あの夏へ。
それは、夏の日暮れのことだった。蝉がやたらとうるさくて、うだるような暑さがじっとりと身にまとわりつくような日だった。
俺は仕事で、生まれ育った故郷へと足を運んでいた。電車から降りてしばらく歩くと、汗でワイシャツが背中にぴったりと張り付いてきて、一刻も早く実家へ行こうと足取りが早くなった。そこで俺は信じがたい光景を目にすることになったのだ。
幼い自分と、出会うとは。
最初は、見間違いだと思った。しかし何度瞬きをすれど、何度目を擦ろうとも幼い少年が消えることはなかった。次に疑ったのは別人の可能性。これが一番ありうるだろう。むしろこれ以外の理由があるはずもない。しかしどれだけ見ようとも小学生の頃の自分にそっくりなのだ。間違えるはずもない。縁の太い黒のメガネは俺の目が悪くなってきたときに祖父ちゃんが買ってくれた物だ。今でも部屋に置いてある。それでもこれは。
爽やかな色をしたシャーベットを咥えてベンチに座っている少年の前に建っている駄菓子屋。これにも見覚えがある。確か、俺が中学校へ上がる時期に閉店したはずだ。そこの駄菓子屋のおばあさんが優しくて小学校帰りによく悩み事を相談しに行った。その駄菓子屋があの頃と変わらず営業している。
呆然と立ち尽くす自分に気付いた少年が俺の元に来て「どうしたの?」と聞いてくる。その少年の胸元にある名札を見て確信した。
『朝日小学校 1年 高田圭』
そこに立つ少年は間違いなく自分だった。小学一年生の頃の自分が目の前に立っていた。
「あぁ、なんでもないよ」
目の前で起きている不思議な現象に狼狽えつつも、なんとか答える。
「おじさん、なんかお父さんに似てる気がする」
そう言って少年は僕の手を掴んで駄菓子屋へと歩いていく。連れられるがまま俺は駄菓子屋に入る。
「いらっしゃい。あら圭ちゃんまた来たのかい?」
そう言って此方を見るお婆さんは記憶にある姿のままだ。古めかしい扇風機が首を振っている。中に氷の張った冷凍庫も、電気がつかない埃をかぶったアーケードの格闘ゲーム機もあの頃のままだ。
「このおじさんがねぇ、ぼーっとしてたからつれてきたんだ!」
「あらそうかい。お兄さん。大丈夫かい?」
「……はい、大丈夫です。すみませんアイス一本もらえますか?」
「60円ね、毎度あり」
アイスを頬張りながら、もう一度辺りを見渡した。あの頃と何も変わらない店内。優しい駄菓子屋のおばあさん。小学一年の頃の自分。そして、1991年7月と書かれたカレンダー。これが夢でなければ、間違いなく俺は過去にいた。しかしこれはおそらく夢ではないのだろう。ソーダ味のアイスをすぐに食べ終えキーンと痛む頭。夢ではないと考えるには十分だ。
「すっげぇおじさんあたりじゃん!」
隣で少年が歓声を上げていた。そんな夏が来た。
これはそういう話だ。
あの頃に戻りたい。そんな気持ちになりました。