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[No.23] 夫の執念実り 石化妻、蘇る

 テーゲ老氏ろうし(74)は《ブロチコネン町》の大広場で、つえを片手に立ちすくんでいた。


 ――あれは、わしのつまではないか……。


 深いシワの刻まれた目尻を細めて見つめる先には、丸い人工池の中央に建っているモニュメントがある。二十歳前後のうるわしい女性の裸婦らふ石像だ。腰布だけを巻いた姿で、両手でおけを肩の近くまで掲げ、水浴びをしている場面。その全身像を、ねずみ色の石でかたどったものである。


 老氏は、モデルとなった人物が妻だ、といっているのではない。

 裸婦石像そのものが自分の妻だ、といっているのだ。


 お歳もお歳である。ボケてしまっていると誰もが思うだろう。

 実際、大広場にいた人々は皆そうだった。じゃぶじゃぶと池へ入り進み、白ひげをでつけながら、「この腰巻きの模様には見覚えがある」「このくらいの腹のくびれじゃった」「顔立ちはもはやさだかではないが、耳のかたちはこんなんじゃった」「髪の長さもこれくらいじゃ」と、至近距離でまわすように眺めはじめた老氏のことを、大人たちはあわれみのある侮蔑ぶべつ的な眼差しで冷ややかに見守り、子どもたちは面白おかしく腹を抱えて笑っていた。


「やはり間違いない。わしの妻じゃ! 顔は忘れてしまっても、このちちの丸みはわしの手がしかと覚えておる!」


 裸婦石像の胸をべたべたとさわりだした老子は、見るに見かねた大人たちによって強制的に引き離された。大笑いだった子どもたちも流石さすがにそこまでいくと笑みを引きつらせた。


 おおいに興奮した様子のゲーテ老氏は、大広場の端へと向った。そこでは丁度、町を訪問していた行商ぎょうしょうキャラバン隊が、バザールを開催していた。


「誰ぞ〝バジリスクの涙〟を持ってはおらぬか!?」


「持っちゃいるが、そんなもんどうするってんだ。よぼよぼの体で砂漠の摩天楼まてんろうにでも行くってか? それにだいぶるぜ。爺さんにゃ払えんだろう」


「ええい、貸せい!」


「おい、クソジジイ!」


 テーゲ老氏は、ターバン頭の行商人が見せびらかした小瓶こびんをぶんどると、もはや杖をつくのも忘れて走り出し、人工池へと返り咲いた。またじゃぶじゃぶと中央へ進んでいくと、小瓶のコルクせんを、きゅぽんっ、と差し歯で抜き取る。そして、追いかけてきたターバン頭に取り押さえられる一歩手前で、小瓶の中身――〝バジリスクの涙〟を裸婦石像へと振りまけた。


「コンチクショウ、大事な商品を! 自警団に突き出してやる!」


「ま、まて、あれを……あれを見るんじゃ!」


 〝バジリスクの涙〟が掛かった胸元に変化が起こった。ねずみ色をした石の表面が、徐々に温かみのある人肌に変色してきたのである。その変色は胸元から全身を塗り替えるように広がっていく。乳房ちぶさには柔らかみが戻り、乳首は薄桃色に染まり、腰巻きはふんわりした布の質感のある黄色へ、手桶ておけが茶色い板へ、くり色に変わった髪の毛が風になびく、……そして、緑色へ変わったひとみが、パチンとまばたいた。


「おお! わしの妻よ!」


 テーゲ老氏は、石化状態から復活した妻の胸へ飛び込んだ。


 この時、ふたりは実に半世紀ぶりの再開だった。


 テーゲ老氏が妻と生き別れになったのは、二十四歳のときなのだ。


 ある日、十九歳の妻が「泉で水浴びをしてくる」と出ていったきり、行方ゆくえ知れずになってしまった。老氏は妻の無事を信じ、その姿を追い求める旅人となった。雨の日も風の日も、何年も何十年も、あきらめることなく各地を転々としてさがしまわった。そして五十年の歳月をかけて、ついに、このブロチコネン町の大広場で、石像と化していた妻を見つけ、自らの手でよみがえらせたのだ。執念がひきよせた劇的な奇跡である。


 だがもう一度いう、この時、ふたりは半世紀ぶりの再開なのである。


 そして、妻は十九歳のままで、老氏は七十四歳だ。


 ふところへ飛び込んだ老氏がどうなるかは火を見るよりも明らかだった。


「何してくれてんの!? このクソジジイ!」


 蘇った妻は、胸に吸いつくエロジジイを、手桶で問答無用に打ちのめした。


 かなしいかな、現実は物語のようにはいかない。


 その後、テーゲ老氏は、妻にあっさりと捨てられた。


「事情は聞いたけどさ、いくら夫だっていっても、年の差、五十五は無理に決まってるじゃない。こういうときはへんに期待なんか持たせず、ストレートに言ってやったほうがいいのよ。テーゲには悪いけど、さよならね。まっ、あたしは生まれ変わったつもりで気楽に生きることにするわ」


 テーゲ老氏の〝もと〟妻――マリーさん(19・実年齢69)はそう言い残し、意気揚々と放浪ほうろうの旅へ出立した。


 ちなみに、石化前のマリーさんの記憶は、半世紀前に泉で水浴びをしていたところで途切れていた。どうして石化してしまったかについては、「さあね」と軽い一言。泉の近くに石化魔法を使用する魔物がいたのかもしれないが、理由は定かではない。くわえて、なぜ、いつから、ブロチコネン町でモニュメントになっていたのかも不明である……。


 テーゲ老氏は現在、窃盗せっとうの容疑により自警団に身柄を拘束されているが、ターバン頭の行商人が罪を問わないとして、すぐに釈放しゃくほうされる見通しである。


「〝バジリスクの涙〟は貴重品だが、爺さんがあまりに不憫ふびんだからよ。それにおかげさまで、いいもんを間近でおがませてもらったしな。へへへっ」


 なお、老氏は釈放後すぐにマリーさんを追いかけるつもりのようだ。


「あのサバサバした性格が好きなんじゃ! あの乳は誰にも渡さぬぞっ! おお乳よ! もっと乳を!」


 と、息巻いている。


 元気があってなによりだ。

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