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[No.156] 【不定期連載小説】新訳・ピーチボーイ 第一章

          一.



 むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが暮らしていました。


 お爺さんは毎日、山へ芝刈りに行っていたのですが、その日ついに、「なんでワシだけがこう毎日しんどい芝刈りをせにゃならんのだ!」と思い至り、川で洗濯をする婆さんと役割分担を交代してみることにしました。


 というわけで、お婆さんが山へ芝刈りに行き、お爺さんが川の岸辺で洗濯をしていたときのことです。


「どんぶらこっこ、どんぶらこ~♪

 どんぶらこっこ、どんぶらこ~♪」


 妙なふしをつけて唄う、少女の楽しげな声が聞こえてきました。


 歌声のする川上かわかみにお爺さんが顔を向けてみると、こちらに向かって大きなももが流れて来ていました。どうやら少女の声で「どんぶらこ」と歌っているのは、その桃のようです。いいえ、桃というのは見間違いでした。


「ありゃぁ、しりだ。女の尻だぞ……」

 

 流れて来ているのは、桃と見まごうほどにみごとな女尻めじりだったのです。声の出どころは、尻の谷間にある〝縦割れの口〟でした。二枚並んだ〝唇〟が左右にぱくぱくと開き、そこから「どんぶらこっこ、どんぶらこ~♪」と歌声が発せられているのです。


 お爺さんは物珍しさから――いな、あらがえぬ男のさがから、目の前に差し掛かった桃尻を拾い上げました。両手でずしりと抱え上げ、ためつすがめつ眺めて見ても、やはり、毛の生えていない女の尻に違いありません。手でふれた感覚も、つやのあるやわらかな人肌。動いていた唇が動きを止め、口を閉ざして歌わなくなったことで、より尻味しりみが増しています。


 お爺さんにとっては、何十年ぶりで目の当たりにする、若々しい美尻。


「婆さんには内緒で〝味見〟してみなければなるまい!」


 洗い終えた洗濯物を入れていたたらいから着物を放り投げ、ひっくり返し、桃尻を底面の上に乗せました。年老いてびついてしまっていたお爺さんの〝包丁〟も、下履きの中でかつての輝きを取り戻しています。すぐさま引っ張り出すと、ためらうことなく〝包丁〟をずっぷり差し込みました。


「なんと美味い〝桃〟なんじゃ!」


 いままで味わったことのない、みずみずしい果肉と、したたり落ちる果汁に、お爺さんはたいそう満足し、脇目もふらずにむしゃぶりついたあと、天にも昇る心地に達しました。そうして一息つき、この不思議な桃尻を持ち帰ることに決めて、隠し場所をどこにしようかと考えていると、


「めでたや、めでたや~♪

 おめでた、おめでた~♪」


 だんまりしていた桃尻が、また妙な歌を口ずさみ出したのです。白濁はくだくしたよだれを垂らしている〝口元〟の周りには、どういうわけか、金色のちぢが生えだしてきてもいます。それは見る見るうちに金色の草原のごとく生い茂っていきました。さらにはモゴモゴうごめきならが桃尻自体が膨らんでゆくのです。


 お爺さんがあっけにとられてしまっていると、〝小さな口の穴〟がどんどん広がりを見せ始めました。暗がりになっている穴の奥から、得体のしれない何かが、押し出されて来ているのです。目を凝らせば、粘液に包まれた金色の物体が、新生児を彷彿ほうふつとさせる人間の頭頂部のように思われました。


「……こりゃいかん。この桃尻は、魔物だったんじゃ! ワシは魔物をはらませてしまったぞ!」


 事の重大さに気づいたお爺さんは、血相を変え、出産途中にある桃尻をたらいの上から担ぎあげました。産み落とされる前にどうにかしなければならないと、薄気味悪さをこらえ、両手でかかげ持ったまま川へ立ち戻り、力いっぱいに放り捨てたのです。そうして桃尻が川下かわしもへ流れ去るのを確認したあと、お爺さんは家に逃げ帰って行きました。



          ○



「……川は恐ろしい。明日からは文句を言わず、山に芝刈りへ行くとするべ」


 帰宅したお爺さんが、唐突に思い立った役割分担の変更をいていると、


「おぎゃあ、おぎゃあ」


 家の外から、赤子の泣き声が、小さく聞こえてきたような気がしました。川に捨てる前、桃尻から出かかっていた金色の頭が、脳裏によみがり、お爺さんがギクリと身を縮めます。


「そんなはずねぇ……ここは川から離れてる。アレらはたしかに流れて行っただ。それに、産まれ出ていたとしても、溺れ死んでいるに決まってるべ」


 ですがやはり「おぎゃあ、おぎゃあ」と泣く声が耳に届いてくるのです。もう思い過ごしではありません。遠巻きに聞こえていた泣き声は、まるで家の玄関に向かっているかのように大きくなり、しだいしだいに迫って来ているのでした。


 恐怖におびえながらも、お爺さんは壁に掛かけてあった剣を手に取りました。若かりし頃、冒険者をしていた時分に使用していた正真正銘の青銅剣ブロンズソードです。そのつかを両手でにぎりしめ、そろりそろり、玄関口へ向かっていきます。そして、泣き声がいよいよ玄関の前まで来ると、「おのれ魔物め! 成敗せいばい!」と威勢よく扉を開け放ちました。


「なにを成敗するんです? 真っ昼間から剣なんか振り回して、もう。ボケないでくださいよ、お爺さん」


 玄関先に立っているのは、芝刈りから帰ってきた、お婆さんでした。


 ホッとしたのは一瞬で、お爺さんはすぐ難しい顔になって尋ねます。


「……婆さんや、その赤子は、いったいどうしたんじゃ?」


 帰宅したお婆さんの腕には、産まれたてのような、男の子の赤ちゃんが抱えられてあるのでした。その姿形はまぎれもなく人間にしか見えないのですが、「おぎゃあ、おぎゃあ」と泣き続けている子の頭が、濡れていて、金髪を生やしているのがどうしても気になってしまいます。お婆さんが、「よしよし」と丸裸の背を叩いてあやしながら、問いかけに答えました。


「帰ってくる途中、川で拾ったんです」


「川で……?」


「ええ、そうですよ。どんぶらこと流れてきたんですから!」と興奮したお婆さんが嬉しそうに語り出します。「わたしたちが常々どうにしかして子供がほしいと言っていたでしょう? それを聞き届けた精霊様が、この子をわたしたちにと、おさずけくださったに違いありませんよ!」


「……婆さんや、今すぐ、その子を川に返して来るんじゃ」


「なんと罰当たりなことを言うんですか、お爺さん!」


「川を流れてくる子なぞ、魔物からの贈り物に決まっとるべ!」


「いいえ、精霊様のもうです! 〝精童〟に違いありませんよ! なんていったって、この子は川を流れて来るときに、精霊語をしゃべっていたんですからね!」


「なにを馬鹿な。赤子が口を利くわけがねえ。ましてや精霊の言葉なんて……。それに婆さんは、冒険者やってたワシと違って、精霊語が理解できねぇべ?」


「意味はわかりませんけど、精霊の言葉ということくらいは、わかりますよ。この子はたしかに自分の口で言っていたんですからね、ヘル……ヘルなんとかって」


「ヘルプ・ミー」


 と、しゃべったのは、金髪の赤子でした。泣いていたかと思えば、ケロッと泣き止んでしまい、透き通るような青さのひとみをパッチリと開いています。そして、自分のことを胸に抱きかかえているお婆さんを見上げ、あたかも、お爺さんとお婆さんの会話の意味を理解していたようなタイミングで、「ヘルプ・ミー」と口ずさんでみせたのでした。


「ほらほら! 今の聞きましたよね? 本当だったでしょう!? 〝ヘルプ・ミー〟って、人語ではどういう意味になるんです?」


 青ざめているお爺さんは、みずからの心情を吐露とろするようにつぶやきました。


「……〝助けて〟」


「あらまあ!」と、お婆さんがいとおしげに腕の中へと視線を下げます。「大丈夫でちゅよ、わたしがこのとおり、あなたを助けてあげましたからね」


 すると、赤子がケラケラと笑みを浮かべ返します。


「サンキュー、ファッキン・ビッチ!」


「あらあら、今度はなんと言っているんでちゅか? きっと、お礼ね!」


 こいつは魔性の赤子じゃ……と、お爺さんは確信しました。お婆さんがいうとおり、〝サンキュー〟は〝ありがとう〟の意味になります。しかし、その後に続いた〝ファッキン・ビッチ〟は〝くそったれの売春婦〟という、かなりタチの悪い罵倒語ばとうごになっていたのです。この赤子は、純真無垢な笑顔を振りまきながら、命の恩人を面罵しているのです。やりとりから、人語を理解していることもわかります。


 お爺さんは震える唇を動かし、精霊語を使って、赤子に尋ねました。


「……フー・アー・ユー?(……お前は何者じゃ?)」


 赤子が、くるっと首を回し、お爺さんに顔を向けます。


 ガラス玉のような青い瞳をにんまりたわめました。


「ユー・アー・マイ・ファーザー(あんたが俺の父親だよ)」


「ノォォォォオオオオッ!!(うそじゃぁぁぁああああっ!!)」


 お爺さんは頭を抱えて叫び崩れました。


 この金髪の赤子は、川で拾い上げた魅惑的な〝桃尻〟が産み落としかけていた不気味な胎児たいじだったのです。人の形をしていますが、人ではない、魔の物。お爺さんがうかつに『入刀にゅうとう』してしまったことにより誕生した、原因と結果の、まわしき因果いんがな産物。


「ちょっとお爺さん、急に大声をあげてどうしたんです? ふたりだけで何を話してるんですか? お爺さんだけズルいですよ、わたしにはさっぱり理解できないんですからね」


「……婆さんや、こやつは――」


「はじめまして。ぼくは〝ピーチボーイ〟です」


 人語を使って自己紹介をかぶせてきたのは、ほかならぬ、赤子でした。


「おやまあ! 人の言葉もしゃべれたのね! あなたにはピーチボーイというお名前があるの?」


「イエス、ステップマザー(そうだよ、継母ままははさん)」


「まだ人語は不慣ふなれみたいだわね。でも、〝イエス〟は、わたしにもわかるわよ、〝はい〟という肯定ね。〝ステップマザー〟は、なんと言っているの?」


「ばばば……婆さんのことを〝母上様ははうえさま〟と言ってうやまっておるんじゃよ!」


 と、お爺さんが大慌てて割って入りました。その様子を眺めていた赤子――ピーチボーイが、つぶらな瞳の視線をチラチラとお婆さんに送りながら、お爺さんに向けて話しかけてきます。


「ヘイ、ファーザー。ドゥー・ユー・アンダスタンド? ユー・マスト・フィード・ミー、イーブン・イフ・ユー・ドント・ウォント・イット。ハハハッ!(おい、親父おやじ。わかっただろう? お前は俺を養わなきゃなんねぇのさ、たとえ望まないことでもな。はははっ!)」


 連ねられた精霊語は、お爺さんにとって、のろいの呪文でした。


 ピーチボーイはおどしてきているのです。


 俺の言うことを聞かなければ、婆さんに出生の秘密を明かす、と。


 お爺さんの桃尻とのあいだに出来た、浮気相手の子供あかしである、と……。


「……婆さんや、この子は、たしかに、精霊様からの授かりもののようじゃ。今日からワシらの手で育てていくことにしよう」


 かくして、桃尻から生まれたピーチボーイは、お爺さんとお婆さんをのもとで暮らしていくことになったのでした。



     〈第一章 おわり〉

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