[No.106] 魔道具でアパートを透視、現場から吟遊詩人らしき男が逃走
14日の夜、仕事を終えたパート女性(26)が、《グベアモータ市》内にある自宅アパートへの帰途についたところ、目前に迫った煉瓦造二階建てアパートの一室前に怪しげな人影を見つけた。その人物は玄関に入るわけでもなく、赤煉瓦の壁に張りつくように向かい合い、棒立ちを続けているのだ。
怪訝に思ったパート女性が「そないなとこで立ち止まってどうしたん?」と声をかければ、その人影は、若そうな男性の声で「貴女もご覧になられますか? 世にも素晴らしいものをお目に出来ますよ」と丁寧口調で質問返しにしてきて、居場所を一歩横に移した。そうしてそれまで向かい合っていた壁を指し示すのだ。
パート女性は眉をすこしひそめつつも、男性の声が口にする『世にも素晴らしいもの』が何なのか気になった。煉瓦が積み重ねられてあるだけの壁で、いったい何を目にすることができるというのだろうか。
「ささっ、遠慮なさらず。僕だけが独り占めにしておくには余りに忍びないので」
そんな勿体ぶられては見ないわけにはいかず。「どうぞどうぞ」と両手を振り流すようにして誘われるまま、パート女性はその壁際へと近づいて行く。そして彼女は「ほんまっ!?」と瞼をひん剥いた。
煉瓦壁に大きな丸穴が空いていたのだ。壁の一部が直径約60センチの綺麗な正円にくり抜かれてある。にもかかわらず、崩れさせることなく、絶妙な力のバランスで壁の形状を維持させ続けているのだ。しかし、男性が『素晴らしいもの』と言っていたのは、この壁穴自体のことではないのだろう……。
壁穴の向こうに見えていたのは、燭台明かりで照らされている浴室だった。そこには使用者がひとりいた。二十歳ほどの若い裸身女性が、シャワーノズル片手に湯水を浴びている真っ只中にあったのだ。男が熟視していたのは、金色の毛並みを撫で洗っていたこちら側だった。
「あの、特盛用お椀のように豊隆としてある色艷やかな半球形をご覧なさい。まさに造形の機微。降りしきる熱きスコールを美の極地で受け、金剛石の如き煌めきを弾ませるさまには、敬虔の念を覚えずにはいられないでしょう」
パート女性は怒りの形相で声を上げた。
「シャワー、のぞいてたん!?」
ところが隣り合って立つ男は、崇高な美術品でも鑑賞しているかのように、腕を組み顎をなでつけ、「そうではありませんよ」と悠長に否定してくるのだ。
「彼女みずから、僕に裸体美を見せつけているだけなのです」
なにをたわけたことをぬかしているのだろう、とパート女性は思ったが、冷静になってみると、たしかに状況は彼の指摘するとおりなのである。
壁には大穴が空いている。内にいる使用者がそれに気づいていないわけがない。外にいる二人の人物が見えていないわけがないのだ。現に、壁穴のほうへ体正面を向け、あられもない渓谷をゴシゴシ洗う姿は、まさに、これ見よがしなのである。
ほなら、のぞきとちゃうやん!
パート女性の怒りの矛先は、シャワーを浴びる裸身女へ向け直された。
「あんた痴女なん!? 見られたがる趣味!?」
蛇口がキュッとひねられ、シャワーが止まった。そして眉間にシワを刻んだ裸身女が、素肌をまるで隠そうともせず、恥部を暴露したままで壁穴に近づいてくる。「おおっ、歩み寄る黄金郷!」と陶酔する男をさしのけて、パート女性は、「こないなとこで〝のぞき部屋〟や〝ヌードスタジオ〟じみたもんなんか開業すな! 知らんけど!」とまくし立てる。
そこで様子がおかしいことに気づいた。
裸身女が壁穴の手前まで来ても、なぜか目線が合わないのだ。青空色をした虹彩はこちらに向けられているのだけれど、線と線とがぶつからない。それに、しかめられた表情はムカッ腹を立てているというより、なんだろう?、と疑問を浮かべているかのようで。むこうから何も口出ししてこないのも奇妙。
きわめつけは、丸穴に向かって片耳をかざすしぐさだった。
「これって……むこうから見えてないんちゃう?」
「今お気づきになられたのですか」
隣りでそう告げだ男の声に寒気立ち、……ひょっとして、と思ったパート女性は、ぽっかりと大口を開けてあるはずの丸穴に向け、手を差し伸ばした。すると案の定、手のひらは、その入口になっている虚空で、見えない壁にでも阻まれたように、ぴたりと停止したのである。皮膚に受けたのは、そこから抜け落ちてあるはずのザラリとした赤煉瓦の冷たい感触と同じだった。
男がしれっと二の句を継ぐ。
「こちらが見えていたとあっては、彼女は荘厳たる美をおおい隠してしまうではありませんか」
当たり前や。
「ほなやっぱり、のぞきやないかい!!」
煉瓦壁が完全に透過してしまっている理由は知る由もなかったが、パート女性は、のぞき被害を知らせることを最優先にし、「のぞきでぇーす! 盛大にのぞかれてますよぉー!?」と丸穴……もとい『丸窓』越しに、裸で立つ彼女へ向けて大声をあげた。
――外がうるさいと思ったら、のぞき? この辺も物騒になったものね。
小さく返ってきた声は、自分が被害にあっていると、てんで気づいていない。
「のぞかれてるんは、あなたなんやて!」
――うわぁ、被害者気づいてないの? どんだけ鈍いんだろ。
「せやからあんたが被害者やゆーてんよ、デカチチ女!」
――ええぇっ!? わたしっ!?
豊満さを自覚していた住人の彼女がようやく隠し所を手でおおうに至り、パート女性はひとまずホッとしたが、すぐさまハッとして隣りに首を振る。しかしそうした時にはすでに、男の姿はどこにも見当たらなくなっていたのだった。
○
その後、パート女性と被害者住人の通報によって駆けつけた自警団の調査により、とある魔道具が、のぞきに使われていたことが発覚。
じつは、壁に生じていた丸窓の縁には、平細の輪っかが貼りついていた状態だったのだ。それを引き剥がすと、透過していた部分が瞬時になんの変哲もない赤煉瓦の壁に戻り。そして、取り外された輪っかのほうは、円枠の中心に向かってぐんぐんと縮んでいき、あっという間に、大きさも形状も手のひらですっぽり包めるほどの、小さな穴の空いた5コバーン硬貨のようになってしまったのである。
これは〝透視の円環(ピープ・フープ)〟と呼ばれる魔道具なのだ。もともとは冒険者が迷宮などで使用するためのダンジョン攻略用アイテムで。財宝の在り処、罠の有無、魔物が潜んでいないか、といった、壁向こうの状態をさぐる手段に使われていた、伸縮自在で持ち運び便利な透視魔道具。
だが、今回のような不届きなけしからん用途に持ち出されることが続発するようになったため、現在では一般の流通が差し止められた絶版魔道具になっている。おそらく、のぞきを働いていた男は、このピープ・フープを闇市場などで入手していたのだろう。
その現場から立ち去った男はというと、現在も逃亡中。パート女性の目撃証言によれば、薄暗かったために顔立ちはよくわからなかったが、ストールを首に巻き、竪琴のような楽器の造形が背中にあったので、吟遊詩人らしい、とのことである。
およそ二ヶ月半ほど前に、別な町でのぞき行為に及んでいた吟遊詩人の男・マシュウ(25)が依然として自由の身ということもあり、また、口ぶりなどからも彼だったのではないかとみて、逮捕に向けた捜索が続けられている。
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