[No.31] 吟遊詩人の男 〝のぞき〟で逮捕 されるも……
町民の社交場である共同浴場で、絹を引き裂くような悲鳴が上がった。
〝のぞき〟が現れたのである。
発見者は二十代の若い女性だった。
夜、湯を浴び終えた彼女は共同浴場の外へと出てた。帰宅するため一路歩き出したが、玄関口を離れてすぐのところで足をとめた。浴場側面の壁に、何かが張り付いているのを目にしたのだ。夜闇よりも暗いシルエットになっていたので、それがわかった。輪郭は人のかたちをしている。
「……そこで何をしているんですか?」
女性が警戒を孕んだ不安そうな声で訊ねると、人型の頭が壁から離された。するとその周辺だけが不自然に明るくなる。屋内の光が零れ出てきているのだ。浴場は板造りになっており、その壁板のひとつに、小さな穴が空いているのである。人為的につくられた丸穴だ。明かりによってぼんやり照らされているのは、若そうな男の顔だった。そして、穴の先には女湯の脱衣場がある。
女性の声に怒りがこもった。
「あなた、何してるんです!?」
「何って、君、わからないのかい? のぞきだよ」
落ち着いた口調で悪びれもせず淡々と返されたものだから、女性は一瞬だけきょとんとしてしまうが、一拍遅れて絹を裂くような悲鳴を上げた。
そうこうして捕らえられたのは、マシュウと名乗る二十五歳の吟遊詩人である。
マシュウ(25)は、女性の悲鳴を聞きつけて馳せ参じた男性客が顔面を殴るのを躊躇してやめるほどに、美形な男だった。のぞき行為を働きそうには見えず、第一発見者の女性も、その時いた他の女性客も、怒ってはいるのだけれど、その表情には、どうしてこんな美形が?、と戸惑う疑問の色が混じっていた。
「僕にとって〝のぞき〟とは、創作活動の一環に過ぎないんだ。数多くの女体裸身をとかく目にしたい、なんていう、やましさあってのことではない。僕は女性賛美歌専門の詩人でね。彼女らの社交場になっている銭湯での赤裸々な姿をじかに観察することにより、詩作を奥深いものに高めるという有益優良な意図があってのことなのさ」
などという意味不明な供述が通用するわけもなく、マシュウは〝のぞき〟の罪で、被害女性全員に賠償金を払わされることになった。
……が、話にはまだ続きがある。
「お集まりの淑女の皆様方。これより、心からのお詫びのしるしとして、この場を借りて僕の詩を一曲お贈りする。しばし耳を傾けていただきたい」
一方的に宣言すると、マシュウは背負っていた竪琴を胸に抱え、賠償金を取りに集まった女性たちの前で、勝手に詩歌の弾き語りをはじめた。色白の指が弦をなめらかにはじき、心安らぐような音色が奏でられ、美声が加わる。そして曲が終える頃には、女性たちは皆が皆その演奏に〝魅了〟され、感動の涙を流していた。
拍手喝采のなかマシュウは深々と頭を下げたあと、「風が僕を呼んでいる……」と遠くを見つめてつぶやき、ストールを首に巻きなおしてその場から立ち去って行った。
女性たちが我に返ったのは、彼が完全にとんずらを決めた後だった。
この事件の教訓は、『のぞきを働いた吟遊詩人の竪琴はまっさきに叩き壊せ』である。