。「ふふふっ」と(ふく)み笑う声が遠のいて霧散(むさん)すると、ニュンペーたちの姿がいなくなっている。もう日が暮れていてもおかしくない時間のはずだったが、空は時が止まっていたようにまだ青々としていた。


          ◯ 


 この日を(さかい)に、シャルーン女史は一変したのである。


 女性の裸が描きたくて描きたくて仕様(しよう)がなくなってしまったのだ。


 鏡に映る自分の裸を描いて気持ちを(おさ)()もうとしたが、ダメだった。妹や母を寝ているすきに丸裸にするようになると、父にバレて烈火のごとく(しか)られた。女性が女性の裸を描くことは絵画ギルドではタブーになっていたからである。将来ギルドへ加盟できず、画家としての成功が遠のいてしまう点を、父は怒ったのた。


 シャルーン女史はどうにかして本来のあるべき自分を取り戻そうと努力した。人間を描画対象にすることをやめ、裸婦画を描きたくなる発作(ほっさ)にかられると、目についた物をなんでもいいから描いた。結果、症状は悪化。樹木(じゅもく)を描けば、その(みき)は女性の腰つきになり、枝と根は滑らかな手足となる。四角い(かた)パンは(やわ)らかな丸みをかたどり乳首が飛び出した。植物の花弁(かべん)はあからさまに女性器と化す。なにを描いても女性またはそのシンボルになってしまう。


 十七歳になったころ、村の生活環境が悪影響になっていたのだ、と父はふたたびゼルキィーン市への転居を決めた。これがさらに事態を深刻化させる。人口密集地である市内には、女性がわんさといる。シャルーン女史は我慢(がまん)の限界に達し、痴女(ちじょ)になりおおせてしまった。道行く若い女性を通り魔的にとっつかまえ、裸に()き、逃げる者は(なわ)で縛り上げて、その姿態(したい)を描いたのだ。無論、今度は自警団にバレて投獄されることになる。それも一度や二度ではない。釈放(しゃくほう)されるたびに犯行をくりかえす常習犯となってしまったのだ。家族からは勘当(かんどう)された。画家としての彼女を知らないまでも、〝奪衣(だつえ)少女シャルーン〟という通り名を知っている方はおられるだろう。


 獄中とシャバを行き来する生活は、二十四歳のときに一旦(いったん)は治まった。衝動的奇行に突き動かされてしまうシャルーン女史を(あわ)れんだ妹が、姉を引き取り、自らを専属ヌードモデルとして提供したからである。だが長くは()たなかった。ある朝、妹が(みだ)らな夢から目を覚ますと、裸体の自分があられもない大胆なポーズを取らされていることに気づく。それをシャルーン女史が油絵の具を用いて色彩(しきさい)豊かに、黙々とキャンバスに描いていたのである。妹はブチ切れて、姉を叩き出した。


 案の定、シャルーン女史は〝奪衣女〟に逆戻り。そして、路地裏で緊縛(きんばく)した女性をパステルで描いていたところ、「なんどめだ、おまえさん……」と、顔見知りになった自警団員に肩を叩かれた。度重(たびかさ)なる再犯を重くみた自警団は、もはや手に負えない、と女史の身柄を帝国軍に引き渡し、しかるべき処罰を求めた。


「……私も自分自身を(りっ)することができないのです。まるで魔物にでもなってしまったようで、ほとほと嫌気が差し、手首を切り落としてしまおうかと試したことが幾度(いくど)となくございました。しかし薄皮(うすかわ)一枚切れる痛みにも()えかね、のうのうと恥を(さら)しつづけております。いっそこの機会に、どうか火刑(かけい)にしてもらえれば幸いです」


 だがしかし、シャルーン女史が送られることになったのは、斬手台(ざんしゅだい)でもなければ火刑台でもない、帝都美術学校である。女史の裸婦画が関係者の目に留まり、類稀(たぐいまれ)なる画才の持ち主であると評価され、特例入学となったのだ。そうして、『ジュレザン』の苗字(みょうじ)が与えられ帝都へ移住。恵まれた環境で技巧(ぎこう)(みが)く日々を過ごした。


 四年後、二十八歳で帝都美術学校を卒業。〝裸婦画(らふが)専門画家の女流先駆者〟シャルーン・ジュレザンが誕生すると、生まれ故郷のゼルィーン市へ戻り、モデルを(つの)って作品を描き始める。かつての悪名(あくみょう)が逆に話題性を生み、〝苗字持ち〟の英雄として帰還した鬼才のもとには、モデル志願者が押しかけ、素体(そたい)選びには事欠かなかった。


 問題は、売買面である。立ちはだかったのは、絵画ギルドだった。帝国政府の働きかけに応じ、シャルーン女史を裸婦画専門画家として認めはしたものの、女性が女性の裸を描いてはならないというタブーを破られ面白くなかったのだ。女流画家の台頭(たいとう)も恐れたのだろう。裏で仲買人(なかがいにん)に根回しをし、作品にろくな値がつかないようにしたのである。


 シャルーン女史は、自作品に対するプライドは高かった。絵は売れたとしても収入は微々(びび)たるもの。そんな端金(はしたがね)ならば売らぬほうがよい、と公式的にはただの一度も売ることがなかった。それでも生活するためにはお金が()るため、モデルとして訪れた女性たちに肖像画(しょうぞうが)を描いてやり、わずかばかりの収入を得てほぞぼそと生計を立てていた。


 三十二歳のとき、シャルーン女史を激昂(げっこう)させる事件が起こった。展覧会に出品された父の絵画が好評を(はく)したのであるが、それが、女史(じょし)が少女時代に描いていた裸婦画の模倣(もほう)作だったのである。並べ比べれば女史の本物の方があきらかに(すぐ)れていただろう。にもかかわらず、劣化模倣品が絶賛されている。批評家に対する幻滅や父の裏切りへの(いきどお)りに、シャルーン女史は乱心(らんしん)した。へし折った絵筆を、自らの両目に突き立てたのだ。


 盲目(もうもく)となったシャルーン女史は、ふたたび妹のもとに引き取られ、表舞台から完全に姿を消し、アパートの一室で閉じこもりっきりになって、廃人のような余生(よせい)を送ることとなった。目を潰したとしても、裸婦画を描きたいという衝動は込み上げてくるようで、ときどき妹のサポートを受けながら、脳裏に(よみがえ)ってくる女体をキャンバスに描いていたようである。しかしその絵は、得意としていた精密描画からは掛け離れ、色形(いろかたち)がぐちゃぐちゃと混じり合う混沌とした子供の落書きじみたものになってしまった。


 享年となる三十七歳になった、先月のこと――。


 その日、ゼルキィーン市内では、帝国竜騎兵団による航空祭が(もよお)されていた。


 屋外から一際甲高(かんだか)(とどろ)いてきたワイバーンの咆哮(ほうこう)に、なにを思ったのか、排泄(はいせつ)と絵を描くとき以外に滅多なことでは起き上がらなくなっていたシャルーン女史が、寝床から立ち上がり、よろよろと壁伝(かべづた)いに窓辺まで歩いて行った。

 目元に包帯を巻きつけた顔で、開け放した窓から空を仰ぐ。


「……見える……私にも見える!」


 そう声を上げたかと思うと、妹に特大のロールキャンバスと油絵の具を準備させ、嬉々(きき)として創作に取り組みはじめた。布地を滑る絵筆の動きは繊細(せんさい)なタッチで、目が見えていたときの精巧(せいこう)さを取り戻している。驚異的な速力で形をなしていき、描かれているのが、屋外で展示飛行をしているワイバーンと、その乗り手である女性竜騎兵ドラグーンだとわかる。妹の目視では空を飛ぶ様子が小妖精程度にしか(とら)えられないのに、キャンバス一面に描かれていく像は、空を一緒になって飛びながら間近で観察しているかのようだった。


 シャルーン女史は三日三晩飲まず食わずで油絵を完成させた。


 題して『民衆(みんしゅう)(みちび)気高(けだか)きドラグーン』。ワイバーンと女性竜騎兵を、後方から捉えた構図。背にまたがる女性竜騎兵が背後を見返って、人々を鼓舞(こぶ)するように力強く片腕を天に(かか)げている。何重にも塗り(かさ)ねられた絵の具が立体感を生んでいた。銀色の髪が一本一本なびいている様子がわかり。痩身(そうしん)を包む漆黒のラバースーツの()かりもよく表現され。翼を広げて咆哮するワイバーンの、灰色の(うろこ)一枚一枚が浮き出ている。今にも動き出しそうな生々しい迫力があった。


 シャルーン女史は、絵画にサインを刻んだあと、満足したように頬をほころばせ、眠りに落ち、そのまま息を引き取った。


「姉が(のこ)した渾身(こんしん)の怪作を、シャルーン・ジュレザンという不遇(ふぐう)の鬼才がいたことを、ぜひとも広く知って欲しいかったんです」


 妹は、アパートの一室を借り上げ、個展を開いた。シャルーン女史の遺作『民衆を導く気高きドラグーン』の(うわさ)は、口コミでどんどん広がっていき、死後一ヶ月()らずの現在、アパートの廊下や階段に長蛇(ちょうだ)の列ができるほど大反響となっている。「言い値で構わない、どれほど高値でもいい、その絵を売って欲しい!」と、仲買人たちも絵画ギルドの意向をもうそっちのけにしてたかるようになった。


「姉の遺言(ゆいごん)で、死後も作品は何一つ売ってはいけない取り決めになっているので、いくらお金を積まれても手放しません」


 妹は、個展の入場料で得た資金を元手にして、ゼルキィーン市内に〝シャルーン・ジュレザン美術館〟を建造する予定でいるそうだ。また、女流画家を募り、『民衆を導く気高きドラグーン』をはじめとする人気絵画の贋作(がんさく)を制作・販売して、絵画ギルドへ一石を投じ、女流裸婦画家への正当な配偶と地位向上を求める活動をおこなっていく計画でいる。


 個展を見終えた18歳の男性に感想を聞くことができた。


「展示されているどの作品も素晴らしいの一言につきるよ! 生前に認められなかったのが残念でならないね。なかでも、航空祭のイザベル少尉を描いた絵は、生きているうちに見なければ損をするものの筆頭だ。まさかあんなところが破れていたなんて! 道理(どうり)でワイバーンから降りて立っていたときには見えなかったわけだよ!」

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